神奇世界のシグムンド
青山モカ
第1章 群集を築く妖刀
プロローグ
冷静でどこか超然とし、怜悧な容貌に見合うほどの頭脳の明晰さをもっていた。その上、運動神経も決して悪くない。グレードが高い人間だと判を押されてもいいだろう。
どんな物事に直面しても、だいたいのことには動揺を見せることはなかった。涼しい顔で物事を順次に解決してみせ、その上品行方正なために、先生たちのうけも悪くなかった。
なので志具自身も、ちょっとやそっとの事態には、平静に対処してみせる自信があった。
そんな彼は今、目の前の事態を、ただただ唖然とした様子で眺めていた。
時刻は午後八時の夜。
場所は、近所にある公園だ。普段は小さな子供たちの喧騒と、近所の主婦たちの井戸端会議場となっているそこは、今は戦場と化していた。
志具の眼前――距離にして十メートルほど先には、異形の怪物がいた。
フォルムは蜘蛛だった。ただ、その大きさが尋常ではなく、全長五メートルほどもある。体色は土のようで、顔は八つの目がついた鬼のそれだった。胴体は虎の模様をしており、そこから八本の長い脚が伸びていた。
……いや、もともとは八本の脚だった、というべきか。その内の一本は、関節部分から切断され、緑色の体液をぼたぼたと流していた。落とされた脚は、公園の隅っこに、まるで枯れ木のような佇まいでそこにあった。
蜘蛛の脚を斬り落としたのは、志具ではない。志具と巨大蜘蛛の間に位置している少女がしたのだ。
明るい茶色の髪はセミロング。快活そうな光をもった瞳は,、今は険に満ちていた。顔立ちは、まるで名匠によってつくられた人形のように、綺麗に整っていた。
……いや、顔立ちだけではない。体躯のプロポーションもティーンズファッション雑誌のモデルのようだ。出るところは出、引き締まるべきところはしっかりと引き締まっている。間違いなく彼女は、美少女の枠に入る逸材だ。
そんな少女は、一振りの剣を両手で構えていた。
刀身の長さは90センチほど。半透明の刀身は赤く、炎のように常時揺らめいている。
それを正中線に構え、少女はまっすぐ、巨大蜘蛛を睨み付けていた。
――何が……どうなっているのだ?
志具は目の前の状況が理解できなかった。いや。そもそも、どうして自分はこんなことに巻き込まれているのか。自分はただ、夕食の弁当を買いに、近所のコンビニまで買い物に行って、自宅に帰ろうとしていただけだというのに……。
志具の思いを裏付けるように、公園の隅にはビニール袋に入ったコンビニ弁当が無造作に放り出されていた。
簡潔に言ってしまえば、帰宅中に突如、あの巨大蜘蛛が出現。襲い掛かってきたので、逃げていたところ、少女が登場。
そして、現在の状況に至る。
「……志具、大丈夫か?」
「……!? どうして私の名前を?」
背を向け、話しかけてきた少女に、志具は驚きの表情になる。何せ初対面の人間に、いきなり自分の名前を呼ばれたのだから。
その驚きを、声色で判断したのだろう。少女は「ああ、そういえばお前はあたしのことを知らないんだったな」と今思い至ったように言った。
だが、
「理由は後にしてくれるか? 今は――」
志具の疑問に答えるの後回しだと、少女は言うと、一層敵意のこもった眼差しを、
「こいつを片付けるのが先だ」
巨大蜘蛛に向けた。
少女は少し志具に振り返ると、目線で離れているようにと指示をする。このままだと足手まといになりかねない、と判断してのことだろう。志具は素直に従い、邪魔にならないように公園の隅に退避する。
瞬間、巨大蜘蛛が動いた。
蜘蛛は口から緑色の液体を、少女に向かって噴射した。
ふっ、と口元を緩ませる少女。左へと飛び退くと、すかさず蜘蛛との距離を詰めていく。
液体を噴射しながら、蜘蛛は照準を少女に調整しなおす。……が、彼女は狼狽えることなく、その都度照準より少し横にずれた位置を取り、接近した。
「――はあぁっ!」
巨大蜘蛛とのすれ違いざま、少女は炯々と紅く光る剣を、一文字に振るった。
一本だけ斬られていたものが、今度は残っていた三本同時に切断され、蜘蛛は金属が軋むような耳障りな叫び声を上げ、体勢を大きく崩した。
すかさず少女は、自分の眼前にある大きな腹部に剣を突き刺そうと振り返る。……が、もぞもぞと蜘蛛の腹が脈動したのを見、とっさに回避行動をとった。
少女の行動は吉と出た。次の瞬間には、蜘蛛の尻から白い糸を放出したためだ。
だが、目測を誤ったその攻撃は、軌道上にあった樹を蜘蛛の糸まみれにするに終わった。少女に狙いを定めなおそうにも、脚を斬られたために方向転換ができない。今や蜘蛛は、ダルマも同然だった。
じたばたともがきを見せる巨大蜘蛛をじっと見つめる少女。凛然としたその様に、志具は不覚にも見惚れてしまっていた。
目の前の状況が、現実では決して起こりえないファンタジーな出来事であることを、志具は忘れていた。
「図体だけでかくて、大したことはないみたいだな」
少女はそう言い放つと、剣を再び正中線に構える。
そして、
「今……楽にしてやる」
その言葉が発せられるや否や、少女の持っていた剣の刀身が、紅く輝き出した。紅い光はやがて熱となり、刀身を真っ赤に燃える炎で包み込む。薄暗かった夜の闇が、彼女の周りだけ一気にかき消された。
「行くぞ――
桜紅華――それはきっと剣の名前なのだろう、と志具は推測する。少女言葉に呼応するように、桜紅華は一層身にまとわせる炎の勢いを強くさせた。
距離が離れている志具にすら、桜紅華に宿った炎の熱が伝わってきていた。肌がストーブのすぐそばであてられているように熱く、炎は目が眩むほどに激しい光を発していた。
炎の剣を右側下段に構えると、少女は一足飛びで巨大蜘蛛との距離を詰める。
その速さ、熱風のごとく。
脇に構えていた剣を、蜘蛛とすれ違う際、渾身の力をもってななめに斬り上げた。
尻から腹、そして鬼のような顔の真ん中を、両断する。切断部は高温の炎で熱しながらだったためか、傷口が焼けて塞がっていたため、体液などは流れ出てこなかった。代わりに、肉と鉄の焼けた不快な臭いが漂った。
上と下とで分かれた巨大蜘蛛は、その巨体をズウウゥゥゥ……ン、と地面に倒すと、動かなくなった。動かなくなった巨大蜘蛛は、その身体を光で包み込むと、粒子となってその場から消えてなくなった。
それを見届けると、少女は「ふぅ……」と一息ついた。
「お疲れ、桜紅華」
剣に語り掛けると、桜紅華と呼ばれたその剣は、一度大きく燃え上がると、次の瞬間には姿を消していた。まるで塵となり、風となって飛ばされたように……。
少女を志具がじっと見つめていると……ふと、目が合った。そこで志具はハッと正気に戻る。同時に、先程までのファンタジーな出来事に関して、次々と疑問が湧き始めた。
志具はいたって頭のいい少年だ。だが、所詮はまだ子供。一度に怒涛となって押し寄せてきた数々の疑問に、彼の頭はパンク寸前だった。
もしかしてさっきのはすべて、自分が目を開けたまま見ていた夢ではないのか?――そんな考えまで浮かぶ始末だ。
だが……志具自身の本能が告げていた。――あれはすべて、現実に起きたものなのだと。
「よっ、待たせたな」
手を上げ、少女はいたって普通に、志具にそんな言葉をかけ、近づいてきた。
そんな少女を、じっと見つめる志具。
「……ん? どうした? あたしの顔に、なにかついてるのか?」
首を傾げる少女。
「い、いや……。そういうわけではなくてだな……」
かろうじてそんな言葉を返すも、それ以上続かない。
しどろもどろな志具を、不思議そうに見つめる少女。だが、ふと何か考えにいきついたらしく、ハッと表情を変えると、
「ははぁ~ん。なるほどなぁ……」
不意に、口元を緩めた。その微笑はどこか、意地悪な色を感じさせる……小悪魔的なものだった。
今度は志具のほうが首を傾げる番だった。彼女がそんな表情をする理由に、見当がつかなかったためだ。
「さてはお前……あたしに惚れたな?」
「…………………………は?」
なにを……言っているのだ? この人は。
ぽかんとしている志具をよそに、少女は芝居じみた照れくささを見せつつ、言葉を続ける。
「まあ無理もないことだな。巷ではかっこよくて守ってくれる強い女の子が人気みたいだし、その上あたしは美少女だし、お前が見惚れてしまうのも無理がないというものさ」
「自分で美少女って言うのか……」
「なんだ? 異論があるのか?」
訊いてくる少女。その瞳はどこか勝気な光が宿っていた。
志具は内心で歯噛みする。悔しいが……彼女の意見に文句が言えない。
口をむずむずと動かし、沈黙する志具。それを「異論なし」と解釈した少女は、白い歯を見せ、得意げに笑った。
「はっはっは~。あたしの勝ちだな」
「……あまり自分のことを、そのように褒め称えるのはどうかと思うけどな」
せめてもの噛みつきとばかりに、志具は言った。
「なんだよ~。不満なのか? せっかくお前の許嫁になる女だっていうのに」
「いや、不満って……そういう問題でな……い……?」
……ちょっと待て。この子、いまさっき、何と言った?
あまりにナチュラルに発した言葉だったため、思わず聞き逃すところだった。
「……今、なんて言った?」
「お前の許嫁になる女だっていうのにってやつか?」
やはり、聞き間違いではなかったらしい。
「ん? どうかしたのか?」
「いや、どうかしたもなにも……」
なんだ? どうして今日に限って、こうも次々と問題がやってくるのだ?
ただでさえ、先程の怪物との戦闘で疑問が尽きないというのに、ここにきて、さらに難題が突き付けられた。
頭が痛い……。悩み過ぎて頭が痛くなるという経験は本当にあるのだな、と志具は今さらながらに気づいた。
「……とにかく。私は君に訊きたいことが山ほどあるのだが……いいか?」
「訊きたいことっていうのは、初夜はいつにするか、とかか?」
「断じて違う! だいたい何なのだ! その許嫁というのは!」
とんだ言葉を返してくるな、この子は……。
自分のペースを乱されつつあるのを感じる志具。そんな彼をなだめるように、少女は言葉をかける。
「冗談だって。まったく、お前はホントに面白いやつだな~。あの人たちが言っていた通りのやつだ」
「あの人たち?」
「ああ。お前のご両親のことだよ」
少女はあっさりと白状する。
どうやらこの少女、自分の親と面識があるようだ。だが、いったいどこで……?
皆目見当がつかない志具。そしてまたひとつ、疑問が増えてしまった。これ以上問題を山積みにしてしまうと、頭がパンクしてしまいそうだ。
「まあ、色々と長い話になるだろうから、お前の家に行こうじゃないか」
「私の……家、だと?」
ああ、と笑顔で答える少女。さも当然だといわんばかりの態度だ。
正直、今この少女に逆らってはいけないような気がする。志具の直観が告げていた。
――……まあ、仕方ないか。
志具はそう思った。どの道、助けてもらった礼はしないといけないと志具自身、感じていたのだ。家に招き入れるくらいはいいだろう。どうせ話が終われば出て行ってくれるわけだし……。
その考えは、ある種の諦観からきているものだとは、志具も気づいていなかった。
「……なあ、ひとつだけ今、訊いていいか?」
「ん? なんだ?」
「君の名前は? いつまでもわからないのでは気味が悪い」
と、志具。
彼に指摘され、少女も「ああ~、確かにな」と納得してくれた様子。
すると少女は、咳払いをひとつすると、自分の名前を言う。
「あたしは
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