神奇世界のシグムンド

青山モカ

第1章 群集を築く妖刀

プロローグ

真道しんどう志具しぐは、高校一年生、若干十五歳というわりには、歳不相応に頭のきれる少年だった。

 冷静でどこか超然とし、怜悧な容貌に見合うほどの頭脳の明晰さをもっていた。その上、運動神経も決して悪くない。グレードが高い人間だと判を押されてもいいだろう。

 どんな物事に直面しても、だいたいのことには動揺を見せることはなかった。涼しい顔で物事を順次に解決してみせ、その上品行方正なために、先生たちのうけも悪くなかった。

 なので志具自身も、ちょっとやそっとの事態には、平静に対処してみせる自信があった。

 そんな彼は今、目の前の事態を、ただただ唖然とした様子で眺めていた。

 時刻は午後八時の夜。

 場所は、近所にある公園だ。普段は小さな子供たちの喧騒と、近所の主婦たちの井戸端会議場となっているそこは、今は戦場と化していた。



 志具の眼前――距離にして十メートルほど先には、異形の怪物がいた。



 フォルムは蜘蛛だった。ただ、その大きさが尋常ではなく、全長五メートルほどもある。体色は土のようで、顔は八つの目がついた鬼のそれだった。胴体は虎の模様をしており、そこから八本の長い脚が伸びていた。

 ……いや、もともとは八本の脚だった、というべきか。その内の一本は、関節部分から切断され、緑色の体液をぼたぼたと流していた。落とされた脚は、公園の隅っこに、まるで枯れ木のような佇まいでそこにあった。

 蜘蛛の脚を斬り落としたのは、志具ではない。志具と巨大蜘蛛の間に位置している少女がしたのだ。

 明るい茶色の髪はセミロング。快活そうな光をもった瞳は,、今は険に満ちていた。顔立ちは、まるで名匠によってつくられた人形のように、綺麗に整っていた。

 ……いや、顔立ちだけではない。体躯のプロポーションもティーンズファッション雑誌のモデルのようだ。出るところは出、引き締まるべきところはしっかりと引き締まっている。間違いなく彼女は、美少女の枠に入る逸材だ。


 そんな少女は、一振りの剣を両手で構えていた。


 刀身の長さは90センチほど。半透明の刀身は赤く、炎のように常時揺らめいている。

 それを正中線に構え、少女はまっすぐ、巨大蜘蛛を睨み付けていた。


 ――何が……どうなっているのだ?


 志具は目の前の状況が理解できなかった。いや。そもそも、どうして自分はこんなことに巻き込まれているのか。自分はただ、夕食の弁当を買いに、近所のコンビニまで買い物に行って、自宅に帰ろうとしていただけだというのに……。

 志具の思いを裏付けるように、公園の隅にはビニール袋に入ったコンビニ弁当が無造作に放り出されていた。

 簡潔に言ってしまえば、帰宅中に突如、あの巨大蜘蛛が出現。襲い掛かってきたので、逃げていたところ、少女が登場。

 そして、現在の状況に至る。


「……志具、大丈夫か?」

「……!? どうして私の名前を?」


 背を向け、話しかけてきた少女に、志具は驚きの表情になる。何せ初対面の人間に、いきなり自分の名前を呼ばれたのだから。

 その驚きを、声色で判断したのだろう。少女は「ああ、そういえばお前はあたしのことを知らないんだったな」と今思い至ったように言った。

 だが、


「理由は後にしてくれるか? 今は――」


 志具の疑問に答えるの後回しだと、少女は言うと、一層敵意のこもった眼差しを、


「こいつを片付けるのが先だ」


 巨大蜘蛛に向けた。

 少女は少し志具に振り返ると、目線で離れているようにと指示をする。このままだと足手まといになりかねない、と判断してのことだろう。志具は素直に従い、邪魔にならないように公園の隅に退避する。

 瞬間、巨大蜘蛛が動いた。

 蜘蛛は口から緑色の液体を、少女に向かって噴射した。

 ふっ、と口元を緩ませる少女。左へと飛び退くと、すかさず蜘蛛との距離を詰めていく。

 液体を噴射しながら、蜘蛛は照準を少女に調整しなおす。……が、彼女は狼狽えることなく、その都度照準より少し横にずれた位置を取り、接近した。


「――はあぁっ!」


 巨大蜘蛛とのすれ違いざま、少女は炯々と紅く光る剣を、一文字に振るった。

 一本だけ斬られていたものが、今度は残っていた三本同時に切断され、蜘蛛は金属が軋むような耳障りな叫び声を上げ、体勢を大きく崩した。

 すかさず少女は、自分の眼前にある大きな腹部に剣を突き刺そうと振り返る。……が、もぞもぞと蜘蛛の腹が脈動したのを見、とっさに回避行動をとった。

 少女の行動は吉と出た。次の瞬間には、蜘蛛の尻から白い糸を放出したためだ。

 だが、目測を誤ったその攻撃は、軌道上にあった樹を蜘蛛の糸まみれにするに終わった。少女に狙いを定めなおそうにも、脚を斬られたために方向転換ができない。今や蜘蛛は、ダルマも同然だった。

 じたばたともがきを見せる巨大蜘蛛をじっと見つめる少女。凛然としたその様に、志具は不覚にも見惚れてしまっていた。

 目の前の状況が、現実では決して起こりえないファンタジーな出来事であることを、志具は忘れていた。


「図体だけでかくて、大したことはないみたいだな」


 少女はそう言い放つと、剣を再び正中線に構える。

 そして、


「今……楽にしてやる」


 その言葉が発せられるや否や、少女の持っていた剣の刀身が、紅く輝き出した。紅い光はやがて熱となり、刀身を真っ赤に燃える炎で包み込む。薄暗かった夜の闇が、彼女の周りだけ一気にかき消された。


「行くぞ――桜紅華おうこうか!」


 桜紅華――それはきっと剣の名前なのだろう、と志具は推測する。少女言葉に呼応するように、桜紅華は一層身にまとわせる炎の勢いを強くさせた。

 距離が離れている志具にすら、桜紅華に宿った炎の熱が伝わってきていた。肌がストーブのすぐそばであてられているように熱く、炎は目が眩むほどに激しい光を発していた。

 炎の剣を右側下段に構えると、少女は一足飛びで巨大蜘蛛との距離を詰める。

 その速さ、熱風のごとく。

 脇に構えていた剣を、蜘蛛とすれ違う際、渾身の力をもってななめに斬り上げた。

 尻から腹、そして鬼のような顔の真ん中を、両断する。切断部は高温の炎で熱しながらだったためか、傷口が焼けて塞がっていたため、体液などは流れ出てこなかった。代わりに、肉と鉄の焼けた不快な臭いが漂った。

 上と下とで分かれた巨大蜘蛛は、その巨体をズウウゥゥゥ……ン、と地面に倒すと、動かなくなった。動かなくなった巨大蜘蛛は、その身体を光で包み込むと、粒子となってその場から消えてなくなった。

 それを見届けると、少女は「ふぅ……」と一息ついた。


「お疲れ、桜紅華」


 剣に語り掛けると、桜紅華と呼ばれたその剣は、一度大きく燃え上がると、次の瞬間には姿を消していた。まるで塵となり、風となって飛ばされたように……。

 少女を志具がじっと見つめていると……ふと、目が合った。そこで志具はハッと正気に戻る。同時に、先程までのファンタジーな出来事に関して、次々と疑問が湧き始めた。

 志具はいたって頭のいい少年だ。だが、所詮はまだ子供。一度に怒涛となって押し寄せてきた数々の疑問に、彼の頭はパンク寸前だった。


 もしかしてさっきのはすべて、自分が目を開けたまま見ていた夢ではないのか?――そんな考えまで浮かぶ始末だ。

 だが……志具自身の本能が告げていた。――あれはすべて、現実に起きたものなのだと。


「よっ、待たせたな」


 手を上げ、少女はいたって普通に、志具にそんな言葉をかけ、近づいてきた。

 そんな少女を、じっと見つめる志具。


「……ん? どうした? あたしの顔に、なにかついてるのか?」


 首を傾げる少女。


「い、いや……。そういうわけではなくてだな……」


 かろうじてそんな言葉を返すも、それ以上続かない。

 しどろもどろな志具を、不思議そうに見つめる少女。だが、ふと何か考えにいきついたらしく、ハッと表情を変えると、


「ははぁ~ん。なるほどなぁ……」


 不意に、口元を緩めた。その微笑はどこか、意地悪な色を感じさせる……小悪魔的なものだった。

 今度は志具のほうが首を傾げる番だった。彼女がそんな表情をする理由に、見当がつかなかったためだ。


「さてはお前……あたしに惚れたな?」

「…………………………は?」


 なにを……言っているのだ? この人は。

 ぽかんとしている志具をよそに、少女は芝居じみた照れくささを見せつつ、言葉を続ける。


「まあ無理もないことだな。巷ではかっこよくて守ってくれる強い女の子が人気みたいだし、その上あたしは美少女だし、お前が見惚れてしまうのも無理がないというものさ」

「自分で美少女って言うのか……」

「なんだ? 異論があるのか?」


 訊いてくる少女。その瞳はどこか勝気な光が宿っていた。

 志具は内心で歯噛みする。悔しいが……彼女の意見に文句が言えない。

 口をむずむずと動かし、沈黙する志具。それを「異論なし」と解釈した少女は、白い歯を見せ、得意げに笑った。


「はっはっは~。あたしの勝ちだな」

「……あまり自分のことを、そのように褒め称えるのはどうかと思うけどな」


 せめてもの噛みつきとばかりに、志具は言った。


「なんだよ~。不満なのか? せっかくお前の許嫁になる女だっていうのに」

「いや、不満って……そういう問題でな……い……?」


 ……ちょっと待て。この子、いまさっき、何と言った?

 あまりにナチュラルに発した言葉だったため、思わず聞き逃すところだった。


「……今、なんて言った?」

「お前の許嫁になる女だっていうのにってやつか?」


 やはり、聞き間違いではなかったらしい。


「ん? どうかしたのか?」

「いや、どうかしたもなにも……」


 なんだ? どうして今日に限って、こうも次々と問題がやってくるのだ?

 ただでさえ、先程の怪物との戦闘で疑問が尽きないというのに、ここにきて、さらに難題が突き付けられた。

 頭が痛い……。悩み過ぎて頭が痛くなるという経験は本当にあるのだな、と志具は今さらながらに気づいた。


「……とにかく。私は君に訊きたいことが山ほどあるのだが……いいか?」

「訊きたいことっていうのは、初夜はいつにするか、とかか?」

「断じて違う! だいたい何なのだ! その許嫁というのは!」


 とんだ言葉を返してくるな、この子は……。

 自分のペースを乱されつつあるのを感じる志具。そんな彼をなだめるように、少女は言葉をかける。


「冗談だって。まったく、お前はホントに面白いやつだな~。あの人たちが言っていた通りのやつだ」

「あの人たち?」

「ああ。お前のご両親のことだよ」


 少女はあっさりと白状する。

 どうやらこの少女、自分の親と面識があるようだ。だが、いったいどこで……?

 皆目見当がつかない志具。そしてまたひとつ、疑問が増えてしまった。これ以上問題を山積みにしてしまうと、頭がパンクしてしまいそうだ。


「まあ、色々と長い話になるだろうから、お前の家に行こうじゃないか」

「私の……家、だと?」


 ああ、と笑顔で答える少女。さも当然だといわんばかりの態度だ。

 正直、今この少女に逆らってはいけないような気がする。志具の直観が告げていた。


 ――……まあ、仕方ないか。


 志具はそう思った。どの道、助けてもらった礼はしないといけないと志具自身、感じていたのだ。家に招き入れるくらいはいいだろう。どうせ話が終われば出て行ってくれるわけだし……。

 その考えは、ある種の諦観からきているものだとは、志具も気づいていなかった。


「……なあ、ひとつだけ今、訊いていいか?」

「ん? なんだ?」

「君の名前は? いつまでもわからないのでは気味が悪い」


 と、志具。

 彼に指摘され、少女も「ああ~、確かにな」と納得してくれた様子。

 すると少女は、咳払いをひとつすると、自分の名前を言う。


「あたしは万条院まんじょういんななせ。――お前の許嫁だ」


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