第27話 エリーを迎えに行こう

 その日は遠い地域への出張仕事が入っていた。脚が痛くなくなって、今まで圏外だからと断っていた地域にも行けるようになったからだ。


 動かせない大型の冷風魔道具。複数台。去年から調子が悪かったらしく、騙し騙し使っていたら季節本番で次々と駄目になった。そういうときは早いところ季節終わりに依頼しとけ、と思いながら支度を整えた。


 もう日課になってしまったキスをして家を出た。急いでいた。なぜならさっさと家を出ないと、最終の機関車を逃すからだ。時間通りに来た試しはないので、早めに行かないと今日中に帰れなくなるだろうと。


 だから気がつかなかった。前にかけた防壁魔術が、随分綻んでいることに。





「ギード!! やっと帰ってきた、遅いよお!!」

「あれ、おばちゃん。家の前で何してんだよ、エリーは?」


「エリーは、じゃないよ!! あの子、夕方にウィンチカムの馬車に乗せられて行っちゃったらしくてさあ、それからずっと帰ってきてないんだよ!!」


 血の気が引いたのだろう、そのときは目の前が一気に薄暗くなったのを覚えている。


 鍵が開いている。家の中を追いかけ回されたんじゃ、と確認してみると出てきたときと変わりはなかった。騙されて出たところを複数人で取り押さえられたか。それとも武器か何かで脅されて、大人しく出ていくしかなかったか。


 防壁魔術には所々穴があった。これじゃ何の意味もない。これは本来、張ったとき以上の魔術をぶつけなければ破壊できない代物だ。しかし穴があればその必要はない。鍵の閉め忘れと同義である。こうなれば、魔術の心得がない者ですらぶつかることなく侵入できる。


 おばちゃんは涙目になり、髪をほつれさせて狼狽し切っていた。ごめんおばちゃん、もう帰っていいけど落ち着かないならうちにいてくれと必死で宥め、家の階段を靴のまま、全速力で駆け上がった。


 確か前に使っていたアレがここに。細い剣が仕込んであるから絶対エリーに見つからないよう、高いところに隠したはず。それが今では仇となった。うわ、あんなところに置いたっけ。置いたな、俺が。


 強盗のように物置を荒らしながら目当てのものをひっつかみ、あちこちにガンゴンぶつけながら階下へ走った。おばちゃんが何かを唱えながら神に祈りを捧げている。心配しすぎて倒れたりなんかしないでくれよ、もういい年だろ。


「おばちゃん、俺行くから! 家のこと頼んだ!!」

「あれ? あんた…確かそれ使えないんじゃなかっ……えっ!?」





 ──しまった。また魔力の無駄遣いを。


 しかも高度を上げすぎた。前の倍近い量の魔力残滓がもうもうと吹き上げて、夜空の星を増やしている。


 家から飛び出たおばちゃんが、何か叫んでいるが聞き取れない。一気にぶっ飛ばしすぎたなあ。これもしばらく使ってなかったが、帰ってくるまで耐えられるかな。


 空での安全祈願として、先端に飛馬ちょうばを象った飛行長杖。上半分が鳥のようで、下半分が馬のような羽根の色が美しい魔獣。調教を入れ人に馴らせば、戦いへ赴くための空中戦車になる生き物だ。


 奴らは非常に勇敢だ。危険な場所でも前へ行ける胆力と、それを支える飛行技術を持っている。そして楽天家。食事が美味けりゃそれでいいという大らかさ。それらにあやかろうという意味で、この装飾が使われている。


 その下の本体は魔力伝導率が一番良いとされており、魔道具回路にも使われている鳳凰金と雪鷺銀せつろぎんの合金で覆われている。埃はかぶっていたものの、致命的な欠陥は今のところはなさそうだ。


 造り物の飛馬の首には母さんが勝手に巻いた御守りがぶら下がっている。もう随分古い。こっちは千切れて吹っ飛ばされるんじゃないだろうか。だが今は構っていられない。


 もう日はすでに落ち切って、夜景になった街の灯りが却って邪魔になっていた。しかしあいつの邸はでかいからすぐわかるはず。うろ覚えだが……あれか? ここ数年、全然飛んでないから屋根だけじゃピンとこねえな。


 頼む、合っててくれ、と祈りながら速度を落とし、激突しないよう近づいた。広い前庭。豪華なテラス。そこから白くて細い何かがぶら下がっている。なんだろう、リネン? まさか緊急信号の代わりとかじゃないだろうな。


 でも風に吹かれているというより、ぷらぷらと自ら揺れているような。あの動き方。椅子の下でよくやっていて、行儀が悪いと俺は何度も……リネンじゃないぞ。白い……脚?




 …………エリー?




 ──────




「あ──!! ギードさん!! えっ、それなんですかっ、初めて見た! かっこい──! 杖? 杖です? 見せて見せて!!」

「エリー、お前、エヴェラルドの野郎に連れてかれたって……いや元気そうで良かったけどさ、え? いや、え? どうなって……そうだ、その誘拐犯のあいつは?」


「誘拐犯は部屋の中でへばってますよー。ねえねえギードさん、それ見せてー!」


 刃物が入ってるから今はちょっと、と断ると『仕込み剣!!』と更にエリーのテンションがブチ上がりかけ、静かに、と口を塞いだ。なんでこんなに元気なんだ。いや酷い目に遭っているより何千倍もマシなのだが、予想外過ぎて対応できない。


 外からの風が窓へと流れ、部屋の内側へとカーテンが舞い込んだ。その下からチラリと見えた、ベッドの端と人の腕。すぐそこに人が立っていて、会話は聞こえているはずなのだ。しかしこの無反応。何かがおかしい。不安がよぎり、立ち去る前に一度確認しておこうと揺れるカーテンを捕まえ、開いた。


 男が仰向けで寝転がっている。距離を詰めても微動だにしない。こいつまさか死んでるんじゃ、と一瞬ゾクリと強い寒気が背中を走った。




 こいつの特徴である大きなアーモンドアイは、いまや何も映していない。どろりと淀み、涙の跡がいっそう哀れだ。高い鼻からは鼻水が、いつも自信満々に引き締まっているのであろうその口は半開きで、涎がへばりついている。様々なものをめいっぱい流したのであろう顔全体が、悲愴で悲惨な状態であった。


 そして見たくもないのだが、胸から下は体液という体液が飛び散りまくり、あちこち赤くなっている。こちらも酷い有り様だ。長い手足をベッドの上にぐったり広げて微動だにせず、胸だけ僅かに上下している。そう、こいつは全裸。なぜか全裸。エリーの服にはほつれや破れ、汚れひとつ見当たらないにも関わらず。


 ……まさかなあ。エリーがこれを? 一体何をどうしたんだ。そんな趣味……あったかなあ。多分、なかったとは思うがなあ。


 エヴェラルドはなんだか可哀想な目に遭っているが、こいつがエリーを連れ去ったのは事実なのだ。目撃者もいる。勝手に連れ去られたのだから、勝手に連れ帰っていいだろう。


 じゃあ帰ろう、落とすと怖いから前に来いと長杖に跨がらせるとまた『これで一緒に飛ぶんですね!! フォ──!!』と、騒ぎ出したのでまた口を塞いでおいた。さっきから全然誰も来ないようだし、別にいいかもしれないが。




 ──解せない。何かがおかしい。


 そう思いながら夜空を飛んだ。今度は上手く飛べたのだが、初めての夜間飛行に興奮したエリーはひたすらキャイキャイと騒ぎ散らかし、うるさ過ぎるくらいだった。いや、元気ならいいんだけどさ。元気なら。


 到着してもその興奮は冷めやらず、『仕込み剣ってどんなのですか!? 見たい見たい!!』と急かすので仕方なく杖身から抜いてやると『ちょーかっこい──!! 聖剣・退魔一文字!! 伝説の名剣・一期一振!!』等など、即興で名付けていた。


 いやこれ、高価ではあるが量産型だぞ。職人最期の傑作とかそういうんじゃないんだが。ていうか俺はこんな狭い前庭で何やってんだ。いい年して。可愛いのにせがまれたらって。なんか恥ずかしくなってきた。


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