第26話 ジャムを作ろう
「いいじゃないかー。安くしとくよ? 今年は雨が少なくて豊作なのは良かったけど、みーんな食べ飽きちゃったんだろねえ。このままだと売れ残りそうでさあ。エリーちゃんも果物好きだろ?」
「いや安いのはいいけどよ、ひと箱分も要らねえよ。食べる端から腐るじゃねえか」
「冷蔵魔道具に入れときゃどうにかなるよお。おっ、エリーちゃん! シモンの実はどお? 副菜、サラダ、デザート諸々、なんでも美味しく食べれるやつだよ!」
「ほーん。これはジャムに出来ます? ふんふんなるほど。じゃあ買います。糖蜜もつけてください。にこにこ現金一括払いで!」
もちろん支払いは俺である。本当に食い切れるのかよと文句を言いながら笑顔を増やしたフランカおばちゃんに代金を払っているうちに、エリーはそそくさと木箱を抱えキッチンに運搬していた。
シモンの実。ツヤツヤとした橙色が目に鮮やかな、甘く柔らかい果物である。ほんのり程度の渋味があるので好き嫌いが分かれるが、エリーはこれも好きらしい。
早速ジャムを作りたいらしく、せっせと皮を剥き始めている。切る、種を取る、皮を剥く。切る、種を取る、皮を剥く。いやいやどんだけ剥くんだよ。一気に剥きすぎじゃないのか。箱半分ほどなくなってきてるぞ。
「どうせこの一個がこーんな少量になるんですよ、一気に作らないと薪代の損じゃないですかー」
「いやまあ、そりゃそうだろうが。買ったばっかの糖蜜も丸々なくなるな、こりゃ」
エリーはうちで一番でかい鍋を取り出し、細かく切ったシモンの実を一気に入れた。糖蜜もどっさり入れて、置いてあったリモラの果汁を少し入れ、ここから弱火で煮込んでゆく。崩れてくる実を潰しながら延々とかき混ぜる。
エプロンの裾の長さが足りていない。あれは子供用のやつだしな。しかし鍋を混ぜ続ける姿は遊びに真剣な子供のようだ。足元の部屋履きからは踵が出ている。そうだ、靴も買い替えたんだから部屋履きも替えないと。
そう思いながら眺めていると、くるっとエリーがこちらを向いた。なんだ突然。さっきとはうって変わって不機嫌そうな顔をしてるんだが。
「ギードさん。飽きました」
「おいおい。飽きるにはまだ早いだろ。15分も経ってねーぞ」
「えー、だってー。あらかた実は潰しましたけどー、ここから水分が飛ぶまでさらに20分以上かかりそう。そんなにやってられませんよー。むりー」
「お前が始めたことじゃねーか。一気に作るからだろが。最後まで頑張って面倒見ろよ」
「やだあー。ねーギードさあん、魔術でどうにかしてくださいよー。ねー、お願い。かっこいいぼくの魔術師さまー。ねー」
「こらこら! 鍋が焦げ、……焦げる、やめ、……こら! エリー!!」
また色仕掛けで俺を思い通りにしようと企むエリーから逃げようとはしたのだが、立ち上がるのが遅かった。椅子の上からがっしりと抱きつかれてしまい、また食いつかれちゃかなわんと顔を背けたら、こいつは即座に耳やら首筋に噛みついてきやがった。
見えない手で刺激されているようなゾクゾクとした感触が、背筋や脇腹を走り抜ける。今の時間帯を丸無視した妖しい性感に刺激され、喉の奥から声が勝手に込み上げてくる。それを押し殺すことに集中しているがために固まってしまった俺の身体を、こいつはさらに弄ぶように魔力を注いできやがった。耳の穴からゆっくりと。全く、いつこんなことを覚えたのか。
インクを一滴垂らしたほどの、お試し程度の量の魔力。こいつの魔力は俺にとって、もはや毒物なのかもしれない。貴族が暗殺されるときなんかに使われるという魔術薬は、味の変化もないくらいの少量になるらしいが、まさにそれだ。
こいつは俺の理性を殺しにかかっている。本格的に殺されるまでになんとかしないと。あーあ、また思い通りに動かされている。俺のプライドなんてものは、こいつ一人の行動でいとも簡単に粉々になってしまう。
「わかった、わかったから離れろ。いいから座ってじっとしてろ。……直立せよ、その角度80グルー、我示す円座標40グラン内において20ウルム回旋せよ……」
甚だしく動揺したままかけた俺の魔術は有効ではあった。あったのだが、やや制御が甘くなり、時々ガタンゴトンと木ベラが鍋の縁に当たる音が聞こえてくる。それでもエリーは『すごーい』とパチパチ手を叩いて喜んでいる。まあ良いか、良いだろう、効いたんだから。
「さてと。せっかくジャムがいっぱい作れたわけですからね、これを生かして何かをさらに美味しくしたいとこですねー。パンもいいけどアイスクリームにかけたいなあ。あの白いやつ。あれに香酒をちょっと入れると大人の味。最高だと思うんですよねー」
お前なあ。飽きたんじゃなかったのかよ。それを言う前に俺の膝から素早く立ち上がったエリーは、先日おばちゃんに売りつけられたちょっと質のいい牛乳と、二本目の糖蜜の瓶を取り出し、慣れた仕草で卵を割り、ガチャガチャとかき混ぜ始めた。
そして材料は全て鍋の中に。火力は弱火で。また鍋を見つめて一生懸命混ぜている。……なんか嫌な予感がする。
エリーは短いエプロンを外しながら、さも当前のようにこう言った。
「さて。このまま混ぜ続けてですね、とろーりもったりし始めたら漉して、香酒を振って凍らせます。それでー、ものは相談なんですけどお。ギードさあん」
「待った。もうそれはやめろ。……やめろ、やめろってこら、いらんいらん!!」
「はー? いいじゃないですかー。働いてもらうんだからそれなりの対価が必要でしょうよー。あれー? やだなあギードさん、ぼくに力で敵うとお思いですかー。頑張ってるじゃないですかー。すごーい。でも無駄無駄ァ」
今度こそ逃げようとしたら両腕を素早く掴まれ捕獲されてしまった。さすが首輪を引きちぎれるほどの腕力の持ち主である。しかし涼しい顔してやることじゃない。怖い台詞と美しい顔が合ってない。誰が吹き替えしてるんだ。人選ミスにもほどがある。
このあと結局また同じような目に遭い魔術をかけさせられ、人使いの荒いエリーのお料理タイムは終わった。夕食は昨日の残りの惣菜とパン、夕食っぽくはないが美味しく出来たジャムで食事を済ませたあと、エリーがさっきのデザートを盛り付けて出してくれた。
「アルデバラン産ターコイズ牛のミルクと香酒のアイスクリーム、シモンのジャムを添えて、でございまーす」
「なんか凄くそれっぽい名前になったな。うん、美味いよ」
「ぼくの色仕掛けでギードさんの性欲を刺激した結果、美味しく仕上げることができました。ご協力誠にありがとうございました」
「性……お前、マジでそういうこと外で言うんじゃねーぞ。マジで。そういう面でも死にたくない」
スプーンを持った手でビシッとエリーを指差すと『お行儀わるーい』と、ニヤニヤ笑って返された。畜生こいつ、余裕だな。俺の理性の方はといえば、余命幾ばくもないかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます