第2話 無理やり塗り替えた色

 ゴーギャンだと思って話しかけた男性――ノアは本当に何も覚えていなかった。

 どうやら転生者のことも知らないと言った様子だ。磁水が言うにはこの画塾の卒業生で、今は東京にある芸術大学へ通いながら長期休みの時は講師をしているという。

 彫刻科に在籍中の彼は磁水が専門外の分野を教えている。例えば木炭デッサンであったり、塑像そぞうだ。美大受験は学科によって対策する実技試験が異なるのだ。磁水はデザイン科出身の為、専門性となると限られてしまうのだ。

 油画専攻志望のマワリも必然的に彼に教えてもらうこともあった。油画専攻は彫刻科と同じく木炭デッサンが主流だからだ。

 指導中も彼女はずっと違和感と戦っていた。

 ずっとノアの様子を見ていたけれど、あれはゴーギャンであってゴーギャンじゃない。

 転生者だから分かるんだ。記憶を取り戻す前の転生者は魂の色が違うから。

 転生者は生まれた時から前世の記憶がない。それは何かの運命か、二十歳になるまでの間に必ず自身の記憶を思い出す出来事がある。

 マワリも両親が連れて行ってくれた東京のゴッホ展のひまわりの絵を見た時、記憶を思い出したのだ。

 なら、前世の記憶を思い出す前の人格はどうなったのか。それは絵の具を混色をしていくかのように融合されたのだ。

 例えばマワリは記憶を取り戻す前は「星月マワリ」として身体である器は同じ形をしていた。けれど、色は別の色であった。

 そして、記憶を取り戻した時、ゆっくりと綺麗に混色されていく。やがてそれは紙が絵の具に馴染んでいくように魂と器に馴染んでいく。

 転生者同士は前世の感性もあってか、それぞれの魂で記憶を取り戻しているかどうかを見抜くことが出来る。

 色や音、言葉。それは様々だ。

 あの講師の人はゴーギャンで間違えない。でも、魂の色が完全に記憶を取り戻す前のように違うわけじゃない。

 まるで無理やり変えてしまったような。

 考えているうちに塾が終わる時間となった。マワリの他にもう一人しかいない生徒は片づけを始めていた。

 あの女子生徒の制服、隣町の女子校だ。転生者の中でも前世が女性の画家はほとんど聞かないけど、誰だろう。

 女子生徒は鉛筆を片付け終えるとさっさと帰ってしまった。

 「星月さん、また明日」

 「はい、先生!」

 片付けを終えたマワリは磁水に挨拶をし、塾を出た。一日目が終了した達成感とレベルの高い環境とで満足感に胸が躍っていた。

 ここの画塾、すごく楽しかった。磁水先生教え方上手だし、あの女子生徒も転生者だから上手い! ここにいる生徒たちはきっと高校で記憶を取り戻した人たちだから理事地もスカウト出来なかったんだね。

「でも、せっかくゴーギャンに会えたのに……」

 ため息をつきながら歩いてると曲がり角でドンッと小さな影にぶつかった。

「ごめんなさい、怪我は……」

「いえ、大丈夫です! お姉さんこそ……」

 子供の声だ。けれど、どこか年齢にそぐわないしっかりした雰囲気を感じる。

 顔を上げた二人はは次の瞬間叫んだ。

「あ!」

 そして次の瞬間には抱きしめあっていた。

「テオ!」

「兄さん!」

 兄さんと呼んだ少年はマワリに全く似ていない。けれど、彼女には分かっていたのだ。前世では弟だったテオドルス・ファン・ゴッホだと。

 かわいいボクのテオ……! 今世も会えるなんて。テオはやっぱりテオのままだ。聡明で、雰囲気からしっかり者のテオのまま。

「兄さん……いや、姉さんかな。やっと会えたね!」

「ボクもだよ! 本当にテオともう一度会える日が来たんだ……」

 ずっと会いたかったよと、抱きしめるマワリ。学園でとある兄弟を見てから心のどこかにあった願望が大きくなっていたのだ。

「テオ、ますますカッコよくなったね」

「姉さんだって女の子になって可愛くなってる! さすが俺の姉さん」

 テオとは前世で喧嘩もしたし、迷惑もたくさんかけた。

 でも、テオはボクの才能を信じてくれたし、最期を看取ってくれた。かけがえのない、弟。

「ボク、今世はいちご農家に生まれたんだ。一人っ子だからちょっと寂しいけど、両親とは仲がいいし、絵を描くのも応援もしてくれてるんだ! 病気も今は発病してないよ。テオは?」

 こんな当たり前の質問をするべきじゃなかったのかもしれないとマワリは後悔したことだろう。タキの顔が暗くなったからだ。

「俺は東京の普通の家庭に生まれたよ。如月タキって言うんだ」

 苗字を聞いた瞬間、マワリの顔が固まった。画塾で出会ったあの人と同じ苗字だからだ。

「それで、兄がいるんだ。……ゴーギャンの生まれ変わりの」

 よく見れば容姿がノアと似ている部分があった。明るめの茶髪や、鼻筋の通った顔が。目の色も自分の兄が緑だからか緑がかった青色だ。

「ゴーギャン……やっぱり、あの人は……」

 木炭で汚れたマワリの手の黒さと、歩いてきた方向からタキも察したのだろう。画塾で再会したのだと。

「姉さんも気づいてたんだ」

「当たり前だよ! ボクの大事な人なんだから!」

「気づいてないとおかしいよね。あの人は確かにゴーギャンの生まれ変わりだよ。でも、今は違う」

「今は……?」

「あの人は……ノアさんは、記憶をなくしてしまったんだよ」

 タキの話は、画家なら一度は、経験する話なのかもしれない。

 高校の時前世を思い出し、みるみるうちに才能が開花したゴーギャン――ノアは東京の芸術大学に入学した。けれど、現代の才能溢れる人達とあまりにも自分が生きていた頃と違う環境、そして度重なる不幸に心が折れてしまった。それもそうだろう。記憶を取り戻してまだ5年。そして受験勉強。転生者である彼には負担が大きすぎたのだ。自殺も考えていた事もあったという。

 大学二年の春。倒れたノアは運ばれた病院で目が覚めたあとこう言った。

「わたしはどこから来て、わたしは何者で、わたしはどこに向かうのですか?」

 けれど、それは無意識の言葉だった。再び眠りについた彼が目覚めた時、前世に関する記憶は何一つ覚えていなかった。

 しがらみから解き放たれたようにノアは制作に没頭するようになった。大学生活も無事に送れているという。けれど、タキには器だけが美しい空っぽの作品に見えていた。

「前からここで講師をしていたのもあって、思い出すきっかけになればということでノアさんは講師をしているんだ。俺も様子が気になるから画塾に通っている。東京からだから長期休みの時だけになるけど。今日は迎えだけど、普段は美術史について教えてもらっているんだ」

 その言葉にマワリの顔が輝いた。

「じゃあ、夏期講習は二人に会えるね!」

「先生、元は画商の俺が描く絵が気になるんだって。でも、やっぱり俺は仲介の方が性にあってるから今世もそういう仕事がいいな」

 タキはたくさんの絵が見られて嬉しそうだった。

 今はインターネットがあると言っても、やはり実物は違う。実物から画家の魂が五感を通して伝わって見る側の魂も震わす。そしてその人に感動を与えることが出来るのが価値のある絵だ。今はデジタル画が主流で、学校では一応習うようにもなってきた。けれどマワリは絵の具で描く絵の方が好きだった。

「ボクもやっぱりアナログ絵描きがいいかな。絵の具も食べたいほど好きだし」

「姉さん! それは今世では本当にやめてよね!」

「う、うん」

 どうしよう、いつも絵の具だらけの手でご飯食べてるって言えない。なんなら、部屋の半分以上画材と絵で埋まってるってことも。もっと言うなら仕送りもすぐ使ってしまって万年金欠なことも。あ、かぐやんに画材代出してもらったとか言ったら絶対テオ怒る!

 テオ……今世も君が弟だったらよかったのに。

「ゴーギャン……今はノアかな、の話に戻るんだけど。本当に思い出す素振りのもないの?」

「うん。記憶を失うまではどうしてもお互い兄弟として生活出来なくて。だから人前だけ兄弟を演じる約束をしてたほどなんだ。でも、今は本当の弟と思ってるみたいでさ。なんか、違和感しかない……」

 俺の兄は姉さんだけだよ、と兄なのか、姉なのか、分からないことを言うタキ。けれど、他人だった記憶のある人をいきなり兄弟だと思うのは難しいのだ。それに彼は前世ではゴッホと共に黄色い家にゴーギャンを誘い、支援した重宝人でもある。どっちかというと兄の分と一緒に養った人ぐらいの気持ちだろう。

「そっか……。やっと会えたのに。ボクはゴーギャンに、会うためにここまで絵を描き続けてきたのに」

「姉さん?」

 タキは少し不安げな面持ちだ。前世でのことがあるからだろう。

「ボク、どうしても伝えたいことがあるんだ。そのためにずっと絵を描き続けてSNSに載せて、スカウトされて学園まで入学したのに……」

 彼女が今まで描き続けてきた理由にタキは尋ねた。

「それは姉さんの夢なの?」

「うん。ボクはこれを伝えないと今度は死ねないよ」

「じゃあ、協力する!」

 その申し出にマワリは慌てたように断ろうとし始めた。前世でもたくさん弟には支援をしてもらっているからだ。

「そんな、今世でも迷惑かける訳には」

「迷惑じゃないよ! 俺は名前が変わっても姉さんの実の弟じゃなくなっても姉さんの味方だから」

 その言葉に少しだけ涙が滲んだ。ずっと会いたかった前世の弟との繋がりは今でもあるのだと。

「テオ~! 今世もいい子だね~! さすがボクの弟だよ」

 マワリは抱きついてタキの頭をなでた。前世は仲のいい兄弟だったとはいえ、今は女性になった赤の他人だ。ちょっと恥ずかしそうにしたが、最後には彼女らしいと笑っていた。

「とりあえず、ノアさんの記憶を取り戻すためには姉さんと関わっていく中で刺激になるしかないと思う」

「黄色い家の時みたいに?」

「うん。だから、どんなに他人同然の対応をされても姉さんらしく振る舞う方がいいかな。実際、姉さんの性格は激しかったと聞いてるし……」

 あの時は大変だったな……と、タキ。共同生活が破綻する前、二人から手紙で愚痴を聞かされていたからだ。

 記憶を取り戻すにはそれ相応の覚悟がいるだろう。それがわかっている彼女は宣言した。

「じゃあ、ボクは画塾に入塾するよ! ゴーギャンの生まれ変わりのノアとテオがいるなら当然だし!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る