第3話 春一番

あの本を読んでいると嫌悪感を感じる。まるで身体が本を拒んでいるように。結局読まないまま朝を迎えてしまった。昨日の男が言うことを信じるならば、今日俺が拉致されるらしい。


「何を信じていいのやら……。」


本を読んで得た嫌悪は確かに本を読むことにより何らかの効果をもたらされた何よりの証拠だ。しかし、やはり拉致されるなんてありえない。この目で確認するまでは。そんなことを思いながら家を出た。


「行ってきます」


「行ってらっしゃい、気をつけるのよー」


「…気をつけろよ。…体調悪くないか?」


相談した父はまだ心配しているようだ。


「…大丈夫!行ってきます!」


母の不思議そうな顔と父の険しい顔を背に向け歩き出す。道中で昨日の男、健太が待っていた。


「よう。本、読んだのか?」


「いや、拒絶感があって読み切れてない。」


「でも本を開けることが出来るあたり、やはり適合者だな。適合出来るやつは少ない。だからなのか君は狙われている。…どこまで守れるか、わからんからな。

…仲間助けたいなら気張っていけよ。」


「…おう。分かってるさ…。」


昨日から急展開過ぎて脳の整理が追いついていない。つまり、俺はこの本の適合者でまさに今日拉致される予定らしい。


「行ってくる。まだアンタのこと信じきった訳じゃないけど嘘つきの怪しいヤツではないと俺は思ってる。それに…いやなんでもない。」


それに。この男の目に宿す光は見覚えがあった。それはとても近くに。または似ているようで遠いような。曖昧な感覚だから言葉には出さなかった。


午前の授業が始まるチャイムが校内に響く。

いつも通りのホームルームに友達、授業の始まり。何も変わる点は無い。健太が言っていた爆発はデマであり、俺をからかっているだけであって欲しいと内心思いつつ、ソワソワした1時限目を過ごした。国語の授業であったが上の空であった。それにまるで考え事を許すように当たりもしなければ考え事をする俺に対して注意も無かった。2次元目、3次元目も何事もなく過ごした。4時限目の準備をする俺に今日も山谷が話しかける。


「おーい蝶元くん、何か考え事?」


「あ、あぁ。えっと、そうなんだよ。」


山谷の取り巻きが居なくなった途端俺に話しかけてきた。仲間が居なくなった途端話しかけて来たため、都合のいい暇つぶしにされてるような気がして少し不愉快に感じた。山谷と俺は住んでる世界が違くて、本来話せるだけでもありがたく思うべきなのだろうが、俺の不信は俺自身でも抑えることは出来なかった。


「どーしたの?私、相談くらい乗るよ〜?」


「あはは、大したことじゃないんだ…」


「ふ〜ん?その割には…しんどそうだよ…。」


そう言われて自分の顔が上手く笑顔を作り出せてないことに気がつく。想像してしまったのだろうか。他人が自分のせいで酷い目にあう様を。カバンのファスナーの間からこちらを除くように本、人鳥伝記と目が合った。その後も何事もなく昼休みに入った。草田や春山が2人で話を始めたタイミングで本を手に持って廊下に出て空き教室に向かう。空き教室に着くと本を開く、本の中には最初から1ページ1行というなんとも大胆な書かれ方がされているが、その1行を読む途中でまた嫌悪感に襲われる。ページを一旦閉じ表紙を見つめていると、


「まーたこんな暗いところで。目、悪くなっちゃうよ。」


山谷がキラキラした自身の目をあざとく指で指してから、電気をつけた。何を読んでるか聞かれても困るので人鳥伝記は内ポケットにギュウギュウに詰め込み、違う本を手に取った。


「き、許可取ってねーし先生来たらだるいからさ…」


山谷の横まで行き、電気を消す。カーテンで暗い教室に山谷と二人、男子ならこのシチュに憧れないやつはなかなかいないだろう。


「今日は…他の人たちはどうしたの?」


「…蝶元くんと話したくてさ、抜け出してきたんだ〜」


「なっ…俺と……??」


「悩んでることがあるなら抱え込まないで。

私にじゃなくていいからさ、信用出来るお友達に話してみたらどう……?」


あぁ。この人のことを信じられない自分はなんて愚かだったんだろう。人気者が俺に話しかけてるんじゃない。山谷が俺に手を差し伸べてくれていたのにそれを無下にして更には自分の都合で疑ってしまっていた。


「山谷…ありがとう。少し楽になったよ」


初めて山谷を山谷として受け入れられた気がした。


──ファンフォン!ファンフォン! ファンフォン!


サイレンが校内に響き渡る。


避難訓練の時に聞くサイレン。


「校内のみなさんよく聞いてください!

ただいま4階音楽室より、ガス漏れの可能性を確認しました。事故の可能性もございます、

危険ですので確認が終わるまでグラウンドで待機してください。まずは1年生から──」


──ドカンッ!!


その時爆音が響き渡る、俺達は3階の端の空き教室にいて、音楽室の……丁度真下に当たる位置にいた。


「山谷…!ここは危険だ!離れなきゃ!」


「うん…!あっ……!」


爆音による揺れが激しく山谷の脚がもつれ、

大胆に前へ転びそうになった。咄嗟に腕を差しのべ、強打は避けた。脇の下に腕が通り抱き寄せる形になっていることに気がつき、すぐに離れた。


「ごっごめん……!」


「ううん、ありがとう…助けてくれて…」


少しは決まっただろうと思ってしまう所があった。山谷の方に目を合わせると山谷は顔を赤めて目を逸らした。…可愛い。


その頬の赤らみは

一瞬にして紅い液体に変わった。


カシャン


揺れで落ちてきた蛍光灯が山谷の頭に直撃し山谷の鮮血を纏った蛍光灯の破片が俺の頬を掠めた。


「え…?」


山谷は言葉を発することはなくそのまま目の前に倒れた。頭からサラサラと血が流れ床を染めてゆく。俺の足元まで流れてきた鮮血に思わず後ずさりする。理解できない。理解したくない。目の前で人が、クラスメイトが、友達が、

自分のせいで。自分のせいで血を流して倒れている。俺がここの教室に来なければ、相談をもっと早くしていたら、俺が学校に来なければ、

こんなことにはならなかったのだろうか。

何故だろうか。涙が頬を伝う。まだ死んでいない、まだ助かる、そう身体に言い聞かせ彼女を抱えて走る。1階の保健室へ向かって。階段まで行き俺が階段を下ろうとした途端、再びものすごい爆音が鳴り響き、天井画崩れ落ちてきた。

抱えていた山谷を守るため、猫背になった俺の背中に天井の一部がぶつかり砕ける。山谷も俺も床に叩きつけられてしまい、暫く動くことすら許されなかった。目の前で螺旋状の階段が4階から2階くらいまで縦に崩れ落ちた。意識が段々と遠のくなか再度繰り返される爆音により目を覚ます。

腕を使って身体を起こし、山谷を再び抱え1歩1歩ヨタヨタと保健室もない3階の廊下を歩いた。


「誰ヵ……誰ヵ…!いないのヵ……。」


振り絞る声は掠れてしまって抱えている空っぽの彼女にしか届かないだろう。それでも叫ぶ。

誰かに気がついてもらうために。誰かに助けてもらうために。信頼も信用もどうでもいい。

ただ、純粋に助けを乞う。


「ォ……ィ…」


俺自身の腕や足からも血が滴る。しかしこれは抱き抱えている彼女の血なのか俺の血なのか確かめるすべはなかった。


「ん、蝶元、蝶元か!!

……!!!

や、山谷?!な、何があった!!」


「蛍光ト…ゴホッコホッ……落ちテ…ハヤ…タスケ…」


女子が俺の肩を支えた。だめだ。意識が朦朧としてきた、彼女達の声は情けをかけるものではなく、山谷が重症であることについての怒りだろう。そう、男子が女子を守らなくてどうするんだ。本当に、情けない。もう1人の声がする。余裕のある声が。誰だ、誰の声だ、


「あーーら。怪我人ばかりねぇえ。

蝶元…って子はどの子…??」


何とか目を開け凝らす、黒い作業服のような格好にマスクをした女性が居た。その目には人を見下す嫌味を含んでいる。


「私だよ…」


春山が恐る恐る声を上げた。目の前の女の歪さに気が付き、俺を守るために、蝶元を名乗り、犠牲になるつもりなのか?やめてくれ…やめてくれ……!

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