第22話 ケーキを作ろう
「さーて。取りいだしましたるはー、スウェート牛の濃厚バター。これをこれくらい入れまーす。はい、バーン」
「いやいや。ほとんど全部じゃねーか。さすがに身体に悪いだろ」
貰ったバターを使ってケーキを焼きたい、と言い出したエリーは現在キッチンでせっせと生地作りをしている。こいつはジャムも好きだがバターも好きだ。てっきりちまちま食べて楽しむものだと思っていたら、案外豪快に使い始めた。一気に消費するのはいいのか。スウェート牛のバターだぞ、高級品だぞ。もったいないとは思わないのか。
「だってー、少しずつ食べるのもいいですけどー、口に入れたときにじゅわっと広がる濃厚なミルクの味も感じたくないですか? ぼくはそういう! 贅沢をしたい!!」
「あー、まあな。アミが持ってきたリモラのケーキにあとでぶつぶつ言ってたもんな」
「あのケーキ自体はとっても美味しかったんですよ。素晴らしかった。でももっとバターを入れると更に美味しくなると確信しました。リモラのジャムはあとで入れますから、まずはこれを突っ込んで混ぜる! はいドーン! バター大好き!!」
「あーあ、もう全部入れやがった。切った意味なかったじゃんか」
『いいんですよー、バターはもうひとつありますからー』と言ってエリーはボウルに泡立て器を突っ込みかき混ぜ始めた。溶かして使うのもいいが、大きく膨らませたいということでこうするらしい。その原理はよくわからん。
「もったいねーな。これだけたっぷり材料つかって辞典の半分くらいのサイズが二本になるんだろ。アミにやんなくてもいいんじゃないか。フランカおばちゃんと旦那さんと、俺らの四人でいいだろが」
「えー、ダメですよー。オマケしてもらったんですからー。義理はきちんと返さないと。天理人道は大切に。ん? 天理人情? どっち?」
「どっちでも合ってるよ、多分」
こいつが思いつきでケーキを作ろうと言い出したときにキッチン用品を一度さらったが、そんなものを作ろうと思ったことなど全くないので使えそうな道具はボウルくらいしかなかった。それでアミントレの金物屋に行ったのだ。仕方なく。
まあどうせいないだろ、と思っていたらしっかり店番をしていたアミントレに鉢合わせた。『ぼくねー、ケーキを作りたいんですよー。しかもバターたっぷり入れたやつ!』と鼻息荒く言ったエリーを見てアミントレはテンションを上げ、『君みたいな天使の作るものならきっと極上の味がするだろうね。食べたらしばらく夢見心地で地上には帰ってこれなくなると容易に予想がつくよ。いいなあ、食べてみたいなあー。ところで分けてくれたらこれ全部半額にしてあげるけど、どうする? ねえねえどうする?』と、ちゃっかり値引きをちらつかせ、取り引きを持ちかけてきやがった。俺の財布は助かったが、なんか嫌だ。なんかムカつく。
金物屋でひとつ増やしたボウルに今度は卵を割り入れて、ガチャガチャ言わせて混ぜている。ここに糖蜜とジャムを入れるらしい。図書館で借りた本のレシピにそう書いてあった。
「これっくらいだったかなー。甘い方が美味しいですよねー」
「いやいやいや、計れよ。その横にあるカップはそれ用なんだろ」
「あっ、忘れてた。もー言うの遅いですよー、ギードさんはー」
サラッと俺のせいにしてまたガチャガチャやり始めたエリーは、バターと混ぜる作業に移った。こいつは見た目に反して力持ちだからか全く疲れた様子がない。そして器用ではあるのだが、繊細さがやや足りない。絶対またなにかやらかすぞ、と思っていたら思ったとおりにやらかした。
「なあエリー。それ一気に入れるやつだったか」
「あー!! 三回くらいに分けて入れるって書いてあるー!! もー、言うのが遅いんですってばー。しょうがないなー、ギードさんはー」
また俺のせいにしてぶつくさ言いながら混ぜ、小麦粉をふるい始めた。予想通りもいいところである。はいはいと返事をしながら茶を飲み寛いでいるが、ここからは俺の出番である。
うちには魔力を使って熱する調理魔道具がない。これは放射される熱を最低限の温度にし、食材の中までしっかり火を通せる優れものなのだが、高級料理店にしかない。やはり高価な設備になるからだ。
しかし暑い季節である。じっくり焼かねばならないため、その分火を長く保たせる必要がある。いくら冷風魔道具を働かせても、焼けるまでのキッチンが灼熱地獄になるのはどうしても避けられない。そもそもなぜこの時期に、と言ってはみたが『えっ何がです? 食べたいときが食べどきですが?』と、何を言っているんだこいつという顔をしつつ、はっきりそう言い放たれた。
「見てくださいこの生地の艶! ああ、バターのいい香りがする……ちょっと食べてもいいですかね……」
「ダメダメ、腹壊すから。型に入れたなら二本ともここに入れろ、始めるぞ」
光の魔術の応用である。オーブン内の壁に触れないよう、かつ火力を抑え、上下に火の壁を作ってやる。それを四十分は保たせておく。一言でそう言うのは簡単だが、俺は魔力回路がイカレている。最近調子がいいとはいえ、ちょっと失敗するかもしれない。それは事前にエリーに言った。『焦げたらそこを削ればいいじゃないですかー』と、カラカラ笑い飛ばされたが。
「うわあ、いい香りがしてきたあ。これ絶対美味しいですよ。絶対トビます。一口で!」
「トブとか言うな。変なもの入れたみたいになるだろ。ふー、さて、こんなもんかな。途中で消えないように指定してかけておいたからお前は──」
片付けをしっかりやれ、と言いたかった。だが、唇の動きを止められては何も言えない。
何かに集中していて、振り返ったところをやられたことはもう何度もある。俺は全く学習ができていない。集中すると目の前のことに一直線で、何も頭に入らなくなってしまう。この癖が直らない。エリーが椅子の下で足を動かす癖が直らないのと同じように。
思わず尻餅をついて片手を後ろにつけたのをいいことに、エリーのキスが深くなる。とろりと魔力が流れてくると、縄で縛られたかのように動けなくなる。身体に勝手に染みてゆく、その先を追いたくなる。
口蓋をねっとりと舐められたあと、少し離れて今度は唇をゆっくりと数回食まれた。してやったり。いつものこの得意気な顔を目にすると、俺はいつだって悔しくなる。こっちからやってやろうかという気になる。後悔しても遅いんだぞと襲いかかってやりたくなる。
でも驚かすつもりでもそれはやれない。途中で止められる自信が微塵もないからだ。『オーブンのお礼ですよー』と言ってエリーは俺の頬にキスをし、サッと立ち上がり片付けに着手した。俺はその場で座ったまま火の番である。
すでに火を保つための魔術はかけてあるのだが、なんせ回路の欠線患者だ。魔術が完璧とは言い難い。まあそれは言い訳というか、なんというか。立ち上がれない理由とはまるで関係なかったりする。
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