第34話 治療院に行こう

『どうしよう先に治療院の方が』『いや先に婚姻の届を出さなきゃ』『そんな悠長なことしてていいのかな』とオロオロし始めた男二人に『ええい、やかましい!! 先に役所!! そのあと治療院!!』と、おばちゃんが喝を入れた。親族でないと診察室に入れないから、という理由らしい。


 もう気が気ではない。本来ならもっとゆったりとした幸福感に包まれて行うのであろう届の提出。俺はほとんど記憶にない。気がついたらエリーが小さな花束を持って横をてくてく歩いていた。透き通った白い花弁が美しい、役所がくれるお祝いの定番である花束を。


 あとからエリーにそのときのことを聞いてみると『ずーっとぼんやりしちゃってて、無理やり結婚させられる可哀想な男に見えましたー』と、からかうように指差されながら、けらけらと笑われてしまった。


 もし役所の人にもそう思われていたなら、立場が逆だろてめえは何様だ、と内心突っ込まれていたに違いない。




「はい、いいよ。もう起き上がっても大丈夫。おめでとうございます。予測としては妊娠二カ月。五周目くらいね。食欲は大丈夫?」

「そうですねー、食べられはしますけど量があんまり入んないですねー」


「そうかそうか。無理して詰め込む必要はないよ。水分はしっかり摂りなさい。吐いちゃってあまりにも食べられなくなったりすると危ないから、そのときは必ず相談してね」

「はーい」

「なあ、ちょっと、先生。エリーは男の子のはずなんだが……そこはいいのかよ……」


 爺さん魔術師はエリーと目を合わせたあと、また笑いもせず上目遣いでちらりと俺を見つめてきた。だから感情がわかんないって。それじゃなんにも伝わらないから。


「いいか悪いかの話じゃないよ。以前この子は住民の届が出てなくて、あんたも保護者としては仮の立場だっただろ。だから言ってなかったけどさ、最初っから雌雄同体だってことはわかってたよ。身体も魔力も検分したもの」

「いやそこは言ってくれよ!! 俺はてっきり──」

「あらやだ先生、ギードさんは赤ちゃんができないと思ってぼくにあんなことこんなことしちゃったんですかねっ」


「可能性はあるね。先生息子がいるからさあ、良かったらそっちに乗り換えない? 息子も他所で治療魔術師やってるから。お給料も結構良いよ。よくない?」

「治療魔術師さんの奥様かー、それはステキなお誘いですねえ」

「ダメダメダメダメ!! 絶対ダメだ!! 驚いただけだから!! 乗り換えとか認めねーぞ!!」


 エリーが完全に悪ノリしているのはわかっていたが、それでも俺は必死だった。もし捨てられるとしたら絶対に俺の方だからだ。絶対に。悪い芽は根こそぎ潰しておきたい。すり潰して火をつけて何も生えないようにしたい。芽吹くことすら許さない。


 あとジジイも調子に乗ってんじゃねえぞ。戦闘魔術で対決したら勝つのは俺だ。再起不能にしてやるよ。試験などの頭脳戦では……ちょっと自信がないが。


 俺は魔術師ではあるが、治療魔術の心得はない。『治療』と一言つくだけで学びの種類が全く違う。だからエリーの身体のことは本当にわからなかったし、知らなかった。知る由もなかった。


 ここからは言い訳になるかもしれないが、エリーから直接『首輪を外して望めば子供ができる』と言われたのは覚えている。しかし『望めば』がお祈り的なものではなく、『ヤれば』という直接的なものだとは思わなかった。


 それに外見の変化がなかった。しつこいようだが大きくなった以外のことはひとつもない。胸はないし、下はちゃんと生えている。服を着ているとそうでもないが、脱いだら完全に男の子なのだ。わかるわけがないだろう。


 正直、心当たりがありすぎたのと、妊娠可能な女性に訪れる生理現象も全くもってなかったため、妊娠周期は大雑把にしかわからなかった。


「さあて。役所の届はこっちで訂正をお願いしとくからいいとして。君は四週間後にまた来てね。経過を診るから。身体は冷やさないようにね。お大事に」

「はーい。ありがとうございましたー」

「あり……ざいました」




 ──────




「いやーまさか子孫を残せるとは思ってもみなかったですねー。ずっと前のままの暮らしを続けて終わるんだろうと思ってた。ぼく、もうすぐ寿命ですから」


 明日の朝から仕事のくせに泊まりたいとゴネる親父を機関車に押し込んできた帰り道、エリーがぽつりとそう洩らした。淡々とした口調だったが、俺はドクンと心臓が跳ねた。寿命、そうだ。こいつはもうすぐ。


 額から吹き出す冷や汗を感じながらも、声をなんとか絞り出した。身体は本当に大丈夫なのか。せめて子供が成人するまでは、なんとか生きられないのかと。するとエリーはパッと振り向き、きょとんとした顔を向けてきた。


「えー、何でです? 余裕ですけどー? ひ孫くらいなら見られるかもー。玄孫までは見たかったけどさすがにそれは無理かもなー。楽しみですねえ。あーでもこの子にちゃんと相手が見つかればの話ですけどー」



 …………余裕とは?




 耳長の平均寿命。親がどれほど長生きしたかにもよるのだが、大体三百年ほどらしい。エリーの年齢は約二百五十歳。あと五十年くらいなら、何事もなければ確実に生き延びられる保証はあると。ここは食べ物の質が良く、食うに困るような時期もない。その点を考慮すれば、更に延びるであろうとも。


 何事もなければである。俺は母のことをエリーに話した。長患いした末に亡くなってしまった母。そうなる可能性もあるだろう、なんて口に出して言ってしまった。そんなこと、エリーに言っても仕方ないとはわかっている。本人にだって未来のことはわからないのに。でもそのときは、どうしても言わずにはいられなかった。


 思いっきり不安が顔に出ていただろうと思う。しかしエリーはきゃらきゃら笑ってこう返してきた。


「耳長って人間の病気にすごく強いんですよー。風邪をひいたときも一晩で治ったじゃないですか。そりゃ万能じゃありませんよ。なるときはなりますよ。でも回復は早いんです。人間は何かに罹るとなかなか治らないですよね。知ってます。治らなくって、若くして亡くなったご主人も沢山看取ってきましたから」


 そして前を向いたエリーに『ギードさんの方が気をつけてくださいよー』と逆に注意をされてしまった。帰ったら石鹸を使って手洗いうがい。たまに忘れるが、これは必ず身につけよう。また一緒に暮らす上での注意事項が増えてしまった。


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