第23話 お仕事を見学しよう

「おー、爺さん。冷蔵魔道具の調子はどうよ。今日はそっちじゃねえのか。ん? 印字が掠れる? 半月前から? 紙も出てこなくなった? なんだ、通信の方の話かよ。最初からそう言えよ。いや、あれ重いから無理して持ってこなくていいわ。俺行くから。隙を見て……えー、はいはいわかったよ。すぐ行くから」


 食事処の爺さんからまた依頼である。今度は通信魔道具の調子が悪い。印字が掠れるのはまだ良かったが、紙が出てこないとなると予約の依頼が受け取れない。すぐ来てくれとのことだった。


「まあ近いからいいけどよ。エリー、ちょっと行ってくるわ。俺が出たら鍵かけろよ。あ、その前に窓開いてねえか調べとかないと。エリーは二階見てくれ、カーテンもしっかり──」

「ぼくも行きたい。ダメですか?」


「えっ、そりゃダメだ。治療院に行くとか、そういうどうしようもねえとき以外は家にいろ。俺じゃ護衛には心許ねえし、この片手杖はいつも持ってってるけど──」

「でも近くなんでしょ? 前に見たお店ですよね、知ってます。ねーギードさーん、ちょっとだけでいいんですよー、お外でどんなお仕事するのか勉強したいんですよー、ねーねー、いーでしょー?」


 俺の背中に手を回してベタベタくっつき甘えてくるエリーはその、まあ、可愛いのだ。可愛いのだが脚の間に脚を差し込み擦りつけないでくれないか。それは可愛いやつとはなんか違う。


 蜜花の香りがする。そんなに頭をぐりぐり押し付けられると、服に匂いがうつってしまう。こうされると屈んだときにふわりと香り、集中が切れてしまうのだ。離れてほしくて後ろに下がってみたのだが、すぐ壁際に追い詰められてしまった。逃げ場をなくした。


 片手に杖、もう片手に道具一式を持っているせいでエリーを剥がせない。まだ続いている妙な色仕掛けと鼻をくすぐり続ける甘い香りに、結局俺は陥落した。意志薄弱だのなんだのと存分に罵るがよい。どうせ俺はこの程度なのだ。


 万一のときのために押すだけタイプの防犯道具をエリーの手首に巻きつけて、とにかく手を離すなと言い聞かせ、『はーい!』とわかったのかわかってないのか不安になるほど、弾んだ声で返事をしてきたエリーの手を引き家を出た。


 さっきの動揺がまだ収まりきっていないのか、鍵をかけ忘れたことに気づいて一旦引き返したが。落ち着け、俺。仕事だぞ。




「おー、悪いなギード…………ど、どちら様……? 女神さま……?」

「初めましてー。メガミさまじゃないですよ? エリーでーす」

「こっちこそ悪いな爺さん。こいつは俺の弟子だから。今日は仕事の見学で──」


「いや、弟子って……ちょっと、ちょっとお前詳しく聞かせろ。おーい婆さーん、この子にお茶出してくれー! 婆さーん!」


『んもう何だね、騒がし……ヒャー! べっぴんさんだね!! ちょっと待っとくれ!!』と出てくるなり震えた手を口に当てておののき、腰を抜かさんばかりに驚きまくった婆さんは、足音をドタバタと響かせながら奥へ走っていった。まあ反応は予想通りだが、エリーは客人じゃないんだが。


「爺さん、そんな気ぃ遣わなくていいから。エリーはほんとに弟子だから。今日は仕事の見学で──」

「お前よぉ、あの子と一緒になんのか。なるんだろ? だろ? あの子の親にはもう会ったのか。どうせ反対されてんだろ、修理屋なんか儲かんねえから、あーでもよぉ、うちじゃそんなしょっちゅう仕事頼めねぇからなぁ、大事な商売道具をわざと壊すわけにゃいかねぇしよぉ! いやーまいった!」


「おい爺さん。儲かんねえってなんだよ。そりゃ贅沢はできねーよ、でも一応これで生計立ててんだっつの」

「けどよぉ、絶対金かかんだろあの子。美人だもんよ。それに金銀財宝持って誘いかけてくる男なんか山ほどいんだろ。お前、それに勝てるか? 今はラブラブなのかもしんねぇけどよ、あの子はまだ若ぇだろ? 恋心なんかいつか醒めるぞ。生活の方が苦しいと、そのうち揺らぎ始めんぞ。結婚は人生の墓場だからよぉ、きっと他の金持ちの──」


「あんだって? 今聞き捨てならん言葉が聞こえてきたね。あんたは墓石と結ばれたのかい。あたしとの暮らしは死後の世界かい。あ? どうなんだね」


 口を滑らした爺さんはこちらを向いたままヤバい、という顔をして固まっている。エリーに笑顔でお茶と菓子を出してくれた婆さんは、その笑顔を一瞬で魔獣に変えて今は爺さんを睨んでいた。人のことを勝手な想像だけでどうこう言うからである。


「しゃーねーな、お前はそこでお茶してろ。俺は作業に入るから」

「あっ、ちょっと待ってくださいっ、熱っ、おまはへひまひた」


 冷まさずお茶を口に含み、茶菓子を頬張ったままのエリーがピュンと飛んできた。火傷したんじゃないだろうか。大丈夫か。そのままゆっくりしてもらってもいいのだが、まあ仕事熱心なのは良いことだ。


「いいか、紙詰まりはここをこうして開けるだけ。この丸まってんのを引っ張って、はい終わり」

「わー、真っ黒。べったりインクがくっついてるー」


「それ触ると取れにくくなるから服につけんなよ。そんでこの回路の基盤なんだが、これは半分くらい取れかけてんな。古い型だし仕方ねえ。これをくっつけて印字してみて、大丈夫ならそれで終わり」

「ほうほう。ぼくがやってみていいですか?」


「うーん…いや、いいけどよ。コテに魔力込めるときは頑張らないように頑張れよ」

「ちょっとー。もっといい言い方なかったですかー。んー、こんな感じ? あっ、ヤバ」


「あー、まあいいだろ。ていうか外でヤバいとか言うなよ。お客さんが不安になるだろ。次はもうちょっと弱めとけ。そんでこうやって蓋を閉めて、印字してみる。紙はそう、そこに挟んで……なんだよ爺さん」


 視線を感じて振り返ったら爺さんがすぐ背後でにやけていた。うんうん、と何やら頷いている。何をひとりで納得してやがる。あとなんの用だよ。


「オレが婆さんに求婚するときゃこう言ったよ。これからもずっと私の料理を食べてくれませんか、ってな。参考にしろよ」


 ポン、と俺の肩を叩いた爺さんは目尻を下げて悟りを開いたような顔をしている。後ろで婆さんが『あたしゃ、太っちゃうけどいいですか、って言いながら受け取りましたよ』とテーブルに肘をついて聖母のように微笑んでいる。なんだ急に。さっきまで一触即発だったくせに。二人して生暖かい目で見てくるな。


 爺さんはニヤニヤしながら俺の肩を揉み始めた。案外力が強い。そして痛い。痛ぇよ爺さん、と剥がしていたらエリーがぽつりと呟いた。


「なるほど殺し文句かあ。いいですねー。じゃあぼくなら、そうだなあ。ずっとお仕事お手伝いします、それじゃあちょっとつまんないかなー。一生チューしてあげましょう。でもそんなのしたいときにすればいいだけの話ですよねー、あっ! 脚を治してあげるからー、ぼくと寝……なにふんふふか」

「爺さん支払い。銀貨が三と銅貨が二!」


『はいはい、ただいま。ご苦労さん』と全てわかっていますよヅラした爺さんに金を支払ってもらい、適当に礼を言い、手早く荷物をまとめてとっとと退散した。つもりだったのだが、『おーいギード、工具一個忘れてるぞー』と爺さんが追いかけてきて気まずかった。まだ何か言いたげな様子だったが、再度礼を言って早々に立ち去った。


 エリーは言いつけ通りに俺の手を握っている。それを今、思いっきり見られていた。爺さんのニヤニヤ度は右肩上がりだ。それはわかっているが自分で言い出した手前、離せとも言えやしない。今日はどこでどう間違ったのか。変な顔にならないよう取り繕うのに必死だった。


 あといつもなら忘れない最終確認の試印字だが、スッキリサッパリ忘れていた。翌日に確認したら、直した通信魔道具は元気に動いてくれていた。情けないがきっと、あのとき俺の思考回路は欠線していたのだと思う。千切れていたならしょうがない。工具なんかじゃ治せない。


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