第六〇話 はじめての雨
「雨が降りそうです。先に屋上の露天風呂を確認しに行きましょう」
西島さんの場合、風呂の確認とは勿論しっかり入浴するところまでを意味する。浴衣とタオルを持っているのがその証拠だ。
もちろん部屋で待っているという選択肢は無い。なので俺も同じように浴衣とタオルを持って、西島さんに続いて部屋を出る。
「身体を洗う時間が勿体ないですし、ついでに服も綺麗にしておくと便利ですから洗浄魔法を使いますね。田谷さんにも」
すっと身体表面を何かが通り抜けた感覚。
確かにこれで服も身体も綺麗になるなら便利かも知れない。ただこれで洗い場で時間差をかけて西島さんとの入浴タイミングをずらすという技は使えなくなった。
というかこれがあるなら風呂に入る必要が……なんて思うのはきっと粋ではないのだろう、風呂を愛する文化がある日本人として。
そんな事を半ば虚無的に考えつつ階段を上って、そして脱衣場へ。
「収納すると意識すれば服を脱ぐ時間も短縮できて便利ですよね」
確かにそうだがその分逃げ場が……以下略。確かに収納魔法で服を脱がなくても収納出来るから便利。その事自体は事実。
脱衣場の扉を開ける。一気に風が吹き抜けた。宿へ着いた頃より更に風が強くなっているようだ。
ただ露天と言っても屋根はしっかりとしたものがあるし、脱衣場側には壁、その他も板塀がある。オープンなのは北側と東側の半分だけ。
風呂は木製の円形で部屋風呂より大きいサイズ。それ以外も建物は木、下は木のスノコと黒っぽい石で雰囲気がいいのは確かだ。
「お湯は……ちょっと熱めでしょうか。水を入れますね」
ホースがあったので湯船に入れて、水栓をひねる。
「宿の人がいないし温度調整は仕方ないよな」
西島さんが全裸で作業しているのは見ない方針で。
「温泉が全部掛け流しだからというのもあるみたいです。一応冷たい湧き水と混ぜて温度は下げてはいると書いてありましたけれど。だから気温が高い時とかはどうしても冷め切らないまま熱いお湯が入ってしまうみたいです」
「なるほど、熱いのも源泉からそのまま流しているからなんだ」
「ええ。その分天然成分たっぷりで体にいいと思います。あと、帰ったら部屋の露天風呂も温度調節しておきましょう」
俺も手で温度を確認。確かにこれ、入るには熱い気がする。
お湯そのものは無色透明で、ちょっと硫黄の臭いがする。
壁を見てみると温泉の説明があった。それを見ると……
「源泉の温度が六二・五度らしい。途中で冷ます施設はあるだろうけれど」
「今の湯温は四五度くらいでしょうか。私は本来ぬるめが好きなんです。長湯できますから」
夏なので全裸で作業しても気温的には問題無い。風が吹いてくるのもむしろ快適な位。
ただ外はかなり暗くなってきた。時間のせいもあるがそれ以上に天候的なものだ。風も強いというか激しくなってきた感じ。
「うーん、ちょっと熱い気がするけれど、案外いけるかも……駄目か、まだ」
結構な勢いで水を出しているのだけれどなかなか冷めない様子。確かにこの湯船に入ったお湯に対してホースからの水で対抗するのは多勢に無勢という感じがする。
そう思った時だった。
「そうだ、冷却魔法を使えばいいかもしれません。あまり下がると悲しいから温度四一度設定で……。良し、これでベストです」
確かに温度が下がってちょうどいい感じになった。
西島さんが歩いて行って水栓を止める。
「それじゃ入りましょう」
二人で入るとどうしてもお湯が溢れるのは仕方ない。勿体ないと思ってしまうけれど。
あと浴槽が円形だとどうしても西島さんが視界に入る。あと横方向も相当意識しないと何処かが触れあってしまう。
西島さんは気にしないようだけれど。だから俺も意識しないようには、意識しないように見せようとはしているけれど。
「雨が降ってきました」
西島さんの言うとおりだ。音からして激しい雨が降り始めた。
「世界がこうなってから初めてかもな、雨」
「そうですね。でもこうやって宿に入った後なら、たまには雨もいいですね。風もむしろ気持ちいいです」
「確かにそうかもな」
夏で気温が高い。だから風がある方が気持ちいい。
「髪も魔法で何とかなりますし、何ならあえて雨風に吹かれても……」
西島さん移動開始。湯船の中を俺から見て右から左、北側の吹きさらしに近い方へ。
「うん、こっちの方がいいです。いっそ屋根も塀もない方がすっきりするんですけれどね……
そうだ! この宿にはもう一カ所、露天風呂があるんです。一階ですけれどそっちの方が開放的だったと思います。
そっちを試してみましょう。行きますよ、田谷さん!」
西島さん、俺の目の前で立ち上がる。そしてそのまま歩いて行って脱衣所の手前でこっちを振り返って。
「行かないんですか」
「行くよ」
いや、もう散々見たから今更何だとは思わない……ことにしているけれど。
◇◇◇
一時間後。
下の大きい露天風呂を試したり内湯に行ってみたり、そしてまた戻ったりした結果。
「結局ここが一番いいですね」
という事で屋上露天風呂に落ち着いた。
確かに風が通ったり雨が吹き込んでくるのが微妙に心地いい。このままでは当分ここにいる事になりそうだ。
なら明日の予定について話し合っておいた方がいいだろう。そう思って俺は口を開く。
「ところで明日だけれどさ。此処から船台までは九〇キロ以上あるんだ。高速を使った岩鬼から氷山までより一〇キロ以上遠い。
それに街としてもいままでとくらべると段違いに大きい。福縞と比べると三倍ちょっとの百万ちょい人口があったし。
だから明日は高速で一気に船台の南側に行って、中心部には入らずに永町付近を中心に周囲で魔物を探そうと思うんだけれどどうだろう」
「ちょっと待って下さい。地図で見てみます」
西島さんは浴槽の縁に置いたタブレットをぽちぽち操作する。
「たしかに遠いですね。そして船台、大きいです。人口密集地だと魔物が強力になっているかもしれないし、周辺部で様子を見るのはいいと思います」
あっさり。
「なら宿もそれで探して貰っていいか」
「勿論です。秋兎温泉がきっと正しいですけれど、あまり大きい宿は好きじゃ無いんですよね。それに海に朝日が昇るのを見たいなんてのもありますし……」
タブレットをぽちぽちしながら調査モードに入った。どうやらまだしばらくは此処で時間を潰すことになりそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます