第4話 塗り替えられない色

 画塾に通って二週間がたった。今日は生徒全員が同じモチーフをデッサンする授業だという。基本的に学科ごとの授業は三年生からになっている。三年生のあさひは普段学科の授業がメインだ。

 それぞれ、配置につくと磁水から説明が始まった。

 「皆さん、今日は予告通り静物デッサンです。モチーフはワイン瓶、金属製のスプーン、タオル……」

 磁水は用意したモチーフを置いていく。その手は迷いのないものだが、きちんと意図された配置とモチーフだ。ガラス、金属、タオル。それぞれ質感の描き分けを試されている。そして、モチーフはもう一つあった。

「そしてチョコです」

 磁水が持ち上げたのは白いポメラニアンだった。へっへっへっと舌を出して笑っている。

 床に降ろされたチョコは生徒たちの足元に行くとお腹を出した。

「チョコぉ~! チョコ見ながら描けるなんて幸せだ!」

 あさひが溶けたような顔でチョコを撫で回す。もふもふとした長い毛が気持ちよさそうだ。チョコも嬉しいのか手足を更に伸ばして催促している。

 ノアも慣れているのか、

「先生、リードはつけなくて大丈夫ですか?」

と、聞いている。美術史の勉強をしているタキは姉以外のことは興味が無さそうな様子だ。

「犬!?」

 誰もツッコミを入れないので新人のマワリが叫ぶしかなかった。けれど、全員これが日常と言わんばかりにチョコをモチーフに加える準備をしている。

「あえて動くモチーフを加えることで観察力を鍛えます」

 それらしいことをいう磁水。確かに理に適っているため反論が難しい。果物や動物といったモチーフは長時間の場合どんどん状態が変わっていく。そして、受験は何日も渡ってデッサンが出来ない。基本的には2日だ。時間が限られている。そのため早めに特徴を捉えることが大事なのだ。

「え、てか白なのにチョコ……?」

「はい。白なのでチョコです」

 あえてイメージを裏切るセンス。常にスーツ姿。そしてデザイナーもしている。その情報からマワリは一人の画家に辿り着いた。

「もしかして、先生の前世はルネ・マグリットですか……?」

「よく分かりましたね。はい、私の前世はルネ・マグリットです」

 ルネ・マグリット。古典的な筆後を残さないマットな絵と人々のイメージとかけ離れた絵を描くことで有名な画家だ。代表作はパイプの絵に「これはパイプではない」と下に文字を書いた「イメージの裏切り」や、空の模様をした鳥を描いた「大家族」だ。

「シュルレアリスムを代表する一人なんだよ、先生」

 シュルレアリスム。現実の様で現実ではない。先入観から離れた「超現実主義」を表現した作品の芸術革新運動のことを指す。他にも有名な画家で言えば、ダリやキリコだ。

「でも、あさやんは印象派の立役者だよ! あさやんがいないとボクは後期印象派として現代に残らなかったわけだし!」

 マワリの羨望の眼差しに最初は立役者というのもあって笑顔だったもの、だんだんとその笑顔は不穏に変わり、思い出したかのようにかつての怒りを口にした。

「印象派……言っても嫌味だからね。アタシの描いた絵に『印象で描くんですね』って。アイツら、印象、印象呼びやがって……」

 握りしめた鉛筆が不穏な音を立てて折れる。

 H2の鉛筆が折れた……。凄い、怪力。

「あ……また折っちまった。あの時のこと思い出すと力加減難しくなるんだよな」

 あさひは筆箱から新しいH2の鉛筆と、カッターを取り出すとゴミ箱へと行ってしまった。

 印象派は評論家がモネの描いた「印象・日の出」に皮肉を込めて「印象」と言い始めたのがきっかけだ。まさか自分の描いた絵がきっかけで「印象派」が出来るとは思わなかっただろう。

 本人は怒りを鎮めて鉛筆を削っているが。

 おすまし顔でお座りを決めたチョコ。モチーフの準備が整ったようだ。

「では、始めます。如月さんも指導に入ってください。あと一人遅刻で来るので説明もよろしくお願いします。私は別件があるので台所にいます」

 講師とて常にその場にいるわけではない。定期的に戻ってきては指示やアドバイスをするのだ。ただ、生徒がサボらないためにもこうしてバイトで卒業生を雇っているのだ。

「また、アイツ遅刻かよ。今度は何、巻き込まれててるんだか」

 あさひは満足げに削った鉛筆を眺める。黒鉛の部分が長めに出ているデッサン向けの削り方だ。

「この画塾、もう一人生徒いるの?」

 画塾に通って一週間。ここの生徒で自分の他にいるのはあさひだけだった。ノアは講師、タキは画商の転生者という理由で特別に通わせてもらっているだけだ。タキは授業を受けているわけではなく、資料を借りたり、転生者の作品を見させてもらっている。時々、磁水と美術史の話をしたりもする。

 また転生者も数が限られている。そのため生徒が少なくなるのは必然であった。

「そう。マワリより一学年上で、群青真珠ぐんじょうまことって言うんだけど。アイツは他県から来てるから夏休みが始まるのも違うんだろうな。支度もあるだろうしさ。まあ、アイツは自分から色々話てくれるんじゃない」

 そうしてデッサンを初めて三時間。金属光沢のあるスプーンや透明度のあるワイン瓶は描き分けがしやすいものの、タオルとチョコの柔らかな質感の区別は難しかった。

 時々座りなおしたり、お水をもらったりとしているもののチョコは大人しく授業に参加していた。

「三時間経ったので休憩にします」

 ノアの言葉に一気に生徒たちの力が抜ける。つり目にさらに力が入っていたあさひは一気にチョコにかけより、とろけた顔で顔を摺り寄せていた。

「チョコぉ~! じっとしててえらいな~! おやつあげるからな!」

 大好きな干し芋の袋を見るなりチョコは千切れんばかりに尻尾を振り、へっへっへっと笑っている。

「睡庭さん、チョコくんが太るからおやつ控えめにって言ってましたよ」

「大丈夫。これは犬用だし、糖質オフだから」

 小さくちぎった干し芋を嬉しそうに食べるチョコと、甘やかしてどんどんあげるあさひと、困った様子のノア。

 マワリはその二人+一匹の様子を眺めながらずっと気になっていたことを聞こうか悩んでいた。

 転生者って、前世のことをある程度は引き継ぐって言うけれど……。記憶を失っている今はどうなのかな。記憶あるなし関わらず気になるけど。

 迷っても仕方ない! タキも刺激が強い方がいいって言っていたし。よし、聞こう!

「ノア。一つ聞きたいんだけど……」

 マワリの方を向いたノア。彼女は気になっていたことを尋ねた。それは、それは神妙な顔で。

「君は今でもロリコンなの?」

「え、ロリ……?」

 何を聞かれたのか理解できていないノア。思わず手を止めるあさひ。へっへっへっと、干し芋を待ち続けるチョコ。

「うん、ロリコン」

 言い間違えてなどいないと言った様子で繰り返すマワリ。普段からは想像のつかない真面目な様子にか、それとも聞かれた内容にか、ノアは動揺を隠せていない。

「何を根拠にそんな……」

 イエスともノーとも答えず会話を終わらせようとするが、そんなこと察しられる彼女ではない。

「根拠と言われても、前世で十三歳の女の子と結婚したとか旅行記に書いてたじゃん。現代になって読んだけどびっくりしたよ」

 これで記憶があればまた話は違っていただろう。けれど、相手は前世に関する記憶を無くした転生者だ。すっかり関わりたくなさそうなことが顔に書いてある。

「ゴーギャンはタヒチで若い現地妻作ってたのは史実として残ってるからな。まあ、画家って異性関係とお金遣いは自由すぎる奴ばかりだから、今更驚きはしないけど」

 あさひなりの助け船が功を奏したのか、少し誤解が解けそうな雰囲気にはなった。が、転生者というのは前世の人生が濃いものばかりだ。簡単にはいかなかった。

「そうなんだよ。借金したり、不倫したり、異端尋問かけられたりさ」

「いや、アンタも相当だよ……。酒癖と金銭管理の悪さと、異性関係でもめたことについてはバッチリ残ってるよ」

 育ちの影響もあり浪費家だという記録が残っているあさひが若干引いている。一瞬ギクリとしながらもマワリは明るく笑った。

「大丈夫だよ! お酒は程々にするし、異性関係は痛い目見たから! お金の管理は……うん、なんとかなる!」

 明るく言っているものの金銭管理は大丈夫ではないことが不自然な間で明白だ。話が丸聞こえなタキは

「お小遣い帳渡さないと」

と、呟いた。

 すっかり、前世の話題になった二人は「今世もロリコンか否か」より、当時あったものの話になった。

「アブサンはもうやめろよ。アレ、幻覚作用あるんだからな」

「今世のアブサンはもう別物だよ。飲んでもキマらないと思う。だから、お酒飲む気にもならないんだ」

 アブサンというヨモギのお酒は当時中毒者を多く出していた。主原料であるニガヨモギの成分には毒性があり、習慣的に飲酒をしたり、大量摂取をすると不安感、不眠、震えなどの症状が出る。大麻と同様の作用もあることから、幻覚症状も出る。その為、一時期は規制され、現在では改良された商品が出回っている。

 文豪や芸術家に多く愛されたアブサンは今でいう劇物なのだ。

「そこ、倫理観に問われる雑談はやめてください」

 さすがにまずいと思ったのか止めに入る磁水。

 アブサンを知らない人が聞けば薬物の話に聞こえるであろう。

 あさひはチョコに干し芋をもう一個あげて、袋を閉じる。そして、磁水の前世を知っているのでこう言った。

「先生も今世は不倫するなよなー。せっかく今世まで着いてきてくれた奥さん大事にしないと」

 それに答えたのは磁水ではない別の人物だった。

「大丈夫よ、睡庭さん。そこについてはきっちり書面交してるから。お互い付き合う時に拇印押したし、金庫に書面保管して、一組は私が別途保管して。約束してるもの、ね」

人数分のお茶を持ってきた磁水の妻――鈴菜が、笑いかける。その笑顔は綺麗なものの有無を言わせない圧力があった。

「分かってるから、生徒の前では……」

 その力の上下関係にあさひが「先生、鈴菜さんに尻敷かれてるんだよ」と、マワリに教えた。

「なるほど……。こうすれば、いいんだ!」

 何の参考にしようとしているのかマワリは磁水夫妻の様子に目を輝かせる。このままでは姉の教育に悪いとタキが立ち上がった時だった。

 部屋のドアが音を立てながら開き、一人のずぶ濡れの男子生徒が入ってきた。

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