第一二八話 二人飲みの夜⑵
「今の咲良ちゃんは、それなりに楽しんでいると思う。本人も楽しいと言っていた。楽しいというのが思いつかなくて、取り敢えず温泉なんてのを思いついた頃と比べれば、ずっと」
えっ。
「温泉って、そういう理由だったんですか」
「発作が起きると困るから風呂に入れなかった。そんな理由もあったって言っていたけれどさ。一番の理由は、宿を調べた時に『楽しめそう』な事として書いてあったからだそうだ。この場合の『楽しめそう』の主語は咲良ちゃんじゃなくて田谷君な。咲良ちゃんは、自分が楽しめるというのを想像できなかった。って言っていたから」
西島さんではなく、俺が楽しめそうな宿、という意味だったのか。
俺は気づけなかった。
今、言われるまでの間、ずっと。
「コンビニの弁当やおかずをあれこれ食べて、楽しいとは思ったそうなんだ。でもそれ以上で自分は何が楽しいか、それ以上に田谷君が何なら喜ぶかがわからない。この世界だとレストランの料理なんてのは無理だし、かといって他に楽しそうな何かを思いつかなかった、ってさ。まあ今は私自身も楽しいから、積極的に温泉がいい宿を探しているって言っていたけれど」
それを聞いて少し安心した。
それでもやっぱり、一応確認してみる。
「なら今は、楽しんでいると思っていいんですね」
「さっき言っただろ。今の咲良ちゃんは、この世界の暮らしをそれなりに楽しんでいる、ってさ」
そう言えば確かにそう言った。
「逆に楽しいからこそ不安だとも言っていた。これは初日からずっと、今でもそうらしい。だから一人だけの部屋は嫌なんだそうだ。これは全部夢で、目が覚めると田谷君と会う前のいつもの病室だった、となるのが怖かったからってさ。
確かにこの世界は夢みたいなものからさ。ある日突然始まって、跡形も無くなる事が確かだし。だからそういう不安も理解出来る」
なるほど。それで名鳥のあの宿で、夜に押しかけてきた訳か。
ならあの時、断らなくて正解だったと思う。
「だから咲良ちゃんは、病室から連れ出してくれた田谷君に無茶苦茶感謝している。言葉は悪いけれど宗教的崇拝って言ってもいいくらいにさ。
それだけ感謝しているけれど、形として田谷君に還元できない事が悩みだとも言っていたな。せめて夜伽でも出来ればいいと思って色々挑戦しているけれど、私の身体が貧弱だからその気にはならないだって。
何ならという事で誘惑作戦に協力してみたけれどさ。田谷君の倫理観念は固いようだな、その辺」
誘惑作戦に協力と言う事は、混浴はわざとやっていた訳か。
何というか、疲れが出てきた。
「こちらの我慢の限度を試すような事は、しないでください。頼みますから」
「私は田谷君と咲良ちゃんなら、咲良ちゃんの味方だからさ。あと、田谷君が暴走したら、それはそれで面白い。文字通りの一夏の体験、って奴でさ。どうせ実害はないしさ、この世界じゃ」
駄目だ、勝てる気がしない。
少なくとも口では。
「だから咲良ちゃんは、田谷君の為だと思ったら、多分どんな無茶だってする。つまり咲良ちゃんに無茶させない為には、田谷君がそういった状況にならないのが一番だ。
だから今のように安全策をとりつつ、今後の安全の為に経験値上げをするという方針は正しい。ここまでが前提だ。いいかい」
えっ!?
ここまでが話の
ならば……
「本題とは、何ですか?」
上野台さんがちらりと左側、部屋の方を見る。
「咲良ちゃんは完全に熟睡に入っているようだ。この辺も歪みを見る
ここで田谷君に持ちかけるのは、無茶をする相談だ。ここまで無茶をするなと言っておきながら何故、そう言われそうだけれどさ」
また予想外の言葉が出てきた。
「無茶をする相談、ですか」
「ああ」
上野台さんは頷く。
「ただし本当に一か八かという無茶じゃない。今までの方針に比べると、少しだけ危険度合いが上がる。その程度だ。
実は前から作っていた魔物の行動シミュレーション、やっと完成したんだ。まずはこれを見てくれ」
上野台さんはテーブル上の酒瓶を少し片付け、空いた場所にノートパソコンを出した。
何やら操作をした後、俺の方に画面を向ける。
「これは最新の人口情報を元に作った、魔物の発生と移動のシミュレーションだ。魔物の発生ルールは『三五日間で平均的に発生する。ただし一度発生した魔物が狩られた場合、その場に次の魔物が発生する』という形にした。毎日のレポートと実際の発生状況を見た上での、私なりの推論だけれどさ」
見たところ、俺達が松島や船台北部、粟原で遭遇した魔物の集団、更にはシンヤさんが倒したという神ノ山付近の魔物集団についても予測出来ているようだ。
「凄いですね、これ」
「人間については数が少ない上に予測が難しいから、参考程度にしか情報を入れていない。それでも東北六県についてはそこそこ合っているようだ。まあ森岡からの集団のボスが人間だったのは誤算だけれどさ」
このシミュレーションが正しいなら、現時点での魔物の集団がいそうな場所がわかる。
実際、幾つかの場所がそう表示されている。
集団に何匹いるかという予想まで加えられて。
「これを使って魔物のいそうな場所に行って経験値を稼ぐ。そういう事ですか?」
このシミュレーションを使った行動として、俺が思いついたのは二通り。
魔物を倒す為に使うのと、魔物を避ける為に使うのと。
『無茶をする相談』なら、事実上一択だ。
「田谷君があると言った目的、実は私なりに勝手に想像していたりするんだな。ついでに言うとそれが私の想像通りなら、是非ともその目的は叶えて欲しい。
だから明日からはさ。日本海に沈む夕日を見るのはそれでいいとして、安全に支障がない範囲で、最大限の経験値稼ぎを狙ってみないか。
この提案を持ち出す事が、この場を設けた最大の理由さ。どうだい、乗ってみる気はあるかい?」
上野台さんには俺の目的はバレている気がする。
ただもしそれを叶える事が目的なら、その話に乗る前に聞いておきたい事がある。
「上野台さん自身には、叶えたい何かは無いんですか?」
上野台さんが不敵という感じの笑みを浮かべた。
俺の見間違い、あるいは読み間違いかもしれないけれど。
「悪いが今の私に、神や他の存在に叶えて貰わなければならない願いなんてない。こう見えてもそれなりに何とかなっているからさ。
勿論将来、この選択を後悔する事はあるかもしれない。でもそれは、その時の私の問題だ。今の私の問題じゃない。その時の私の問題で、その時までの私のミスだ。今の私が知った事じゃない」
そう言って一呼吸置いた後、更に続ける。
「田谷君もそうなんじゃないか、多分。自分自身について、特に叶えようなんて願いがあるのかい。回答はしなくていい。聞かない方が私にとって、ゲーム的な意味で面白いからさ。不謹慎な考え方だとは承知しているけれど」
その言葉で、何となく俺は理解した気がした。
きっと同じなのだ。
西島さんをこの世界で生きる理由にした俺と、今の上野台さんの視点が。
勿論ただの錯覚なのかもしれない。
それに、そう俺が思うように上野台さんが仕向けた、という可能性を否定は出来ない。
ただどっちであっても構わない。
そう俺が判断するよう、上野台さんは予想している気がする。
だから俺は、こう返答する。
「わかりました。その案に乗りましょう」
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