第8話 ずっと着たかった服

 八月の始めになったある日。

 輝夜は母親と買い物に出かけていた。課題で忙しくしていた彼女に息抜きを勧めたのだ。

「せっかくだから服とか買ったらどうかしら。もちろん、買ってあげるから」

「そうするわ。ありがとう、お母さん」

 ショッピングモール内にあるいつものお店に入ろうとする輝夜に母親は、

「たまには他のお店も見てみましょう」

と、あちこちお店を紹介した。

 学園のある場所より、店舗数の多い東京。色んな系統の服に迷ったり、店員のおススメを聞いたりと、どこか楽しんでいる自分がいた。

「本当は、ワンピースが好きなんでしょう」

 ズボンを手に取っていた輝夜に母親が問いかける。たたんで戻した輝夜は頷いた。

「マワリちゃんの服、羨ましそうに見ていたもの。それに、小学校卒業するまではワンピースがいいってよく言ってたじゃない」

 図星だった。夏でも爽やかなレモン色のワンピース姿のマワリにどこか羨ましく思ってしまった自分がいた。いつもシンプルな格好をして、なるべく目立たないように気を遣っていた輝夜も、本当はオシャレがしてみたかったのだ。

「でも、ワンピースなんて女の子らしいの着るのは不安で……。身体のラインもわかるし、夏服だと腕も見えるわ」

 少し胸の大きい彼女はワンピースを着ると強調されることや、自分の好きな系統が容姿も相まって人の目に着くことを知っていた。だからこそ、不安もあったのだ。

 そんな輝夜に母親は手を取ると、笑いかけた。

「好きな人が守ってくれるから、もう我慢しなくていいのよ」

 そうだわ。私、まだずっと自分で抱えていて。自己防衛は必要だけれど、今は頼っていい人もいるわけで。私は、やっと女の子になっていいのね。

「じゃあ、ずっと気になっていたブランドがあったからそこで買いたいわ」

 向かったお店は、フェミニン系とガーリー系のいいところを組み合わせた女性らしいブランドだ。輝夜は新商品と書かれたコーナーのブラウスをそっと手に取った。

「やっぱり、現物は素敵ね! この色展開がこのブランドらしいくて。あ! ここの刺繍、凝っているわ!」

 嬉しさのあまり興奮しないよう息をゆっくり意識して吸う。それでも、高揚は抑えきれていない。

 一緒に見ていた母親はそんな輝夜に微笑みかけつつも、懐かしそうにしていた。

「その喜び方、お母さんとよく似ているわね。お母さんもお父さんと付き合い始めた時のことを思い出すわ」

「そうなの?」

「ええ。お母さん、結婚するまで服は両親がいつも選んでいたものを着ていたの。女性が着飾ることは色気づいていることだって。だから、好きな服を買っていいって言われた時、今の輝夜みたいにはしゃいだわ」

 母親と同じだったという事実に胸が少しだけ温かくもむず痒くなった。血の繋がりは確かにあったのだと。

「彼氏さんに見せるんだからめいいっぱい可愛くしましょうね。輝夜にも誰かの表情を思い浮かべながら悩む楽しみを経験して欲しいから」

 一時間ほど悩みながら輝夜は母親と一緒に服を四着選んだ。

 水色の花柄に白い生地のワンピース、クラッシックなワンピース、白いフリルのブラウス、マーメイドスカートだ。小物も追加でいくつか買えばそれなりの値段がしたが、輝夜の母親は喜々として支払っていた。

「お母さん、ごめんなさい」

「いいのよ。あとは化粧品も買うわよ。輝夜はそのままでも可愛いけれど、少しはメイクもしてみたいでしょう?」

「それはそうだけれど……」

 学園の中には化粧や、髪を染めている生徒もいる。クラスで流行りのメイク用品を見せ合ったり、貸し借りしている女子生徒に思わず目が向いてしまっていたのも事実だ。

「じゃあ、決まりね。一階の化粧品コーナーに行きましょう。最近はアジア系の化粧品が流行っているって聞いたから選ぶの大変ね」

「でも、お金が……」

 いくらお金持ちの月見里家とはいえ、母親も無駄な贅沢をしない方針の人だ。それに、親の財布で買ってもらうのが申し訳ない自分もいた。

「子供が必要なものを買うお金を気にしなくていいの。それにこうして娘の恋を応援するの夢だったの。それでも、輝夜が気にするなら、あとで彼氏さんのお話聞かせてほしいわ」

「上手く話せられるか分からないけれど……」

 そう言う輝夜の顔を見た母親はあらあらと、微笑んでいた。

 化粧品も買った二人は車に荷物を置くと、運転手に近くのパーキングで待っているよう指示をした。

「お昼、食べましょうか。ほら、あのお店なんて美味しそうよ」

 今年で五十四歳と思えないほど元気な母親に引っ張られながら二人はカフェに入った。

 お昼のランチタイムを過ぎた店内は空いており、コーヒーの芳しい香りと日替わりランチであるビーフシチューのコクのある香りが店内を満たしていた。

 コーヒーと軽食を頼み、店員が去るや否や母親が待ってましたとばかりに笑顔を向けた。

「それでは、彼氏さんの話聞かせてもらおうかしら」

「う、うん」

 お母さん、意外とこういう話聞くの好きなのね。ますます、マワリのお母さんと気が合いそうね。

「……同級生の人で、偶然美術室で出会ったの。凄く声の綺麗な人で。『青い鳥』って言う青春の曲があるんだけれど、彼が歌うと物語みたいなの」

「じゃあ、音楽科の生徒さん?」

「ううん。事情があって私と付き合うまでは自分の夢を諦めていた人だったから」

 終業式の日。少しだけ話した時、小夜から三年生になれば編入も出来ると聞いた輝夜は一安心していた。理事長にも進路を変更したい旨は伝わったらしく「いい考えがワタシにあるから、楽しみにしたまえ」と、相変わらず不敵な微笑みで小夜に言ったという。

 理事長なら大抵のことは出来るでしょうけど、一体何かしら。また、小夜に危害を加えようなら今度こそ、私の代で支援を打ち切るわよ。

 理事長のことをまだ許していない輝夜は少しだけ怒りが沸き上がったものの、すぐに切り替えて続きを話した。

「好きになったのは私からで。でも全然相手にされないし、空回りばっかりだったの」

「輝夜を相手にしない人がいるのね。だからこそ、自分があるからあなたも安心したのでしょうね」

「ええ。それに上手くいかないこともあったけれど、マワリが私の絵を描いて応援してくれて。今でも寮に飾っているの」

「マワリちゃん、本当にいい子ね。輝夜の友達になってくれて嬉しいわ」

 かぐや姫と小夜啼鳥の絵。「恋に手を伸ばすかぐや姫」というタイトルの絵。私の大好きな絵。私が女の子だって気づかせてくれた絵。気持ちを伝えようって決めることが出来た絵。

 この絵だけはずっと、ずっと持っていたい。私が初めてもらった絵でもあるし、マワリが肖像画を描かないって決めていたのに描いてくれた絵でもあるから。

「私、告白しようと思ったんだけど結局、彼に自分の夢を叶えて欲しいって言ってしまったの。ずっと我慢しているの分かっていたし、誰よりも私が素敵だって知っていたから諦めて欲しくなかった。だから私がずっと隣で聞いているからって伝えたの。そしたら、告白がそれでいいか聞かれちゃって。きちんと言われたいなら正直になればいいのにね。だから言い直したの。本当に告白できるまでに二回もかかって。三度目の正直ってまさにこうね」

 最初は間違えて別の人に告白したし、二回目は告白だと思われて。

 今世の私はかぐや姫らしくない、失敗ばっかりで。でも、それが私らしくて。今世に生まれてきてよかった。

 懐かしく思い出していた輝夜は、ずっと自分が話していたことに気づいた。

「ごめんなさい、ずっと話してしまって」

「いいのよ。こんな輝夜見たのは初めてで嬉しいわ。あなたって、積極的なのね」

 私も積極的な部類なのね……。転生者っていう性のせいにしたい。

 恥ずかしくなって俯いていると、母親が水を一口飲んで急に真面目な話を始めた。

「お父さん、心配性でしょ」

「ええ、そうだけれど……」

 あまり口うるさいと、束縛になると理解しているので父親も抑えている。けれど、いつも心配をしているのは態度で気づいてはいた。

「お父さんも反対してないわ。むしろ、輝夜にも好きな人が出来てお父さんも、お母さんも嬉しいの。でも、男親って自分の娘に好きな人が出来ると取られた気持ちになるのよね。だから、複雑な気持ちは許してあげてちょうだい」

「わかっているわよ。お父さんの心配性は昔からだったし」

 二人は顔を見合わせると笑った。男親が娘の恋愛を気にする様子を知る女性にしかわからない「仕方ないわね」という感情も含まれている。

「きっとこの先、彼氏さんや周りに相談しても解決できないことも出てくると思うの。その時もし、私たちを頼りたかったらいつでも頼ってちょうだい。お父さんに言いづらかったら、まずはお母さんに相談してもいいわ。私たちは輝夜の幸せを願っているから。輝夜が幸せなら私たちも幸せなの」

 もしかして、最初から心配はいらなかったのかしら。ちゃんと、両親は私のことを信じてくれていて、見守ろうとしてくれていた。勝手に私が不安になって悩んでいただけで、きっとどう打ち明けても喜んでくれていたのね。

「お母さん、ありがとう」

 素直に感謝を伝える娘の様子に母親はいつもの穏やかな笑みで続けた。

「それに、彼氏さんの話をしている時の輝夜、今までで一番女の子らしい顔をしている」

 そう言われて手で顔を確かめる。けれど、いつもの肌質と若干高くなった体温が伝わるだけだ。その姿に母親はクスリと笑った。

「お父さんには上手に言っておくから早く学園に戻ってあげたら」

「でも、法事とか集まりが……」

「今年はみんな忙しいみたいで日程が全然決まらないの。だから、今年は私たちだけで済まそうと思っていたところ。それにあなたがせっかく初めて好きになった人なんだから、家のことより優先して欲しいわ」

 母親には全てお見通しだったのだ。同時に、かつては女の子だったからこそ娘の気持ちや考えも尊重したいと。

「じゃあ、準備が出来たら学園に戻るわ。でも、時々は電話するから」

「楽しみにしているわね。学園の話も、彼氏さんの話も」

「お母さん、気になりすぎだって!」

 そうは言いつつもどこか嬉しい輝夜は卒業したら両親に合わせたいと思いながら、熱くなった顔の体温を下げるために冷たい水を飲んだ。

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