第19話 お空を飛ぼう
「うわー!! ジャムがいっぱいある!! ギードさん! ギードさーん!!」
朝方に荷物が届いた。また修理品だろうと思ってしばらく放っておいたら、発送元を見たらしいエリーが勝手に開けて騒いでいた。
一目見ただけでわかる、どれも味に外れがないであろうジャムの瓶が六つも箱に詰められていた。発送元はおっちゃんとジョアンナの服飾店から。広告の評判がとても良いのでお礼の品に、と書かれていた。
いつの間にエリーの好みを把握していたのだろう。さすがジョアンナ。あいつは噂話が好きだから、なんでも人から聞き出すのも上手い。
「えーどうしよ、どれから食べよう。へー、ポリンの実ってジャムになるんだ。リモラって何でしたっけ? あのお魚に乗ってたやつかあ。酸っぱくないです?」
「糖蜜が入ってるから大丈夫。あれ、これもじゃないか? 多分梱包材じゃないぞこれ」
「えっ。なんかすごくお高そうなバター。文字が金色。スウェート牛? って書いてある。これが牛さん? なんか可愛い。性格良さそう」
「性格ってなんだよ。ていうかそんないいもん送ってきたのか。じゃあ今日は作業したあとお昼にパン食べて、広告見に行ってみるか」
『ジャムの瓶は捨てないでくださいよ絶対ですよ、こないだクッキーの缶捨てちゃったの忘れてないですからね、あれお気に入りだったのに』としつこく注意してくるエリーにはいはいと返事をしながら作業を終え、翆の目を大きくしながら無言でパンばかりを食べるエリーに野菜を無視するなと注意したあと、出かける準備に取りかかった。
目の前には想像していたより大きな広告がでかでかと貼られていた。これ、どうやって刷ったんだ。通常の複写魔道具じゃ絶対無理だ。相当馬鹿でかいやつだろう。
「誰ですかこれ。知らない人です」
「いやどう見てもお前だろ。なんだ、その記憶も飛んだか」
『えー、よく似た他人でしょー』とまだ食い下がるエリーをほっといて、着飾って微笑んでいる方のエリーをぼんやりと見つめていた。高嶺の花とはこのことである。真横にいる。しかも手まで繋いでいるのに遠い人になった気がする。
俺が動かなくなったことに気づいたエリーが、ぽかんとした顔で見上げてきた。顔をなるべく隠すために被せたつばが大きな白い帽子。強くなった日差しのせいでできた濃い影の中にある翆色は、地面の照り返しの光を集めて輝いている。
この花は、今俺だけを見ている。俺だけを映している。そんな優越感が胸の内から湧いてくる。正直に言うと、独占欲もだ。他人に対して、ここまで強い想いを持ったことがあっただろうか。ジョアンナのときにも、多分なかった。だから俺は振られたのだ。あいつは鋭い。そんな本音を、きっと見透かしていたのだろう。
「あの、間違っておりましたらすみません。お連れ様はこの広告のお嬢さんではないですか?」
突然、見知らぬ者に声をかけられた。初老の男。身なりはまともだ。むしろ良い。でもなんだろう、この身なりの良さが却って厄介な感じだ。面倒事の臭いがする。
「いえ、違います。……行こう」
「お連れ様はどこかに所属されている女優さんですか? それとも他のモデルさん?」
「……いえ、どこにも所属は」
「ではお二人のご関係は? ご兄妹ですか? 恋人同士? ご結婚はされていますか?」
「ちょっと、いい加減にしてくれないか。急いでるから」
「申し遅れましてすみません。私こういう者でございまして──」
予感は当たった。ここいらで一番でかい家の家紋が印された身分証。こいつはおそらく主の下僕だ。随分前だが、そいつの息子が妙齢なのにまだ結婚相手を決めていないらしいとフランカおばちゃんが言っていた。その息子の容姿は確かにいいが、どうやら好みにうるさい奴なのだとも。
王城から離れたからと油断していた。市民にほど近い権力者。目と鼻の先の厄介者。やっぱりやらせるんじゃなかったな、面倒事が向こうからやってきた。
膝は不思議と痛くない。少し走っても問題ない。だが時間の問題だ。いつ痛み出すかわからない。今はこいつ一人だが、仲間が周りにいるかもしれない。エリーを探している従僕が、たった一人とは考えにくい。
『お待ちください、何か誤解されていらっしゃる』といいながら男は小走りでしつこく追いかけてくる。この場からは手っ取り早く逃げておきたい。何かないか。棒状の、手に持てる、何か…………あった! いっか、あれで!
上手くやれるかどうかなんてどうでも良かった。墜落のことも考えてなかった。
立ち飲み屋の店先にあった軸が細く天板の小さい丸テーブルをひっつかみ、もう寝言でも言える呪文を唱え、エリーを脇に抱え込み思いっきり出力を出した。店主のおっちゃんが気づいたらしく『ギードくーん! それテーブルだけど!?』と慌てながら外に出てきた。わかってんよそんなこと。
古傷があるのは左足。右にエリーを抱えたからおそらくバランス的にはこれでいい。咄嗟の判断が功を奏した。が、出力を出しすぎた。魔力残滓の量がエグい。手からもうもうと煙のように吹き出している。配分を間違えた。
『離陸はとっても簡単です。呪文を唱えてはい出発。一番肝心なのは着陸時。ここを間違えるとあっという間に死にますよぉー』
飛行術を教えてくれた学園の先生の言葉が突然蘇った。魔術師として仕事をし始めたときですら一度も思い出さなかったのに。あの呑気な喋り方の女の先生。今も教鞭を執っていらっしゃるだろうか。お元気だろうか。
「いやもう、それどころじゃねーわ。保つかなこれ」
「……はっ!! ギードさん!? ここどこ!?」
「ごめん、飛んでる」
「飛んでるのはわかってますよ!! うわ──!! うわ──!!」
「ごめんなエリー、思いつきでやっちゃっ──」
「飛んでる────!! すご────い!!」
──すげーなこいつ。喜んでるんだけど。
『ちょっと一回転してみてください』とか『ジグザグに飛んでください』など、ワクワクを丸出しにして注文をつけてくるエリーに生返事をしながらなんとか着陸には成功した。多分この辺が家の近所だろう。
勝手にひっつかんできたテーブルは、天板と脚の接点がグラグラになっていた。弁償確定。こういうのって結構、いい値段するんだよな。また出費だ。痛いなあ。
痛いと言えば脚である。これだけむちゃくちゃしたはずなのに。粗大ゴミと化したテーブルを抱えて歩きながら『痛くない』と呟くと、エリーが言った。
「ぼくが少しずつ魔力をあげてましたからね。脚の痛みはとりあえず、消えたんじゃないですかー」
お前、いつの間に。なんで言わない。じゃあお前の欠線はどうなっている。治ったのか。お前の記憶は。戻ったのか。
聞きたいことは色々あるが、まずは帰宅せねばならない。冷静になってみると、かなり重かったいらないテーブルを抱え直し、息を上げながら家までの道を二人で歩き続けた。
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