第10話 君に贈りたかったもの

 夏期講習が終わる一週間前。二人の絵は完成した。

 まずは二人で講評をした方がいいと、磁水の指示で二人はアトリエで講評することになった。

 早く終わらせようとばかりに珍しくマワリが促す。その様子にノアはどこか考え事をしたものの、すぐに自分の絵の説明に移った。

「わたしの描いた絵はこちらです」

 そう、見せた絵はかつて描いてくれた自分の横顔の絵に重なった。ひまわりを描いていた自分の絵に。そして絵から感じる重みや色にマワリはかつての彼を重ねた。

「ありがとう。やっぱり、君は上手だね」

 なんで、前世では君が褒めてくれた時に否定するようなこと言ったんだろう。こうやって素直に嬉しいって言えばよかった。

 ノアは記憶を取り戻せなかった。だからこれで最後。ボクの未練を伝えるチャンスも。

「ボクの絵はこれだよ」

 そう、彼女が見せたのはここではない部屋だった。その中には二人の画家が絵を描いていた。お互い議論を交わしているようだがどこか楽しげだ。

 それは二人がよく知っている黄色い家での日々だった。

「ずっとこれを描きたかった。君は想像で描けないボクを励ましてくれながら一つの絵を描かせてくれた。君はお金を使いすぎるボクに箱を用意してくれた。君はボクの誘いに乗ってくれて黄色い家に来てくれた。君はボクに歩み寄ってくれてたというのに、ボクは何もしてなかったんだよ。だから、ずっとこの絵と一緒に、君に伝えたいことがあった」

 顔を上げてマワリは笑顔を作った。

「真心から言うが、君はボクを忘れないでくれるね」

 その途端、彼女の目からは大粒の涙がこぼれ始めた。笑みを絶やさないよう頑張っているものの、止まりはしなかった。

 あさひに言ったことは笑い話にするための嘘でもあった。大喧嘩をした末、ついに出ていってしまった背中を見た時、もう戻ってくることは無いと身に染みて分かってしまったのだ。

 すぐにカッとなるものの、冷静になった時に深い後悔が訪れて自己嫌悪に浸る性格も相まって、感情がぐちゃぐちゃになったのだろう。どうすればいいのか分からないパニックもあったのだろう。元々ある衝動性が仇となり、自殺を考えてしまったところはあるんだなと、振り返る度に思ってしまうのだ。けれど、どんな結果になっても感謝を伝えたかったこと、尊敬していた思いは朦朧とした意識の中強く残っていた。

 彼女とて、あの時のことはあまりにも錯乱し、意識が朧気だったため、ほとんど覚えていない。けれど、今世で思い返すたびに、何度も後悔に暮れて泣きながらただ一人謝っていた。

「あはは……なんでだろうね。もう未練なんて無いはずなのに。これでボクと君は他人なのに、なんで、こんなに悲しいんだろう。なんで、こんなに、ボクは、もっと君と一緒にいたいと思ってしまうんだろうね」

 本音が遂に出てしまった。その途端、上手く声が出なくなる。涙声になってしまうのだ。それでも、これで最後なのだからと、頑張って続きを一気に伝えた。

「君ともっと一緒に絵を描いたり、モチーフ探しに行ったり、芸術論で喧嘩したり。それだけじゃない、なんでもいいいんだ。とにかく君と一緒にいられる理由が欲しいんだ。本当にボクが悪かったって反省している。だから、生まれ変わった時、人としても、画家としてもやり直せられるって頑張ったんだ。でも、今でも精神状態不安定な方でさ。もう同じことを繰り返したくないから、この絵とこの言葉だけを伝えるだけでいいって決めたんだ。それで悔いはないってずっと思っていたんだ。でも、君と一緒に過ごす日々はやっぱり楽しくて、ずっと続いて欲しくて、かけがえのないもので。なんでボクはあんなことしたんだろうって、辛くてさ。絵が売れないからって君やテオに当たらなかったら良かったし、アブサンなんか飲んでも気が紛れるのは一時なのにさ。もっと、周りにも目を向けるべきだった」

 未練がましくなってごめんねと、涙を拭こうとするマワリ。けれど涙は、一向に止まりはしなかった。

 ノアはもう一度、今度はゆっくりと彼女の描いた絵を見る。そこにはかつての自分と、ずっと思い出せなかった友の姿があった。その友が大好きだったのは黄色。ひまわりの希望と、麦畑の悲しみのような黄色をした少女が目の前にいた。

「フィンセント……きみは本当にあの……」

 懐かしいかつての呼び方にマワリは顔を上げた。

「そうだよ! 君の好きな年下の女の子に生まれ変わったフィンセント・ファン・ゴッホだよ!」

 良かった、記憶を思い出したんだと、言おうとするものの泣き声で形にもならない。それほど安心感が湧き上がったのだ。ひとしきり泣いた彼女が落ち着き始めるとノアは現代で知ったことを話し始めた。

「きみの最期、そしてその後のことは現代で全て知ったよ」

「奇遇だね、ボクもだよ。お互い、ろくな人生送ってないね。でも、君も、ボクも最期まで芸術を愛していた人生で良かった」

「わたしもそう思うよ。お互い、芸術を生まれ変わっても手放すことがなかった。そして、わたしはきみに謝らなければいけない。今世でもきみはわたしを助けようとしてくれたのに気づかなかったことを」

 きっと、今世で彼は知ったのだろう。生活に困っていたゴーギャンを支援したい、助けたいと何度もゴッホがテオに手紙で頼んでいたことを。そして共同生活が終わった後も彼は未来があるから支援するようテオに頼んでいたこと、印象派の画家として尊敬していたこと、どんなに黄色い家の未来を楽しみにしていたかを。

 今世で彼は悔やんでいるのだろう、どこか辛そうな顔をしている。もしかすると、前世で言い残したことがあったのかもしれない。だからこその晩年に描いた肘掛椅子の上のひまわりであり、ヨーロッパから離れた後もフランスにいる友にひまわりの種を送ってもらうように頼んだのだ。

 お互い、生まれ変わったからこそ、自分の行いを客観視することで反省やすれ違いに気づき、またこうして話をしたかったのだ。

「ありがとう。わたしをゴーギャンわたしに連れ戻してくれて」

「こちらこそありがとう。今世でもかけがえのない時間を過ごさせてくれて。ボクはもうこれで報われているから安心して」

 マワリはこれで本当に関わりを絶とうとしている。彼女は結果がどうであれ、この画塾を去ると決めていたのだ。これ以上迷惑をかけないために。生まれ変わったら善行は報われると、手紙に残していた彼を安心させるように笑いながら。そんな彼女にノアは口を開いた。

「マワリ。わたしはやっぱり、きみとアトリエを開きたい」

 ボクは、どうしたいんだろう。どうしたらいいんだろう。きっと……ううん、絶対、また君に迷惑をかけるのは分かっている。でも、まだ一緒にいたい。ずっと君と一緒に絵を描き続けたいんだ。

 ノア。君がフィンセントと呼ばずに、星月マワリとして誘ってくれているのと同じで。ボクも、如月ノアとしての君といたいんだ。

「そういう事だったんだ……。やっぱり、前世と性別が違うと気持ちまで違うから困るよ」

 鈴菜が女の子扱いする理由がやっとわかったマワリは思わず笑ってしまった。

 意味がわかっていないノアに彼女は代わりに誘いへの答えを返した。

「じゃあ、テオにも頼まないとね!」

「もう一度、三人で……」

「黄色い家を、ね」

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