第322話 ⑯モグモグ食欲魔人の笑顔

 私の子宮の全摘出手術は無事に成功した。

 私の年齢なら妊孕性(妊娠する能力)を温存する手術という選択肢もあるのだが、免疫抑制剤を常用していて再発率が想定できないということが子宮の全摘出という判断に繋がった。


 こうして私は子供が産めない体になった。もっとも恭がいなくなった世界で子作りをしたい相手などいないのだけど。


 腹腔鏡下手術のおかげで10日ほどの入院で済んだ。ゴールデンウイーク明けから追加で10日間の入院。

 クラスのみんなとは半月以上会えなかったしせっかくの修学旅行に参加できなくなってしまったが、修学旅行が終わるとしずくたちはしょっちゅうお見舞いに来てくれた。


 隠し事をするわけではないがクラスのみんなや村上には秘密にさせて貰っている。谷垣先生にはきちんと病名と手術の内容を伝えた上で体調を崩して感染性の病気のためにお見舞いも不可能ということにして貰った。

 外科に入院してるから盲腸を切ったことにしてもいいんだけど顔を合わせたらクラスの友達にバレちゃいそうで、特に村上には退院後に自分がこの世界の人間じゃないことも含めて話したいと思っているし。


「ヒナちゃんって食いしん坊だよね?」

「ああ、私もヒナはよく食べるなって思っていたよ」

「ヒナっちって料理できないのに味へのこだわりすごいよね」

「ヒナちんはものを食べてる時が一番幸せそうなんだよ」

 あと数日で退院という日にお見舞いに来てくれたしずくたちがケーキを買ってきてくれたのでみんなで談話室でお茶会をしていた時のことだった。

 しずくが余計なことを言い全員が賛同する。


「ちょっと待って! 手術から私もう10日近く甘いものを食べてないのよ!? ケーキが美味しいって思ったらダメなわけ?」

 とりあえず抗議してみる。するとみおが私にカメラの液晶画面を向けてくる。

 あ、ダメだ。これはケーキがあれば何もいらないモグモグ食欲魔人の笑顔だ。それがケーキを前にした私の笑顔だった。

 黙り込んだ私を囲んでいるみんなの笑いが包む。あまりにも笑いすぎて病棟の看護師さんに呆れられながら注意された。

 そうして私は退院した。





 いま私は男子水泳部の部室で村上と向かい合っている。男子水泳部の部室はプールの男子更衣室と共有で本来女子禁制だが、マネージャーの私だけは男子の着替え中でなければ出入り自由だ。

 部活が終了して帰る前に村上に時間をとるようにお願いしたので、私も村上も制服姿だ。


「俺が出会ったのは高校に入ってからの姫川だから、俺にとっては姫川ヒナは姫川ヒナだよ」

 別の世界との入れ替わりについては村上にとってはそれだけの話だったようだ。村上らしいとは思う。


「それで、貞操逆転世界から入れ替わった私は男と簡単にセックスするような女だった。その中学時代の愚行のせいで子宮頸がんになって、子宮を摘出することになったの。

 今回の入院はそのせいだったから……事前に話せなくてごめん」

「いや、そんなことはどうでもいいんだけど体は大丈夫なのか?」

 心配してくれる村上。そんな村上に私はしっかりと告げなくてはならない。


「だから、私はこの先ずっと村上の気持ちには応えられない。私はこの先子供を産める可能性は無くなった女だから。誰かの時間を奪うつもりはないの。だから……私は村上の気持ちに応えられる可能性は無くなったの。本当にごめんなさい」

 村上の口元がパクパクと何かを言おうと開きかけたがぎゅっと引き結ばれた。

 私の外見だけしか見ていない他の男達と違って村上だけは私の内面を見てくれた。

 恭がいなくなった世界で私が心も体も繋がってもいいかもと思える可能性があった唯一の男。


 ただし、恭を死なせた私はこの世界にいつか命を生み出し育み繋いでいけるようなパートナー以外は欲しくなかった。

 そんな関係にいつかなれるかもしれない、2人で過ごす時間の先でお互いの心の中の恭の不在という空虚を抱えたままこの世界で繋がれる可能性を持っていたのは村上だけだった。その可能性さえももはや失われてしまったけれど。


「子供なんていなくていいからそばにいて欲しい、って言葉は受け止めて貰えないのか?」

 村上の質問に今度は私が無言でうなずくことで答える。それはきっと優しい選択肢。袋小路の幸せ。


 世界にはいろんな価値観があり子供がすべてではないのが分かっている。

 しかし、私は多々良家と姫川家という2つの家の血を途絶えさせることになった人間だ。この上、村上の家まで背負うことは出来ない。

「ごめん、村上。村上の気持ちは気付いていたし嬉しかった。私みたいな女を大事にして……好きになってくれてありがとう。これからも見守ってくれると嬉しい。

 でも……村上の手は誰かと繋ぐためにあるから。だから私は村上の手を握れない」


「そうか……高校時代に2回も失恋するなんて思わなかったよ。3回目の恋なんて出来るのかな」

「きっとできるよ。村上はいいやつだから。応援する」

 多分応援されたくないんだろうと思う。除毛クリームで村上がちやほやされたとき村上は本当にイヤそうだったから。

 あれはちやほやされたのが嫌だったんじゃなくて私に応援されるのがイヤだったことになんとなく気付いていた。だからこそ応援する。


「じゃあ頼むよ。これからもよろしくな」

 そう言って右手の握りこぶしを私にむけて差し出す村上。その頬には涙が伝っている。

 私は村上のこぶしに自分の右こぶしをコツンとぶつける。村上と何度もしてきたフィストバンプ。


「任せておいて。私は幸運と勝利の女神だから」

「そうか。ご利益が欲しいから1度だけ女神さまを抱きしめてもいいか?」

「マネージャーだし部長の村上にだけは許してあげる。他の部員に話したらご利益がなくなるから覚悟してね」

「誰にも話さないよ。こっちに来て」


 そういうと村上の広い胸板に押し付けられるように抱きしめられる。村上の体温、部活の後の塩素と汗の混ざった匂い、村上の鼓動。

 何秒、何十秒、何分、時間の感覚がなくてずっと抱きしめられていたような、それともほんの一瞬だったのかもしれない。


 ふわっと私の体から圧力がなくなる。

「あ~、これは俺、今年のインターハイ優勝しちゃうかも。勝利の女神だもんな。インターハイ優勝したらモテモテ間違いなしだ」

「うん、応援してる」

 一生懸命微笑んで見せるけど多分私の顔も涙でぐちゃぐちゃだ。


 この年、うちの高校の男子水泳部は過去最高の記録を打ち立てることになった。

 -----------------------------------------------

 サポートいただきありがとうございます。ヒナの物語をお届けします。

 ヒナアフター第16話となります。

 何も言うことはありません。これが2人の真実であり2人の繋がりです。

 死ぬまで切れない繋がりだと思います。


 サポーター様用の限定公開時にはこの話で、「ヒナと陽菜がダブってきてる」と言うコメントをいただきました。

 鋭いなあと思ったのは、みどりのはヒナと陽菜をほぼ同一人物の別の側面と考え執筆しており、物語が終盤になるほど印象は近づいていくはずでした。

 その時のみどりののコメントへの返信がこちらです。

「ヒナは貞操逆転世界から来た貞操逆転女子であるという特徴をどんどん失っていく物語になっています。

 つまり陽菜とヒナはどんどん近付いていきます。

 それはヒナのままでは幸せになれないという話ではなく、恭介がいなかった場合の陽菜たちの物語でもあるということでもあります。」


 評価で☆☆☆をいただけると助かります。☆が増えると多くの読者の目に触れます。

 特にここから先のヒナアフターは魂込めて書いたので一人でも多くの読者に届いて欲しいです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る