第八六話 宿に着く前に
高速から下りて三分程度のところでホブゴブリン一体。橋を渡って温泉街に入ったっぽいところでやはりホブゴブリンを一体。
どちらも上野台さんが魔法で倒した。
「まだ魔力の余裕が少しあるしさ。車を降りたくない」
以上が上野台さんが倒した理由である。
「あとこの時間なら、宿に直接じゃなく少し寄り道をしてもいいですよね。二〇分から三〇分位」
車の時計は午後四時五分。
「大丈夫だけれど、観光か何かか?」
「ええ、観光です。行く予定のホテルのすぐ先です」
「ああ、あれか。確かに確認しておきたいよな」
上野台さんもわかったようだ。
俺はわかっていない。今日の宿も名前だけは知っていて、あとはカーナビで案内されるとおり走っているだけだから。
「わかりました。宿の先ですね」
「ああ。宿のすぐ先で右に寄せて停めてくれ」
何だろう。お土産の店でもあるのだろうか。
道のほぼ正面にホテルへの入口があった。
「ここをどっちですか?」
「左、細い方だ」
上野台さんに言われた通り曲がって、塀と壁に挟まれた細い道を慎重に走って抜けて。
「この門ですか?」
「もう少し先です」
西島さんが言う通り走って。
「ここだ。Uターンしてくるならこの先右側に駐車場がある」
急に言われても止まれない。
「わかりました。この先でUターンしてきます」
砂利道の駐車場に入って、お寺っぽい建物の前で慣れないバックをして向きを変えて。
そして見えた看板で俺は気がついた。西島さんの目的地を。
「共同浴場ですか」
「そうです。お風呂そのものは簡素ですけれど、やっぱり温泉地ならこういった原点っぽいお湯も確認しておきたいです」
「だよな。ホテルの方が豪華だろうとは思うけれどさ」
仮にも現代日本の公衆浴場だ。混浴という事はないよな。そう思いつつ車を前に停める。
とりあえず入口はひとつだ。不穏な予感。
「宿に入ってからも温泉巡りしますから、ここは二〇分くらい、四時半に出てくるという事でいいですか?」
「わかった」
西島さんがそう言うという事は混浴ではないのだろうか。期待しつつ車を降りて、開いている入口から中へ。
入ってみるとちゃんと男湯と女湯の入口が別だった。ちょっと安心。
「それじゃ四時半に待ち合わせで」
「わかりました」
上野台さんにそう返答して中へ。
脱衣場は狭いし、ロッカーも鍵がかかる形式ではなく小学校にあるようなただの棚。
観光というより地元客用なのだろう。そう思いつつ風呂場へ。
こちらもあまり広くない。今まで泊まった豪華なホテルの個室についている風呂と同程度の大きさ。壁はブロックそのまま。
風呂に入るだけの目的ならこれでいいのだろう。浴槽は3人、洗い場含めて5人もいるといっぱい。
でもまあ、そういう場合は誰か出るのを外の待合室で待てばいいという事なのかもしれない。
お湯は浴槽の端にある、岩をコンクリートで固めたような流出口からちょろちょろと入っている。いわゆるかけ流しというタイプのようだ。
さて温度はどうだろう。手を入れてみる。うむ、入るのにはちょい熱そうだ。なので涼却魔法で温度を下げる。よし、これで問題ない。
誰もいないしお湯も流しっぱなしだから問題ないだろう。石鹸やシャンプー等も無いし。
かけ湯を五回程してから浴槽へ。
湯の質がいいとか悪いとかは俺にはわからない。作りも壁のブロックが丸見えだし景色が見える訳でも無い。
それでもこのくらいの広さの風呂が一番落ち着く気がする。西島さんに散々付き合わされたおかげでぬるめの風呂なら長時間入っても割と大丈夫になったし。
お湯は透明で少しだけ硫黄臭というか温泉っぽい感じがする。あとは強いて言えば少しキシキシする感じだろうか。
それ以上は俺にはわからない。多分掛け流しだから泉質はいいのだろうけれど。
四時二十五分にスマホのタイマーをセットしたところでSNSメッセージの通知が入った。
シンヤさんからだ。
『まだ船台、市役所付近。もう少しレベル上げしてから向かう』
これは車の中から上野台さんが入れた、
『まもなく今日の宿付近。まだ早いので隣の公衆浴場に入って泉質確認をする予定』
というメッセージに対する返答のようだ。
すぐに上野台さんからもSNSメッセージが入る。
『宿についても温泉をじっくり確認するから、ゆっくり来ても大丈夫。夕食は一九時頃予定。部屋が決まったらまた連絡する』
『了解。こっちは一八時ころまでは経験値稼ぎをする。何かそっちへ行く時に欲しい物はあるか?』
『特になし。今日の夕食は牛タン中心の焼き肉予定。乞うご期待』
『了解。楽しみにしている』
どうやらシンヤさんは割とマメな性格のようだ。上野台さんからのメッセージにいちいち返答している。
さて、それでは検索して明日の行動予定でも考えようか。でもそれはシンヤさんが今日どの辺を回ったか、確認してからの方がいいか。
なら少しまったりしようか。スマホを置いて浴槽の中で身体を思い切り伸ばす。
疲れが少しずつ抜けていく気がした。
実際今日は結構動いた。朝六時に宿を出て、ついさっきまで動きっぱなし。更に船台の街中を三時間近く歩いた。午後の酷暑の中で。
疲れたのも無理はない。ここはゆっくり休んだ方がいいだろう。
そう思ったところで不穏な気配がした。気配というか音だ。
具体的には男湯の方の更衣室へ入る引き戸を開けた音。
魔法の範囲内には魔物を感知していない。そしてこの展開、俺にはもう何度も覚えがある。
次の瞬間、俺の斜め後ろにある引き戸が開かれる音がした。
「こっちも中はほとんど同じですね」
「だな。でもついでだから入って行くか」
勿論西島さんと上野台さんだ。
「三人だと狭いですよ、この浴槽だと」
一応抵抗はしておく。
「大丈夫ですよ。これくらいなら」
「そうそう。問題無い問題無い」
やっぱり効果は無かった。まあ予想通りだけれども。
ついでに言うと二人とも女湯からタオル一枚でここまで来たようだ。
他に人がいないとわかっているから出来るのだろう。それでも何だかなと感じざるをえない。
まあ俺が思ったところで何も変わらないのだろう。今の状態が続くのなら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます