第5話 ウルトラマンブルー
「ホンマすんません! 遅れました!」
関西弁と共に画塾に入ってきたびしょ濡れの男子生徒は水を滴らせながら教室に入っていく。歩いた後には水溜まりが出来ていく。
「あやさん、あの人がさっき言っていた?」
「そうそう。今日は一段と巻き込まれてるな」
二人がこそこそ話をしていると、
「群青さん、どういう状態ですか?」
そう、教室が濡れていることに顔を顰めながら綺麗好きな磁水が尋ねた。男子生徒――真珠は小首をかしげて思い出しつつ、説明をする。
「まず新幹線がめっちゃ遅延したんや。そこから電車乗って最寄り駅まで来たら車両がホームからはみ出してん。せやから、三十分待って。そこから走ってたら、猫がおる言うから助けようとして。その時、後ろから自転車に当てられて、川に落ちて濡れた! ほら、猫ちゃんめっちゃかわええやろ!」
群青の制服から出てきたのは一匹の猫だった。まだ生後一か月ほどの子猫は真珠に撫でられるとぐるぐると喉を鳴らした。
「……わかりました。まずは着替えて下さい。猫の方は予備のペットキャリーを貸しますのできちんとその後のことはしてあげて下さい」
「はーい! ここに置いとるツナギ着るな!」
そう、真珠は鈴菜に案内されて奥に行ってしまった。
「先生、床を掃除しますね」
「ありがとうございます。では玄関から廊下の方お願いします。私は教室を。あなた達は休憩時間が終わったらデッサンの続きをしてください」
講師の二人も部屋を出て行ってしまい、残された二人はしばらく無言が続いた。
嵐のように去っていった男子生徒にマワリは圧倒されたのだ。その性格もだが、やはり転生者特有のオーラがあったのだ。それも画家の中では強い部類の。
「凄い人だったね……」
「そう。本当に不幸体質なんだよな。実力もすごいけどな」
チョコが濡れないようにあさひは膝に乗せる。そして、撫でるとチョコは甘えたように目を閉じた。マワリも心を落ち着かせるためにチョコを撫でる。想像以上にフワフワの毛並みに二人が癒されているとまた、ドアが開いた。
「あ、戻ってきた」
あさひの声に顔を向けると、思ったよりも早く戻ってきた真珠の姿に今度は歓声をあげた。
「わー!全身青でカッコいい!」
真珠の見た目はとにかく青だった。髪も青。コンタクトなのか目も青。そして着ているツナギも青だった。
「せやねん。オレ、青が好きやからな。絵も青なんや。目と髪は元々やけどな」
「転生者は残した作品が容姿に影響するからな。アンタの好きな色で良かったな」
そう、モネの睡蓮の水面のような髪色をしたあさひが褒める。目の色も印象・日の出の色だと、マワリは改めて感じた。
「ありがとうな、あさひ先輩。やっぱり、青はウルトラマリン一択や」
「ウルトラマリン……フェルメールブルーの」
ウルトラマリンは別名フェルメールブルーとも呼ばれている。それはフェルメールがこよなく愛し、当時金と同じ価値だったラピスラズリを使った「ウルトラマリン」という絵の具から由来している。
「せやで。オレの絵は今世も天然もののウルトラマリン使うんや」
「じゃあ、君はフェルメール?」
そうとしか思えなかった質問に彼は頷いた。
「そう。フェルメールの生まれ変わり。前世のことは謎にしたいから、あんま聞かんでなー」
人差し指を口に当てる真珠。実際、フェルメール残した絵は少なく、画家としての記録も少ない。そのことから「オランダのレオナルド・ダ・ヴィンチ」とも呼ばれている。最も万里一空高等学園の理事長が聞けば「レオナルド・ダ・ヴィンチはワタシ一人だけどね」と、言うだろうが。
「ちなみに、アレが群青の作品」
あさひが指した絵は青と黄色のみが使われた絵だった。けれど、デッサン力の高さと温かみのある色合いはフェルメールらしい。
「日本画!?」
フェルメールの絵からして意外だったマワリがまじまじと絵を見つめる。天然ものの絵具は上質で発色が段違いだ。
「岩絵具ちゅーのが日本にはあるからな。一番原石を感じれてええんよ」
「絵は凄く色使いが綺麗で繊細なのに喋り方と合ってない……」
「どーしても大阪は訛るんや! 生まれは三重なんやけど、小さい頃から大阪に引っ越したから訛ってな」
「大阪! ボク行ったことない!」
異文化が好きなことも変わらないマワリが真珠に大阪の話を聞く。彼は長期講習だけわざわざ大阪からくるという。隣町から来ているあさひも話に混ざり、休憩時間は自然と伸びていく。
「まこりんはいいな~! バロック美術の画家だしさ!」
劇的な描写や、強い明暗、豊かな色彩が特徴的なバロック美術で有名な画家はオランダにも多い。同じオランダ生まれであるゴッホの生まれ変わりの彼女には憧れの存在でもあるのだろう。
「オレからすれば印象派の方がすごいと思うで。二人は新しい芸術運動として偉業を残したんやからさ」
「アタシも印象派が今の時代にも評価されてるとは思わなかったな。そう考えるとあの批評家のことはそろそろ水に流してやる気にもなるよ」
今でも揶揄してきた批評家に複雑な気持ちを抱いてるあさひが照れ臭そうにする。
その隣でマワリはバロック美術では好きでたまらない画家の名前を出した。
「もちろん、まこりんも凄いんだけど一番羨ましいのはレンブラントと同じ時代ってことなんだよね! レンブラントは魔法使いだからさ!」
この画塾に来て一番のテンションの高さと眩い表情に真珠は人の良さそうなにこやかな笑顔が固まった。
「マワリちゃん……言いづらいんやけどあの人、弟子に描かせた絵を自分の名前で売っとるで」
「えっ……そうなの……」
急降下したテンションと声の低さにあさひが分かりやすく解説した。
「あの時代には学校の代わりに工房があったからな。画家は師匠の工房で修行して、独立して自分の工房を持つ。だから、弟子に勉強の一環として描かせることはあったんだよ」
「まあ、オレは弟子も取らんかったんやけどな。せやから残ってる絵はどれも純度100%フェルメールの作品や」
「うん……それなら仕方ないか。でも、現代ってボクの生きてた頃より、フェルメールの絵減ってない?」
その質問に真珠は笑って返した。
「あれな! まだその頃は贋作の方がたくさん出回ってたんや。オレも今世で知ってからビックリしたわ。知らん絵ばっかりオレのサインあるんやからな」
「コイツ、前世から不幸体質だからな。アタシだったら訴訟でも起こすところだが、笑って済ませれてるのがさすがだ」
戦争による経済の低迷。それによる美術市場の冷え込み。パトロンの死。そして、死後もフェルメールを名乗った贋作が出回ったことで事件にもなっている。
残っていることが少ないだけで本当はもっと不幸はあっただろう。それを今世も語ることも無く、今を楽しそうに生きている真珠は人生二度目だからこその貫禄もあった。
三人で盛り上がっている姿にタキはどこか悩ましげに見つめていた。
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