第15話 別々に寝よう、の意味

 そろそろベッド分けようと思う。風呂から上がったエリーの髪を魔術で乾かしながら言ったとき、エリーは信じられないという顔をして振り向いた。


 信じられないのはこちらである。お前はもう大人なんだろ。子供じゃないんだから、ひとりで寝るなんて楽勝だろう。何がいけない。今まで寝苦しくなかったのか、あんな一人用の狭いベッドで。


「ぼく、ひとりで寝たことないです。いつも仲間が一緒にいたし、ひとりのときはご主人と寝たり、その奥様と寝たり、お子さんの添い寝をしたり寝かしつけたりしてました」


 主人と寝たり。そう言われたときドクンと胸が大きく鳴った。こいつは愛玩用、と自分で自分のことをはっきりそう言っていた。愛玩用というのはやはり。そんな考えが顔に出ていたのか、エリーは少し目を泳がせ、声を落として話し続けた。


「……変なことはしてませんよ。多分。……記憶にございません」

「や、その……別に根ほり葉ほり聞こうってんじゃない。何をしようが今まで死なずに生きてこられたんだから。命がありゃいい。元気ならなおのこといい」


「……ぼく、最後のご主人のお子さんたちに引き取ってもらえなかったって言ったでしょう? その子たちとは小さいころ、一緒にお昼寝とかしてたんです。エルメンヒルデはいい匂いがするねってくっついてきたりして、可愛かったしとっても仲良しだったんです。でもやっぱり大きくなってくると、愛玩用の意味を良くない方に取るようになってきて。奥様は、あなたも家族なのよって仰ってくださってたんですけど、子供たちは学校の寮に入ったりして、家を出たりする年になると、奥様と同じようには思えなくなったみたいで。それで……」


 奥方には理解があっても、子供たちはそうじゃない。両親とは別の人格を持ち、別の青年時代を生き、新しい考えを外で得たりするうちに、エリーやその仲間たちに穢らわしさのようなものを感じるようになってきた。そう想像した。


「ギードさんは優しいから、言いにくかったんじゃないですか。散々他の人と、その、いやらしい意味でも寝てたかもしれない耳長と──」

「違う違う、そういうんじゃない! 俺だって誰かと寝たことはあるよ。いやらしい意味でも! だからお前を責める立場には全くない。そもそもそんなことで責める奴はろくなもんじゃない、覚えとけ」


「え、でも、でも、じゃあなんで別々に寝ようって言うんですか? ぼく絶対眠れないですよ、そ、それに、別々に、寝るのって、別れようって意味、じゃないですか、そんなのやだあ……!」

「うわ、待て待て! こら泣くな! 泣くなって!」


 月明かりに照らされた翠の目からは、ぼたぼたと水が零れていた。こっちがもらい泣きしそうになるほどに、顔を歪ませ全身から冷気のような悲しみを発していた。氷で出来た針のように細かく尖ったその空気は、俺の心をザクザクと全方向から刺してきたのだ。


 いや、わかるわけないだろう。こっちじゃそんな慣習はない。そりゃ暗喩のひとつとして使う奴もいるだろうが、そんな決まり事はないはずだ。


 こいつからすると、勝手に呼び出してきた当の主人に捨てられそうになり、大いに不安に駆られて悲しくなってしまったというわけだ。しかもここは自分のいた国じゃない。年代どころか、世界そのものがまるで違うかもしれないところに。


 相当な怖さだろう。なんの縁も伝手もないところに再度放り出される恐ろしさ。最初に寝苦しくないかと聞けばよかった。もうちょっと広くするか、それとも分けたほうがいいかと意見をちゃんと聞けばよかったのだ。俺は馬鹿だ。想像力が足りない。繊細さも足りない。責任感も足りない。何もかも中途半端なのだ。


 今更遅いが、慌ててエリーを抱きしめた。湿った髪が首筋に張り付き、暑苦しそうに見える。そろそろ気温が高くなるころだから、そういう意味でも寝床を広くしたほうがいいだろうと思ったのだ。これも今更だが。


 水分の残った髪を撫でながら、弱い魔術で乾かした。もったいないが、そろそろ切ったほうがいいかもしれない。切ろうかなと言っていたし。結べる長さが良さそうだ。


「エリー、俺は別れようなんて言った覚えはない。狭いだろうから広くするかって言いたかっただけなんだ。……俺の言葉が足りてなかった。すまない」

「わ、わかれない? すてない? はいきしょぶんしたりしない?」


「やめろ、ほんとごめんって。別れない。捨てない。そんなことしない」

「……ほんとに? じゃあしなない?」


「いや、それは……いつかは死ぬよ。でもお前、寿命が近いんだろ。一緒に死ねるかもしれないな、このペースだと」

「……そっかあ、いっしょかあ」


 そう呟いたエリーはゆっくりと目蓋を閉じ、そのままくてりと眠ってしまった。余計に汗をかいたらしく前髪が額に張り付いて、濡れた睫毛が束になっている。


 可哀想なことをした。もう小さいとは言えないくらいに大きくなったが、パッと見はまだ親の保護下であろう年だ。こうして眠っているのを見ると、来たときのままの子供のように思えてくる。


 どれほどの主人や奥方、子供たちの死を看取ってきたのか。二百五十年。途方もない年月だ。『いっしょかあ』と安心したような吐息と共にエリーは言った。こいつはもう、見送る立場に疲れたのかもしれない。自分だけ変わらぬまま、出会って共に過ごした大切な家族が枯れてゆく姿を見続けて。


 仲間がいたから。そうは言っても確かこいつは、その都度入れ替わってしまうとも話していた。こいつとずっと一緒に暮らした仲間はいない。そんな二百五十年。


 このベッドを新調しよう。それしかない。そう決めて、湿った蜜花の香りと共に眠りについた。寝ている途中で俺の腰の上に脚を乗せてきて、少々苦しかったがそのままにした。今はこの重さがかえって安心する。こいつには、いつも通りの姿でいてほしいから。

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