第39話 みお、涙すること
周囲には大きな屋敷が建ち並んでいて、小都さながらの町並みである。
この辺りは、都下りの人々が集まる、
堀をわたり、西門をくぐり、敷地のなかに入った。
門番に、職人たちに、働いている者たちに、みおは気さくに声をかけながら、明るい笑顔をふりまいてゆく。
(おや)
浄蓮は、ふと、目を止めた。
東の対の
虫の
「お客人かな?」
「
「ほう」
と言って、浄蓮は考えた。
……みおは、自分はこの家の奥方だというのに、そのような優雅な集まりにも呼ばれず、雑人たちにまじって土いじりをしているというのは、いったいどういう心もちなのであろう。
しかしまあ、たとえ歌会に呼ばれたとしても、みお自身が困るのは目にみえているが……それでもすこし淋しい気がする。
――そんな浄蓮の気がかりにも頓着せぬ様子で、みおは
「おと、荷物はわたしが持ちましょう。お前は桶に水を汲んできておくれ」
「はい」
◆
雑仕女に足を洗ってもらっていると、有常が待ちきれぬ顔で、迎えに出てきてくれた。
「浄蓮殿。長の旅路、ごくろうさまでした」
再会を喜んで、男たちは手をとりあった。
浄蓮のほうが十以上も上で、今では有常の御経の師となっている。
西の対の
「都の
小壺に入れた、
「これはわざわざ、ありがとうございます」
「こちらの
「うれしい、ありがとうございます」
みおは感激して、結び綴じの本に飛びついた。
有常もお礼を言って頭をさげた。
「本当に、みおは勉強家で、うちにある書物は、ぜんぶ読んでしまいました。ついこのあいだまで、仮名も読めなかったのに……」
「もう、それは言わなくていいの」
余計な一言を嫌って、みおは有常の腿を思い切りつねった。
「痛ッ」
本気で痛がる有常に、頬をふくらませて見せてから、みおは浄蓮のほうに向きなおった。
「大切に読みます」
と嬉しげに、本を大事そうに胸に抱いて、頭をさげた。
「みおに仮名を教えてくれた方こそ、西行師なのです」
と、有常は説明した。
「師は私に、流鏑馬の技術と礼儀作法を、それから、人としての大切な心構えを教えてくださいました」
「そうでしたか……。素晴らしい
と、浄蓮は、思い煩うかのように言葉尻を濁らせた。
「いかがでした?」
「……お亡くなりになられたとの話、
「……そうですか……」
「ちょうど一年前、
遠くなる視線を、有常は庭園の向こう、うすく霞んだ
『俗世で多くの経験を積み、それでもなお出家を志すならば、その時には私のところへ戻ってきなさい』
……西行師のくれた言葉が、胸のうちに切なく甦ってきた。
(もう二度と、お会いできぬのですね……)
そう考えた瞬間、ふるえるような感傷に襲われて、有常は、こらえるのがやっとだった。
(弱気になっていてはいけない。私はしっかりと胸を張って、私自身の道を切り拓いてゆくのだ。二度とお会いできないのではない……いつか必ず、
気がつくと、隣のみおは、耐え切れず両手で顔をおおっている。
「これ、みお。お客様の前で……」
有常がそう言った時には、もう言葉も口にできぬほど顔をくしゃくしゃにして、みおは号泣していた。
「……あたじ……ごめんなざい……」
そう言って、手ぬぐいで目元をおおいながら、奥に引っ込んでしまった。
「やれやれ……」
有常は呆れたようにため息をつきながらも、自分もまた、みおの強い想いに引きずられて、そっとまぶたの端をぬぐった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます