エピローグ あの日の約束を
記憶を完全に取り戻したノアは画塾の講師を続けることにした。前世や画塾でも関わりが深かったあさひは、
「やっと記憶戻ったか。正直、アンタが大人しいと調子狂うんだよな」
と、小突いていた。
今年の春講習から関わりのある真珠は、
「オレはバロック美術の生まれやから、印象派の話聞けるん嬉しいなぁ。色々似とるしな。春講習はほとんど話す機会なかったやからさ」
と、喜んでいた。
そうは言っても普段は東京に住んでいるので画塾で講師をしているのは長期休みだけだ。
「せっかく君にまた会えたのにあんまり一緒にいられないんだ。あと一週間で二学期だし」
「そろそろ戻らないと大学祭の準備もあるからね」
「ボクは君と話したいこともやりたいこともたくさんあるんだよ」
そして、今日の授業を思い出してか、ますます落ち込みはじめた。
「あさやん、やっぱり上手いんだよ。隣で描いていて、やっぱりボク下手だなって。あんなにいい作品描けられないよ。でも、いつかは負けないぐらいの絵を描くけどね!」
意気込んでいるマワリにノアは思い出したように、それでいて懐かしそうに笑った。それ見てムッとするマワリ。
「なんで笑ってるんだよ……」
「わたしはマワリの絵の方が好きだけれどね。ひまわりも、あの『もう一度、黄色い家を』も」
マワリが描いたあの絵は『もう一度、黄色い家を』と、名付けられたのだ。
「君、前世でも同じこと言ってたけどボクはやっぱりそう思わないよ。あんなに酷い別れ方したボクの描いたひまわりの絵が必要な理由なんてないし、君には二枚渡してあったし、あさやんは前世から実力者だし」
口をとがらせて拗ねているマワリにノアは頭を撫でた。
「子供扱いしないでよ!」
「前世でも五歳年下だったけど……」
「成人してるとしてないとでは違うの!」
思春期特有の子供扱いされたくない様子に思春期は既に通り過ぎたノアはこう質問した。
「マワリ。ひまわりの絵はわたしの部屋に飾るために描いたよね」
「へ? そうだけど。黄色はボクにとって神聖な色だからさ。ひまわりを選んだり、黄色い家にしたよ。黄色は希望でもあるからさ」
「じゃあ、あの絵は?」
「それは、賭けというか……。あと思い出しても、思い出さなくてもあの絵が贈れたらボクは君に感謝が伝えられるから」
正直に答える彼女にノアはどこか嬉しそうに頷いた。そして、まだ分かっていないマワリに理由を答えた。
「そういうことだよ。マワリはわたしのために描いてくれた。それが画家にとってどういうことか一番よく分かってるのはきみだよ」
やっと意味を理解したのか、彼女は叫んだ。
「やばい! ボク、テオへカンカンに怒ってる手紙送った……」
『ひまわりの絵を渡す代わりに習作を送り返してやる!』と、当時書きなぐっていたことを思い出し恥ずかしくなる。そして、それを本人の目の前で言ってしまった事をまずいと思いつつも、手紙の書簡は有名だから既に知られているだろうと諦めた。
「じゃあ、代わりにあの絵はあげるよ。ひまわりの絵はもう今のボクじゃあ手に入れられないからさ。その代わり君の描いたあの肖像画と交換で」
「えっ。でも、あれは記憶を完全に取り戻す前の絵で。記憶を取り戻しながらの絵はさすがにそれこそ嫌なことを思い出すと……」
「はぁ!? 君こそ絵を贈る気持ちが分かってないよね!」
そう怒ったものの、すぐに冷静になった。一つ息を吐くと謝った。
「ごめん。つい、カッとなった」
「感情的に怒るところはもう慣れているから大丈夫」
フォローのつもりなのだろうが、心境としては複雑なマワリ。怒りっぽいところはまだ直ってないからだ。
学園では周囲の人があまり怒らない性格なのと穏やかな気質のせいか、怒ることも少ないが上手くいかない時はイライラもすれば、絵の事で自分と意見が合わないと討論だってするのだ。どちらかというとこちらは前世が影響した部分であり、学園での人間関係は今世の影響が強く出ているのかもしれない。
「君の描いた、あの絵にはたくさん言葉では言い表せないものが詰まっているんだ。それは画家であって、前世は一緒に絵を描いたボク達にしか分からなくて。だから、あの絵を見る度にボクはここまで頑張って良かった、また君と会えてよかった。そう、いつまでも思い出に浸りたいんだ。ボク達が変わっても、また離れ離れになっても、絵だけはずっと変わらないままそこにあるから」
ある現代画家は写真が多く出回る中、ずっと残っていく絵もあると言っている。写真は空間を切り取ることが出来るが、絵は思い出と一緒に残すことが出来るのだ。
ふと急に彼女は彼の指をぎゅっと掴んだ。
「あのさ。ボク、君と同じ大学に行くよ。それで、ちゃんと卒業して今世も絵で生きていく。今度は君と一緒に。だから、待っていて欲しいんだ。ボクが大学を卒業して立派な絵描きになるまで」
それは彼女なりの覚悟だった。彼女とて、転生者であってもその大学に入るのがどんなに難しく、卒業したとしても絵で生きていく道が狭いことは知っている。けれど、生まれ変わっても彼のことを尊敬していた。だからこそ同じ道に行きたいと思うのは、なんらおかしい事ではない。
そして、彼女は気づかないうちに女の子としての気持ちまで伝えてしまっていたのだ。
「じゃあ、マワリが大学卒業したら一緒に黄色い家を作ろうか」
その言葉でマワリには十分だった。少しだけ赤くなったものの、すぐに元気よく頷いた。
「うん! それまでは君の彼女だね」
どういうことか敢えて言わない彼女に「そうだね」と、答えるノア。その代わり、手はしっかりと握られていた。
待ち合わせ場所から、
「姉さん! 兄さん!」
と、タキの声が聞こえる。これから画材を買いに行くのだ。
夏の終わりの青い空に白い入道雲が膨らんでいく。この街のどこかでひまわり畑が揺れている。
また三人そろった姿はさながら本当の家族のようだった。
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