第10話 お手伝いをしよう
外しても大丈夫だ、ということだけはわかった。でもやはり外し方がわからない。
おそらく一度嵌めると爪の形をした金具が内部でガッチリひっかかり、引っ張っても取れないようになっている。
これは平型の工具を使うしかない。それも刃物に近いやつ。しかしこの白くて細い首筋に、そんなものを近づける気にはならなかった。
「エリー、もうこれは切断するしかなさそうだ。やってもいいか、一気に」
「おおっ。ついにやるんですね。ワクワクします!」
他人につけられたものとはいえ一応、長い間肌身はなさず身につけていたものだ。壊してしまうと聞いたら微妙な気分になるかもと思ったが、全然頓着がなさそうだ。
「ちょっと工具が当たって冷たいけど我慢しろよ。せーの!」
「ひゃー! ついに! バイバイ首輪ちゃん!」
──頓着があるのかないのか。どっちだよ。
バチン、と大きな音が室内に響き、あっけなく首輪は外れた。力を入れて腕を震わせながら左右に強く引っ張ると、真ん中がぐにゃりと曲がりそのあとポッキリ折れてしまった。
あとは正しい位置から中を開いて解析したいところだが、お飾りとしては無骨なものでも魔道具としてはあまりに薄くて小さすぎる。これを魚のようにサクッと開けられるかはかなり疑問である。あちこち傷をつけてしまって解析どころじゃなくなりそうだ。
「ありがとうございます。これでぼく、無事大きくなれます」
「そうだな。大きくなったら力仕事をよろしく頼む。でもなあ、どの程度大きくなるのかわかんないな。今の姿じゃ想像もつかない」
「ぼくの周りには愛玩用の仲間しかいなかったんで、なんとなくでしかわからないですが、多分ギードさんよりかは小さいと思いますよ」
「とか言って、すげえ大きくなるかもな。楽しみだ」
俺はこいつが大きくなって、俺の身長を遥かに越す想像をした。白い髪と白い肌に、翠の瞳が美しい青年に。そして高貴な女性に見初められ、笑顔で我が家を去ってゆく。そうなったらお祝いを出さないとな。何にしよう。
まあその後、その予想はほとんど裏切られることになるのだが。ほとんどどころじゃないかもしれない。そのときは、そう思っていたのだ。
──────
「こんな感じでいいですか? 細かいところはこの刷毛でやりました!」
「あともう一息だな。明かりに当ててよく見てみろ、まだ汚れが残ってる」
「ええー。まだかー」
仕事の手伝いをしたい。本ばかりでは飽きたのか、ある日そう言われて一部を任せることにした。まずは汚れ落としから。最初は力任せにゴシゴシ拭うだけだったが、逐一教えてやると回路の細かいところもなんとか出来るようになってきた。
そのうちスイッチの接触部分の汚れ落としを任せられるようになるだろう。この部分が汚れていたり、埃が詰まっていたり。たったそれだけのことで起動しないことはよくあるのだ。
「あ、そうだ。帳簿の計算はもう終わってます。すごいでしょ? えらい?」
「……それは凄いな。もう終わったのか、結構あったのに。偉い偉い」
こいつは掃除のやり方はなんかは全くわかっていなかったのだが、計算は教えずとも速かった。かつての主人の元で勉強させてもらったそうだ。やはり愛玩用の奴隷などを買う者は、金を持っているだけではなく学のある者が多かったらしい。その一人は教えるのが特に好きで実際とても上手かったそうだ。
仲間の中で一番得意だった、と翠の目を輝かせながら『できたよ』『すごいでしょ』と褒め言葉をねだるこいつは、まあ、なんていうかその、可愛かった。
そうやって今日も真面目に机に向かうエリーから、くしゅん、とくしゃみの音が聞こえた。本日三回目である。埃を吸い込んだのかもしれない。外は暖かいし、窓を少しだけ開けておくか。
エリーが『ギードさん、なんか今日寒いですねー』と言い出したのは夕方近くになってからだった。よく見ると頬の桃色が妙に濃い。唇も紅を塗ったように赤い。目を潤ませ目尻を赤くし、少し汗をかいている。
しまった、全然気づかなかった。作業に没頭していたのと、てっきり埃を吸い込んだのだろうと思い込んでいたからだ。馬鹿か俺は。今頃気づくなんて遅いだろ。治療院はもう閉まっている時間だ。よく見ておけよ。
しかも今日の夕食は肉と野菜を沢山入れてこってりと煮込んだスープと、カリッと焼いたノワイナッツ入りの固いパン、適当に皮を剥いて切っただけのポリンの実である。ほとんど脂っこいメニューで、病人に出せるものはポリンの実くらいしかない。
どうしよう、風邪をひいたときってどうしてたっけ。適当に果物を食べて、ある程度治るまでとにかく寝ていたという記憶しかない。こういうときって普通の家ならどうしてるんだ。
そう黙って考え込んでいると、エリーが頭をほんの少しフラフラさせて立っていることに気がついた。すまん、無視してるわけじゃなくて考えてたと弁明し、とりあえずは夜着に着替えて、そのあとはベッドで眠れと促した。
「あんたねえ。病人の看病ひとつできないのかい。こういうときは消化にいいものを食べさせて、熱がありゃ冷やしたタオルかなんかを額に乗せておくんだよ。熱が高いときは脇に挟んで冷やすんだ。あんた魔術師なんだから、タオルがぬるくなんないようどうにかできるだろ?」
「いやその、消化にいいものってのがわかんなかったんだよ。わざわざすまねえ、おばちゃん」
俺は結局またフランカおばちゃんを頼ってしまった。今日はいてくれて助かった。おばちゃんは味付けの薄いスープにパンを浸したものや、ポリンの実をすりおろしたものなどの病人食を持ってきてくれた。
「おばちゃん、こいつ治療院に連れてかなくて大丈夫かな。いつもより全然元気ねえんだけど」
「そりゃ具合が悪けりゃ誰だってこうなるさ。見たところただの風邪だろうから大丈夫だと思うけどね、夜中に熱が上がることもある。そのとき随分苦しんでるようだったら大きい治療院に連れて行きな。あんただったらちょっとの距離なら飛べるだろ?」
「そりゃ頑張ればやれるだろうけど、途中で落としたりしたらどうすんだよ。やっぱりすぐ治療院に連れてったほうが──」
「あんたねえ。首の座ってない赤子相手じゃないんだから。もし運ぶときはまずこうやって、この子に服を巻いてから背負うだろ、そんであんたの胸の前で袖を縛って──」
「でもおばちゃん、それだと首の支えがねえじゃんか。後ろに倒れたらどうしよう」
「んもーあんたは! 服を二枚使えばいいだろが! ほらこうやって! ここをこうする!」
おばちゃんは身振り手振りを交えながら、緊急時の運び方を教えてくれた。聞いておいて本当に良かった。俺は服を使うという発想が全くなく、縄で括り付けて運ぶことしか思いつけなかったからだ。そんなの相手が家畜でも可哀想だ。非常に危ないところであった。
「エリーちゃん、あんた汗かいて気持ち悪いだろ。おばちゃん手伝ってあげるからすぐ着替えようね。そのあとご飯をちゃんと食べて、しっかり眠ろう。そうすればちゃんと治るからね。ほらギード、夜着の替え一式用意。下着もちゃんとね。あとお湯とタオルも持ってきな。身体を拭いてやらなきゃね。それが終わり次第トレイと食器も用意して。ああそうだ、子供でも飲みやすい味の栄養剤はないのかね」
ぼんやり立っていることしか出来ていなかった役立たずの俺は、おばちゃんの指示に従い続けてテキパキと働いた。従う以外の選択肢は今の俺には存在しない。
エリーは夕食を食べはしたが、半分ほど残したあとそのまま静かに眠りについた。大きな瞳を飾り立てている長い睫毛が、下目蓋に淡い影を落としている。薔薇色に上気し過ぎたその頬には、湯気を絵筆で描いたような形に髪が張り付いている。
邪魔だろうな、と思いながらその髪を掬い耳にかけた。生え際が少し湿っている。もう眠りに入ったのであろう、目蓋がピクリとしても開くことはなかった。
俺は今まで、あまり人の顔に興味を持ったことがない。今では、あれは何だったんだと思うくらい気になっている。さっき閉じたばかりの目蓋の中の、輝く翠の色が見たい。そうやって気にかけているはずなのに、こんなことにも気づけないとは。情けなさが後を引く夜だった。
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