メンタル・アジャスト
渡貫とゐち
被害を合わせる。
言葉は拳だ。
この場合、拳を覆うグローブはないものとする。
まあ、グローブをはめていようとも、衝突した際のダメージこそ多少は緩和されるものの、決してゼロではないし、肘や肩にかかる負担までをゼロにすることはできない。
拳を握って相手を殴れば、当然、跳ね返りがある――攻撃をする側だって無傷ではないのだ。
攻撃には、相応の痛みを伴うべきである。
もっと言えば、相手が受けるダメージと同じ痛みを伴うとすれば、握る拳の数もぐっと減るのではないか……。
スマホのフリック入力、パソコンのキーボードを叩くという、誰でもできる手軽な手段。
簡単に人は拳を握ることができる……できてしまう。
文章を構築し、送信するだけ――たったこれだけで相手を殴ることができてしまう。
世間に蔓延する誹謗中傷の数々。拳というよりはナイフで刺すような鋭い切れ味を持つ言葉が、発信者になんの痛みも伴わないまま、対象者に届いてしまうのだ。
受け取った相手だけが痛みを感じる……、厄介なのが、その痛み以上に、それが『死』に繋がることだ。
その一撃で『死』という結果が出たならまだいいが(いや、よくはないが)、悪質なのが、『死』という結果は受け取った側の選択の上である、ということを主張できてしまうところにある。
確かに、自殺を『する』、『しない』の選択肢は被害者本人にしか見えていない。引き金を引いたのは自分自身であり、あくまでも誹謗中傷は一つのきっかけでしかない。
自殺を選んだ、本人の心の弱さのせいにすることもできたのだ。
痛みを伴わない攻撃が当たり前になってしまったからこそ、手軽にできる『攻撃』に、一切の重みが乗らなくなったのだ。
覚悟もなく人は他者を攻撃する……、人を攻撃するなら攻撃される覚悟が必要なのに。
同じ痛みを受けることを前提とするべきなのに……。
誰も彼もが、それを忘れてボタン一つで他者を壊す。
ハードルが低いのだ。
みなが軽々と越えることができてしまうから――決してなくならないのだ。
……ならば、もしも。
誹謗中傷の言葉を発信するのに、同じ痛みを伴うことが絶対だとすれば。
その送信ボタンは、硬く、重いものになるのではないか――。
きっと、それは日課だったのだろう。
恐らく周りに便乗して、みんながそうしているからそれに乗っただけで、なんの覚悟もなく見ず知らずの他人を叩いただけなのだ……。
心にもない言葉だった。だけど威力だけは充分にある。
それもそうだ、だって本当に、彼女には相手を叩くという自分の意思はなく、積み重なっていく誹謗中傷の言葉を繋ぎ合わせたような文章を作って、ボタン一つで送信しただけなのだ。
思ってもいなかった言葉がすらすらと出てくる。みんながいるから、なんでもできると勘違いしているのだろう……、自分は強くなったのだ、とも――。
みんなが引いているから一緒になって引いてみた――引き金を。
発した言葉には、拳銃で撃ち抜かれたような痛みが伴うとも知らずに。
本当に。
胸を撃ち抜かれたような痛みが、彼女を襲った。
反射的に胸を触るが、もちろん、血が出ていなければ怪我もしていない……外傷はない。
では、内面か? 今更、罪悪感に苦しむ彼女ではないだろう……、だからこれは、無責任な
彼女が撃った(打った)文章を受けた相手は、同じ痛みを経験している……これが無限に積み重なっていけば、死んでしまいたいと思うのが当然だろう。
無傷の彼女でこれなのだ、メンタルが弱い時に受けたら、堪えることなどできないはずだ……。
全世界で同じ現象が起きていた。
誹謗中傷のコメントを投稿すれば、同じ痛みを発信者も受けることになる。では、言葉の威力を落とせばいいのかと言えば、たとえ落としたところで痛みに差はあれど、痛いことに変わりはない。
拳銃で撃たれようがナイフで刺されようが拳で殴られようが、痛みはあるのだ。
他者を攻撃しようと思って文章を作った段階で、反動が痛くないということはない。どんな言葉であれ、悪意があれば被害者同様、加害者だって壊される。
だから選別されるのだ。
被害者の痛みを受けた者だけが攻撃できる……、その覚悟の上で投稿された誹謗中傷の言葉なら、それこそ、受け取るべき大事な意見なのではないか――。
「クックック……、だけど、痛みを伴ってでも、攻撃するヤツはいるかもしれないよねえ――相手が苦しむなら、自分が受ける痛みを受け入れるヤツとか……」
結局、誹謗中傷はなくならないのではないか?
痛みを受け入れた上で、現状が維持されてしまえば――。
……だけどまあ、それならそれで。
無責任に強い言葉が積み重なっていく今よりは、マシなのだろう。
―― 完 ――
メンタル・アジャスト 渡貫とゐち @josho
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