第2話 修羅場学園

 真道志具は学生だ。ゆえに平日は当然のように学校がある。

 堂守どうもり学園。それが志具の通う学校だった。

 小中高とエスカレーター式で上がってこられる私立の学園で、また授業料も私立ということもあり、公立のそれと比べると割高だ。だが、それに見合うだけの学歴を収めることができ、また、地元住民からの信用、信頼も厚い。そんな学園。

 志具は現在十五歳。中学から高校になったばかりの新入生だ。もっとも、エスカレーターで上がれるため、「新入生」というのも、ややおかしい感じがするが。

 志具は自身のクラスである一年A組の教室に入り、自分の席に座ると、溜息をひとつついた。

 ため息のひとつでもつきたくなる。自分の現状が、どれだけ窮地に追いやられているのかを知らされれば。


「どうしたの、志具君。景気悪そうな溜息なんてついちゃって」

「ああ……、マリアか」


 机に伏し、うなだれていた志具に、話しかける人がひとり。

 大導寺だいどうじマリア。それがその人の名前だ。

 陽の光に当たり、金粉をまぶしているかのように輝いている金髪。宝石のようにエメラルド色を誇っている瞳は、彼女自身の穏やかさを現しているかのよう。全体としてのスタイルは、可もなく不可もなくといった感じだが、見てくれの良さがそれをカバーしていた。

 マリアは志具の反応に表情をムッと曇らせる。


「『ああ……、マリアか』、じゃないよ。どうしたのさ。なんか元気ない感じだよ?」


 表情を曇らせながらも、相手を心配するのは、ひとえに彼女の人のよさを示しているのか……。志具はしばらく考えた後、どうせすぐにばれることだし、ということで、話すことにした。


「実は昨日、うちに親戚の人が来てな、そのときに色々とひと悶着あったんだ。それで少し疲れてな」

「ひと悶着って……なにかあったの?」

「ああ……それはその……」


 志具は言葉を濁す。そんな彼に不思議そうな瞳を向けるマリア。

 諦観を覚えつつ、志具は言葉を紡いだ。


「その……親戚の人がちょっとした事情で、うちで暮らすことになってな」

「志具君の家で? ……あれ? でも志具君って確かひとり暮らしだったよね? 両親さんが海外赴任かなんかで」


 まあね、と志具.。実のところ、両親が一体何の仕事をしているのかは、志具自身も昨日初めて知ったわけだが。考えてみれば、親が実の子に、仕事内容を内緒にし続けていたという時点で、疑いを少しはもつべきだったのかもしれない。まあ、今となっては遅い上、知ったところでどうにかなったとは思えないが……。

 すると、マリアの目がキラリと光った。


「……まさかとは思うけど、その親戚の人って、歳はいくつ?」

「私や君と変わらない」

「性別は? まさかとは思うけど、女の子ってわけじゃないよね?」

「……」

「なんでそこで黙るのかな?」


 にこりと笑みを浮かべながら問いかけてくるマリア。しかしなぜだろう。その笑顔にはなにか鬼気迫るものがあるように思えてならない。笑顔の仮面をかぶった鬼のようだ。

 マリアの気迫に気おされながら、志具は視線を逸らしながら言った。


「…………女性だ」


 ピシッ。

 そんな音が聞こえてきそうだった。マリアの表情が、まるで絶対零度の冷気に当てられたかのように固まった。

 志具は横目でそれを観察する。

 一言で言うと、怖かった。普段、温厚な人が怒りを表面化させると三割り増しに恐ろしく感じるときのように。


「…………あの、マリア? 大丈夫か?」


 大丈夫か? と問うまでもなく大丈夫ではないような気を、薄々と感じていた志具だったが、それでも話を再開するためには、そんな言葉をかけるしかなかった。まるで眠っている虎を起こすような怖さがあった。

 その怖さを押し殺して志具が声をかけると、マリアはピクリと身体を微動させた。まるでスイッチの切れたおもちゃがスイッチを入れられたかのように。

 そして、油の切れたブリキ人形のようにギギギ……と首を動かして、志具を視界にとらえると、


「ひとりダヨネ? ソノ……しんせきノこッテイウノハ……」


 ところどころカタコトなのが怖さに拍車をかけていた。たしかにマリアは、母親が北欧人で父親が日本人のハーフだが、日本で生活しているから日本語が堪能なはずだ。

 急に日本語に不慣れな外国人と化した旧知の親友に、志具はおずおずといった感じで言った。


「いや……。二人だ……が……」


 言葉が言いきらないうちに、マリアは再度動きを硬直させた。ここまで来ると、なんだか彼女の行動が笑えてくる気もしないでもないのだが、後が怖いのでやめておく。

 石像のように動かなくなった彼女を、どうやって正気に戻そうかとあれこれと思案に暮れていると、前方の教室の引き戸が開き、クラスの担任教師が入ってきた。

 助かった、と胸を撫で下ろす志具。正直、今のマリアと同じ空間を共有するのは恐怖だった。


「ほら、マリア。自分の席に着いたほうがいいぞ」

「…………志具君」

「な、なんだ?」


 腹の底が冷え上がるようなマリアの声に、志具はうろたえる。

 何が来る? 何が来る?

 次に訪れるであろう恐怖に、志具が内心で身構えていると、


「後で、詳しく訊かせてもらうからね♪」


 透き抜けたような明るい笑顔を、マリアは向けてきた。

 タンポポのような、可愛らしい笑顔。

 そう……、笑顔。笑顔なのはいいが……。


「……あの、マリア」

「なにかな? 志具君」

「額に青筋を立てるのはやめてくれないか?」


 志具の要望にマリアは「うふふふふ……」と笑いを残し、そのまま自分の席へと戻って行った。


 これは……地獄を見そうだ。


 死刑宣告を受けた気分になっている志具に教師は当然のごとくかまうことなく、一通り生徒が席に着いたのを確認すると、朝のホームルームを始めた。

 そのホームルームの初めの話が、いきなり地雷だった。


「え~。実はこのクラスに、編入生が入ってくることになった。それも二人だ」


 編入生、それも二人と聞いて、クラスメイトたちはざわつき始め、教室内のボルテージが上がっていく。……に対し、志具のテンションは反比例するかのごとく下がっていく。ただでさえ低いテンションがさらに低下し、氷点下と化していた。

 そんな教室のテンションを教師は一度沈めると、教室の外で待機させていた編入生とやらを教室に呼び込んだ。

 だが、志具にはわかっていた。編入生が誰なのか……。

 彼の平穏を乱しに乱そうとしている、二人の編入生。その編入生に、生徒たちはどよめき立つ。それはそうだろう。見た目は二人とも、ティーンズ雑誌のモデルでもやれるのではないかと思えるほどの美少女なのだから。

 二人のうちのひとり――茶髪の少女が教室内を見渡し、志具の姿を捉えると、口の端を緩めて笑みをつくる。その笑みから逃げたい気持ちに、志具は駆られる。

 先生が二人の名前を黒板に書いていく。その間志具は、彼女の視線をひとり占めしていた。したくもないのに。

 その視線に、やがて一部の生徒たちも気づき始める。茶髪の少女の視線を追って、生徒たちの視線が志具に向けられる。

 やめてくれ、いい迷惑だ。穴があったら入って蓋をしたいくらいだった。

 やがて先生が二人の名前を書き終え、名前を紹介する。


「え~、今日からうちのクラスに入った、万条院ななせさんと、花月菜乃さんだ」


 先生に名前を言われ、二人の編入生は慇懃にお辞儀をする。


「花月菜乃です。学園に編入したばかりなので、色々と至らないところがあるかと思いますが、これからよろしくお願いします」


 菜乃の自己紹介に、生徒たちがざわめく。そのざわめきの主成分は、彼女を称賛するものだった。

 そのざわめきを教師は手をパンパンと叩き、「静かにしろ」の一声で、再び生徒たちは静かにする。

 そして、問題の彼女の番だった。

 志具は心の中で願う。どうか変なことを話さないように、と。

 切なる願いを祈る中、ななせは口を開く。


「万条院ななせだ。これからみんなと仲良くやっていきたいと思っているわけだけど、ひとつだけ報告しておかないといけないことがある」


 そう言い、ななせはつかつかとおもむろに歩み始め、志具のところで停止する。

 志具にしてみれば、嫌な予感しかしなかった。

 その予感に連れられるように、ななせは志具の腕を引っ張り、彼を立たせると、


「あたしはこの、真道志具の許嫁だ。ゆえに、あたしらの恋路の邪魔はしないように頼む。――以上!」


 声高に宣言するななせ。そんな彼女の言葉に、ただでさえ静かだった教室が一段と静寂に包まれた。

 志具はというと、突然のハプニングに思考停止してしまっていた。やがて正気に戻ったときには、もう遅かった。

 ええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ―――――――!! と轟雷のごとき生徒一同の叫びが、教室内に轟いた。

 ななせの衝撃発言に、ぽかんと間抜けな表情で固まっていた教師だったが、すぐさま我にかえり生徒たちを静かにさせようとするが、まるで火のついてしまった花火のごとく、その騒ぎは収まらない。

 女子生徒たちは「うそ! あの真道君が?」「いつもクールで知的な感じの真道君が?」「クールなようでいて、実のところやることはやっていたってことね!」といった感じの喚声が、男子生徒たちは、「あの根暗な真道が?」「畜生、俺たち童貞の仲間だと思ってたのに!」「男の敵だ! もてない男の敵だ!」「会議をしよう! ただちに真道抹殺計画の緊急会議を、童貞おれたちだけで取り行おう!」「許さん……! 真道志具、お前にモテロードを歩ませてたまるか!」といった、主に非難や憎悪に満ちた叫びが教室中を飛び交っていた。


「ち、違う! 誤解だ! これは何かの間違いなんだ!」


 慌ててななせの発言を否定しようとする志具だったが、ななせが肩を組んで志具に顔を近づけると、


「なにが間違いなんだ? 志具よ。あたしらは同じ屋根の下で暮らす仲じゃないか」


 次の瞬間、志具の唇に、なにか柔らかい感触が当てられた。

 先程までのざわめきが、一瞬にして静まり返る。

 志具はなにが起きたか、一瞬わからなかった。今志具にわかっているのは、唇に柔らかく魅力的ななにかが当てられていることと、ななせの顔がとにかく近かったことくらいだった。

 思考をフル回転して、ようやく志具はななせに、キスをされているのだということを理解した。

 その瞬間、


「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」」」」


 教室が揺れんばかりの叫びが響き渡った。女子はピンク色の叫びを、男子は血の涙を流さんばかりの嘆きの叫びをあげている。

 すぐさま志具はななせをひきはがした。顔が熱くなるのを感じる。


「な、な……なにを……」

「いいじゃんか、別に。あたしらは将来、夫婦になる仲なんだし、キスくらいしても」

「だからって……と、時と場所と場合を考えてくれ!」


 だいたいそれは、自分に接触するための保険なのではなかったのか? と志具は思う。本心ではないのではないか、と。

 そんな志具の戸惑いを無視し、ななせはニタリと笑みを浮かべる。


「TPOをわきまえたら好きなだけキスをしてもいいのか? それとも……それ以上?」

「ば、馬鹿!」


 ななせが発言するたびに、クラスメイトたちのボルテージが右肩上がりとなっていく。

 と、そのとき、なにか冷たい視線が突き刺さっているような気がした。

 何か首筋に刃物でも当てられているかのような感覚。その視線がするほうへと視線をやると、そこにはマリアがいた。

 マリアの顔は、笑っていた。笑っていたが、身の毛がよだつほどの恐怖心がわき立ってくるのはなぜだろうか。これなら普通に怒ってくれたほうがずっとマシだ。それともあれなのだろうか。あまりにも憤ってしまっているばかりに、怒りを通り越して笑顔しか表に現せなくなっているのだろうか。なにはともあれ、恐ろしい。

 編入して早々、とんでもない爆弾を投下してきたななせに、志具は暗澹とした気持ちが、心の底からわき立ってくるのを感じた。



 ――◆――◆――



 昼休みのチャイムが鳴り、起立、礼を行った直後、逃げ出すように志具は教室を飛び出した。まあ実際、「ように」などではなく、逃げたわけだが。

 廊下を走り、昼休みの間、いつもいる場所まで向かうことにする。全力疾走する志具を、すれ違う生徒たちは不思議そうに見ていた。

 階段を駆け上がり、志具がやってきた場所は屋上だった。

 落下防止のフェンスが四方を囲み、明るいパステル色の花が咲く花壇が綺麗に整列されている。その花壇を囲むように、いくつかのベンチが並べられていた。

 昼休みもまだ始まったばかりということもあってか、自分を除くと人影は誰もいなかった。適当なベンチに腰を下ろすと、志具は「はぁ……」と深いため息をついた。


 どうしてこうなった?


 走って乱れた息遣いを平常に保つため、深い呼吸をしながら、志具は考える。

 ……いや、考えるまでもなかった。自身がこんな状況に追い込まれているのは、まぎれもなく、昨日唐突に表れた同居人のせいた。

 よりにもよって、昨日の今日で自分の通っている学園――それも自分のクラス――に編入してくるとは思わなかった。

 平凡で平坦、波風が一切起きない人生。それを志具は望んでいた。現にこれまでも、その理想に近づくために努力をしたつもりだ。だというのに……。


「……はぁ」


 今まで積み上げてきたものが砂上の楼閣のごとく瓦解していくのを自覚する志具。強い流れに逆らえず、ただただ流され続けている感覚……。

 そのことを自覚すると、志具は無意識に溜息をこぼした。


「――どーしたんですか? 先輩さん、元気がないみたいですけど……」


 ふとかけられた言葉に、志具はうなだれていた顔を起こし、声の主を確認する。


「……ああ、なずなか」

「むっ、『……ああ、なずなか』じゃないですよ。なんですか? 人が心配して声をかけてあげたのに」


 無気力でどうでもいい、とばかりの声色で志具が接したため、なずなと呼ばれた少女は頬を膨らませる。

 玖珂くがなずな。それが少女の名前だった。

 栗色の髪のショートカット。髪が顔にかかるのか、前髪をアクセントのついたヘアピンでとめており、小動物のような可愛らしさのある丸い瞳が印象的だ。

 中学二年生……ということを考慮しても、彼女の体形は発育が芳しくない。人によっては小学生に見えてもおかしくないくらいである。……もっとも、そんなことを本人に言えば逆鱗に触れることになるのだが。


「ああ、すまない。悪気はなかったんだけど……その……少しばかり厄介事に巻き込まれてな。それでつい邪険にしてしまった。許してくれ」

「ん? 厄介事って……?」


 首を小さく傾けるなずな。そんな彼女に、志具は事の成り行きを説明しようとしたとき、


「志具――――!! 志具はいるかああぁぁ――――!?」


 屋上の扉が勢いよく左右に開かれた。……と同時に放たれる大声。

 嵐の権化が現れたのを知り、志具は顔を手で覆い、自分の身を嘆く。そんな彼を不思議そうに見るなずな。

 嵐の権化もとい万条院ななせは、屋上を見渡し志具の姿を捉えると、口の端を緩め、近づいてくる。彼女の後ろに待機していた菜乃が、後に続く。

 逃げられない。

 そう悟った志具は、額をポリポリと指で掻いた後、ななせのほうに振り向いた。


「……何の用だ?」

「そんな敵愾心ある声を出すなって、志具。もっと友好的になろうじゃないか。――な?」


 ポン、と軽く志具の肩を叩くななせ。そして次にななせは、視線を志具からなずなに向けた。

 なずなはというと、突然現れた乱入者を、目を丸くさせながらも、興味津津、といった面持ちで見ていた。


「んで、君は誰だ?」


 声をかけられたのが自分だと知るや否や、なずなは一瞬、スイッチが入ったようにビクッと身体を震わせると、にこりと笑顔をつくると、


「先輩さんの後輩の、玖珂なずなです。――そういうアナタたちは?」


 なずなはななせと、一歩後ろに控えている菜乃に視線を動かして言った。


「あたしらか? あたしは万条院ななせ。そこにいる志具の許嫁だ。んで、後ろにいるのが――」

「――花月菜乃です。ななせ様と志具様のお世話係をしています」


 ペコリとお辞儀をする菜乃。

 そんな二人に、なずなは驚きのあまり、「ええええぇぇぇぇ――――!」と声を上げ、


「先輩さん! いつからお手伝いさんを雇うようになったんですか?」

「ちょっと待て、なずな。それも確かに驚く要素かもしれないが、それ以上に驚くべき紹介があっただろう」


 へ? となずなはまず菜乃を指差して、


「えっと……。アナタがお手伝いさんで……」


 と言いつつ、指先をツツツ……と移動させ、ななせでストップさせると、


「んで、アナタが……」

「許婚だ」


 さらりと、さも当然のように言ってのけるななせ。心なしか、どこか誇らしげだ。

 ピタッ、となずなの動きが止まる。まるで氷漬けにされたかのように微動だにしない。


「……………………え?」


 長い間の後、なずなはかろうじてその一文字だけを口から漏らした。

 そんな後輩に、ななせが再度、先ほどと変わらない声色で言う。


「だから、許婚だ」

「…………誰の?」

「志具のだ」

「先輩さんの……許婚?」

「そうだ」


 うんうんと、満足げに頷くななせ。そんな彼女の気持ちに反比例するように、志具はうなだれる。そして、訪れるであろうものに備えるべく、志具は両耳を手で塞いだ。

 しばらく目を丸くさせ、硬直していたなずな。やがて彼女はゆっくりうなだれている志具に視線を移動させ、人差し指を彼にロックオンすると、


「ええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ――――――――!!」


 驚嘆に満ちた少女の叫びが響き渡った。

 そんな中、志具は耳を塞いでいてよかった……、などと現実逃避するがごとく、そう感じていた。情けないと思うなかれ。人間、ストレスにさらされ続けると現実から目をそむけたくなるものである。


「ど……どどどどういうことですか!? 先輩、いったいいつの間にそんな将来を約束した相手をつくったんですか!?」


 動揺と驚愕の入り混じった顔を接吻でもせん勢いで急接近させながら、なずなは疑問を投げかけてきた。


「まあなずな、とりあえず落ち着け」


 なずなの興奮を取り除こうと、志具はそうなだめの言葉をかけるが、効果はなかった。むしろ、火に油を注いだかのように、なずなが詰め寄ってくる。


「落ち着けるわけないじゃないですか! 許婚ですよ許婚! どこのマンガやアニメの世界の話なんですか! モテ期ですか? 先輩さん、いつの間にかモテ期に突入してたんですか! ハーレムですか? 美女を傍らに侍らせて酒池肉林を謳歌しようとしてるんですか!」

「君は私をどのような目で見てるんだ! そんなことは断じてない!」

「じゃあ説明してください! ボクが納得いくように、丁寧な説明を要求します!」

「こんなところにいたんだ、志具君」


 なずなだけでも手一杯だと感じていたときに、第三者が現れてきた。その声は氷のように冷たく、刃物のような鋭さを併せ持っていた。

 頭が痛くなるので声のした方向に視線をやりたくなかったが、無視を決め込めばさらなる手痛い制裁が執行される可能性があったので、恐る恐ると屋上の出入り口方面へと振り向く。

 そこには案の定、マリアの姿があった。さらりとした金髪が陽光に当たり映えていた。

 彼女は……笑っていた。微笑みを湛え、片手に手提げバッグをもって、扉の前に立っていた。

 ただ……怖い。今のマリアからは鬼のような気が、背中から陽炎のように揺らめいているように志具には思えた。

 マリアは優雅な足取りで志具に近寄る。さすがは家がお金持ちのお嬢様なだけはある。ただ、有無を言わさない迫力があり、なずながその迫力に気押されて、志具から数歩退く。そして、先ほどまでいたなずなのポジションまでやってくると、ベンチに座っている志具のことを見下ろした。


「志具君。四時間目が終わるや否や教室を出ていったかと思ったら、こんなところで女の子に囲まれてなにしてるのかな? ハーレムかな? 王様気取りかな? わたしも混ぜてくれないかな?」

「マ……マリア、落ち着け。私がそんなことをするような輩に見えるか?」


 志具の問いかけに、マリアは笑顔のまま「そうですねぇ……」と呟き、思考を開始する。……が、それも三秒ほど。


「確かに、志具君は誠実で真摯だから、そんなことはないだろうとは思ってるよ。けど……」


 と、マリアはチラリと、ななせを一瞥する。


「教室であんなところを見せつけられたら、そんな思いは一瞬にして吹き飛ぶよね♡」


 あんなところ。その言葉が指しているものを、志具は察していた。十中八九、ななせがキスしてきたことを言っているのだと。


「ま、万条院。君のせいだ。フォローしてくれ」


 助け船を求めて、志具は言う。……が、ななせは底意地の悪そうな小悪魔……否、悪魔のような笑みを口元に浮かべて、


「仕方ないじゃんか。事実なんだからさ」


 駄目だこいつは、と次に菜乃に助け船をくれと、目で訴えかける。……が、


「事実ですので」


 と、主と同じことを言ってのけた。

 この世には神も仏もない。

 辛辣な現実にさらされ、志具はそんなことを思った。

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