第20話 追い出される家主
家に帰るとまた荷物が増えていた。とりあえず軒下にあるからいいや、と通り過ぎようとしたがエリーがせっせと運んでくれた。こういうときは力持ちなのがありがたい。
「ありがとな。でさ、魔力をあげてたって何だ」
「んー、なんか、お腹のここに何かあるなーとは思ってたんです。でも魔力の使い方なんか本当に覚えてないし、それが魔力なのかもわかんなくって。ギードさんにチューしたくなってしたときに、それがなんか上がってくる感じがしたのが最初です」
──お前、したくなったからって。俺はてっきり。
「……治そうとしてやってるんだと思ってた」
「えー、それもありましたけどー、したくなったらしますよそりゃあ。当たり前じゃないですかー」
「えっと……、うん、まあいい。それはいいや。それで?」
「それでー、これじゃない? と思って意識して上までまで伸ばそうと頑張ってみたら伸びました。ふわーって。そうやってるうちに記憶もパパッと蘇って、一丁あがり。凄いでしょ? 天才でしょ?」
「はは……、それは凄いな。天才天才」
エリーが忘れていたという主人の名前や、最後に一緒に暮らしていた仲間の名前をスラスラと語り続けるのを聞きながら手と顔を適当に洗い、どっかりソファーに腰かけた。疲れた。本当に。上手くいってよかった。じゃないと俺だけじゃなく、エリーの命も今頃なかった。
エリーが『駅馬車代が浮きましたねー』と言いながらお茶を淹れてくれている。ふわりと香りが流れてきた。
「エリー。明日っからしばらくは、外に出してやれねえわ。先に謝っとく」
「あー、追いかけてくるおじいちゃんとかがいるからですか? なんか怖かったですよねー」
「そんな感じ。いちいち逃げてたら身が保たない。今日もぶっつけ本番だったし、お前を落としたりしないよう本当に気を遣った。これ以上寿命を縮めたくない」
「まあ旦那さま。心配してくれてたんですね! 嬉しいです! でもすっごく面白かったですよ。空が近くて!」
エリーはカサカサと小さな菓子の包み紙を開ける音を立てながら、弾んだ声でそう言った。タフだなお前は。まあでも、泣いたりしなくて良かったよ。
「れもー、あひはかんれんになおってないみらいれすね」
「こら、食いながら喋るんじゃない。いいんだよ、痛くならなきゃそれでいい」
自分から聞いたくせに『ふーん』と流して、エリーはお茶を楽しんでいた。こうすればいい、ああすればいいといつもは食い下がってくるくせに。
休憩したあと滞っていた作業を進めていたとき、アミントレが訪問してきた。こいつは扉を開けるといつも、すぐにエリーに向かって笑顔を投げかけ甘い言葉を連射するのだが、今日は様子が違っていた。顔に緊張を貼り付けて、瞳の色もなんだか暗い。
「ギード、ちょっといいか。あの広告を見に行ったとき、ヤバそうな噂を耳にしたんだが」
アミントレはやけに真面目な顔でそう言ったあとにエリーを呼び、籠を渡して『先に食べてていいよ、今日も可愛いね天使ちゃん』といつもの調子で話しかけていた。
「なんだよアミ、噂って?」
「あの地主の息子がエリーちゃんのことを嗅ぎ回ってる。知ってるか」
「まさに今日、そいつの従者に追いかけられたよ。エリーはもうしばらくは外出できねえ」
「それで諦めてくれりゃいいけどよ。あの息子、すげえ評判悪いじゃんか。なんか悪い奴らと付き合いあるとか、二股三股当たり前だとか。暴力沙汰もあったらしいし。とにかくいい話がないな」
「やっぱ広告の仕事は断るべきだったと後悔したよ。俺もどうすりゃいいか考えてる」
「オレはエリーちゃんに求婚する。今日。今から。お前にゃ悪いが、ちょっと外してくんねえか」
俺は一瞬で自分の顔が強張ったのがわかった。何で今ここで。しかも家主を追い出してまでやることかよ。
しかしこいつが焦る気持ちもわかるのだ。評判は悪いが家格の高い相手がエリーひとりを狙っている。金を持った奴は人を雇い、数の力で攻める手段を簡単に選べるものだ。
それから守るために一番いいのは匿うことだけではなく、先に法的な契約を取り付けてしまうこと。いくら権力者だからといって、所詮はただの一地主。王家が発行する書類にはたった一枚でも勝てる見込みはないものなのだ。無理を通すと不利になるので、大抵の者は黙らせられる。
わかった、とだけ返事をし、軒下の段差に座り込んだ。今日は疲れた。じっとしていると少し目蓋が落ちてくる。目の前には酒場のおっちゃんの店先からかっぱらってきたテーブルが転がっている。
そうだ、こんなことはいつまでも続けていられない。正直、アミントレにはエリーをやりたくない。だが以前、面白い人は好きだと言ったエリーの気持ちがまだ有効だとしたら。
人の心は縛れない。人は理屈で動かない。感情で動くものなのだ。エリーが俺に今までしてきた親切心から始めたこと。それに乗る感情がただの悪戯心や好奇心だったとしたら。俺の前では随分気を抜いているが、それが恋人ではなく過去の家族や仲間に対する感覚と同じものだったとしたら。
もしそうであれば、ますます俺が契約者として名乗り出るわけにはいかない。エリーをどこにもやりたくないが、かといって気持ちを無視して理屈を並べ、承諾を得られても、今後あいつの居心地は今より悪くなるかもしれない。そんなことはしたくない。家で寛げない気分にさせるわけには絶対にいかない。あいつにはもう故郷がないのだ。俺のせいで。
気を抜くとどうにでもなれ、と問題を投げそうになる。投げたって解決しないとわかっているが、駄目だ今日は、疲れている。こういうときは考えたってろくな答えが出てこない。少し休もう、と思って腕に頭を乗せ、うとうとしていたときだった。
「ギード、悪かったな。オレ帰るわ。おやすみ」
「ああ、おやすみ……」
やけにさっぱりしたような、でもどこか沈んだような声で挨拶をされ目が覚めた。おそるおそる家に入ると、エリーがまだ食事をしていた。『おかえりなさい』と言った声色はいつも通りの温度に感じる。
「……なんかあいつに、困ったことを言われなかったか」
「んー、そうですね。まあ困りはしましたね。お気持ちは嬉しいですけど、ここを引っ越す気には全然なれませんでした」
ついていく、じゃなくて引っ越しか。猫は家につくという。エリーにとっての主人というのは、それと同じように居場所丸ごとそのもののことなのかも知れない。
アミントレについていくより、ここに居たいと思ってくれてはいるらしい。奴にエリーをかっぱらわれなかったことに心から安堵しつつも、ドッと疲労に襲われた。
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