義人さんと二度目に会う日の朝、くるくるちゃんから電話がかかってきた。

『もしもし、イオちゃん?』

「くるくるちゃん。おはよう、どうしたの」

 スピーカーにして、化粧をしながら電話を取る。待ち合わせは午後だったが、早めに行ってウィンドウショッピングでもしようかと考えていた。知らない駅だし、探検がてら周囲を歩きたい気持ちもある。

『今日オヂと会う日だよね。分かってると思うけど、今回からはあたしは同席できないからね。大丈夫そう?』

「うん、大丈夫だよ。……『おじ』?」

『あー、ごめん、義人さんのこと。パパ活やってる子の間ではパパのことオヂって呼んだりするんだ』

「そうなんだ」

 ファンデーションをはたきながら私は適当は相槌を打った。間では、ということは、パパ活女子同士のコミュニティがあったりするのだろうか。それこそSNSとかに。

『駅は前のところと一緒?』

「うん。駅前で待ち合わせて、喫茶店でまた雑談する予定」

『そっかそっか。……あたし、今日は一日その隣の駅で顔合わせハシゴの予定だからさ。もし何かあったら電話してよね! すぐ行くから』

「分かった、ありがとう。……顔合わせはしごって何?」

『えーと、顔合わせを一日に何人もの人とすること』

 どうやら専門用語のようなものがたくさんあるらしい。パパ活女子同士のそういう用語が飛び交うコミュニティに少し興味が湧いたが、くるくるちゃんのような狂った女しかいないのだろうかと想像したら怖いし、絶対に関わりたくないなと思い直した。くるくるちゃんは単体だから面白い友達で済んでいるものの、こんな子が何人もいたらとてもじゃないがついていけない。

『イオちゃん、この間のかんじで会えば大丈夫だと思うけど、もう少し感情表現っていうか、リアクション大きめでもいいかもだね』

「そうなんだ? 義人さんも淡々としたかんじだからあれでいいのかと思ってた」

『いやぁ。確かにあの人はあんまり元気系の子は得意じゃなさそうだけど、イオちゃんってもともとリアクション薄めじゃん? オヂとしては最低限、女の子がどう思ってるか分かると安心できると思うよ』

「なるほどね。プロの意見参考になる。ありがとう」

『どういたしまして。パパ活のプロってなんか嫌だね』

 確かに嫌だな。でもこればかりは事実なので仕方ない。

「あぁ、そうだ。くるくるちゃん、その顔合わせハシゴ……って何時くらいまで? もし終わる時間近かったら一緒に夜ご飯でもどう?」

『ご飯かぁ。たぶんオヂと一緒に食べちゃうからなぁ……お茶にしない? あたしデザート食べるから』

「わかった。じゃあお茶ね」

 楽しみにしてる、と告げて私は電話を切った。それとほぼ同時に化粧も終わり、私は折り畳み式の鏡をぱたんと閉じた。私はくるくるちゃんのように可愛くないし、何を塗ったところで大した顔面にはならない。最低限、常識としての化粧はするが、化粧品を見たりメイクを研究したりする気にはなれない。服も同様で、一つの季節につき二、三着持っているだけだった。

 義人さんと会う回数が増えたら、そのうち着る服がなくなるかもしれない。しかし服に興味がない私が急に服を買い足しても母に不審に思われる。さて、どうしたものだろうか。



「伊予さんは垢抜けてないよね」

「えっ」

 会って早々、挨拶も終えないうちに義人さんから告げられた言葉に、思わず固まった。

 垢抜けていない。要は芋っぽいと言われているのと同じであり、自分がオシャレ女子だと思ったことは一度もないが、それでも面と向かって言われると、手に持ったスマホを取り落とすくらいには心に来るものがある。自分が芋っぽいという事実もショックだが、こういう直接的なちくちく言葉に耐性がないから受けるショックは倍増だった。優しい友人に恵まれた女の子というのはこういうものなのだ。女の子同士で層になったオブラートの上を滑るような会話ばかりしているから、急にそれを貫通する言葉のナイフを突きつけられたらそれだけでショック死してしまう。

 これはくるくるちゃんの言っていたように、感情表現豊かに抗議していい場面じゃなかろうか? 淡々としているらしい私にも悲しみという感情があるぞ。

「き……傷つきました! すごく傷つきました‼ そんなに……そんなにハッキリ言わなくてもいいじゃないですか! ちっちゃな頃から悪ガキで十五で不良と呼ばれませんでしたか⁉」

「僕がナイフみたいに尖って触れる者みな傷つけてるって言いたいんだね。古い歌知ってるね……というか、ごめん、悪口のつもりじゃなくてね」

「じゃあ何だっていうんですか……」

 落ち込んでみせる私をよそに、義人さんはくっくっくとおかしそうに笑っている。例の子守歌がツボに入ったのか私の反応を面白がっているのかは分からないが、何にしても腹立たしい人である。『くるみ』ちゃんが扱いきれないと言ったのも分かる気がしてきた。

「いやね、自慢みたいに聞こえるかもしれないが、僕みたいな金持ちっていうのは垢抜けた女の子は見飽きてるんだよね。君たちの間では『港区女子』とでも言うのかな? 髪をゆるく巻いて、女子アナウンサーみたいな恰好をして、携帯も入らなさそうなサイズの鞄を持って『バンクリ』のピアスをしてて……みたいな。ああいうお金のかかってそうな女の子は苦手なんだ。もちろん僕が面白いと思った子であれば彼女らにお金を出すのはやぶさかではないが、僕は僕自身の見た目にお金をかけるのは得意でなくてね。彼女らの隣を歩ける見た目ではないし、緊張してしまうから」

「つまり丁度よく芋っぽいってことですね。やっぱり悪口じゃないですか。そんなこと言われたら女の子は当たり前に怒りますよ」

「伊予ちゃんも怒ってるのかい?」

「激おこぷんぷん丸です」

「何だいそれ」

「若者言葉ですごく怒ってるという意味です」

「そんなに俺が悪いのか……」

 分かってくれとは言わないが、ってか。

 感情表現を豊かにして早速話が弾んだあたり、くるくるちゃんのアドバイスは正しかったようだった。流石はプロと言うべきだろうか。後でくるくるちゃんと合流したらこの話をしてみよう。

「弁解させて欲しいんだけど、僕が垢抜けない女の子が好きな理由は他にもあるんだ」

「聞きましょう」

「一つは育てる楽しみがあるってことだ。確かに垢抜けないとは言ったが、君は素材はいいと思う。こんなオジサンの見立てだからアテにならないかもしれないがね。……とにかく僕は、君が垢抜けていく過程を見ることができるというわけだ。街で見る女の子ってもう完成されているだろう。僕は女の子がどういう過程を踏んでああなっていくのか非常に興味があるんだ。……ああそうだ、今日は買い物でもしようか?」

 研究対象に対する興味みたいに言ってくる。

 買い物、という言葉に、くるくるちゃんのパパ活講座を思い出した。「買い物に行けたらいろいろ買ってもらえてラッキーってかんじ」……買い物に連れていってもらえるのは気に入られている証拠、とも言っていた。これは結構嬉しい。垢抜けない、という明らかな悪口から買い物に誘ってくれるスマートさに感動しつつも、微妙にバカにされているかんじが拭えない。何だろう、このかんじ、なんと言うのが一番適切だろうか。――少し考えて、ぴったりの言葉が見つかった。

「義人さんって残念な人ですよね。紳士なのに。そこは『君がどんどん綺麗になっていく様を近くで見ていたい』とか言っておけばモテると思うんです」

「別にこの歳でモテたいとは思わないさ。そんな歯が浮いて口が腐りそうな台詞を言うくらいなら会社が倒産した方がマシだね」

「そんなにですか」

「そんなにだ」

 そんなになのか。

「それで、もう一つの理由だけど」

 義人さんはふとこちらに向き直って、私の目をじっと見つめた。思わず緊張して見つめ返す。初対面の時のような眼光の鋭さはなく、ただまっすぐで真剣な眼差しだった。

 少し落ち窪んだ目元に、色素の抜け始めた瞳。しかしその奥には確かな光があって、何も知らない少年のようにきらきらと輝いている。

何を言われるのだろうか。そんなに深刻な理由があるのだろうか?

「君の容姿は僕が若い頃好きだったアイドルに似ている」

「えぇ……」

 拍子抜けである。もっと重大な話かと思ったのに。

「あんまり真剣なお顔なので、てっきり亡くなった奥様に似てるとかかと思いましたよ」

「勝手に僕を男やもめにしないでもらえるかな。僕はずっと独身だよ。……それに、本当に似ているんだ。伊予さんは女の子だから分からないかもしれないけど、好きなアイドルそっくりの女の子とデートできるなんていうのは男の夢なんだよ」

「そうかもしれないですけど。……というか、義人さんにも好きなアイドルとかいたんですね。少し意外でした」

「まあね。僕にも普通の少年だった頃があるということだ」

 この変人が普通にアイドルの姿をテレビや何かで追いかけているところなんて、到底想像がつかなかった。というかそもそも、この人が異性に興味を持っていること自体が意外ですらある。そりゃパパ活なんてやっているくらいだから、全くないわけじゃないだろうけど……自分とは違う生き物にお金を与える実験、くらいに思っていてもこの人なら不思議ではない。

「その似てるアイドルって松本伊予ですか?」

「違うけど」

 違ったか。

「名前しか似てないじゃないか。しかも偽名」

「確かに。十六歳でもないですしね」

「松本伊予ももう十六歳じゃないと思うがね……」

 それもそうだ。今いくつなんだろう、あの人。

 そんなことを考えつつ顔を上げると、どうも義人さんがそわそわしている。「どうしたんですか?」と聞くと、「いやぁ……この辺にあったかなと思って……あとまだ二回目だし、君に警戒されてしまうかなとかいろいろね……」とモゴモゴ言っている。

「大丈夫ですから、言ってみてください」

「ほんとに?」

 不安そうにこちらを見る義人さん。……可愛い人だな。

「――ねぇ伊予さん、僕、伊予さんが歌ってるのを見てみたくなってきちゃった。やっぱり今日、買い物はやめてカラオケにいかない?」

 前言撤回。

 この人は残念紳士でも優しいのでもない。ただ自分がやりたいことをやっているだけみたいだ。




 そして三十分後。

 私たちはカラオケにいた。

 さっき義人さんのことをあんなふうに言ったが、私も大概やりたいこと優先の人間みたいだ。まだ二回しか会っていない、年上のお金で結ばれた異性と密室に行く――不用心にも程がある。しかし、私がこの人とカラオケに行ってみたいと思ってしまったのだから仕方がなかった。というかカラオケとか行くのか、この人。どんな歌を歌うのか、どんなふうに歌うのか、気にならないはずがない。

 絶対に危ないと怒られるので、くるくるちゃんには黙っておこうと思った。

「連れてきておいてこんなことを言うのは何だけど、僕はカラオケがあまり得意じゃないんだ。伊予さん、悪いけど先に歌ってくれるかい」

「本当に何ですね……まぁいいや、分かりました。聞きたい曲とかありますか? 私センチメンタルジャーニー歌えますよ」

「だから松本伊予じゃないってば!」

 義人さんが笑い、持っていたマラカスがシャリ、と鳴る。フロントにあったから何となく持ってきたものの、扱いがよく分からず持て余しているようだった。

 暗くて大きな音の鳴る空間には、判断力を鈍らせる力があると思う。ライブ会場とか、クラブハウスとか――私はどちらにも行ったことはないけれど――、他には何も見えないから、網膜を刺す強い光とか、心臓にそのまま飛び込んでくる音とか、隣で共有される体温とか、そういうものをまっすぐ信じてしまう。それ以外には何もないから、それを信じるより他ないのだ。唯一見えた希望っぽいものを信じるという意味では、宗教にも似ていると思う。

「伊予さん、難しいことを考えていそうな顔をしているね。ちなみに僕が聞きたいのはLOVEマシーンだ」

「別に難しいことは考えてないです。……好きだったアイドルってモー娘なんですか? 意外とミーハーだったんですね」

「君みたいな若い子の口からミーハーなんて単語が出てくるの、何だか心臓に悪いな……」

 ミーハーってそこまで死語だろうか? 後でくるくるちゃんに聞いてみよう。

 私はデンモクでLOVEマシーンを探しながら、義人さんに暗くて大きな音の鳴る空間の話をした。義人さんは「やっぱり君は面白いね」と笑ってくれた。

「宗教に似ていると言ったけれど、伊予さんは何か宗教を信じていたりするのかい?」

「いえ、特には……あっ、始まりますよ。義人さんも歌います?」

「僕はいいや。マラカス振ってるね」

 そう言って義人さんはマラカス構えた。それがあまりにも似合っていないものだから、私は吹き出しそうになる。何とか堪えてLOVEマシーンを歌い出したが、義人さんが表拍でマラカスを鳴らし、昭和のアイドルソングが演歌と化し、私は大笑いしてしまってとても歌うどころではなかった。

「義人さん! マラカスは裏拍で鳴らすといいですよ! ……ふふっ」

「いま笑ったね⁉ ……それ、部下にもよく言われるけど裏拍が何なのかよく分からないんだ。伊予さん裏拍を知ってるの?」

「えーっと……じゃあもう一回LOVEマシーンを流しますから、私が裏拍でタンバリン鳴らしますね。義人さんもマラカスで私の真似してください」

「分かりました、先生」

 こうして私たちのカラオケはリズム隊講座となり、更に途中から「日本の未来は世界が羨む」の歌詞に何か思うところがあったらしい義人さんがグローバル化の話を延々とし始め、世界経済の話になったあたりで猛烈な眠気に襲われ、あわや意識が飛びかけたところで十分前のコールが鳴り、結局一曲も歌い通されることはないまま退室を余儀なくされたのであった。カラオケって何だっけ?

「楽しかったね、伊予さん」

「義人さんが楽しかったなら何よりです」

 満身創痍だった私の口調は、意図せずかなり投げやりになった。まずい、慢心した……満身創痍だけに……などと面白くないことを考えたが、義人さんは特に意に介した様子はない。普段は淡々としている分、楽しくなると周りが見えなくなるみたいだ。

「まだ二回目なのに、急にカラオケに誘ってすまなかったね。付き合ってくれてありがとう。お買い物はまた今度行こう。……これ、今日の分のお手当」

「いえ、私も楽しかったです。義人さんの意外な面も知れましたし。……あっ、ありがとうございます」

「伊予さんのお手当で露骨に笑顔にならないところ、僕は好きだよ。……意外といえば、僕も意外なことがあったよ。伊予さんはオシャレに興味がなさそうだが、『バンクリ』は知っていたから驚いた」

「それは、くる……『くるみ』ちゃんがバンクリのピアスを持っているので。彼女から聞いたことがあって」

「なるほど」

 義人さんは腑に落ちたというふうに、ポンと手を打った。

 仕草や苦手なことなんかがいちいち可愛いんだよな、この人は……どちらが女の子か分かったものではない。こういうギャップなんかも意図して演出できたら強いのだろう。あとでくるくるちゃんに良いやり方がないか聞いてみよう、と何となく思った。




 義人さんとは四時頃解散したが、くるくるちゃんと合流できたのは夜の七時頃だった。今から一時間くらいお茶したとして八時、家に着くのは九時、下手したら十時……と逆算して、既に家に帰るのが嫌になる。十時くらいでは怒られこそしないかもしれないが、チクチクと嫌味を言われること必至だ。いっそのこと終電とかで帰ってみようかな、と益体のないことを考えていると、目の前にコーヒーカップが置かれて我に返った。

「考え込んでるねぇ、イオちゃん。だいじょぶ?」

「ああ、うん、大丈夫。ごめん」

「別に謝ることないけど。オヂと何かあった?」

「いや、そっちは平気だったよ。そうじゃなくて、今日遅くなりそうだし帰ったら怒られるだろうなと思って」

「相変わらず厳しいねぇイオちゃん家は」

 そう言ってくるくるちゃんは、アイスティーをチュウとストローで吸った。

 こういう時、「ごめんね、あたしが遅くなったせいで」とか「今日はもう帰る?」とか言わないところは実にくるくるちゃんらしいな、と思う。彼女のこういうところも私は結構好きだ。遅くなったことは合流した時に謝ってもらったからもう謝罪はいらないし、本当に帰らないとまずかったら私から言うし、必要以上に申し訳なさそうにされてもこっちが困ってしまうのだ。

「とりあえず乾杯しよっか、イオちゃん」

「やっぱりそれはするんだ」

 相変わらず喫茶店で乾杯をする意味は分からないが、カップを持ち上げてチンと飲み口を合わせる。しかしそういえば義人さんと三人の時は乾杯しなかったし、何か彼女なりの意味を持つ行動ではあるのだろう。

「あ、そうだ。くるくるちゃんに聞きたいことがたくさんあるんだよね。義人さんとのことで」

 人の多い喫茶店で「パパ活」と言うのが憚られて、濁した言い方をする。

「あっ、もしかしてパパ活テクニック的なこと? まかせ――」

「くるくるちゃん‼」

 台無しである。今に始まったことではないけれど、公衆の面前でパパ活とか言うのはやめていただきたい。そういう大胆さはくるくるちゃんの良さでもあるけれど、我が身となると話は別だ。

「イオちゃんは気にしぃだなぁ……あたしたちの話なんかだーれも聞いてないって!」

「そうかもしれないけど! それでも!」

「分かったよぅ。でもどんなに言葉に気を遣ったってあたしたちはパパ活女なんだからね。そこんところ忘れないでよね」

 なぜか私が怒られていることに釈然としないながら、私は「そうだね……」と適当に返し、コーヒーを一口飲んだ。くるくるちゃんもそれに倣った。

「で、聞きたいことって何?」

「えーっと、何個かあるんだけど」

 私は今日の義人さんとのデートを思い返す。垢抜けてないと言われ、買い物の話になり、アイドルの話になり、カラオケに行って……。

「あぁ、そうだ。今度お買い物に行くかもしれないんだけど、それって義人さんが買ってくれるってことなんだよね? どれくらいの値段のものを買ってもらえばいいとかある? あんまり高いと申し訳ないけどあんまり安くても相手のプライドを傷つける気がして」

「もうお買い物? イオちゃん相当気に入られてるじゃん!」

 私以上に嬉しそうにするくるくるちゃん。これってそんなに凄いことなのか。嬉しくなって「そ、そうかな」なんて言ってみたりする。

「そうだよぉ、さすがイオちゃんだね! ……で、価格帯だけど、どうだろうなぁ。義人さん社長だし、お金は結構持ってると思う。でもイオちゃんは見た目にお金かけるキャラで売ってないから、何十万円のブランドバッグとかはやめておいた方がいいね。一着一万円くらいの服を二、三着買ってもらったら?」

「…………待って。服が一着一万円もするの?」

「そこからかぁ! うんうん、イオちゃんってかんじ! そういうところ嫌いじゃないよ!」

 何だろう。すごくバカにされている気がする。

「私にはよく分からないんだけど、それってすごく高い服なんじゃないの? なんか申し訳ない気がする」

「まぁ普通の女子大生が普通に買う価格ではないかもねぇ。でもパパ活だと思えば全然普通のお値段だし、そのブランドが好きなら普通の女子大生も頑張って買う価格帯だよ。渋谷のマルキューとかにもそれくらいのお店入ってるし。あとね、全然申し訳なくはないよ」

「そうかな。くるくるちゃんは知ってると思うけど、私は喫茶店一つでもちゃんと割り勘しないと気が済まないタイプだから……物を買ってもらうって割と気にしちゃう」

「えぇ~、お手当もらっておいて今更じゃない? あとねイオちゃん、『買ってもらう』っていうのは間違いかも」

「どういうこと?」

「ここ間違えちゃダメなポイントなんだけど、イオちゃんがいいなと思った服じゃなくて、オヂの反応が良かった服をおねだりしてみせる行事だからね、これ。オヂがオヂのお金で勝手に夢を買ってるだけだから」

「な、なるほど……」

 少し言い過ぎな気もするが、とりあえず頷いておく。

「ちなみに一万円くらいでオヂ受けがいいブランドはこの辺ね。義人さんは変人だから参考になるかは分からないけど」

 くるくるちゃんがそう言うと同時にスマホが鳴る。通知を開いてみると、くるくるちゃんがメッセージでブランドのサイトを送ってくれたようだった。

「ありがとう。……なんか港区にいそうな雰囲気のブランドばっかりだね」

「そりゃだって、港区女子が誰のお金で服を買ってるか考えたら……ねぇ?」

 なるほど。触れてはいけない部分に触れてしまった気がする。これ以上この話題を深堀りするのは止そう。

 話題を変えるべく、私は次の質問を投げかけた。

「あのさ、くるくるちゃん。人ってギャップに弱いよね。なんかこう……上手いギャップの演出の仕方とかあったりする?」

「うわぁ! テクニカルなこと聞くねぇ!」

 本気で驚いたような表情のくるくるちゃん。ただでさえぱっちりと大きな目を見開いて、口元に手を当てている。驚いた表情すら可愛いなんて、顔面偏差値の暴力というかんじだ。

 くるくるちゃんの仕草や口調は割と普段から演技がかっているが、本気のリアクションの時はそれと分かる。これも一種のギャップなのかもしれない。

「いやはや、向上心があって大変よろしいね。急にどうしたの? 他のパパとも会ってみる? 紹介しようか?」

「いや……なんていうか、義人さんが可愛いから負けたような気がして……」

「可愛い……? 義人さんが……?」

 本気で困惑した様子のくるくるちゃん。素のリアクションをする時の彼女は、いつにも増して表情がコロコロ変わるから面白い。

「……まぁ、イオちゃんが楽しそうで何よりだよ。あたしには義人さんの可愛さは全然分かんないけど。で、ギャップはね、そうだな……ギャップっていうか、『隙』だと思った方がいいかな。隙を見せること。イオちゃんは特に、お堅めのキャラになってるだろうから」

「隙かぁ」

 そう言われてみれば、私が義人さんに感じたギャップも「社長なのに」「普段は淡々としているのに」という前提があってこそ可愛らしさというか、魅力を感じたものだ。

「参考までに、くるくるちゃんはどういう隙を作ってるの?」

「あたしのギャップは隙じゃないよ! あたしは顔がめちゃくちゃカワイイから、顔がいいだけで中身からっぽのパパ活女だって第一印象で思われることが多いんだよね。だからちょっと頭よさそうなこと言うとギャップになるってかんじ。デフォルトが隙だから、逆に隙のなさも見せてあげるっていうか」

「なるほど」

 隙じゃないパターンもあるのか。

「もちろん相手があたしのことどう思ってるかでいろいろ変えるけどね。だからイオちゃんも、義人さんに自分がどう思われてるか考えて、その逆のことをしてみるといいよ」

「義人さんにどう思われてるか……? 何だろう」

 義人さんに言われた言葉を思い返す。「昔好きだったアイドルに似ている」、「君は頭がいいね」……そうだ、初対面の時から頭が良いといったようなことばかり言われていた気がする。

 ということは、つまり……?

「頭悪そうなことすればいいのか!」

「うーん! ちょっと違うね!」

 違ったらしい。

「いや、だいぶ違うね。だいたい、頭悪そうなことって何するの?」

「いやなんかほら……経験人数を自慢したり……公共物を壊したり……聖徳太子を『せいとくたこ』って読んだり……」

「すっごい偏見だねぇ……」

 呆れたような口調のくるくるちゃん。どうやらいろいろと間違っていたらしい。

「えーっと、何だろ。義人さんはイオちゃんの頭の良さを評価してるから、『あれ、もしかしてこの子本当は頭悪い……?』って思われるのはマイナスだね。頭悪そうなことするんじゃなくて、『頭はいいのに意外と抜けてる』みたいな方向にしたらどう? うっかりミスをしてみるとか……。もちろんパパ活で本当にうっかりミスをするのは致命的だから、わざとね」

 なるほど。すごく参考になる。

 私はくるくるちゃんに半ば強引に勧められたからパパ活を始めたけれど、身近にこんなプロがいてアドバイスもしてもらえる環境というのは、もしかしたらとんでもなくラッキーなことなのかもしれない。喉から手が出るくらいこの環境が羨ましい女の子なんて山ほどいるだろう。私はくるくるちゃんの顔をまじまじと眺めた。くるくるちゃんは「なぁに、じっと見つめちゃって。もっ、もしかしてあたしのこと好きなの⁉」とおどけた。私もふざけて「うん」と肯定すると、くるくるちゃんは「やめてよぉ、もう」と言ってアイスティーを一気に呷った。くるくるちゃんの表情はよく見えなかった。




 予想通り、家に着いたのは十時をまわる頃だった。

 玄関の扉を開ける前に一呼吸。今日もまた「ミカちゃん」と遊んできたよ。カラオケ行ったりし遅くなっちゃった。つい話が盛り上がって、電車逃しちゃったんだよね。ごめん、今度からは気を付けるよ。よし、大丈夫。自然に言える。

 鍵を差しこんで手首を捻る。ガチャリと音が鳴って鍵が開く。夜の住宅街に開錠の音は筒抜けだ。

「遅い」

 玄関では母親が仁王立ちをしていた。

 ――あ、今日ダメな日かもしれない。

 悟るか早いか、私は「ごめんなさい」と頭を下げた。こういうとき下手に言い訳をしてはいけない。逃げないこと、すぐ謝ること、刺激しないこと、喋らないこと、それが一番大事……と頭の中で嫌な替え歌をしながら神妙な面持ちを保って、穏便にやり過ごせるよう祈る。

 母はため息を一つついて、

「遅くなるなら連絡しなさい。ご飯いらないときも前日までに言って」

 とだけ言って背を向けた。私は「はい」と返事をし、「ご飯、冷蔵庫にある?」と尋ねた。

「あるけど……ご飯食べてきたからこんなに遅いんじゃないの?」

「いや……食べてない」

「信じられない。こんな時間に食べたらデブになるよ。片付かないから早く食べちゃって」

「うん。ごめん」

 どうやら今日はまだ大丈夫だったらしい。だが今後しばらくは行動に気を付けなければいけない。

 私はのろのろと靴を脱いで手を洗うと、冷蔵庫の夕食を電子レンジにかけた。

 別にちょっと息苦しいだけで、こんなものは不幸のうちには入らない。衣食住が保証されていて、暴力をされることもなく、母親だって優しい面はたくさん持っている。全然、不幸なんかじゃないのだ。

 何も持たず何にも縛られずくるくると自分の人生の上で踊っているあの子が、羨ましく妬ましい。もちろんそれ以上に好きだけれど。

 私もあの子みたいに、身軽になってしまえたらいいのに。

 電子レンジが鳴った。私は皿を取り出し、ラップをはぎ取った。水滴が手に滴り落ちて、ヌルっとした感触が残った。

 ダイニングテーブルの隅に寄って、もそもそと夕食を口に運ぶ。二人でいるなかで一人食べるご飯は、いつだって味がしない。

                                                     

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