第39話 みお、涙すること

 周囲には大きな屋敷が建ち並んでいて、小都さながらの町並みである。


 この辺りは、都下りの人々が集まる、り所となっているのだ。

 堀をわたり、西門をくぐり、敷地のなかに入った。


 門番に、職人たちに、働いている者たちに、みおは気さくに声をかけながら、明るい笑顔をふりまいてゆく。


(おや)

 浄蓮は、ふと、目を止めた。


 東の対のきざはしに、緋色のふさで飾り立てた漆黒の馬から、誰であろう……高貴の姫であろうか、ひとりの女性がくらからすべりおりるところであった。

 虫のぎぬのすそに、燃えるような樺桜かばざくらうちきの色がひらめいた。


「お客人かな?」

義母ははうえが、ご親戚のみなさまをお呼びして、歌会をもよおされているのです」

「ほう」

 と言って、浄蓮は考えた。


 ……みおは、自分はこの家の奥方だというのに、そのような優雅な集まりにも呼ばれず、雑人たちにまじって土いじりをしているというのは、いったいどういう心もちなのであろう。

 しかしまあ、たとえ歌会に呼ばれたとしても、みお自身が困るのは目にみえているが……それでもすこし淋しい気がする。


 ――そんな浄蓮の気がかりにも頓着せぬ様子で、みおは女童めのわらわのようにあっけらかんとしている。

「おと、荷物はわたしが持ちましょう。お前は桶に水を汲んできておくれ」

「はい」





 雑仕女に足を洗ってもらっていると、有常が待ちきれぬ顔で、迎えに出てきてくれた。

「浄蓮殿。長の旅路、ごくろうさまでした」

 再会を喜んで、男たちは手をとりあった。

 浄蓮のほうが十以上も上で、今では有常の御経の師となっている。


 西の対の広廂ひろひさしに招き入れられた浄蓮は、円座わろうだに腰をおろすと、早速、荷物をほどいた。

「都の土産とさんです」

 小壺に入れた、こうであった。

「これはわざわざ、ありがとうございます」

「こちらの草子そうしは、御前どのに……」

「うれしい、ありがとうございます」

 みおは感激して、結び綴じの本に飛びついた。


 有常もお礼を言って頭をさげた。

「本当に、みおは勉強家で、うちにある書物は、ぜんぶ読んでしまいました。ついこのあいだまで、仮名も読めなかったのに……」


「もう、それは言わなくていいの」

 余計な一言を嫌って、みおは有常の腿を思い切りつねった。

「痛ッ」

 本気で痛がる有常に、頬をふくらませて見せてから、みおは浄蓮のほうに向きなおった。

「大切に読みます」

 と嬉しげに、本を大事そうに胸に抱いて、頭をさげた。


「みおに仮名を教えてくれた方こそ、西行師なのです」

 と、有常は説明した。

「師は私に、流鏑馬の技術と礼儀作法を、それから、人としての大切な心構えを教えてくださいました」

「そうでしたか……。素晴らしい御方おかたであられたようですね。愚僧が今日、こちらへ参ったのは、まさにそのことで……」

 と、浄蓮は、思い煩うかのように言葉尻を濁らせた。


「いかがでした?」

「……お亡くなりになられたとの話、真実ほんとうでした」

 嗚呼ああ……と、有常もみおも、深いため息をもらした。

「……そうですか……」


「ちょうど一年前、二月きさらぎの十六日、場所は河内かわちの国、弘川寺ひろかわでらとのこと。その前の年から、病を患っていらっしゃったようです。涅槃会ねはんえのまさに翌日、咲きめた桜の花々に包まれるようにして、お亡くなりになられたとのことです」


 遠くなる視線を、有常は庭園の向こう、うすく霞んだ西方さいほうの空へと泳がせた。

『俗世で多くの経験を積み、それでもなお出家を志すならば、その時には私のところへ戻ってきなさい』

 ……西行師のくれた言葉が、胸のうちに切なく甦ってきた。


(もう二度と、お会いできぬのですね……)

 そう考えた瞬間、ふるえるような感傷に襲われて、有常は、こらえるのがやっとだった。

(弱気になっていてはいけない。私はしっかりと胸を張って、私自身の道を切り拓いてゆくのだ。二度とお会いできないのではない……いつか必ず、西方浄土さいほうじょうどで、お逢いするのだ……)


 気がつくと、隣のみおは、耐え切れず両手で顔をおおっている。

「これ、みお。お客様の前で……」

 有常がそう言った時には、もう言葉も口にできぬほど顔をくしゃくしゃにして、みおは号泣していた。

「……あたじ……ごめんなざい……」

 そう言って、手ぬぐいで目元をおおいながら、奥に引っ込んでしまった。


「やれやれ……」

 有常は呆れたようにため息をつきながらも、自分もまた、みおの強い想いに引きずられて、そっとまぶたの端をぬぐった。

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