第8話 本棚を片付けよう
エリーが来てひと月は過ぎた。あのいい香りと共に眠っていると、ついつい寝坊をしてしまう。睡眠をしっかり取っている分仕事は捗る。だがそれよりも、前からやろうやろうと後回しにしていた本棚の整理整頓に、今日こそ手をつけてやろうと決心した。
未だに隙あらば唇を奪おうとしてくるエリーが棚にある本を読み、こいつはこういうのが好みなのかと誤解されたり、把握されるのが怖いのだ。試しにああしてみよう、こうしてみようと妙なことをしかねない。最近は本当に遠慮がなくなってきてるからな。
「エリー。俺、今日は本の整理するから。埃が立って身体に悪いからここで待機しててくれ」
「ぼくもお手伝いしますよ? お掃除くらいできますよー」
「いや大丈夫。ひとりで集中したいから。でもお前は暇だろうから何か適当に読んでろ。ほら、これ食いながらでいいから」
もし仕事が多少遅れようとも構わないし、いまは緊急性のあるものはない。エリーに適当に本を選んでもらい、リビングにて待機してもらった。うろちょろされると困るので、お客に貰った大きな箱入りお菓子とお茶をテーブルに置いて。
最後にいつ整理をしたか記憶にない本棚は、本の上に本を横にして詰めてあったり、本棚の前に本が平積みになって放置されたところが多々あった。窓を開け、埃をハタキで払いながら検分を進めていった。
『欠如した線』。何か情報を得られるかと思って読んだが、ただの不倫話だった。この国で一夫多妻が許されるのは高貴な身分の者だけだ。倫理的には微妙にアウト。処分する。
『月と魔女と絡まる鎖』。なんの変哲もない女を取り巻く愚かな男共の物語だった。性的な表現が生々しいからか当時はよく売れていたものだ。最初、地味さをこれでもかと描写されていたあの女が最後はまさかの……性的なものは見せたくないから処分する。
『天まで届かぬ螺旋階段』。表紙の絵が良かったから買ったのだが、所々に作者の女性蔑視思想が見られて少々薄気味悪かった。人一倍女性に興味があるくせに、捻くれていると呆れたものだ。思想に偏りのあるものは見せたくないから処分。
『その討伐は正当か』。あらすじをろくに見ないで暇つぶしのために買ったのだが、当たりではあった。しかしエグい死に方をする登場人物が多すぎる。現場でもあんな死に方はそうそうない。情緒形成に良くないから処分する。
他者の視線を想定していない俺の自宅の本棚は、一言で言うと混沌だった。自分でもわけがわからない。何を思って手に取ったのか、全く覚えていないものもある。そして案外、教育に悪い本が多かった。
教育。そもそも必要だろうか。『ぼく、二百五十歳くらいですよ』。エリーはハッキリそう言った。いやでも、エリーの暮らしていた国ではそうでもこちらでは違うのだ、と覚えておいてもらった方がいいこともあるだろう。
しかし突然、連鎖的に思い出した。最初にここへ来たときに『もうすぐ寿命』だと言ってなかったか。どうしてそれがわかるのだろう。平均寿命のことだろうか。あいつはあのまま過ごしていると、子供の姿で最期の時を迎えてしまうのだろうか。
「エリー。……エリー?」
「…………」
本に没頭していたらしいエリーは、俺が扉を開けて声をかけても微動だにしなかった。熱心に読んでいる。まあ確かにこの表情だけを見ていると、とうに大人になった者のようには見えるのだが。
「エリー。お昼にしよう」
「……あっ、はい。もうそんな時間ですかー」
エリーが手にしていたのは『魔道具修理基礎・上』。…そんなもん読んで何が面白いんだ。
─────
「欠線、っていうのはおそらく魔道具用語として使ったのが先じゃないでしょうか。治療用語にしてはちょっと。身体のことより物を表す言葉のような気がします」
「……鋭いな、その通りだよ。そんなことが書いてあったか」
「いいえ、ぼくの考えです。魔道具の方だと、欠線ってめったにないんですね。合金や部品に大体原因があるってぼく初めて知りました。前のご主人のお屋敷にはここまで詳しい本は置いてなくって。でもすごかったですよ、蔵書の数が!」
昼食の簡単な米料理を食べながら話すエリーは、前の主人のことを笑いながらそう話した。パッと花開くような表情をしたエリーにはなんの憂いもないように見える。
このままこうして忘れたままでいたほうが、こいつにとっては幸せなんじゃないだろうか。笑みが移ったらしく、思わず軽く微笑みながらそう考えていた。しかしエリーの考えは、俺とは違うものだった。
「ぼく、勉強して早くこれを外したいんです。これも魔道具なんでしょう? でもつけられたときのことは覚えてないから、外すためのヒントがなくて難しいとは思いますが」
「…………そうか」
「もう言いましたっけ? ぼくはもうすぐ寿命が来ます。これを外して亡くなった仲間は知らないので、どれくらいで大人になるのかはわからないんですが、ぼくはもっと大きくなって力仕事もできるようになって、ギードさんのお手伝いがしたいんです。ぼく、ここでは自由にしてもいいんでしょ?」
ただただ明るい口調で話すエリーは微笑みを湛えたままだった。最初は聞き流していた寿命の話。もうすぐ寿命。死ぬということだ。俺はなんで忘れていたんだろう。あんなに見とれていたくせに。
「……もちろんだ。じゃあ外そう。仕事の合間にはなるが、少しずつ研究してみよう」
「心強いです。よろしくお願いします!」
ただの日常会話のように話し、エリーは食事を頬張った。目がキラキラと輝いている。豆と米を煮込んだ料理はお気に召したようだ。
外すと子供が作れるようになる。成長できる。大人になる。それはきっと美しく育つだろう。心配で、ますます外に出したくなくなるだろう。そしていずれ正気を失うかもしれない。そうなったとき誰が止めてくれるのだろう。
そんなの俺しかいないじゃないか。戦う前から負けるなよ。轟音が鳴り響く戦場で、ビビる魔術師たちの尻を叩いて回っていたのは俺じゃねえか。戦えよ。
前職のことは考えないようにしていた。戻りたいのに戻れない、その現実に傷つけられるばかりだからだ。修理業に没頭しているうちに本当に思い出さなくなってはいたが、ここで突如、湿気たはずの導火線に大きく火がついたような気がした。
どうにかして、こいつを守る。寿命を迎えるその日まで。最後はいい時間を過ごせた、と思ってもらえればそれでいい。首輪のない感触と、大人になる喜びと、帰る場所がある安心感。それらを与えてやりたいと、俺は強くそう思ったのだ。
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