第6話 魔術師は油断した

 気まずい。非常に気まずい。いや、こんな小さいの相手に何を考えている。


 最初のときのように普通に風呂に入り、髪を乾かしてやり、また少し毛先が絡んできたのに苦戦して、髪をどうにかするものを買おうと思っていたことを思い出し。


 着るものも大事だが寝床が先だったかなあ、と後悔していた矢先だった。エリーが突然俺の膝の上に乗り、肩に腕を回してきたのである。




 俺は、変な気を起こさなかった。そんなものとは違う衝撃を受けたのだ。慣れている。娼婦の真似事、いや娼婦の仕事をさせられていた可能性。


 頭の隅では考えていた。奴隷じゃない。でも愛玩用。酷いことをされた気がする。けど仲間が優しかったから。酷いことというのは、こういうことの強要だったのではないか。意に反する、という感情を表に出すことすらさせてもらえない日々。そう思うと胸が痛み、いてもたってもいられなかった。


「あれ、ギードさん。粘膜接触しないんですか?」

「……しない。する気が起きない……」


「こっちのほうがいいですか? でも、多分これじゃ治らないですよ?」

「いい。こうするときっとよく眠れる。よく眠るのは傷にもいい。……おやすみ」


 思わず仰け反った俺は絡んできたエリーの腕をひっぺがし、無理やりまとめて抱きしめた。力加減がわからなくて怖いが、辛そうにはしていないのでそのまま白い頭に顔をうずめた。


 石鹸の香りに混じる蜜花の香り。この耳長という人種は皆こうなのだろうか。この香りを嗅ぐとどうにも気持ちが落ち着く気がする。懐かしいような気がしてくるのだ。でも、何度嗅いでもそんな気がするだけで、何も思い出せやしない。


 俺の眠気と連動するように、エリーが頭を揺らしはじめた。そっと横にしてベッドに移し、上掛けをかけてやる。もう半分眠っているエリーは翠の目を薄く開け、溶けるような声で囁いた。


「ぼく、ちゃんとできますよ…なんたって…二百五十年…経験が…………」

「…………」


 …………二百五十年?




 ────────




「あ? なんだよ爺さん。こんな遅くに。もう閉店してんだよ。中身が腐る? さっさと食えばいいじゃねえか。店のやつ? うわ、そっちかよ。めんどくせえ。あー行く行く、行くから待ってな」


 あれから数日後、夕食の片付けが終わり風呂に入ろうと思ったところで通信魔術道具のベルが鳴った。店の食材を保存する冷蔵魔道具が突然故障したらしい。大型のやつである。さっさと修理しないと、せっかく仕入れた食材がパーになる。そう言って食事処の店主が泣きついてきたのである。


 大物である。時間がかかるかもしれない。急いで必要になりそうな道具をまとめ、家を出ようとしたところでふと気がついた。このまま待たせて大丈夫か。こいつは留守番をしたことがない。フランカおばちゃんを呼んだほうがいいだろうか。


「ぼく、今日はひとりでお風呂に入ります。もう使い方はバッチリですよ! もし遅くなりそうなら先に寝ますね」

「いや、でも。お前、留守番したことないだろう。やっぱおばちゃんを呼んだほうが──」


「フランカさんは今日旦那さんとご旅行ですよ? こないだ聞いたと思います」


 ──おばちゃん。何もこんなときに。


「大丈夫ですよ。いってらっしゃい」

「……いいか、俺が帰ってくるまで絶対扉を開けるなよ。外から声をかけられても返事をするな。居ても居ないフリをしろ。そもそも鍵に触るなよ。窓も絶対開けたらダメだからな、カーテンは全て閉めてあるか確認してくれ、それから──」


 それは突然だった。エリーは思いつく限りのことをまくしたてる俺の首に、にこにこしながら手を伸ばした。なんだろう。かがめってことか、と特に何も考えず促されるままにしていたらあっさり唇を奪われた。


 ぱくりと食んで味わうように口づけられたあと、唇をぺろりと舐められた。してやったり。エリーの顔にはそう書かれていた。


「急いでるんでしょう。大丈夫ですよ。いってらっしゃいませ、ご主人様」

「…………いっ……てきます」




 俺は動揺していたのだろうか。どうやって爺さんの店に行ったのか記憶がない。後日、店主の爺さんの話によると俺はいつも通りやってきて、テキパキと作業を終え、忘れ物もせず道具をしまい、金銭授受をしっかり済ませ、挨拶をして帰ったそうだ。変な素振りは全くもってなかったと。


 ……全然記憶がない。いや、所々覚えているところはある。故障原因。単なる合金割れだった。それだけだ。




 末恐ろしい。先輩から引き継いだとか、そういうことなのであろう『二百五十年の経験』。以前は無体を働かれ、いかがわしいことを強要されていたのであろう子供としてひたすら同情していたが、エリーはそもそも違う種族の者である。


 あの首輪で成長を止めてある、と来たとき言ってなかったか。外して望めばじきに子供がつくれると。あのときも今のように、俺の頭は正常だったとは言い難いから定かではないのだが。


 いやいや何を考えている。成人しているからいいのだ、という方向に都合よく物事を考えてはいないか。以前ジョアンナに言われたことを思い出した。『あんたはわりと考えなしね。考えてるって? いいえ違うわ。自分に都合の良いようにしか考えられていないってことよ』。


 仮に成人、いやとっくに年を超されていると考えても、俺はあいつの保護者である。勝手に呼び出したのは俺なのだから、責任を取らねばならない。かつての主人と俺はは違う。妙な気を起こしちゃならない。俺はあいつの過去で一番、まともな主人でいたいのだ。


 でもあれはどうなんだろう。自分から……いやいや、ダメだ。エリーのせいでは決してない。ああいうことをするなと教え、やめさせないとならないのだ。保護者として。責任者として。それが正道というものだ。




 ……あれっきりで終わりになるかな。もしかして…………馬鹿か俺は。いい年して何を考えている。ちび助相手に油断しやがって。正気を保て。反省しろ。大きくなるまで辛抱だ。待て、大きくなっても駄目だから。なんでだっけ。とにかく駄目だ。


 足元をふわふわさせ、まるで自分の方が子供になったかのような感覚を引きずりながら帰宅の途についた。起きながら夢を見ていたからか、反応が遅れてしまった。呼んでもいない先客が来ていたのである。

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