第1話 両親からの送り者
「どういう……ことだ……?」
万条院ななせを連れて自宅に戻った志具は、玄関の扉を開けるや否や、そのような言葉を自然と漏らした。
というのも、
「お帰りなさいませ、ご主人様」
人当たりの良さそうな笑顔を向ける少女が、扉を開けるなり出迎えてきたためだ。
北国の新雪を思わせるような白い肌。日本の大和撫子を彷彿とさせるような艶やかで手入れのいきとどいた長い黒髪に、お淑やかさと清楚さが押し出されている容姿。刺々しさの感じられない、柔和な雰囲気を漂わせていた。濃紺のワンピースに可愛らしいフリルのついた白のエプロンドレス、同じく白いフリルのついたカチューシャと、俗に言うメイドの衣装に身を包ませていた。
言っておくが、志具にそのような性癖はない。そもそも、侍女を雇った憶えがなかった。
見知らぬ他人が突如として出迎えてき、あまつさえ向こうが、そのことをさも当然のような顔でいるのだから、志具としてはリアクションを取りようがなかった。
ぽかんと、間抜けな顔を志具がしていると、
「よっ、菜乃なの。ご苦労さん」
「あ、ななせ様。お勤めご苦労様です」
「疲れたぜ~。菜乃、お茶を入れてくれよ」
「かしこまりました。すぐに用意いたします」
背後からななせが志具の前へと出、そのまま何の躊躇いもなしに靴を脱ぎ、志具の家へと入っていく。それはまるで、我が家だといわんばかりの態度だった。
「………………って」
ここで志具はようやく我にかえる。玄関でひとり、家主である自分が取り残されたせいでもあろう。そのおかげで思考が少し動き始めたのだ。
急いで志具は中へと入り、二人が向かっていった居間へと向かう。
すると菜乃と呼ばれたメイドの少女は、キッチンでお茶を淹れている最中であり、ななせはというと、ソファの上で寝転がり、くつろいでいた。
「……なにを……しているんだ?」
志具のこめかみには薄らと血管が浮き出していた。ひくひくと眉が、彼の感情に促されて微動している。
「くつろいでるんだ」
「なに当然のように言っているんだ、君は!」
悪びれるそぶりも見せず、あっさりと言ってのけるななせに、志具は怒りを混じらせたツッコミを炸裂させた。
「何をそんなに怒っているんだ? ……ああ、そっか。あたしがソファを陣取っていて、座れないから怒っているんだな?」
そう言うとななせは身を起こし、着席すると、自分の隣の座席をぽんぽんと叩き、志具に座るように促す。
「ふふ……。向かい側にもソファがあるのに、わざわざあたしの隣がいいなんてな……。志具~、お前は意外とムッツリスケベなんだなぁ~?」
ニヤニヤと笑うななせ。「そうではなくてだな……」と志具はわなわなと身体を怒りで震わせる。
「ななせ様。あまりご主人様を困らせてはいけませんよ」
台所から盆に湯呑みをのせてやってきたメイドは、ななせをそう窘める。思わぬところから援護射撃が入った、と志具は少し肩の力を抜く。
「――殿方というものは、概してそういうものなのですよ」
「おい! どういうことだ!」
聞き捨てならないことを言われ、志具は思わず食いついてしまった。
侍女の言葉を聞き、ななせは「ああ~、なるほどな……」と納得した様子。そして立ち上がり、志具の肩に手を置くと、
「志具……。あたしが間違っていた。どうやらあたしは、男というものを誤解していたようだ」
「いや! 今も大いに誤解していると思うぞ⁉」
「世間体なんて気にするな、志具。お前はあたしの将来の夫になる男だ。あたしは意外と尽くすタイプの女だから、よほどの内容でない限り、あらゆる要望に応えてやるつもりだ」
そう言って志具に向けられるななせの顔は、とても穏やかだった。まるで盛りのついた男児を慰めようとする、年上の余裕のある女性という感じの雰囲気を醸し出していた。
それが志具には、なんとも腹立たしかった。火に油を注ぐとは、まさにこのことだ。
志具は俯き、身体を戦慄かせていた。その無言の対応を、ななせは、
「そこまで感動してくれるとは、あたしも嬉しいぞ☆」
「よかったですね、ななせ様。ご主人様のハートをがっつりキャッチングアンドホールド、『あたしの腕の中で眠れ』状態ですね☆」
「その語尾をやめんか、君たちああああぁぁぁぁ!!」
我慢しきれず、憤りの叫びをあげた志具。まさか自分が、こうまで感情的になれるとは……、と志具は少し驚いていた。
「おい、志具。夜中にそんな大声出したら近所迷惑だぞ」
「そうですよ。ご近所づきあいは穏便にしていきませんと、後々面倒なことになりかねません」
そんな熱している志具とは対照的に、ななせとメイドは平静を保ってそのようなことを言う。
「私が冷静でいられないのは、おおよそ君たちの言動のせいなのだが……」
地獄の底からわき上がってくる低い威圧的な声。そろそろ志具の堪忍袋の緒が切れてしまいそうだった。
それを察したのだろう。ななせは、
「さてと、許嫁をおちょくるのもこの辺にして、そろそろ実りのある話でも始めよっか」
と、ななせはソファに座り、志具に向かい側に着席するように促す。
……というか、やはりからかっていたのだな、と志具。助けてもらった恩があるとはいえ、いい加減許容を超えてしまいそうだった。
だが、彼女の様子から、これ以上茶化すようなことはしないだろう、と判断した志具は、ななせの言われるがままにソファに着席した。
志具が座ると、目の前のテーブルにお茶の淹れた湯呑みが置かれる。
「……そういえば、君の名前をまだ聞いていないのだが」
湯呑みを置き、志具に微笑みを送るメイドに、志具はそんなことを言った。
ななせとの会話で、名前は菜乃というらしいが、
「あっ、そうでしたね。申し訳ございません」
今気づいたような反応を見せるメイド。すると居住まいを正し、志具に誠実な態度を露わにさせると、
「はじめまして。今日からお世話になります、
「別にいいじゃないか、菜乃。許婚をびっくりさせるためにも、家の中で待っていたほうがずっと効果的だって。――な?」
いや、「な?」と言われても……。
話を振られて、返答に困る志具。……いや、確かに驚いた。驚いたものの、ななせが期待した驚きのニュアンスとは、おそらく違うだろう。
……いやそれよりも、先程からちょくちょく出てきている「許嫁」とは、いったい何のことだ? なぜ彼女たちはこうも当たり前のように私の家でくつろいでいるのだ? 遠慮というものをまるで感じないのだが?
次々とクエスチョンがわく志具。とりあえず、このまま勝手に話をすすめられても困るので、志具は行動に打って出た。
「……あのさ。さっきからずっと気になっていたことなんだが……君たちは誰だ?」
「誰って……許婚だけど」
いや、そんなさも当然のように言われても……。というか、また言ったな。
「その許婚って言うのはいったいなんなんだ。生憎と私は、君のことなんて顔すら知らないぞ。そんな状態なのに許婚と言われても困るだけだ」
そんな志具の発言に、ななせと菜乃はというと……きょとんとしていた。想定外だとばかりに。
いや、そんなリアクション、こっちのほうがしたいんだが……、と志具は内心で呟くが、そんな少年の心の言葉など、誰も聞いてくれるはずもない。
しばらくお嬢様と菜乃は、互いに視線を交差させる。アイコンタクトで意志を疎通させる二人。やがて、思いつくところがあるのか、菜乃の表情がハッとする。
「……ひょっとしてななせ様。志具様にお手紙を渡しましたか?」
手紙?
志具が内心で首を傾けていると、ななせは、
「おお、そうだった! すっかり忘れてた」
と言い、ごそごそと彼女はズボンのポケットをあさり始める。そして、一枚の封筒を取り出すと、
「はいよ、手紙」
と、志具に差し出した。
「本当はあのときに渡すつもりだったんだけど……忘れてたぜ」
「忘れてたって……」
「まあ、気にするな。許嫁のお茶目なドジってやつだ。萌えるだろ?」
ウインクを見せるななせ。志具はそれに関してノーコメントだ。
その調子で封筒を受け取り、表裏を確認する。……が、そこには差し出し人の名前は書いていなかった。
「誰からのだ?」
「読めばわかるさ」
教えてくれてもいいだろうに、と思いながらも、志具は封筒の封を切り、中の手紙を確認する。字面はPCで打たれたものらしく、誰の筆跡なのかわからない。だが、手紙に書かれている内容を読んでいくうちにわかった。
『やっほー、志具君! お元気かな? パパとママはとっても元気だぞう!
具体的にどこにいるのかははっきりとは言えないけど、パパママと志具君の心のつながりでわかってくれていると信じているよ♪ 目を閉じて、心の目を開かせるんだ。するとおのずと僕たちの居場所を突き止められるはずさ☆ HAHAHAHAHAHA!』
この頭の痛くなる文面。間違いなく両親からのものだ。少し文面を読んだだけでわかった。
両親は昔から仕事上の関係で、世界中を飛び回っていた。父親と母親が出会ったのも職場であり、社内恋愛の末に結婚したらしいということを、本人たちから志具は聞いたことがあった。
仕事で様々な場所を転々とするのはいい。だが問題は、幼い頃から志具ひとりをほったらかしにしていたことだ。一応、親戚の人が面倒を見てくれたりもしたのだが、志具としてはやはり、肉親と一緒にいたほうが落ち着くというものだ。
幼い頃からひとりにされたこともあって、志具は同年齢の人たちと比べれば随分と大人びた少年となっていた。たいていのことには動じない、鋼のような心を鍛え上げた。そんな志具を見て、両親はよく言った。「いったい誰に似たのかしら~」「そりゃあママ、僕に決まってるじゃないか! HAHAHAHAHAHA!」「そうよねぇパパ。パパがベッドの上で本気を出した時によく似てるわぁ。パパったら普段はイギリス紳士もびっくりなくらいにジェントルマンなのに、布団の中ではライオンさんになるんだからぁ。……でも、そんなパパがス・テ・キ❤」「ママァ!」「パパァ!」(その後、子供の目をはばかることなくイチャイチャ……)
……いかん。不必要なことまで思い出してしまった。
頭を左右に振り、考えを吹き飛ばす志具。なにはともあれ、志具はそんな両親を反面教師にした結果、こんな性格になってしまった。そのことに親にケチをつけるつもりはないが、もう少し自重してほしいとは、常々思っていた。
そんな自重しない両親――おそらく父親からのもの――の手紙には、まだ続きがあった。
『さて、僕たちの熱い絆を確認し合ったところで、そろそろ本題に入ろうか。なに、そんなかしこまることはないよ、志具君。肩の力を軟体動物のように抜いて、リラックスして読んでくれたまえ。
実はパパ達、ちょっと仕事上の都合でしばらく志具君とは音信不通になりそうなんだ。具体的なことは仕事上のセキュリティとかに関わるから言えないけど、なあに、志具君ならひとりでも大丈夫だよね☆
日常生活に不都合がないくらいにはお金を毎月口座に振り込むつもりだから、安心してね。……って、安心できるかボケェ! って志具君のツッコミが飛んでくるのが目に浮かんでくるよ。これも息子を想う愛の力ってやつだね♪
そんな志具君のために、パパたちはひとつの策を打って出ることにしたよ。おお! 策って言葉を使うと、なんだか妙にドキドキ感が増すよね。さて、そんなワクドキ感を感じながら、その策とやらを発表しましょう!
志具君が僕たちがいない生活に淋しさを感じることなく、ワクドキ感が存分に味わえ、かつ張りのある生活を送れるようにパパたちが考えたその策とは……!
そうだ。志具君のもとに、許婚を送っちゃおう。
ババアアァァァァン! どうかな? 志具君、すっごい妙案でしょ?
実はねパパ達、志具君には内緒で、許婚をつくっておいたんだ。だって志具君、クールと言ったら聞こえがいいけどぶっちゃけ性格暗いし、女の子との縁がないように思えるんだMON☆ このままいったら間違いなく人生の負け組、一生童貞の道を突き進むんじゃないかと思って、勝手にこっちで用意しちゃいました♪ きっと志具君も気にいると思うから、その娘ことキャッキャウフフな勝ち組ロードを歩んでね♪ よ・ろ・ぴ・く❤
パパとママより
追伸 夜のお遊びをするときは、ちゃんと節度とマナーを守ってね♪ 許婚だから、既成事実なんて、つくらなくていいわけだし』
……なるほど。色々とツッコミを入れたいところはあるが、大体の事情は呑み込めた。
要は自分の知らないところで親が勝手に息子の将来の相手を用意していて、自分たちが戻らない間、その子と暮らせと、そういうことらしい。
「どうだ。納得したか?」
志具が手紙を読み終えた頃を見計らって、ななせが言ってくる。納得した。納得したくはないが、現実は自分ひとりが否定したところで変わることはない。ここは素直に現実と向き合うことにする。それがこの十五年間の人生で、学び、実行してきた道だ。
ただ、少女に訊きたいことがあった。
「納得したかって…………君はそれでいいのか?」
「なにがだ?」
「こうやって許婚に決められて、反対の意志とかはないのかって言っているんだ」
志具の問いかけにななせは、「ん~……」と考えること数秒、
「ない。だってお前の許嫁になるって決めたのは、他ならぬあたしだし」
「どうして? 会ったこともない相手を、どうして生涯のパートナーにするって決めたんだ?」
「そうだなぁ……。はっきり言えば、信用できると思ったからだ」
信用? 会ったことのない人間に対して、信用も何もないと思うが……。
そう思う志具に、ななせは言葉を続けた。
「実はあたし、お前の両親には何度か世話になったことがあるんだ。そのときにお前の話をよく聞かされてな。変に生真面目で曲がったことが嫌いで、クールを気取ってはいるけど内心では誰かのぬくもりを期待しているってね」
ずいぶんとまた……勝手なことを吹聴してまわっているのだな、私の親は……。
今度会ったら文句のひとつでも言ってやらないといけない、と志具。ただ、哀しいことに、彼女の言っていることを全否定する気にもなれなかった。それは志具の心のどこかで、あながちでたらめでもない、という思いがあるせいだろう。だからこそ、文句を言ってやりたいのだ。他人に知られたくないことを、こうも平然と言ってのける親に。
――……まあ、それは今は置いておこう。
「それだけ聞いて、私の許嫁になると決めたのか?」
「まさか。もちろん、それだけじゃないさ。お前の両親はバカップルだったけど信用できる人間だったし、その信用できる相手の息子なら、こっちとしてもある程度信頼できるかなって、思ったのさ」
以上が、ななせの言い分だった。
正直、志具は驚いていた。……というのも、自分の親がそんなに信頼されている人物だったということだ。少なくとも、息子の許婚をひとりつくる分には。
志具はしばらくの沈黙をもって、口を開く。
「……なるほど。君の言い分はわかったよ」
「そうか。じゃあ、これから仲良くやろうぜ!」
そう言って志具の隣に行き、肩をバンバンと叩く。……が、途中で志具が身を逸らし、ななせのその攻撃を避けた。
「どうした?」
不思議がるななせ。彼女としては、スキンシップのつもりなのだろう。
だが、志具の話は終わっていなかった。
「私は君の言い分は理解したつもりだが、だからといって許婚をおいそれと受け入れるつもりはない」
「どうしてですか? 使用人のわたしが言うのもなんですが、ななせ様は容姿端麗、頭もそれなりに良くて、家柄も悪くは――」
「私が言っているのは、そんなことではないさ」
先ほどまで沈黙を続けていた菜乃が、自身の主のフォローに入るが、志具はそれを言葉で制止させる。
「じゃあ、なんでだ?」
首を傾げるななせ。
そんな彼女に、志具は言葉を詰まらせる。なぜなら、自分の言い分は自分勝手なものだということを、ある程度自覚しているからだ。
口を閉ざす志具に、ななせは不思議そうな眼差しを向けていた。……が、不意に口の端を片方吊り上げる。「ニヤリ」という表現がしっくりする、向けられた者にとっては、嫌な笑み。
しかし志具は不幸なことに、その表情に気づくことができなかった。というのも、話すべきか否か胸中で悩み、ななせから視線を逸らしていたためだ。
ななせは意地が悪い笑みを一瞬浮かばせた後、
「も、もしかして……あたしじゃ満足できないのか?」
ななせはさも驚いたとばかりに、そう言った。
突如として放たれた彼女の一言に志具は、「は?」とばかりに口をぽかんと開けた。菜乃もわけがわからないとばかりに自身の主の様子を見ていたが、ななせから送られてきたアイコンタクトで、これから何をしようとしているのかということを瞬時に察する。長い付き合いだからこそできる芸当だった。よって事態が呑みこめないのは、志具ひとりだった。
「そうかそうか……。お前はもっと高望みするのだな。いや、いいんだ。お前もなんだかんだ言って健全な男の子、自分の彼女にしたい異性は、なるべく美人で気品あふれる人のほうがいいんだってことはわかっているつもりだ」
「あの……君はいったい何を……?」
事態が呑みこめない志具は、ななせにそう問いかける。
だが、答えたのは、彼女の使用人である菜乃だった。
「決まっているじゃないですか。志具様の女性癖のことですよ」
「じょ、女性癖?」
はい、とにこやかな菜乃。その微笑が、どうしてか志具には怖いものに見えた。直感で腹の底に一物抱えていると把握するのは、見事というべきか……。
「要するに志具様は、ななせ様よりも美人で気品に満ちて、自分の思い通りのことをしてくれる従順なペットのような女性が好みなんですよね?」
「いやいやいや! 誰もそんなこと言ってないぞ」
「ではどうして志具様は、あのとき言葉を詰まらせたのですか?」
「それは……」
「やっぱり自分の理想としている彼女像とななせ様が離れているからでしょう?」
「違う! そんなことではない!」
必死に否定する志具。そのとき、彼は見た。しどろもどろになり、何か助けがないかと部屋を見渡した際、ななせが底意地の悪い笑みを浮かべているのを。
これは……遊ばれている!
そのことを察した志具。だがもう遅い。話はどんどん進んでいく。
「確かにななせ様は、日本古来の大和撫子像と比較したらお淑やかさと従順さには欠けるとは思いますが……だからといって自身の従順なペットになれというのはどうでしょうか?」
「いやいや、誰もそんなこと言ってないぞ!」
「いい……、いいんだ志具。否定しなくてもいい。誰にでも知られたくない性癖はあるもんな。従順な彼女を手に入れて、自分がしたい様々なシチュエーションで夜の遊びをしたいと、そう思っているのだろう、志具よ」
だけど、安心しろ、とななせ。
「あたしはさっきも言ったけど、男に尽くすタイプだ。お前がそのような女が好きだというのなら……努力しようじゃないか」
「思っていない! 思っていないから!」
なんだか徐々に話の論点がずれていっているのだが、当の本人には焦っているため気づいていない。
わけのわからない話は徐々にエスカレートし、最終的に志具は、
「わかった! ちゃんと言う! 言うからそれ以上はやめてくれ!」
心労多くして折れるしかなかった。
ななせは「よしっ」とばかりに口元を吊りあげ、底意地の悪い表情をしていた。菜乃も上品に手をあてて口元を隠しているが、おおよそななせと同じように口元を緩ませているということは、容易に想像がついた。
女二人にからかわれた挙句に折れるしかなくなってしまった志具は、屈辱が心の中に鉛のような重さをもってのしかかっていたが、これもしかたない。あのまま話を続けさせていたら、徐々にエスカレートし、あることないこと――主にないこと――を散々にしゃべられていただろうから。
「んで、どうして志具はあたしを許嫁として認めないんだ?」
話を切り替えるべく、ななせは再度、志具に質問を投げかける。
口を割ると決めた志具だったが、いざ言うとなる段階に至ったとき、少しばかりの逡巡を覚える。
口を一文字にしめ、沈黙をする志具を、ななせは口元を緩ませて今か今かと言葉を待っていた。
そんな彼女の姿を見て志具は、はぁ、と息を一度大きく吐いた。そしてリラックスした後、志具は固く閉ざしていた口を開いた。
「……私自身が、納得できていないからだ」
「……は?」
「だってそうだろ? 帰宅したらいきなり見ず知らずの人がいて、その人からいきなり許婚って言われたところで、納得できるわけがないだろう」
「要は、気持ちの整理ができてないってことか?」
「まあ……そういうことだ」
素直に志具は肯定するものの、自分勝手なことだと心のどこかで感じていたため、ななせを直視することはできず、視線が明後日の方向に移動する。
志具の気持ちを聞いたななせは、ふ~ん、と頷くと、
「な~んだ。そんなことだったのか」
つまらないなぁ、とばかりにそう言ってみせ、後頭部の後ろで手を組み、ソファにばたりと倒れ込んだ。
そんなことか。そんな言葉で一蹴されるとは思っていなかった志具は、目を丸くさせ、きょとんとさせた。
そんな彼に、ななせは言葉を続ける。
「お前ってさ、なんていうか変なやつだな」
「へ、変って……」
「だってそうだろ? 勝手に上がり込んでるのはこっちのほうなんだぞ。この家の家主であるお前が、いちいちそんな風に気難しく考える必要なんてないじゃないか。なんだったら家主権限で、あたしらを外に追い出しても、あたしらは何の文句も言えないし」
「……じゃあ訊くが、君たちは私に出ていけって言われて、ちゃんと出ていくか?」
「いんや」
即答か。だがまあ、予測できていた返答だ。
……というか、家主の目の前でソファに寝転がってリラックスしているとは、なんて人なんだろうか。普通、ちゃんと座って人の話を聞くものだろうに……。志具はななせのその剛胆というべきか、あるいはモラルに欠ける行いに、呆れと感心を感じずにはいられなかった。
そんな志具の心中などどこ吹く風とばかりに、ななせは言う。
「まあ、あたしとしても、お前に初めっから認めてもらおうだなんて思っちゃいないさ。これから認めさせてみせるから、覚悟しておけ、志具」
挑戦的な笑顔と一緒に、ビシッと人差し指を突き付けられる志具。どうやら本当に、家から出ていくつもりはないようだ。それどころか、許婚と認めてもらうべく、何かをしようという気概が感じられる。
「ああ、そうだ。後、言わなくてももうわかっているとは思うけど、あたしらここに住むからな」
「……は?」
「なんだ? その素っ頓狂な声は。当たり前だろ? なにせ許嫁と――」
「そのメイドなんですから」
「一緒に住んで当然だろうが」
二人の発言に、志具は口を半開きにさせる。……が、考えていればもっともだ。実際、志具は二人の言動から薄々そうなるのではないかという嫌な予感はもっていたのだ。
だが……まさか、本当に現実のものとなってしまうとは……、
「というわけで、これからよろしくな」
「よろしくお願いします」
快活なななせの笑顔と、やんわりとした菜乃の笑顔。だが、その両者の笑顔には、してやったり、という確信犯的な匂いを醸し出していた。
――まんまとはめられた感がすごいな……。
今さら抜け出そうにも、すでに手遅れだと、志具はその怜悧な思考から悟っていた。打開策がない以上、受け入れるしかない。
志具はななせと菜乃、二人を交互に見て、はぁ~、とため息をひとつついた。
もう、どうにでもなれ。――そんな投げやりな気持ちが、志具の中に出てくる。
「……そういえば」
とここで志具は、危うく聞き忘れてしまいそうになっていた事項を思い出す。
だが、ななせのほうは、志具がどんな問いかけをするのか、予測していたらしい。
「今晩の件のことについて、だろ?」
ずばり言い当てられ、志具は閉口する。
口を閉じたのは、なにもそれだけが理由ではなかった。
ななせの表情が、先程とは打って変わり、真剣な色を帯びていた為だ。それはあのときの凛然さ、志具が思わず心臓の鼓動を高めたときの表情と雰囲気だった。
「さて、どこから話すべきか……」
思案顔でそう言うななせ。彼女の態度から、話の重要度を察することができる。もしかすると、ここに来るまでに、ななせも話す準備というものをしていたのかもしれない。
沈黙の時が流れることしばらく。ようやくななせが口を開いた。
重苦しく開かれた彼女の口。そこから紡がれた言葉に、志具は愕然とする。
「単刀直入に言うぞ。――志具、お前は……命を狙われているんだ」
志具は文字通り絶句した。言葉が口から出てこない。
なにかの悪い冗談か? 一瞬本気でそんなことを考えた。あまりにも現実からかけ離れていたために。
しかし、ななせの顔を見ると、冗談などではないことがわかる。
本気だ。彼女は本気で、そう言っているのだ。
「……どうして……?」
かろうじて喉奥から絞り出した言葉はそれだった。
衝撃を受けている志具に、ななせはさらに言葉を続ける。
「それを話すには、あたしの正体も明かさないといけなくなるんだが……まあ、近い将来ばれるだろうし、これを言わないと話が進まないから、言わせてもらうぞ」
ななせはじっと志具に目を向ける。それはどこまでも真摯なものだった。
その眼差しをもって、ななせは言った。
「あたしは……『銀の星』という魔術結社に所属している魔術師なんだ
「魔術師?」
志具はその単語を反復する。
魔術師。それはよく、ファンタジー作品やお伽噺に登場する、異能の力を行使する人たちの総称だ。
「……万条院。アニメやマンガの話なら、今はよしてくれないか」
志具は、自分の幼馴染で、アニメやマンガといったサブカルチャーが好きな女の子のことを、思い出していた。
「悪いが、あたしのしようとしている話は空想のものじゃないぞ。現実だ」
ななせの顔を見る。そこには相変わらず真剣な表情があった。決して、なにかをごまかしたり、冗談を言うような顔ではない。それは表情だけでなく、彼女から放たれている気迫からもわかった。
つまり……これも本気で言っているのだ。命が狙われている、と発言したときと同じように。
だけど、今回自分が出くわした事件のことを考えると、そのこともなんとなしに受け入れることができる。
常識外れの化け物蜘蛛に、彼女が所持していた紅蓮の炎に包まれていた剣も、それらが「魔術的ななにか」だとするならば、なんとなしに解決できる。
もっとも、それでも魔術というものを否定したがっている自分が、どこかに存在しているのは確かだったが……。
「そうか……」
「反応が薄いなぁ。もっとこう……驚かないのか?」
「いや。これでも驚いているぞ。ただ表に出ないだけだ」
冷静に言葉を返す志具に、ななせは「なんだ。つまらないなぁ」と不満そうに口をとがらせる。志具の驚愕する顔を見てみたかったらしい。
実を言うと、そうしたかった。……が、ここで変な意地が働いてしまったのだ。
どうにも彼女たちと出会ってからというもの、自分は狼狽している姿しか見せていないような気がする。それが嫌だった。
なので、感情を抑え、ポーカーフェイスを気取ることにした。志具自身、その行動が大人びた子供のするものだと感じていたが、そうでもしないとやっていられなかった。なにより、形だけとはいえ、そうすることで本当に頭が冷えていくような感じがするのだ。それは志具がこれまでの人生の中で、経験から培ってきたものだった。
「それより、話の続きを」
「ああ、そうだな……」
コホンと咳払いをし、話を再開する。
「あたしの家は代々、魔術師の家系でな。あたしは魔術結社で魔術師になるための研鑽を積んでいた。あたしの所属している『銀の星』っていう結社は、いくつかの位階があってな、ひとつ上の位階の人がひとつ下の後輩の面倒をみるというシステムを採用していているんだ」
ただ、とななせは言う。
「あたしは特例で、自分よりもはるかに位階の高い人から、魔術の勉強をさせてもらっていた。そのあたしの師匠ともいうべき人が――お前の父親だ」
「私の……父?」
「ああ。お前の父親は、『銀の星』の中でもトップクラスの凄腕の魔術師だった。そんな人から、どうしてあたしが特例で魔術を教わっていたのかは、あたしにもわからない。一度だけそれを訊いてみたけど、うまくはぐらかされてしまってな」
ただ、すごい人だったよ、とななせは感慨深くそう言った。
「そうそう。お前の母親も、『銀の星』の者だったんだぞ。お前の父親ほどじゃなかったけど、それでも優秀な魔術師だったんだ。時々一緒になって魔術の勉強をさせてもらったんだ」
母もか……、と志具は心の中で呟く。
なんてことだ。自分の親二人ともが、そんなとんでも職業だったなんて……。しかも自分は、そのことに全く気付いていなかった。……ということは、両親が海外に飛び回っていたのも、その魔術結社関連の仕事をしていた為なのか……、と志具は察した。
親に対する驚きと、それに気づかなかった自分の無能さを呪う志具。
話はさらに続く。
「あたしはそんな二人のもと、立派な魔術師になるために修業していた。――そんなときさ。お前の父親があたしに頼み事をしてきたんだ。『もし自分たち二人に何かあったとき、代わりに僕たちの子供を護ってくれないか?』ってな。――いきなりだったから、あたしも戸惑ったんだけど、あのときのお前の父親の真剣な顔を見ていたら、断るなんてとてもじゃないけどできなかった。そのときさ。お前の写真を見せてもらったのは」
言ってななせは、菜乃から一枚の写真を受け取り、それをテーブルの上に出した。そこには中学生になったばかりの志具の姿があった。学校指定の制服に身を包み、仏頂面の自分の写真が。志具の左右には父親と母親が満面の笑顔で顔を自分の息子に近づけてピースサインを取っていた。シャッターは、近所の友人に押してもらったものだ。志具はそう憶えている。
今こうして見ると、自分は本当に愛想がないな、と志具は思った。
「あたしはいつか会うかもしれない師匠の息子のため、そして自分のために修業を積んだ。厳しくもあり楽しくもあり、時々お前の父親から『僕の息子の嫁になってくれよ』みたいなことも言われたり……。そんな充実した時間が流れて行った。できればそんな時間がいつまでも続いてほしい。そう思っていた……」
ななせの声色が変化していくのを、志具は感じ取っていた。
ここからだ。本題は。
志具は写真から視線を外し、ななせを見る。
「今から三カ月ほど前だ。あたしに一枚の封筒と報せが届いた。封筒というのは、あたしがここに来たときに、お前に渡したものだ。そして報せのほうが――」
言葉が詰まる。言うべきかどうか、悩んでいるのだろう。
そこから判断するに――あまりいい報せではなさそうだ。
数秒の間を置き、ななせは言った。
「とある任務中に、お前の両親が行方不明になったというものだった」
行方不明。
その言葉を聞いたとき、志具は自分の脳が揺さぶられる感覚を得た。
いい報せではないと思っていた。覚悟はしていた。
それでも、衝撃的だった。
かろうじて男の意地で、志具はその動揺を表に出さないように努めた。うまくいったかどうかは……志具にはわからなかった。
「あたしも信じられなかった。だけど、それは紛れもない事実だった。それ以来、お前の両親はあたしのところに来てくれなくなったからな……。そのとき頭に浮かんだのは――志具、お前のことだ」
一息の間。
「あたしは師匠から受けた約束を果たさないといけないと思った。今まで受け取った恩を返すためにも、お前はあたしが護らないといけないと思った」
だけど、と逆接がつく。
「なにせいきなりのことだったから、準備が必要だった。その準備にかかった時間というのが――」
「三ヶ月、というわけか……」
「ああ。実のところ、本当はもっと時間をかけたかった。本当はこんな押しかけのような形をとらないで、時間をかけてお前とある程度面識をもってから、一緒に暮らそうと考えていた。だけど、そうも言ってられない事態になったんだ」
というと? と、志具はななせに視線で尋ねる。
とはいえ、志具はおおよその見当がついていた。言わばこれは、その推測が正解かどうか知るための確認行動だった。
ななせは志具の顔をまっすぐに見据え、そして言った。
「あたしの家の者総出でお前の両親のことを探していたら、お前を始末しようとしている輩がいるということを知ったんだ。それが、ここに来る一週間ほど前のことだ」
やはりな、と志具。今度は覚悟を決めていたということもあり、動揺は少なかった。それでもやはり、来るものは来る。
志具はななせの話に、耳を傾ける。
「それを聞いたあたしは、一刻の猶予もないと感じた。すぐに必要最低限の支度を済ませて、あたしはここに来たんだ」
「許嫁という保険をもってか?」
「……!」
志具の言葉に、今度はななせが息を呑む番だった。
ここでぶつけられることとは思っていなかったのか……、と志具。だが、それは詰めが甘いというほかない。
なるほどな、と志具は納得する。だいたいの内容が、彼の頭の中でまとめられつつあった。
自分は命を狙われている。
さらに、自分の両親は魔術師であったということ。
そして……ななせがいう許嫁というのは、嘘である可能性が高いということ。
……いや。嘘というのは言い過ぎか。現に親の手紙には、彼女のことを許嫁と認めるような文面が記されていたし……。
だが、それを彼女自身が納得しているのかどうかというのでは、また別問題だ。
ななせは口振りではああ言っていたが、許嫁になりたい、というよりは、護らないといけない、という使命感から、自分に接触してきたのではないか。――志具は、そう解釈した。実際、そちらのほうがしっくりくるように思えるのだ。
口ごもり、言葉を詰まらせるななせに、志具は茶を飲んだ後、言った。
「安心しろ。私は怒ってなどいない。その程度で怒るほど、私は心の狭い人間ではないからな」
淡々とそう言ってみせた。
その言葉は本心だった。清々するというものだった。
ななせが何か言いたげにしていたが、それは多分「ごめん」とか、そういった謝辞だろう。わざわざ聞くまでもない言葉だ。
ふと志具は、菜乃の視線を感じた。一瞥すると、菜乃は志具のことを、申し訳なさと、どこか彼を非難するような目で見つめていた。
その意図をうまくつかめない志具。追求したかったが、それよりも志具にはまだななせに訊きたいことがあった。そちらを優先させることにする。
「……だが、そうなると私の両親は、どうして私にそのことを言わなかったんだ? 自分たちは魔術師だと」
僅かに気になった事柄。
それにななせは、答えを提示する。
「それは、お前に魔術師になってほしくなかったからさ」
「私の両親から聞いたのか?」
「ああ。父親からな」
そうか……、と志具は頷きとともに、茶を飲む。
どうして魔術師になってほしくなかったのか。その理由も聞きたかったが、なんとなしに推察ができてしまったため、訊かないでおいた。
「あと…………これはあたしも、曖昧にしか話されなかったんだけど……」
「……? なんだ?」
ななせが言いよどむ。確信づかない話はしたくない主義なのだろうか。
それでも気になった志具は、ななせに次の句を言うように促す。
「……お前になにか預けたものがあるらしい。それを他の者に知られたくないのだとか」
預けたもの? と志具は首を傾げる。
両親から預けられたものといわれて、心当たりのあるものは、今住んでいるこの家くらいだ。留守しがちの両親に代わって、志具が家主となっている。
だが……、と志具。親の言っている「預けたもの」とは、この家でないことは明らかだ。もっと別の……おそらく、魔術的ななにかを、自分に預けたものだと思うのだが……。あいにくと志具には、皆目見当がつかなかった。
ななせも志具が知らないことを察したのだろう。追求するようなことはしてこなかった。
「……重ね重ね悪いが、次の質問いいか?」
「ずいぶんと訊きたいことがあるんだな、お前」
やや呆れた様子のななせ。だが、そんな彼の心情を察しているのか、それ以上は何も言ってこなかった。それは同時に、質問をしてもいいという許可をしているという表れでもあった。
「私の命を狙っている犯人の目星はついているのか?」
「だいたいはな。ただ、特定はまだできていない」
「それでもかまわない。教えてくれ」
ななせは志具の瞳を見つめる。瞳から彼の思惑を読み取ろうとするかのように。
数秒の間を置き、ななせは口を開いた。
「お前は、最近この町で発生している辻斬り事件を知っているか?」
辻斬り事件。その事件は今、志具の住まう町――
時間帯は夜。人気のない道を歩いていると、突然斬りつけられるという事件が頻発しているのだ。
それも、斬りつけるために使用しているのが片手に収まるナイフではなく、日本刀。れっきとした刀でだ。
現代社会で起きている辻斬り事件の物珍しさに、日中はテレビ局関係の人たちが取材によく訪れている。
斬られた人に犯人の特徴を聞き出そうとしても、如何せん姿をほとんど見ていないのだ。闇夜にまぎれて通行人を次々斬りつけているらしい。
また、この事件には奇妙なことが起きていた。
運よく犯人の姿を見つけ、その犯人像を追跡した結果、その相手が辻斬り事件の被害者だった、というケースが起きているらしい。それも一件ではなく、今のところ五件ほども。五件と言えば多いと思われるかもしれないが、斬られている人は、最低でもその十倍以上はいる。
そのいずれの件でも犯人はそれぞれ別人の上、「斬られた」という点を除けば共通点がなかったりするため、捜査は困難を極めているらしい。その上、いずれの犯人も、人を斬ったことを憶えていないのだから、なおさらだ。連日流されるニュースを観る限り一応、嘘発見器なるものにかけているらしいのだが、いずれも嘘をついているわけではないらしい。
そんなちょっとした猟奇事件が、この留美奈町を中心に起きているものだから、この町にいる学生や働いているサラリーマンなどは、普段よりも早く帰宅している。
今晩、コンビニの行き帰りの際、人と全く出会わなかったのは、この事件が原因なのかもしれないな、と志具は今さらながらに思う。
「……その事件の犯人が、私の命を狙っていると?」
「あくまで可能性だ」
「なにか根拠でもあるのか?」
志具は訊く。根拠もなしに疑うのは、彼の性分ではないためだ。もし、何の根拠もなしに言っているのであれば、たとえ事件が凶悪なものであろうと、関連付けて考えるのは早計というものだろう。そういうことは浅知恵しか働かない人間のすることだ。
「根拠……といえるかどうかはわからないが、情報がある。それもかなり信用できるところからのものだ」
「警察にコネでもあるのか?」
事件に踏み込んだ内容となると、一般人にはテレビや新聞で与えられるもの程度しかない。それ以上の情報となると、事件に携わった者にしかわからないはずだ。
ななせは、まあな、と頷き、ちらりと菜乃を一瞥する。志具もつられて彼女を見ると、菜乃はにこりと微笑んだ。
彼女が? と志具。にわかには信じがたいが……。
菜乃に訊いてみようと口を開こうとする志具だったが、ななせの「話の続けていいか?」の言葉で、本筋から逸れることをやめることにする。菜乃のことは、機会があったときに改めて訊けばいい。そう思って……。
「それで、もらった情報を見てみたんだけど……実は、心当たりがある」
「心当たりというのは、犯人にか?」
「いや。今回の事件に使用されている凶器――『アーティファクト』についてだ」
「アーティファクト?」
聞きなれない単語が出てき、志具はその単語を反復する。……まあ、十中八九魔術関連の用語なのだろうが……。
その疑問を嗅ぎつけたななせは、説明を開始した。
『アーティファクト』。通称、『時代錯誤の遺産』とも呼ばれている。
大昔の高位の魔術師たちが創り上げた、魔導具の総称。そのひとつひとつに強大な魔力が秘められている上、扱いが非常に難しい。その上一部の『アーティファクト』は神格化しており、己の意思をもっていることすらある。
悪用されるのを恐れた後の魔術師たちは、各々に魔術結社を設立し、『アーティファクト』を見つけ次第、各結社で封印、保管するようになった。
「この町で起きている事件には、この『アーティファクト』のひとつである妖刀――『村正』が使われているはずだ」
「村正?」
「ああ。名前くらいはお前だって聞いたことがあるはずだ。血に飢えた妖刀としてな。一説では『川に突き立てると、流れてきた木の葉が吸い込まれるように寄ってきて、自ら真っ二つになる』と言われているほどだ。――そもそもそう言われるようになったのは、徳川家の者が次々と『村正』で殺害されたのが原因なんだ。徳川家康の祖父と父は家臣に殺されたんだけど、その際に使われた凶器が『村正』。さらに家康の嫡男が謀反の疑いで死罪となったとき、介錯に使われたのも『村正』なんだ。……まあ、その際使われたのは『村正』の影打かげうちなんだけどな」
「影打?」
「日本刀を打つときは常に何本か試しに打ってみるわけなんだけど、その中で一番出来のいいものを真打しんうちって言って、他の出来の悪いものを影打と言うんだ。徳川家に使われた『村正』は全部影打で、真打のほうは使われずに別の場所で保管されていたんだ。――『村正』の真打と影打はちょっとしたネットワークが築かれていてな、影打が浴びた血を妖力に変換して、ネットワークを介して真打に蓄えられるんだ。真打はそうやってどんどん力をため込んでいって、やがて『アーティファクト』と認定されるほどまでの力をつけたんだ」
ななせの話は続く。
「表向きに公開されている『村正』は全部影打なんだ。如何せん、真打のほうは膨大な力を蓄えられていて危険でな、盗まれたときの被害が甚大になると踏んでのことなんだ」
「……ということは、本物は別の場所で保管されているのか?」
「ああ。保管……されていた」
されていた。
その言葉がなにを意図しているのか、想像に難くなかった。
「『村正』は『銀の星』で管理、保管されていたんだけど……。三ヶ月ほど前に、何者かが『村正』を盗み出したんだ」
案の定というべき言葉だった。
だが、その他に気になるものが入っていた。
三か月前。
ちょうど、ななせのもとに志具の両親から報せが届いた時期と一致している。偶然……というには、あまりにも出来過ぎていた。
なるほど……、と志具は納得する。彼女が自分の命を狙っている輩と今回の事件を結び付けたがる理由が。
そうして志具の脳裏に浮かぶは、今回の事件は決して他人事ではないという考え。
「今結社でもその足取りを追おうとはしているんだけど……如何せん手がかりがほとんどなくてな、途方に暮れていたんだ」
「――で。そんなときにこの町で、謎の辻斬り事件が起きていたと」
「ああ、そうだ。その上この留美奈町にはお前もいた。おそらく、今日襲ってきた土蜘蛛も、犯人がけしかけてきたものだろうな」
じっと、真剣な眼を志具に向けるななせ。土蜘蛛、というのは、あの巨大な化け物蜘蛛のことを言っているのだろう。
――これは……認めざるを得ないな。
信じたくはない。認めたくはないが、現実から目を逸らしたところで現状がよくなるわけでもない。むしろ、認めた上で対策を練ったほうがよほど建設的だ。
「まったく……。結社のほうも、もう少しセキュリティを強化するべきだぜ。これで二度目なんだから……」
「二度目って?」
「いや、『アーティファクト』が盗まれたのがだよ。たしか……八年くらい前にもあったらしいぞ。たしか……『グラム』だったかな?」
「グラム?」
ああ、とななせは頷くが、それ以上の言葉は言わない。そこまで深くは教えてはならない、とでも思っているのだろう。実際、言ってしまった後の彼女の顔は、「しまった」と言わんばかりのものだった。
「……万条院。私はこれからどうするべきだ?」
志具は今後の方針を固めようと、そんな言葉を紡いだ。正直、志具ではどうにもならない事態だ。魔術なんて異端の力に対処できる力を、志具にはもちえていなかった。あくまで志具は今まで、ただの一般人として育ってきていたのだから……。
「安心しろ。いざというときは、あたしがちゃんとお前を護ってやる。そのためにあたしはここに来たのだからな」
口の端を緩めるななせ。それは、相手のことを思いやっている、見れば不思議と落ち着けるような、そんな笑みだった。
頼りがいのある笑みに、志具の心は少し軽くなった気がした。自然と安堵の笑みが浮かぶ。
「ふふ、どうしたどうした志具よ? さてはあたしに惚れたか? 今度こそ」
「違う! 断じて違うからな!」
即座に否定する志具。そういった感情とはまた別物だ、今回のは……、と志具。
ふ~ん、とニタリと笑うななせ。先程の信頼できる笑みはどこにいってしまったのだろうか?
「……ま、そういうことにしといてやるよ」
そういうことにしといてやるよ、ではなく、そういうことなんだ、と志具は心の中でツッコミを入れておく。口に出して言わなかったのは、これ以上この場を乱したくなかったためだ。
「ふふふ、ななせ様。わたし、なんだか楽しみになってきちゃいました」
「奇遇だな、菜乃。あたしもだ」
二人で顔を合わせ、含み笑いをし出す。なにやら裏取引が行われている現場に居合わせているような心情に、志具はなった。取引に使われているものが、他ならぬ志具じぶんなのだから、性質が悪い。
――なにやら……大変なことになりそうだな……。
げんなりとした心持になる志具。その彼の嫌な予感は、良くも悪くも当たってみせるのだった。
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