第1話 新たなるペルソナ

「おお神よ、私たちの民を繁栄と平和にお導きください」


 トゥリメア公爵アシタスの声が神殿の四方に朗々と響き渡っていた。


 その低く逞しい声で紡がれる彼の祈りは誠実さと強い信念を伝えていた。


 しかし、彼の祈りが終わるや否や、大神殿は突如として眩しい光で包まれた。アシタスは思わず目を覆った。


 その光が収まると、神殿の中心には、赤い瞳を持つ黒髪の美少女が浮き上がるように立っていた。


 姿がわずかに変化していたが、それは月島いのりだった。


「何という…!」


 アシタスはこの世ならざる出来事にとまどいと、並々ならぬ畏敬の念を抱き、しばらく呆然と眺めていた。


 光が収まると少女の体は支えを失ったかのように倒れそうになったが、アシタスはすぐさま身をかがめ、彼女を抱えて立て直した。


「大丈夫か、少女よ?」


 彼の低くて力強い声が神聖な空間に響いた。


「ここはどこ……?」


 目を覚ました彼女は、見知らぬ場所に恐怖と戸惑いを感じていた。


「ここは我々が神を祭り、礼拝する場所、大神殿だ」


 彼はゆっくりと答え、彼女の顔色を見つめ返した。


「大神殿?」


 いのりの意識はまだもうろうとしていたが、そこが体育館でないことはすでに悟っていた。


「おい!誰か!」


 アシタスは声を上げて人を呼んだ。


 兵士たちがやってくる。


 アシタスは彼らに「この少女を看護してやれ」と命令を下した。


 ***


 数時間後、いのりはベッドの上で目を覚ました。そこは神殿の一角にある治療室で、彼女の目の前には、アシタスが立っていた。


 アシタスはその様子を確認すると、彼女に問いかけた。


「いくつか伺っていいかな?」


 いのりが頷く。


「君の名前は?」


「いのり……月島いのりです」


「ほぅ……珍しい名前だが……不思議だ」


 アシタスには耳慣れない響きだったが、それが「祈ること」を意味することはなぜか自然と理解できた。


 アシタスは、彼女の名前に込められた意味を理解し、そしてますます特別なものと考え始めていた。この出会いは神の導きであるかもしれないと。


「いのり、あなたは行くあてがあるのかな?」


 アシタスの問いにいのりは「いいえ」と答えた。ここがどこか見知らぬ場所であることは理解していた。


「とにかくしばらくあなたを保護することがよいだろう。そうだな、私の娘ということにしておこう。名前はラティエナというのはどうかな?」


「ラティエナ……」


 いのりは反芻した。


「そうだ。ラティエナというのは神聖な名前で……」


 アシタスは自分が付けた名前の意味の説明を始めようとしたが、考え直した。


「とにかく、いのりという名前は珍しく、ここでは目立つ。ラティエナという名前のほうが自然だ。このおじさんの忠告を受け入れてくれるかな?」


 アシタスは温かく語りかけ、いのりが頷くのを確認すると、手を差し伸べて彼女を立ち上がらせた。


「ありがとうございます」とラティエナは答え、その手を取った。


 ここまでですでにラティエナは、見知らぬ、おそらく外国人であると思われる相手の言葉を理解し、自然と話せることに内心驚いていたが、その理由を深く考えることはしなかった。


「あなたは私の娘ということにしておくのがいいと思う。どうかな?」


 ラティエナは頷いた。


「さあ、宮殿内を案内してあげよう。私の娘が私の宮殿について知らないのは不自然だからね」


 アシタスはラティエナを神殿の外に連れ出し、宮殿へと導いた。


 広大な中庭、緑豊かな庭園、壮大な建築物など、古代ローマを彷彿とさせる宮殿は息を呑むような美しさだった。花々の香りが漂い、噴水の音や笑い声が敷地内に響いていた。


 ラティエナは、宮殿内の美しさに目を見開き、息をついた。壮麗といって良い。アシタスがかなりの権力者であることをラティエナはすぐに理解した。


「ラティエナ、当分の間、ここで自由に暮らしてもらって構わない」


 アシタスは温かい微笑みを浮かべながら、彼女に言った。


「元気になったらゆっくり見て回るといい」


 優しい言葉にラティエナは安心した。


「まあ見たところ、もう十分に元気そうだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

仮面の姫と帝国建国記 @T-Nishijima

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ