第30話 求婚をしよう

 重いな、と思って目を覚ましたら朝だった。また寝過ごしてしまった。エリーは長くなった脚を俺の右足の上にどっかりと乗せて、すよすよと気持ちよさそうに眠っている。


 いつも通りなのがかえって気まずい。エリーが起きたらなんて言おう。まずは謝罪だ。謝らねば。いや待てよ、それは逆にショックを与えるんじゃないか。こいつは昨夜のアレをなかったことにしようとしてる、なんて思って。


 いやとんでもない、責任は取る。このまま一生食わせてやる。いやいやそう思っているならば、求婚が先だろうが。なぜ同意もなく襲いかかった。誠意がないと思われてしかり。だが時は巻き戻せない。どうしよう。仕切り直したい。でもできない。


 頭を抱えながら必死でそう考えていると、身じろぎしたエリーがうっすら薄目を開けた。しばらく目を合わせていたが、その瞳はまだ微睡んでいて、何を考えているかまではわからなかった。


 焦った俺は、責任は取る、と思わず口走ってしまった。エリーは『ふふ……』と軽く笑って目を閉じた。眠ったようだ。……起きない。


 なんだ今のは。馬鹿言ってんじゃねえぞ当たり前だろ、という笑いか。それとも、期待してねーよ大して稼げもしねーくせに、という笑いか。いやエリーはそんなこと思わないだろ。俺が考えることだから柄が悪いのだ。


 考えれば考えるほど落ち込んでしまう。支度して仕事しよう、とエリーを起こさないようにそっとベッドを出ようとした。俺は左脚が少々悪いので、必ず左手をサイドテーブルやどこかに置いて、少し力を入れて起き上がる。


 妙に勢いがつきすぎた。ぼよんとベッドが跳ね、エリーを起こしてしまったんじゃないかとすぐ振り返った。大丈夫だ。最近は本当に脚の調子がいいな。


 しかし立ち上がった瞬間、調子が良いを通り越していることに気がついた。ほんの僅かな差だが痛くないときでも、なんともない右脚より左脚の方が動きに対する反応が悪い。そのはずが、今日はまるで違和感がない。


 試しに屈伸してみたり、片足立ちをしてみたが、痛くならないし違和感もない。夜着をまくって傷跡を確認してみた。これは別に消えてない。でも中身がそっくり新品と、入れ替わってしまったような。


 …………な……治った……??




 え、たったの一回で? そんな簡単に? だがそれを確認するためあの治療魔術師に洗いざらい喋る気にはならない。エリーとヤッたら治りました、なんて絶対に言いたくない。


 お前ついに手を出したのかと思われるのも嫌だし、今後も治療院にかかるかもしれないエリーをそういう目で見られたくない。治療魔術の研究対象扱いされたりするのも嫌だ。


 そう思いながら黙って仕事を進めていると、パタパタと部屋履きの鳴る音が近づいてきた。二度寝からやっと起きてきたようだ。


「おはよーございまーす。あーでももうお昼になっちゃってますねえ。朝ご飯は食べましたー?」

「そういや何も食べてない。もう昼か、なんか支度するわ」


「いーですよお、ぼくがやります。それ途中でしょ? なんにしよー」

「いや、大丈夫。お前は座ってゆっくりしといていいから。ほら座れ」


 若干よろつきながらキッチンへ向かっていくエリーが心配になって追いかけ、椅子に座らせ支度を始めた。テーブルに突っ伏してじっとしている。怠いのか、どこか痛いのかと聞いても『んーん。だいじょーぶでーす』という返事が帰ってきただけだった。


 夜着を着たまんまでバターとジャムを山盛りに乗せたパンを頬張るエリーの様子は、ここに来たばかりのときと変わらない。しかしこのままいつも通りに過ごすわけには、と思い話すタイミングを伺った。エリーは俺の視線を感じたのか、きょとんとした顔をして時々こちらを見ていた。


 食べ終わったのを見計らい、絞った布巾で手を拭いてやった。『なんですかー、ぼくはもう大人ですよー』と、コロコロ笑われたが、こちらはもうそれどころじゃない。


 なんだこれ、なんだか凄く緊張してきた。心臓がバクバクうるさい。エリーの白い手を拭きながら鼓動が収まるのを待ってみたが、まるで収まる気配がないので諦めて布巾を置き、手を握った。


「……俺と一緒になって貰えませんか」





 しまった、多分意味が伝わっていない。口を開けてぽかーんとしている。文化が違うから何か違う言い方じゃないと伝わらないのかもしれない。でも他に知らないぞ。どうしよう、他の言い方。何て言えば。どうしよう。


「ええと、その……俺と結婚してほしい。家族になってほしい。俺と一生──」

「あっ、それはわかります。いいんですよ? いいんですけど、ぼくは耳長ですからねえ」


「耳長は結婚しちゃいけない決まりでもあるのか? 大丈夫だ、ここはお前がいた国じゃない。そんな法はひとつもない」

「ぼくのいた国でもそうですけど、ギードさんが言ってるのって正妻さんってことですよね? 耳長を正妻さんにする人なんていなかったから。あっ、お妾さんになってってことですか?」


 心臓が掴まれたような心地がした。耳長という人種については調べても何もわからなかったが、あまりにも人権がなさすぎやしないか。お前の国の人間は、人の心がないのかよ。そんなことをふわりと笑いながら言わないでくれ。いっそう悲しくなってくる。


「……違う。正妻で合ってる。あとにも先にも一緒になりたいのはお前だけだ」

「ひゃー、ギードさん、最先端ですね。いいでしょう。なります奥様。初めてですそういうの! で、ここでの奥様って何する人ですか? 旦那様に代わって社交する人?」


「今まで通りで構わない。したいことがあるなら何でも言ってくれ」

「そうですか? うーん……、あっそうだ。アレ渡そっかな。ちょっと待っててくださいねー」


 エリーはパタンパタンと足音を響かせながら階段を上がっていった。なんだろう、想像がつかないなと思っていたらすぐ戻ってきて、複雑に編み込まれた長くて白い束をぽんと渡された。


「はいどうぞ! 討伐の御守りです。ギードさん多分、脚がしっかり治ってるでしょ? お城に戻って魔獣をやっつけに行くんなら是非使ってください。こっちではわかんないけど、これがあると魔獣をバッサバッサとやれるはずですよー!」


 やれる。殺れるってことか? この白い束があれば? なんで?


 頭の上で疑問符を並べている俺にエリーは『こうやって身につけてくださいねー』

 と、俺の首に巻いたり腕に巻きつけたりして楽しそうだ。それは両端に金具をかしめてあり、金具同士が繋がる作りになっていた。


 それが終わったあと、エリーは話をしてくれた。この御守りのこと。エリーたちが具体的にどういう扱いだったのか。俺が一番聞きたかった、あのことを交えて。



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