第5話 お約束を決めよう

 この家では自由にしていい。何か飲み食いするときだってわざわざ俺に聞かなくていい。トイレも当然行きたいときに行っていいし、本棚の本も勝手に読んでいい。出かけたいところができたら相談してくれ。仕事場は危ないものがあるから、もし触ってみたくなったときは言ってくれ。


 思いつく限りの約束事を紙に書き込み、見えるところに貼り付けた。話しながら書き、貼ってから気づいたが、エリーは文字が読めるのだろうか。


「はい、読めますよ。変わった形をしてる気はしますが、意味はしっかりわかります」

「そうか、じゃあ試しにこの本を読んでみてくれ」


「ええと……主な故障原因のひとつである合金の割れは、様々な理由によるものです。例えば魔力変換器はその足部分を固定のためと、魔力を流すために合金で覆われていますが、これは作動時に細かく振動するため──」

「完璧じゃないか。識字は全く問題ないな。じゃあ明日にでもお前の読みたい本を借りに行こう」


「まずはここにある本を読みたいんですが、いいですか? 静かに読んでます。お仕事の邪魔はしません」

「もちろんいいが……つまらなくないか?」


『いいえ』と首を振りながら言ったエリーは、今読ませた本に再度目を落とした。にこにことしているが、本当に面白いのだろうか。また気を遣っているのでは。…考えても仕方ない、作業を始めよう。


 俺の仕事は魔道具の修理と、中古品の斡旋だ。魔道具は便利だが、本体価格がまだまだ高い。それでも多少無理をすれば市民にも買えるものだし、通信魔道具つきの家はそれだけ高く売れて人気も出るので設置したがる家主も多い。


 ただ、物言わぬ物体である魔道具はある日突然壊れる。口がないため、どこが悪いとも言えやしない。だから修理屋は生計を立てられるのだが、実を言えば買い替えた方が遥かにいい。直してしばらく使えても、経年により全体が劣化している。またいずれ、あちこち故障してしまうからだ。


 それでも市民にとっては高価なものだ。長年使って修理を重ねればもう一台購入できる金額になるのはわかっていても、そうそうまとまった金は出せるものでない。金のある貴族は簡単に買い替えるので、おこぼれを頂戴する形で俺たちはその中古品を修理し販売する。この二種類の仕事を並行することで、安定した──


 ……静かすぎる。エリーは何をしているのだろう。


 ふと気になり顔を上げると、外の呼び鈴が鳴った。もうそんな時間なのか。どれだけ経ったのかわからないが、少し薄暗くなっている。仕事に集中しすぎてしまったようだ。




「まいどー! ネイバー商店でーす! ギード、あんたもう夕飯の時間だけど何か用意してんのかい?」

「……してない、忘れてた」


「はー! そんなこったろうと思ったよこの独りもんが! エリーちゃん、これおばちゃんが作ってきたから。開けてみな! いっぱいあるからね!」

「わあー、美味しそう! ありがとうございまーす」


 ズカズカ入室してきたおばちゃんは赤い鍋をズドンとテーブルに置き、背中にしょった荷物を下ろして食料品を並べ出した。エリーは鍋のつまみを握って蓋を開け、美味しそうな匂いのする湯気を浴びながら笑っている。


 正直助かった。金を支払いながら、料理の分はいくらだと聞いたら『あれはエリーちゃんに作ったものだから。あんたはおこぼれをもらうといい』と言って、受け取ってはもらえなかった。




 ──────




「ごめんな、お腹が空いてただろうに。作業に入るとどうしてもな」

「いいえ。ぼくもずっと本を読んでましたから。薄暗くなってるのに全然気づきませんでした」


「暗くなったら明かりをつけるように、ってあの紙に書き足しといたほうがいいか」

「ふふ、それくらい自分で出来ます。ご心配なく。美味しいですね、これ」


 おばちゃんが作ってくれたのは大量のミルクスープだった。乳製品が好きなんだろうか。じゃあ次はもっといいバターを注文しようか、と考えながらお腹を温めていたときだった。


「本に書いてあったんですけど、治療魔術師じゃなくても治せる方法があるそうですね。粘膜接触っていう」


 ……しまった。一度読んだきりで忘れていた。どうにも脚が治らないと思い、高かったが購入した欠線治療についての本。ごく稀に起こる魔力の質の不適合。本当に稀にしか起こらないため、望みは薄いが他の魔術師にあたるしかないと書かれていたはず。


 いや、それじゃない。自然治癒した例として小さく載っていたある患者の症例。パートナーと仲が良かったその患者は粘膜接触のたび、なんとも表現のしようがない、神経の末端が痺れるような感覚を時折覚えていた。


 魔力の適合などを確認する術がないため仮説でしかないが、おそらく魔術師より適合していたと思われる魔力に触れ続けたこと、さらに心理的な緊張が解れたことにより、自然治癒力が高まったのであろう。そういう記述で締められていた。


 大々的に、患者に希望を持たせるような内容ではなかったはずだ。どっちかというと、箸休めのおとぎ話のようなもの。凄いな。隅々までしっかり読んでいる。いや、感心している場合じゃない。


「へえ、そんなことが書いてあったか。よく読んでなかったな」

「試しにやってみましょうよ。簡単なことですし。お風呂に入って身支度したら」


 ──やめてくれ。そんな、いいこと思いついちゃった、みたいな無邪気な顔で。


 固まった俺を、首を傾げたエリーが見つめる。そこには傷が幾重にも重なり、光を鈍く反射している金の枷。すぐに外してやりたかった。でも、外さないほうがいいかもしれない。主に俺の精神安定のために。


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