第6話 いつかきっと見つかる青空の鳥

「美術館なんて久しぶりにきたわ」

 いつも美術館に両親と来ていた輝夜は初めて家族以外と来たこともあり、どこか自由に絵画を見ていた。今、隣にいるのが印象派後期の時代を生き、そして表現主義にも影響を与えたゴッホの生まれ変わりでもあるから余計にだ。

「ボクもだよ。一学期は忙しかったからさ」

 美術館と言うと「真珠の耳飾りの女」で有名なバロック美術や、「睡蓮」で有名な印象派といった誰もが「絵画」と聞かれれば答えるような油絵具で描かれた肖像画や風景画などが飾られていると思われがちだ。しかし、美術館はそれぞれに特色がある。

 この美術館は、二十世紀以降の美術やデザインと言った新しいジャンルの展示物を多く扱っていた。数々の芸術がそれぞれの個性を飾り立てる中、輝夜はある作品に目が留まった。

「大家族……」

 それは一羽の羽ばたく鳥の絵画だった。曇天の中に切り取られた鳥の色は清々しいまでの青空だ。けれど、どこか優しさを感じる。

 その絵は「大家族」というタイトルだが、人物はおろか他の鳥すら描かれていない。古典的な絵画を思わせる滑らかなタッチと、見れば見るほど現実感が薄れていく二つの空に、輝夜は絵の前で立ち止まったままだった。

「かぐやん、どうしたの?」

 先を進んでいたマワリが輝夜の元に戻ってきた。美術館なので二人は小声で話をした。

「この絵、不思議だからつい」

「マグリットの絵だね」

 作者名を見ると「ルネ・マグリット」と書いてある。記憶を遡ると昔、他の絵も見たことがあることを思い出した。宙に浮いた青リンゴを顔とした男性の絵や、たくさんのスーツ姿の男性が浮いている絵を。

 そして、小さい頃もその不思議な絵にこうして立ち止まっていたのだ。

「マグリットは固定観念をわざと裏切る絵が特徴なんだ。ボクよりあとの時代の画家だからあまり知らないけれど、面白い作品ばっかりだよ」

「どうして『大家族』って言うタイトルなのかしらね」

 素朴な疑問をマワリにぶつけてみた。絵を描く側の彼女なら、自分では思いつかない意見が聞けると思ったのだ。

「うーん。マグリットはものと名前は密接な関係じゃないって考えだから、解釈は見る側に委ねられるんじゃないのかな。昔はタイトルが重要視されてなかったから気にすることはないんだけど、マグリットの頃はまた違うからボクにもわからないかな」

 言葉と言葉の意味にとらわれない作風。けれど、一度ついたイメージはそう簡単に抜けることはない。

 だまし絵もそうだ。一度「この絵に見える」と認識してしまえば、人間の脳は他の絵に見ようと切り替えるのが難しくなる。脳の機能的に人はあるがままに物事を見られない。それはもしかすると、心の目でも同じことかもしれないのだ。

 輝夜はふと、自身の悩みを青空の鳥に問いかけてしまった。

「『家族』ってどんな愛なのかしらね」

「かぐやん?」

 心配そうなマワリの声音に輝夜はずっと自分が悩んでいることを話していいのか悩んでいた。話してしまえば自分の愛は「博愛」だということが知られてしまう。それは自分の中の「友愛」すら「博愛」だと突き付けているのと同意義だ。

 だんだん人によって博愛から色んな感情へと移り変わっているのは自覚しているわ。だからそれはもう「平等」であるべきの博愛じゃないと批判されてもおかしくない。でも、博愛のような感情なの。どんな人を前にしたとしても愛おしくて、誰でも心は散動するものだと言う眼差しで見てしまう。

 自分でもわからないの、この感情の名前も、理由も。けれど、小夜、マワリ。あなたたちは違うの。人の欲を前にすれば動かなくなるような私の心がこんなにも揺さぶられて、ずっと、ずっと今の幸せが続いて欲しいと願ってしまうの。

 だからこそ、傷つけてしまいそうで言えないの。

「かぐやん。ボク、両親をどう愛していいかわからないんだ。怖いんだ、ずっと」

 家族に対する「愛」の悩みを打ち明けたのは、輝夜ではない。マワリだった。弾かれたように彼女の方を向くと、目が合った。

 黄色い目をよく見れば青色が入り混じっている。黄色と青。ゴッホの描く夜はいつでも青と黄色があった。初めて黒を使わずに夜を描いたという「夜のカフェテラス」で、人という存在の不安定さを語っていた色がそこにあった。

 それこそが彼女の二面性の正体であるかのように。

「嫌なことされたとかじゃないよ! むしろ、こんな育てにくい子供をいつも笑顔でポジティブに接してくれて感謝している。普通、美術の道に行きたいって言ったら止める親がほとんどなのに『お金の心配はしなくていいからどこまでも好きなことしなさいよ』って応援してくれたんだ」

 まじまじと目を見られたせいか、両親と不仲ではないと誤解を解こうとするマワリに輝夜は微笑んだ。

「わかっているわよ。それに、マワリのお母さん、明るくていい人ね。自分の子供のことよくわかっているし、見守ることも出来る。私たちだって子供と言っても別の人間だから、親に干渉されるのは嫌な時もある。それを知っているし、信頼しているから見守れているんだって思ったわ」

「ありがとう。ボクだって家族のこと大好きなんだ。でも、ボクのせいでいなくなるかもしれないって言う可能性が怖いんだ」

 彼女は一度「大家族」の絵を見ると重い口調で続けてもう一つ打ち明けた。

「ボクさ、家族の絵を描くことが出来ないんだ」

「一枚も……?」

 あのリビングを見ている輝夜には嘘ではないと理解している。けれどまさか本人の口から出てくると思わず、聞いてしまったのだ。

「うん、一枚も。何度も描こうとしたんだ。授業、誕生日プレゼント、チャンスがあったら試したのに描くことが出来なかった。手が震えて、前世みたいな発作が出るんだ。前世の幻覚を見ていた時の怖さもフラッシュバックする。小学校卒業する頃には肖像画を描こうとするのやめたんだ。そうすれば両親の絵も描かなくていいって。最低だよね」

 リビングに家族の絵はおろか、肖像画がない理由は転生者故の苦しみからだった。前世の家族に負い目を感じることがあったのだ。

 そして、精神状態の不安定さ、幻覚の怖さは当事者にしか味わうことの出来ない恐怖なのだ。

「そんなこと、ない。そうあなたに言ってあげたいわ。でも、思い悩んでしまう気持ちもわかってしまうの」

 ここまでナイーブな話を打ち明けてくれたマワリに輝夜も意を決して自分の悩みを打ち明けた。

「私、愛がよくわからないの。みんなに抱いている感情は近い言葉で言うなら『博愛』なの」

 恐る恐る彼女の顔を見るとショックは受けてなさそうだ。ただ、輝夜の話を最後まで聞こうとこちらを見たまま口を閉じていた。

「でも、やっと他の感情にも移り変わっていて。小夜のことも、マワリのことも『博愛』じゃないの。二人ともそれぞれ違う感情があって、大好きなの。前世は月人、天女と呼ばれていた存在だったから、人間に近づいているみたいで嬉しかった。だから、両親に会ったらまた違う感情を抱くと思ったのに、変わらなかったの。両親の事は大切なのに、愛してくれているのは分かっているのに、同じ『愛』が抱けられないの」

 辛そうに、悔し気に唇を噛む輝夜の姿にマワリはもう一歩近づいた。

「かぐやんの両親、かぐやんのこと大好きなのはすぐわかった。きっと辛い目に遭って欲しくないんだよ。うちのお母さんも心配する時あるし」

「そうなの?」

「うん。お母さん、ずっと女子校で社会人になって初めて恋愛したんだ。学生時代の異性のかかわり方が自分と違うから、気持ちがわかりたくて知りたがっているところあるんだよ」

 ポジティブな性格故にどんなことも受け止めるという肝っ玉の据わった母親だとイメージしていたが意外だった。同時に恋愛話が好きなのも恋愛経験が豊富だと思っていたが、全ては娘のためだったのだ。

「本当は私、彼氏がいるって言った方がいいのわかっているの。大好きな両親だから嘘をつきたくない。それに、私が心から好きになって、どんな未来が待っていても幸せだって心から言える人だから隠したくないの」

「でも、怖いよね」

「そうなの。両親が私の好きな人を悪く言ったら両親のこと大嫌いになりそうで。私の中で両親が一番だったはずなのに、どんどん優先順位が変わっていて。もちろん、私は小夜のことを選ぶけれど、それが両親を裏切ってしまうんじゃないかって……」

 恋人がいることを隠すことで「家族仲」を守ろうとしている輝夜と、肖像画を描かないことで「家族仲」を守ろうとしているマワリ。二人の気持ちはそれぞれにしかない悩みであり、大事だからこその選択なのだ。

 家族の話が出たこともあり、マワリはマグリットの家族に関わるエピソードを話し始めた。

「マグリットはさ、奥さんの絵をよく描いていたんだ。学生の頃から描いていた奥さんの肖像画やモデルにした絵が今でもたくさん残っているんだ」

 空間の中に女性を描く男性の絵である「無謀な企て」はマグリットと妻がモデルだという作品だ。ピュグマリオンが理想の女性の像へと作り上げた像に陶酔する神話を題材にしたところからも、愛妻家だったことがうかがえる。

「画家って家族や周りの人の肖像画をよく描くわよね」

「うん。絵を描く人にとって、絵を贈ることは最大の愛情表現だとボクは思っているんだ。大事な人にこそ血肉の代わりに絵の具やキャンバスを使って、自分の技術と思いを込めた手で描いた絵を贈りたいんだ。絵は自分だからさ」

 輝夜は寮の自室に飾っているかぐや姫の絵を思い出した。姿こそかぐや姫だが、顔立ちも、雰囲気も自分であった。まさに肖像画とも言えるだろう。

「じゃあ、私の絵も……」

「うん! かぐやんが元気になって欲しかったんだ。今世で初めて発作も出ずに肖像画描くことが出来たよ!」

 想像で描くことが苦手なこと、人の絵を描くことを止めた彼女が自分の為に描いてくれたことを思い出す。そして今知った、画家が大事な人の肖像画を描く理由も相まって涙で目の前が滲んだ。

「マワリ、きっと私たち大丈夫よ」

 輝夜は青空の鳥の絵を見据えている。その青空は「家族」のことで悩む二人の前に同じ姿で存在していた。

「いつか、この空みたいに澄んでいて、嘘偽りない気持ちで『家族』って言える人がお互い見つかるから」

 そして、彼女が辿り着いた「家族」の解釈を語った。

「だって血の繋がりだけが『家族』じゃないでしょ!」

 人は『家族』というと血縁関係や婚姻関係などを連想してしまいがちだ。けれど、愛に血の繋がりや法律で定められたものは関係ない。お互いが『家族』だと思えばまたそれも『家族』であり、その間にあるものもまた愛である。その感情はまさに「家族愛」なのだ。

「そうだね! じゃあ、ボクはいつか家族の絵を描いてみたいな。一緒に暮らしている所をさ」

 二人の顔は希望で満ちていた。

 曇天の中に垣間見えたそれは清々しい青空のように幸福の兆しがあると信じて。

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