堕落しても役に立つ

三鹿ショート

堕落しても役に立つ

 私は、全てを放棄した。

 会社では上司の失敗を押しつけられ、最も仲が良かった友人に交際相手を奪われ、帰り道に見知らぬ少年たちに金銭を巻き上げられるなど、立て続けに不幸な目に遭えば、生きる気力も失うというものだ。

 だからこそ、私は生活していた土地から逃げ出し、知人が存在しない新たな場所で、堕落した生活を送ることにした。

 昼間から酒を飲み、それを吐き出しては再び飲むという行為を繰り返したことにより、私は即座に近所の人間から腫物に触るような扱いを受けることになった。

 だが、それで構わない。

 友人が欲しければ言動に気を付ければ良いのだが、今の私は、そのようなものを欲していないのだ。

 他者からどう評価されようとも、それを気にしなければ、真に自由に生きることができるというものである。

 ただ、寂しいかと言われれば、迷うことなく頷くだろう。


***


 いつの間にか公園の長椅子で寝ていたらしく、肌寒さを覚えながら身を起こした。

 酔いは既に醒めていたため、私は脳を再び麻痺させるべく、傍に置いていた袋の中から酒瓶を取り出す。

 それを呷ろうとしたとき、私の目は、その光景を捉えた。

 頭を抱えて地面に倒れている少女に対して、彼女を囲んでいた少女たちが暴力を振るっていたのだ。

 殴り、蹴飛ばし、何らかの飲料を彼女に降り注いでいる。

 少女たちは愉快そうな表情を浮かべているが、痛めつけられている彼女がどのような顔をしているのかは見えなかった。

 彼女がどのような行動をした結果、痛めつけられるに至ったのかは不明である。

 もしくは、何もしていないにも関わらず、標的にされたという可能性もある。

 彼女には同情するが、助けようという気にはならなかった。

 彼女たちを眺めながら酒を呷っていると、少女の一人が私が見ていることに気が付いたのか、仲間たちに何かを伝えると、揃って近付いてくる。

 彼女に対して行っていたように、少女たちは笑みを浮かべながら私を囲むと、

「今見ていたことは、黙っていてくれませんか」

 しかし、私は関わり合いになりたくはなかった。

 酒瓶を手に立ち上がり、公園から出て行こうとするが、少女たちは私を追ってきた。

「私たちは、学校では評判の良い生徒なのです。あなたの余計な行動でその評判を失うことは避けたいのです」

 少女たちの評判よりも、明日の天気の方が重要である。

 私が返事をしないことに苛立ったのか、少女の一人は舌打ちをすると、

「約束してくれなければ、あなたに襲われたと吹聴します。これでも無言を貫くというのですか」

 そのようなことをされては、困る。

 確かに私は堕落した生活を送っているが、それを可能としているのは、悪事を働いていないからだ。

 罪を着せられるわけにはいかなかったため、私は口を開かざるを得なかった。

「では、こうしよう」

 私は手にしていた酒瓶を、眼前の少女に振るった。

 地面に倒れると、少女はそのまま動かなくなった。

 突然の行動に驚いたのか、他の少女たちは立ち尽くすのみだった。

 その隙に、他の少女たちに対しても、同じ行為を繰り返していく。

 気が付けば、地面には多くの少女が倒れているという異様な光景と化していた。

 酒を一口飲んでから、誤った行動をしてしまったと後悔した。

 少女たちが目を覚まし、事情を説明すれば、私は確実に拘束されてしまうだろう。

 今の生活を失うわけにはいかなかったため、私は別の土地へ逃げることに決めた。

 駆けだした私の背中に、彼女から声がかかった。

 それは、感謝の言葉だった。

 そのようなものを耳にしたのは久方ぶりだったため、私の胸はわずかだが、熱くなった。


***


 幸いにも、少女たちを痛めつけたことによって然るべき機関に拘束されることはなく、私は今まで通りの生活を送ることができていた。

 常のように、公園の長椅子に座って酒を飲んでいると、不意に声をかけられた。

 見上げると、何処かで見たような人間だった。

 だが、思い出すことができなかったために首を傾げていると、彼女は己の素性を明かした。

 そこで、眼前の人間が彼女であることに気が付いた。

 あの土地から離れた場所であるにも関わらず、再会したことは、驚きである。

 私がそれを告げると、彼女は首を横に振った。

「あなたを捜していたのです」

「それは、何故だ」

 私の問いを耳にすると、彼女は笑みを浮かべ、

「あのとき、あなたに救ってもらわなければ、私は今も生きていなかったことでしょう。自ら生命を絶とうと考えていたほどに、私は悩んでいたのです」

 彼女は私の隣に腰を下ろし、笑顔を崩さないまま、

「あれ以来、同級生たちは私に近付かなくなりました。その結果、私は普通の人生を送ることができるようになったのです」

 そこで、彼女は手招きをするような仕草を見せた。

 彼女の視線を追うと、一人の男性が赤子を抱きながら近付いてきた。

 彼女は男性の隣に並ぶと、

「こうして意中の男性と結ばれ、子どもを得ることができたことも、あなた無しでは迎えることができなかった現実なのです。本当に、感謝しています」

 彼女と男性は、同時に頭を下げた。

 去って行く家族を眺めながら、私は酒を呷ろうとして、止めた。

 手にした酒瓶を塵箱に捨てると、両手で何度も頬を叩いた。

 これほど堕落した人間でも、誰かの役に立つ。

 ゆえに、普通の人間ならば、より多くの人間のためになるのではないか。

 彼女の笑顔は、私にそう思わせるほどの魅力を持っていたのだ。

 放棄した全てを拾うことは出来ないだろうが、別の人生を歩むことはできる。

 もう一度、人並みの生活を送ってみようと考え、私は公園を後にした。

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堕落しても役に立つ 三鹿ショート @mijikashort

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