第7話 私の思い

「こんなに頂いてしまっていいのかしら……」

 自宅へと向かう車に乗っている輝夜は紙袋の中を覗いた。そこにはマワリの家で育てた苺と、関連商品が入っていた。

 夏に収穫をする品種も扱っているらしく輝夜も初めて見る名前だった。その他、県内の農業高校と洋菓子店と共同開発した焼き菓子や、いちごミルクにもなるソースまで入っていた。

 到底三人家族では食べきれない量だ。輝夜の両親も五十代。一度に多くは食べられない。

 お菓子は小夜にお裾分けして……。あ、でもあのお母さんのことならマワリに持たせて学園に行かせそう。

 美術館から帰った後、輝夜の彼氏が娘からよく聞いていた男友達だと聞いてマワリの母親はさらに目を輝かせていた。そして、みんなにお土産渡すねと、気合が入っていたからだ。

「月見里さん、すみません。妻も、マワリも暴走しやすい性格で……」

 ガタイのいい体格には似つかない温和な性格のマワリの父親が申し訳なさそうに謝っている姿に、星月家は女性が強そうね……と輝夜は家族間の力関係を把握してしまった。

 厳格で寡黙な自分の父親と違い、人当たりのよいマワリの父親に転生者も遺伝子に影響するところはあるのかもしれないと思った。割合的には前世から影響するものが多く占めているだろうが。

 家に帰った頃には空は朱く染まっていた。それはあの青空ではなかった。

 輝夜から渡された手土産に両親は驚きつつも、嬉しそうに受け取った。輝夜にも手土産を持たしていった両親だが、まさかこんなに返ってくるとは思いもしなかったのだ。

「会社の皆にも分けないとな」

「ええ。あと、またお礼にでも行きましょう」

 多分、お父さんとお母さんが行ったらビックリされそうだけれど……。あと、お父さんがマワリのお母さんにビックリしないかしら。でも、お母さん同士は仲良くなれそうね。

「輝夜。晩御飯の後に頂きましょうか」

「ええ。先に荷物と着替えてくるわね」

 部屋に戻ると、一気に力が抜けた。自分の中の『家族愛』に気づいてしまったからなおさらだ。

 スマートフォンを開くとメッセージは誰からも来てなかった。

「連絡、していいのかしら」

 けれど、小夜は今日から帰省ということを思い出し輝夜はスマートフォンを閉じた。

「小夜にはたくさん待ってくれている人がいるものね。邪魔したらいけないわ」

 お盆明けまで長いことに輝夜の肩ががっくり落ちる。毎年、法事は必ず参加をしているため早く帰ることは出来ないのだ。

 ふと、机の上に置いている両親との写真を手に取った。

 小学校の卒業式。前世を思い出すきっかけにもなった事件があってから学校に行くのを怖がった輝夜に両親は女子校を勧めてくれた。行く予定だった中高一貫校は月見里家の人間が多く卒業しているというのに。母親は輝夜に「楽しい学校生活の方が大事だから」と微笑みかけた。

 学園の入学式。生徒の出身は全国各地ということもあり、入学式や卒業式などの外部の人も参加できるイベントはリモート対応もしている。けれど、父親は忙しい時間を縫って母親と一緒に現地で参加した。「娘の大事な日を直接見に行かないわけにはいかないからな」という父親は重要な日のみに着るスーツ姿だった。

 一度だけ、両親に何故、不妊治療をしてまで子供が欲しかったか尋ねたことがあった。幼い彼女は親の気持ちが分からなかったのだ。

 すると両親は怒らず、こう答えた。

「お父さんは養子なんだ。昔ならあったことだが、子供が生まれなかった親戚――戸籍上は両親に養子へ出された。跡継ぎが必要だったんだ。自分は跡継ぎのために生み出された、血の繋がりのある両親に捨てられたんだと十代の頃はよく悩んでいた。だから周りに何を言われても、お父さんとお母さんはリスクを理解したうえで血の繋がった子供を授かりたかった。血の繋がりのある我が子の愛おしさを知らずに死ぬのは後悔すると分かっていたからな」

「お母さんの家はね、古風だったのもあってお見合いの予定だったの。時代的にもまだ普通だったと言っても、嫌だった。好きでもない人と結婚して、世間体の為に結婚生活を送って、子供を産んで育てて。老後はただお迎えを待つ。そんなの私の幸せではないわって。お母さんだってあなたのように女の子だった頃があるから、好きな人と結婚して、好きな人と子供と一緒に生きたかったの」

 輝夜には両親の生きた時代の事を全て把握することは出来ない。彼女は現代に生まれてきた。そして、前世は物語の人物だった。だからこそ、両親の環境は当時では普通だったのだろう。でも、両親は自分の生き方を選んだ。

 会社では厳しく、後姿の怖い父親。けれど、社員や会社のことを考えているので慕われていることを輝夜は知っている。

 穏やかで博識な母親。父親同様、心配性な面もあるが、話したくないことは詳しく聞かない様にしていることを輝夜は時折感じている。

 そして、両親はお互いのことを愛し合っている。

 「恋愛」という感情は既に遠い昔に過ぎ去ってしまっている。けれど、二人の間にあるのはその先にあるであろう「愛」であり、それは家族愛の形もしつつ、二人だけの愛でもあった。

「私にも、素敵な人が出来たって言いたい」

 まだ輝夜には恋愛の全ても、その先の愛も、付き合うだとか結婚だとかがどういうことか分かっていない。けれど、世の中の人が「普通」を作っているだけで、本当は二人だけの世界には「普通」は存在しないということは知っている。

 恋の仕方も、愛し方もまた人それぞれなのだ。

「やっぱり、ちゃんと言わないと。私にも素敵な人が出来たって」

 写真立てを戻すと輝夜は服を着替え、晩御飯へ遅れないようにリビングに向かった。


 輝夜の家は常にお手伝いさんを雇っているわけではない。

 父親が「才能もそうだが、お金も使いどころを間違えると人を狂わせてしまう。だから社内をよくするための環境整備や、未来ある人材の支援をしているんだ」という方針のため、使うところと控えるところを分けて、贅沢はしない。送迎に関しては仕事で使うのもあるので雇っているのだ。

 母親の作った料理を家族みんなで食べているが、輝夜の箸は進まない。これから両親を悲しませてしまうかもしれないと、喉が通らなくなっていく。

 マワリのお母さんみたいにどんな人でもかかってこい! みたいならよかったのに。

「輝夜。何かあったんだろ」

「お父さん……」

「お母さんも気づいてたわよ。痩せたの、夏バテではないのでしょう」

 痩せたのは自分のメンタルコントロールが未熟なのと、勝手に失恋をしたと思い込んでいたせいだと思っている輝夜は彼氏がいることを打ち明けても、これだけは言わないと決めた。最悪、小夜のせいだと怒るに違いない。当事者間では既に誤解も解かれ、謝っていることだ。立ち入って欲しくはないし、なるべく気持ちよく見守って欲しいのだ。

「これはもう解決しているから、大丈夫よ。今は食事中だから後で話すわね」

 心なしか重い空気が続く。箸をおく音と、食器が一人、一人、片づける音が響く。

 何もなくなった机は照明に照らされ、その人工的な反射は逆に恐ろしくもあった。椅子に座った両親は輝夜の言葉を待っている。

 言うのよ、月見里輝夜。恥じることも、隠すこともないじゃない。私だって今世は人の子よ。誰かを好きになって、付き合うのは当然のこと。それに、この気持ちは本物なのだから。

 息を吸って吐くと、一気に打ち明けた。

「私、好きな人が出来たの。それで、付き合っているの。この夏から」

 両親の顔をおずおずと確認すると、表情は変わっていなかった。だからこそ不安感も大きくなり、悪い想像ばかりが頭を駆け巡る。

 心拍数が上がり、胸が痛くなる。冷や汗が手に滲む。悪い想像を振り切ろうと口を開いたものの、最悪の場合を想定して思わず早口になった。

「ちゃんと学業はおろそかにしないし、大学も進学するし、無責任なこともしない。絶対、お父さんとお母さんを悲しませることはしない。それにいつか会わせるから! だから、私と彼を引き離さないで……」

 涙が次から次へと溢れ、手で顔を覆う輝夜。彼女にとって一番の恐怖は反対され、別れるかもしれない可能性と未来だ。

 お互い、話し合った結果や、やむを得ない事情で別れるなら仕方ないと彼女も覚悟は出来ている。けれど誰かの手によって大好きな人と離れる、ましてや前世のように記憶まで奪われるのはもう経験したくないのだ。

 こうして私が前世の記憶があることも奇跡なのよ。だからこそ、大好きなおじいさん、おばあさん、和歌を送り続けてくれた帝、たくさんの人々との思い出が詰まった地球の記憶を忘れていたことが辛かった。

 私の前世の正体は月人――天女だから、死ぬときは地獄のような苦しみを味わったと思うわ。物語に書かれなかったから記憶がないだけで。

 でも記憶を忘れていたことの方が……いいえ、一生に一度しかないほど好きになった人と離れ離れになる方が苦しいと断言できるわ。

 泣き続ける輝夜。その背中を撫でる手があった。母親だ。

「輝夜。お父さんも、お母さんもそんなひどいことしないわよ。だから、どんな人か教えて欲しいわ。親として聞いておきたいの。ねえ、お父さん」

 父親は黙って一つ頷いた。その様子に輝夜は涙を拭いて言葉を探した。けれど、どう説明したらいいかと、まるで迷子の子供のように悩み始めた。

 その時、両親の言葉を思い出した。男性から好意を寄せられやすく、家のこともある彼女の人生が不幸にならない様にと教え続けた、大事にして欲しいことを。

 私の好きな人は、両親が大事にして欲しいことがある人じゃない。

「才能を人のために使える人なの。自分をお兄さんだと慕ってくれる人達のために学園へ入学して頑張っていて。私のことも月見里グループの娘だとか、容姿で見るんじゃなくて、一人の女の子として見てくれてすごく嬉しかった。たくさん好きなところがあるのに、全然言葉に出来なくて。でも、これだけは言えるの」

 両親が言っていることだけじゃない、私は彼の事を……。

 両親の顔をそれぞれ見た輝夜は笑顔で、そして自信に満ちた声でこう言った。

「前世も、今世も、来世も……どんな姿になっても素敵だって。好きになるんだって」

 その言葉に両親はやっと顔を綻ばせた。その眼差しは大人になっていく娘に安堵しつつもどこか寂しそうでもあった。

「本当に素敵な人なのね」

「ええ。本当に、素敵で優しい人なの」

「大事にするんだぞ」

「もちろんよ。お父さんとお母さんに負けないんだから!」

 やっといつもの明るさが戻った輝夜。胸のつっつかえも取れたのだ。

 自分たちの夫婦仲の良さに恥ずかしくなりつつも両親は笑っていた。

「お父さん、お母さん。頂いたお土産食べましょう! たまには私が準備するから」

 まるで自分の体質を知らなかった小さい頃のように生き生きとした輝夜の姿に両親は懐かしそうに見つめていた。

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