第二三話 煩悩と奥の細道

 髪まで洗ってそして浴槽へ。

 ちょうど建物の角部分が窓になっている。浴槽に沿って南北四メートル、東西二メートルくらいあって、高さも浴槽の縁から天井くらいまで。


 だから浴槽からの見晴らしは非常にいい。藍色に染まりつつある海や海岸、そして町がいい感じだ。何というか非日常の良さを感じる。


 しかしこんな優雅な環境だが、俺はどうにも落ち着けない。それは俺がこういう場所に慣れていないから、というだけではない。目の毒がお湯に浸かったり歩き回ったりしているからだ。


「やっぱりここのお風呂はいいです、広くて綺麗で」


 俺としては女子は同学年くらいが好み。西島さんはそういう意味ではちょっと年下だ。それでも女子だし綺麗だし可愛いのは確か。彼女いない歴イコール年齢としては気にならないといえば嘘になる。


 その女の子がこともあろうに全裸でうろうろしているのだ。どうせ胸はあまりないだろうとは思う。なら見ても男子と違いはないはずだ。そう思っても……


 さっき風呂に入るときに見えてしまった後ろ姿、身体のラインは間違いなく女子だった。腰が細めでお尻がやや大きめで。

 そんな事を思い出してしまうともういけない。お湯から出られない状態になる訳だ。


 このままでは困るので窓の外の景色を眺めている。もちろん反対側が見たくないからではない。


 ただ、そういった興味でじろじろ見るのは西島さんに失礼だろうと思う。それに見てしまった結果致命的な事態にならないとも限らない。いろいろな意味で。

 既に下半身は結構危険な状態だったりする。無防備で浴槽から出られない位に。

 

 安全の為、暮れゆく大新井の海の観察を続ける。背中側も、ガラスに反射して見える風呂内の景色も見ないようにして。


「そっち、外がよく見えますか」


 振り向かなくても水音で西島さんが近づいてくるのがわかる。西島さんが動いて立てた波が音とタイムラグが無くこっちにも来る。つまり今はすぐ近くにいる。そんな推理をしなくてもわかるけれど。


「ああ。割といい感じだ。町の方は灯りもつき始めた」


 努めて冷静な口調を意識。頭の中はぐちゃぐちゃだけれど。


「うーん。確かにいい景色です。太陽と反対側もこれはこれでいい感じだと思います。ただ欲を言えば夕日が海に沈むところも見たいです。太平洋側では方向的に無理ですけれど」


 西島さんの現在位置は俺の真横だ。左手を伸ばせば多分届く。視界の端にちらちら映っていたりもする。あえて見ないけれど。

 ただ無言では余計に意識してしまう。だから何とか言葉をひねり出す。


「なら日本海側へ行くのもいいかもな。どうせ行かなければならない場所は無いし」


「行ってみたいです!」


 西島さん、予想外に食いついた。


「日本海は見た事が無いんです。あのバイクで行けますか」


「その気になれば明日にでも行けると思う。最短ルートなら此処からでも三百キロは無いと思うから。高速道路を走ればあのスクータでも時速三十キロは全然問題ないし」


「楽しそうです。でも一日で行くのは風情が無い気がします。なら……どうせなら、奥の細道ルートはどうでしょうか。確かあれは松島、平泉、そして象潟が目的地だったと思います」


 奥の細道か。何か随分渋いものが出てきたなと思う。確かに有名ではあるけれど。

 ただ一応俺も古文副読本程度の知識はある。


「あれだと水都は通らないから東北本線側に回らないとな。それとも千住の出発地点から始めるか」


 なお俺の思考はあまり働いていない。だから深く考えず割と反射的に答えている。

 何せ思考の妨げになる存在がすぐ横にいるから。本人にその自覚は多分ないけれど。


「ある程度細かい場所は端折っていいと思います。白河の関辺りから辿ってもいいですし、今いる大新井からそのまま北上して松島を目指してもいいです」


「なら後で地図を見て計画を立てようか」


 どうせ目的地など決まっていないのだ。ならそんな感じで行き先を決めるのも悪くない。


「ええ、あとでネットでも調べて考えましょう!」


 西島さんが楽しそうなのはいい事だ。

 ただ俺としては限界近い。ムラムラの他、お湯でのぼせそうだというのも追加で。


 ただ西島さんの前で先にお湯から上がるのはまずい。下半身の物理的変化の問題で。そしてこれを解決するのは不可能だ。原因がいる状態では。


「ところでそろそろ上がりませんか。楽しいんですけれどそろそろ熱くなってきました。それにご飯もありますし、今後の計画も考えたいですし」


 さて選択だ。一緒に上がるか、西島さんに先に上がって貰った後、ちょっと処理してから上がるか。

 ただし脱衣所から部屋までは一緒に行くのだろう。ならここで一人だけ後に残るなんてのも変だ。

 それに『なら私ももう少し入っています』なんて言われると結構厳しい。そろそろ入っているのも限界だ。


「だな。なら出るか」


 見ないよう、見えないようにして一緒に出るのが最適解だろう。

 浴槽縁に置いていたタオルと、警棒や拳銃が入ったコンビニ袋で股間が自然に隠れるよう立ち上がって、西島さんの横を歩いて風呂場出口へ。

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