第11話 エリーの馬鹿力
エリーにベッドを明け渡したため夜はソファーで眠ったが、あの蜜花の香りのしないソファーは妙な寝にくさを感じ、なかなか寝つくことができなかった。
ベッドを大きいのにしようか。いやいや馬鹿か、あいつはずっと小さいわけじゃないんだ。首輪を外したんだから、そのうち大きくなるだろう。野郎二人で寝られるようにしてどうするんだよ。
そんなことをゴチャゴチャ考えて続けていたせいか、あまり疲れが取れた感じがしなかった。ソファーに寝そべったままぼんやりとしていたら、パタパタという部屋履きの音が近づいてきた。どうやら峠は越したらしい。昨夜は熱が上がってないか、数回は確認したのだ。細切れ睡眠になってしまった。
「ギードさん、ぼくもうすっかり楽になりました。どうもお世話になりました。でもここで寝ちゃったんですか?」
「ああ、寝にくいかと思って……熱が下がって良かったよ」
「あ、はい。すごくすっきりしました。んー、でもギードさん、もしかしてうつっちゃったんじゃ……」
エリーがぺたぺたと額に触れてきた。すべすべした冷たい手が気持ちいい。そして、なんだか全身の関節が痛い。……しまった、まあそうだよな。風邪ひいてる奴の周りをうろうろしてればそうなるか。
「よし。じゃあぼくが代わりに朝ごはんを作ってあげましょう。昨日のスープはまだあるから、パンを浸して、ポリンの実を剥くんですよね?」
「ああ、まあ、そんな感じ……」
またパタパタと部屋履きを鳴らしたエリーがキッチンへと向かっていったので、起き上がって様子を伺った。火のつけ方は問題ない。火力調整も出来ている。勝手に落ちてくる瞼と戦いながらその様子を見ていると、扉を開きスッと何かを取りだした。あ、ヤバい、あれはまずいぞ。
「待てエリー、刃物は使うな、やめとけ」
「えー、じゃあどうやって剥くんです? だいじょーぶだいじょーぶー」
「待て待て待て、怪我しちゃかなわん、コラ! エリー!!」
よろけながら近づいたが遅かった。ズダン!! と大きい魚の頭を刃物で一気に切断したときの音がキッチンに鳴り響いた。俺は待て、そのまま動くな、ナイフから手を離して上に上げろ、とまるで強盗を説得するような台詞をゆっくりと繰り返した。
なんだその不満顔は。今のでいいと思ってんのか。指でも落とす気なのかお前は。それはいくら成長しても生えてこないんだぞ。治療魔術にも限界ってもんがある。小説によく出てくるエリクサーなんかないんだぞ、この国には。
結局またフランカおばちゃんを召喚することになり『あんたもかい、ほんっと世話の焼ける』と小言を言われつつ、まともな食事を用意してもらった。
エリーはまだ納得がいかなかったのか、フランカおばちゃんにナイフの使い方を教わろうとしていたが『怖い怖い! あんた力入れすぎだよお、ひゃー! わー!』とおばちゃんの寿命を縮ませていた。
あっという間に回復したらしいエリーは暇だったのか、テキパキと帳簿付けを終わらせたあと、せっせと掃除に励んでいた。部屋の外からせわしなくパタパタという音がする。病み上がりなんだからゆっくりしろとは言ったのだが、子供は元気だ。すでに約二百五十歳らしいけど。
──────
すっかり風邪が治り仕事を再開したある日のこと。エリーに掃除を任せていたら数十分後、困った顔で近寄ってきて布巾を広げて見せてきた。
「ごめんなさい、またボロボロにしちゃった」
「ん? これそんなに古くなかっただろ。また力いっぱい絞っちゃったのか」
エリーの手のひらには所々破れた布巾が乗せられていた。水気を残さないためにぎゅうぎゅうに絞ったら、ブチブチと音を立てて破れたと言っていた。あまり古くはなっていないはずの布である。どんな馬鹿力だよ、こんな細い腕をして。
「なんか、首輪を外してから変なんです。妙に力が入りやすいっていうか、みなぎる? たぎる? 感じがして」
「うーん……お前、自分の種族の大人のことはどこまで知ってんだ」
「えーと……愛玩用じゃない人もいるっていうのは知ってます。森の中で、自給自足で暮らしてるとか。でも会ったことがないから、それくらいしかわかんな……あ、でも、首輪を途中でつけてた子。あの子はほとんど大人だったからか、本当に我慢できなくなったら引きちぎろうかなって言ってましたね」
「引き千切る? 何を?」
「首輪ですよ、こうやって」
エリーは首もとに握った両手を添え、それぞれ外側の方向に動かした。……工具で切断したアレを。引き千切る自信があるとは。
「もしかしたら、本来すごく力持ちな種族なのかもしれないな。うーん、だとすると、運搬は任せられるが調理とか修理とかの細かいことは……」
そう言うと、エリーはもの凄くショックを受けた顔をして口もとに手を当てた。翆の目がうるうるとして、こぼれ落ちていきそうだ。一度は諦めさせようという方向に意識が向いたが撤回した。待て、そう慌てるな。いま考える。お前の悲しい顔は見たくない。
「じゃあ訓練だ。それしかない。まずその布巾は沢山あるから、それを丁度いい案配で絞れるようにやってみろ。それが出来たら……うーんそうだな、力加減の訓練……肩もみとか?」
「いいですね、それ。一石二鳥。合ってます?」
エリーは整理した本棚から辞書まで引っ張り出していたようで、最近は難しい熟語を意識してよく使ってくる。
この間なんか、肉屋に寄ったら赤い色が鮮やかな肉を指差し『一番美味しそう』と言うから、これは安いだろ、その分筋だらけで食べにくいんだと話すと『羊頭狗肉?』と言い出したので慌てて口を塞いだ。
違う。ここの肉屋は産地や原料の偽装はしてない。食べにくいから出汁を取る用として売ってるんだ。人の話は最後まで聞け。
店の店主はその辺の知識はなかったようで特にムッとしたりはせず『お嬢さん可愛いねえ! おまけしといたよ!』と、倍量の肉を包んでくれた。それはおまけレベルではない。お礼はさせたが、失礼しました、と頭を下げさせる機会を失ってしまった。
「うっ……! いたたたた」
「あっ、ごめんなさい。これくらいでどうかなあ」
「あ、そうそう、そんな感じ……いたた、そこは骨だな」
「ふーむなるほど、骨はここで、筋肉はここ。骨と骨の間についていてー……」
力の加減がまだわからないこいつに身体を任せるのは怖かったが、何度か指導しているうちに力加減と押したり揉んだりする位置は随分良くなってきた。しかし下を向いて作業することが多いので、肩が張っている。その分、加減を間違えられると痛い。
「ほらほら。ここが好いでしょう。辛抱たまらないでしょう」
「うっ……、いや良いけどさ、言い方……。なんかちょっと──」
いかがわしい、と言おうとした瞬間、おもむろに俺の前に回ってきたエリーに強引に乗っかられ、かぷりと唇を奪われた。そのまま両手を素早く取られてソファーの背に押し付けられ、口の中へ舌をぬるりと差し込まれた。
ゾクリとしたものが背筋を走り頭の後ろを抜けてゆく。体温が勝手に上がり、落ちてきた白い髪が首筋をくすぐってくる。乗られたところで重くはないのに腕力だけは別人で、思考よりも早い速度で本能が敵わない、と地に伏せて白旗をブンブン振り回していた。
しばらくの間、こういうことは全くなかった。イタズラに飽きたのだと思い込み、俺はまたもや油断をしていたのである。
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