異世界カフェ ヴィエランジェ【6】

「何飲む? そうだ、ミリィさん持ちだしエルフの泉で湧いた水飲んでみる? 全然美味しくないよ」


「さっきから思ってたけど、変わり身の早さが清々しいね。それに、意外と演技派だ。騙されたよ」

「演技? どういうこと?」


「ごめん気にしないで。じゃあお願いしようかな、エルフ水」

「そ、それはまた別物だから……。もう……ヒトヨシ、そういう所は男の子だね」


「え、僕は一体何を要求したの?」

「言えるわけないじゃん。…………えっちょ」


 サリアちゃんは顔を真っ赤にして、逃げるように去ってしまった。エルフ水ってどういう設定のどんな物なんだ。


 名前を聞いた女の子を茹らせる水……それは恐らく、卑猥なのだろう。えっちょって言ってたし。えっちょってなんだ。徐々に細っていった所から察するに、えっちと同義で間違いないとは思う。


 脳内に広がるえっちな響きのえっちょを味わいながら、元いた席へ腰を下ろす。大きめの息を吐くと、自分の身体が火照っていると気付いた。どっぷり浸かった非日常は、とても心地の良いものだったと、帯びた熱が言っている。


 どうにも落ち着かないので目線をうろつかせると、ドワーフおじさんが目に入った。あれだけの騒ぎがあったのに、うつらうつらと舟を漕いでいる。見た目通りの大物だ。


 続けて入り口上の穴を見る。ぽっかり空いた大きな穴は、世界に空いた穴みたいだ。そこから覗く青空は、見慣れたはずなのに。今まで見たどんな空より鮮やかだった。青。鮮烈な、青。これは僕の、冒険の色。


 まるで――


「サリアちゃんの目みたいだ」


 思い付きを宙へ投げてみるとしっくりきた。口に馴染む例えだ。


 駆け出しの冒険者がエルフの女の子と出会い、会話をして、一緒に戦った。そのあらましをまとめるのにこれ以上の言葉は無い。


 サリアちゃんの目は僕の冒険の色。

 本人に伝えたらどんな顔をするだろう。見た目よりずっと感情の幅が広い女の子だから、笑うかもしれないし、適当にあしらうかもしれない。


 予想が出来るようになったら楽しいだろうな。


 僕はまたここへ来るだろう。出禁にならなければ、だけど。





「ごめんなさいミリィさん。あれは僕が悪いんです。だからサリアちゃんとマグちゃんは許してあげてください。あと、ワーウルフの人も」


 戻って来たミリィさんに、僕は必死で頭を下げていた。店側のイベントへ勝手に乱入した結果、流れをぶち壊してしまった。なんとかそれっぽくまとまったけれど、そんなのものは謝らない理由になりはしない。謝罪は繰り返せばパフォーマンスへ成り下がると分かっているつもりなので、一度に熱意を全て込めている。


 するとミリィさんは、僕の後頭部へ優しい声を落としてくれた。


「大丈夫よ。全員から事情は聞いたから。ほら、顔を上げてヒトヨシくん。あなたが謝ることなんて一つもないのよ」


 顔を上げた先でミリィさんがどこかを指さしていた。導かれるままに目を向けると、さっきまであった穴が無くなっている。塞がれていた、ではなくて。


 欠片の違和感もなく消滅していた。元通りの壁が当たり前に存在している。


「あれは演出なの。えーと、なんとかハイヒールってあるじゃない」

「プロジェクションマッピング。建物や壁に映像をマッピングする技術ですね。ヒトヨシさんならご存じでは?」


「名前は聞いた事あるけど……」


 マグちゃんが挙げた以外にも、人体をはじめ楽器や樹木といった様々な立体物を対象にする、ということくらいは知っている。でもあれって、あんなリアルに出来るのだろうか。そもそも店内は明るかったし、映写する機械も見当たらなかった。音や振動も作り物では味わえない重みがあったし。


「ぷろじぇくしょんまーぴんぐ? なにそれ、初めて聞いた」


「サリアちゃんは少し黙りましょうか。後で教えてあげるわね。えーっと、ヒトヨシくん。お気に召したかな、この店は本物に近い臨場感を売りにしてるの。驚かせちゃったならごめんなさい」

「かわ――」


 お茶目にウインクしながら舌を出したミリィさんに完全ノックアウトされた。お姉さんキャラが垣間見せる子供っぽさには、致死量の可愛さが含まれている。現代でも解毒剤は発見されていない。


「うわっ、この年増……いい歳して何してるんですか」


 ヴィエランジェが演出に力を入れているのは分かってたことだし、説明を受けたら納得するしかない。この作り上げられた空間の一部を否定してしまったら、ミリィさんが見せてくれた表情も否定してしまう気がしたから。


 僕の脳は楽天的に出来ているのだ。

 あれこれ考えるよりも、気になる人の魅力的な一面を喜ぶ方が僕には合っている。つまり、ミリィさん超かわいい。


 締まりのない顔をしてると自覚しつつも直せないまま会計を済ませた。食事と飲み物で1300円とこの手の店にしては安めの料金を払って、ポイントカードにスタンプを押してもらった。


 最初の一歩。一ポイント。レベルアップはまだまだ遠いけれど、目標のある冒険には気持ちが昂る。早くスキルとか欲しいなあ。


 今日の冒険を思い返す中で、終盤にご馳走してもらったエルフの泉で湧いた水を思い出した。


 美味しくなかった。水を水で薄めたような、ただの水なのに違和感を覚えてしまう奇妙な水だったのだ。リピートはないし、サリアちゃんがぼったくりと切り捨てたのも理解できる。一刻も早くメニューから消し去った方が良い。


 店を出ようとすると、背後から声を掛けられた。


「ヒトヨシくん。今日はありがとう」

「ミミミミリィさん⁉ そんな、こちらこそありがとうございました楽しかったです美味しかったです!」


 素っ頓狂な声が出てしまった。ミリィさんと話すだけでも緊張するのに、香ってくるフローラルが余計に思考をかき混ぜてくる。


「そう言ってくれると嬉しいわ。あまり繁盛している方じゃないから。同年代の子と話せて、サリアちゃんも嬉しかったみたい。迷惑かけなかったかしら?」

「とんでもない! 変な子だとは思ったけど、迷惑なんて掛けられてませんよ」


「ふふふ。暇な時はまた相手してくれるかな。来てくれると私も嬉しいわ」

「よーし十秒後にまた来ようかなー!」


 これじゃ僕も変な奴だ。恥ずかしくなったのでそろそろお暇しよう。


 男らしく戦略的撤退を図る僕に、ミリィさんの背後からにゅっと現れたサリアちゃんが言った。


「ほんと?」

「ほんとって……なにが?」

「十秒後に来るって」

「ごめん、冗談」


 そこを突っ込まれると思っていなかったので困惑してしまう。《そっか。残念》と僕へ向けられた、いじけたような声音が妙に心へ刺さる。


 帰り際にこんなこと言われたら、そりゃまた来るよなあ。

 忙しい系オタクのバルログが入り浸るのも理解できる。


「また来れる?」

「うん。その時はまた魔法を見せてよ。あのウサギのやつ」

「あっ、ちょっとヒトヨシ!」


 途端にサリアちゃんが狼狽え始めた。


 あれ、僕なんか言っちゃいました? と首を傾げると、答え合わせの如くミリィさんがサリアちゃんの腕を掴んで言った。


「サリアちゃん? 聞いてた話と違うみたいだけど、私が戻る前にも魔法使ったのかしら?」

「そ、それは……」

「ちょっと奥で話しましょうか」

「や、やだ! ヒトヨシ! 守ってくれるって言ったでしょ!」


 どうやら供述に含まれた虚偽が発覚してしまったらしく、無情に連行されてしまう。サリアちゃんは青い瞳を目いっぱいに潤ませて僕へ手を伸ばしているけれど、空しく距離が離れていく。


「あ、あの! 僕が無理言ったせいだから、サリアちゃんは」

「気にしないでいいのよ。もう一度話を聞くだけだから。また来てね、ヒトヨシくん」

「喜んで」


 僕にはどうすることもできない。創造神には逆らえないのだ。


 聞こえないのは分かっていても、ごめん、と一言を添えておく。


 後味の悪さを残しながらも、僕は今度こそヴィエランジェを後にした。

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