太陽の姫
しょうりん
第一章 一、じゃじゃ馬姫の旅立ち 1
「姫様!姫様!———いったいどこにおいでなのか。まったくあのお転婆にも、困ったものだわい」
老紳士は、広い階段の踊り場で立ち止まり、大きくため息を吐いた。
先程から声を枯らして呼んでいるのに、探し回っている人物が一向に見当たらない。
乱れた息をどうにか整えながら、それでも彼は再び階段を上り始めた。
そろそろ体力も朽ち果てかけている彼にとって、こうした階段の上り下りさえ少々辛い思いをしなければならない。それもそのはず、老人の白髪の頭や深く刻まれたしわを見れば、もうかなりの歳である事が分かる。
が、その歳の割に体付きはしっかりしており、背筋もぴんと伸びていた。恐らく、若い頃から随分鍛えられてきた体なのだろう。
しかし、全体的な印象は、やはり草臥れた感じではあった。
「姫様が生まれてこのかた、心の休まる暇などありはしない」
うろうろと辺りを彷徨いながら、彼はこの城の主オーラント王の一人娘、サラ姫を探し続けた。
・・・・と、
「これが、お父様ご自慢の騎士ですか!はっ、なんとも頼り無い!」
どこからか、聞き覚えのある声が届いて来る。
はっとして周囲を見回し、彼は側にあった窓に飛びついた。嫌な予感がしながら、恐る恐る下の中庭を覗いて見る。
すると、ドレス姿の若い娘が、なんとも勇ましい様子で、王宮騎士であるレドルドをやっつけているではないか。
娘の倍もあるほどの青年が、褐色の髪を振り乱して縮こまっている。その姿は、情け無いを通り越して哀れにさえ見えた。
お互いに剣を持っている所を見ると、またもや姫の大好きな試合をしていたのだろう。老紳士は慌てて下に下り、二人の間に割って入るような形で飛び込んだ。
「姫様、またそのような乱暴を!王に知れたら、このじいが叱られます。どうか剣を収めて、御婦人らしく慎ましく・・・・」
するとその娘は、大きく切れ上がった目でじろりと不機嫌そうに老紳士を睨み付けた。
「モーン。わたくしは、たとえお父様の為でも、好きな剣の試合を止めるつもりはないわ。全く、お前はどうしていつもいつも、お父様の顔色ばかり窺っているのだろう。わたくしには、ちっともあの人が恐ろしいようには思えないのだけど・・・・」
やや低めではあるが、よく通った独特の響きのある声である。恐らくこの人物こそが、老紳士の探していた姫様なのだろう。
確かに、姫と呼ばれるほどの気品は備わっていた。おまけに、高価なドレスが霞んで見えるほどに美しい娘だ。肩からこぼれる長い銀の髪が、娘を一際美しく見せている。
が、よく見ると、細かい刺繍を施したドレスの裾が随分汚れており、他にも袖口や脇の辺りなどあちこちが綻びていた。
勿論、古い訳ではない。昨日新調したばかりの、できたてほやほやのドレスだ。
彼女は、その美しい顔を更に歪めて、鞘に収めた剣を老紳士、モーン=サドリックに渡した。
「とは言っても、この者とこれ以上試合をする気はないわ。彼が、お父様ご自慢の王宮騎士だなんて、何と情け無い事。まるで木偶の坊、まったく相手にならないもの。これじゃあ、木にぶら下げた板切れを相手にした方がマシよ。よくもまあ、これで国が守れると思えること。お父様は、よっぽど間抜けなんだわ」
一息に言って、サラは乱れた髪を手で後ろに払う。それから、相手が言葉を返す隙も与えず、さっさと城の中へ戻って行ってしまった。
「何と、姫様は恐れ多い事を言いなさる。あの口さえ塞げば、容姿は申し分無いと言うのに・・・・」
モーンは、サラが生まれてからと言うもの、もう何千回にもなるため息を吐いて、首を何度も横に振った。
「———誠に。それはオーラント王の事は、私も尊敬しかつ信頼申し上げているのですが。どうもあの姫様には・・・・」
サラに散々な目に合わされたレドルド=ハーマンは、こめかみの辺りに出来た青痣を押さえ、守り役であるモーンに小声で言った。
「野育ちと申しましょうか、信じられない事に、昨日も裸足でそこらへんを走り回っていました。乱暴な上にあの口の悪さ、とても姫君とは思えません」
恐縮しながらも、ここぞとばかりに本心を述べるレドルド。王宮騎士になりたてほやほやの彼は、先輩達に押し付けられ、この数日間と言うものずっとサラの相手をさせられていた。
初めは姫のお遊び程度とたかをくくっていたのだが、どうしてどうして。さすがに噂に違わぬやんちゃ姫、剣を扱う腕は王宮騎士ともひけを取らない。
ただでさえくたびれているのに、毎日、毎日、それこそ訓練や警護の間の僅かな休み時間を、姫との練習試合に奪われ、もうへとへとだった。
彼は、姫の道楽に付き合う為に騎士団に入ったのではない。城を守る為に騎士団に入ったのだ。
おまけに、ハーマン家としての騎士のプライドは傷つけられ、負ける度に耐えられないような罵倒の数々。
疲れてさえいなければ負けはしないのだと言う気持ちを、姫と思えばこそどうにか我慢をしていたが、さすがに堪忍袋の緒が切れそうだった。
「—————すまぬ。全てわしの責任だ。王もわしも一人娘だと思って、甘やかしすぎたのだよ。あんなお転婆で我がままな娘になると分かっていれば、もっと躾を厳しくしていたのだが・・・・・・」
モーンは、今は亡き王妃セルミアがオーラントの許へ嫁いで来る時、一緒にこの国にやって来た。セルミアは、隣の大国、ダンドリアの第三王女で、彼はそれはそれは彼女を崇拝していたのだ。
モーンほど腕の立つ男なら、ダンドリアでもそこそこ名の有る騎士になれていただろう。ところが彼は、あっさりと競争心を捨て、セルミアに生涯忠誠を尽くす事を誓った。
オーラントが統治するこの国オスリアは、ソニール大陸でも二番目に小さい国。いつ大国から襲われても、不思議ではない状態だ。彼には、それが心配だった。
自分が付いて守らねば、そう決心してこの国にやって来たのだ。
そしてセルミア亡き今も、彼は異国でこうしている。セルミアにとっては忠実な従者だったが、騎士として名を揚げる事は一度もなかった。
その大切なセルミアが亡くなってから、情熱が一気にサラに傾いた。
サラは、亡きセルミア王妃に生き写し。ならば、ダンドリア国の王女セルミアの娘として、サラをどこの国に出ても恥ずかしくないよう、立派に育てよう。
と、したのだが・・・・・。
セルミアから生まれた姫は、とんでもないじゃじゃ馬姫。
姫が何か仕出かす毎に、彼の不安は増していった。そして今や、こうして姫の為に謝るのが、彼の仕事になってしまっていた。
「貴方の苦労は、とてもよく分かります。私なら、もうあの姫のお守りは、一日だって御免ですから・・・・・・」
「————まったく、困ったものよ」
サラも今年で十八になった。十八と言えば、オスリアではもう立派な大人だ。
そろそろ、結婚を考えねばならない年頃。サラは一人娘なので、当然婿を取る事になるだろう。
————しかし、今のままでは、誰も候補になどなってくれぬ。姫の悪名は高く、余程の物好きか変わり者でない限り、縁談の話がなかなか来ないのだ。
苦労の多い老人は、また溜め息を吐くしかなかった。
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