第7話 エリーは年上のおにいさん
「そのミルク色の髪はまるで全てを愛で包む羽毛のようだ。その瞳はどの星よりも輝いている一等星だ。私はきみの笑顔を見たい。きみの瞳に私を映させてはくれないか。ああ、私はきみに出逢うために生まれてきたと今初めて気づいたよ。私と──」
この野郎。人んちの前でベラベラ寝言をぶちまけやがって。しかし強盗や押し売りの類じゃなくてよかった。知り合いだ。
「きみに出逢うまで随分かかった。しかしその時間は十分価値のあるものだったと思うよ。これからきっと私の時間の価値というのは何倍にも跳ね上がる。きみという天使にここで出逢えたからね。これからきみが成長して女神になるまでを見守れる。それすらまるで神からのギフトだね。そうそう、きみにぴったりな喫茶店を知ってるんだ。もし良ければ明日──」
「明日は空いてねえよ」
色惚けした顔を一瞬で嫌な顔に変えてこっちを見てきやがったこいつはアミントレ。金物屋の跡取り息子だ。いつも研磨や切断に使う魔道具の修理依頼を持ち込んでくる。エリーはぽかんとした顔をしてこいつを真っ直ぐ見つめていた。見なくていいぞこんな奴。
「エリー、ちょっとこいつに話があるから。中入って扉閉めとけ」
「おやすみ、私の天使ちゃん。今夜夢でまた逢おうね!」
「アミ、お前な。もう夜だぞ。何の用──」
「おいこらギード、なんであんな子がここにいんだよ。お前一体何したんだよ! 拐かしか!?」
「ちげーよ! あいつはその……親戚が連れてきて置いてったんだよ」
「はあ!? マジか!! ヤベー親だな、こんな独身男しかいねえ家に!! お前まさかとは思うがよ、なんもしてねえだろうな」
何かした、と疑われて息が詰まった。いや、何かしたわけじゃない。どっちかというとされた方だ。された、と意識した途端にエリーの唇のふわりとした柔らかな感触と、あのしたり顔が頭に浮かんだ。
「……何かあったな。そうだろ」
「なんもねーよ、まだ子供だし」
「はあ!? まだってことは大きくなったら襲う気だろ!! お前は絶対にやる、オレにはわかる!!」
「うるっせーな何時だと思ってんだもう帰れ!!」
俺はアミントレの肩をぐいぐい押して門まで押し出し、鍵をかけた。『なんでオレんとこにはああいう子が来ないの!?』とまだギャアギャア騒いでいたが。それが原因だろ。そういうことばっか考えてるから。
「エリー。エリー! もういいぞ。あいつは帰った」
「あの……ごめんなさい。修理の依頼だって言われて、何か重いものを持ってきてて、早く早くって言われたから、 開けちゃって……」
エリーは椅子に座って足をぷらぷらさせ、手の指をこねながら一生懸命弁明している。さっき、扉の近くには確かに荷物らしきものが置いてあった。訪問時間を考えろよ金物屋め。ついでにナンパしてんじゃねえ。
「エリー、いいか。もう終わったことだから今日はいい。いいんだが、今後は何を言われても開けたらダメだ。魔術師がいるって知られてるから滅多なことはねえはずだ。だけど噂ってのは広がるのが早い。か弱い女の子一人、いや男の子だけどさ、そう見える子なんかどうにでもなると思われて──」
あとはなにを言えばいい、なにか伝え忘れていることはないだろうかと考えながら忙しなく口を動かしていたら、立ち膝になったエリーが白い腕を伸ばしてきた。
眉と大きな目の端を下げ、やや首をすくめていたので不安にさせてしまった、心許なくなって抱きつきたくなったのだろうと手を広げて受け止めた。そのつもりだった。本当に。あっと気づいたときには遅かった。
柔い唇が当たる感触。そして舌の縁を舐められて、ゾクリとしたものが胸に走った。思わずテーブルに手をつくと、さっきより深く口の中を舐められて、最後に唇を軽く吸われて解放された。上目遣いで口の端を持ち上げながら、エリーは一言呟いた。
「おかえりなさいませ。ご主人様」
「…………ただいま…………」
──────
その日を境に、俺とエリーの攻防戦が始まった。朝起きたばかりでぼんやりしているとき。座っての作業中、声をかけられて振り向いたとき。胸元のリボンを結んでくれ、と言われて屈んだとき。隙あらば口づけてきて、眠るときなんか両手をベッドに抑えつけながらしこたまやられた。
……立場が逆じゃないか? いや正しい、正しいというか自然な立ち位置? まあそんなのはどうでもいいが、そういうのはダメなんだと言い聞かせたら思いきり不満げな顔をされた。
「もう、なんで嫌がるんですか。ぼくは好みじゃないですか? 気持ち悪かったですか? ぼくは気持ちいいんですけど」
「きっ……そうかよ、いや俺も気持ち悪くはないし逆に……じゃなくて、その、こっ、好みとかそういう話でもなくて、ええと、罪になるんだよ。そう、罪になる。お前くらいの年頃の子にそういうのはダメなんだ。同い年ならいいだろうけど。俺を罪人にしないでくれ」
「あれ、言いませんでしたっけ? ぼく、二百五十歳くらいですよ。ぼくのほうがずーっとお兄さんです! 年上です!」
「…………二百五十年の経験がって言ってたのって、そういうことか?」
「そうです。ぼくはギードさんよりお兄さん。年上ですよ。わかりましたか?」
「……………………」
種族そのものが違うということはわかっていた。しかし、そこまで寿命の差があるとは想像すらしていなかった。目の前にいるエリーは相変わらず小さい足をぷらぷらさせ、得意そうな顔をしている。想像なんかできるわけがない。小指の先ほどもできねえよ。
「わかっ……いやでも、俺を助けようとしてくれるのは嬉しいんだよ。脚を治そうとしてくれてんだよな? でも勝手に呼び出したのは俺なんだから、そこまでしなくていいんだよ」
「ぼくが勝手にやりたいと思ってやってます。この家では自由にしていいんですよね?」
──言ったけど。確かに言ったよ。でも。
「わかった。でもな、外では絶対やっちゃダメだ。絶対にだぞ」
「えー。なんでですかあ。別にいいじゃないですかー」
恐ろしい。外でも同じことをやるつもりだったのか。話し合っておいて良かった。もし衛兵に見つかれば、尋問は避けられない。最悪捕縛されてしまい、洗いざらい吐かされて、魔術師免許は剥奪されてエリーとは引き離されて、どこで何をしているのかわからないなんてことになってしまう。間違いなく。
エリーは孤児院にでも入れられるのだろう。そこであっという間に貴族かなんかに見初められて引き取られ、裕福な暮らしができるだけならいい。それならそれでいいのだが、邸というのは密室だ。
エリーの美しさに目が眩んだ男に、無体を働かれるかもしれない。美しさに嫉妬した女に、虐められるかもしれない。どんな目に遭っても、俺には一生わからないままになるのだ。何もできず、あいつは大丈夫なのかと不安に手をこまねく日々。そんなのは絶対嫌だ。考えただけで恐ろしすぎる。
「……見た目。そう、他人から見たら、俺がお前に酷いことをしているように見えるんだ。だからダメだ」
「見た目…………わかりましたぁ」
エリーは胸元のリボンをいじりながら、むすっとした顔でそう言った。最近は、来たときより多少遠慮がなくなってきた。それはいいことだと思っている。寛ぐ場である家の中でガチガチに緊張したり、顔色を伺ったりされ続けるのはこちらとしても辛いからだ。
けどなあ。いきなり数段飛びで遠慮のな ことをされるのは。俺は罪人にはならないのだという安心感と、外に出るときの注意事項がまた増えてしまった重圧を感じていた。
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