異世界カフェ ヴィエランジェ【5】

「それにしても凄かったよね、サリアちゃんの魔法。僕も使えるようになるかな」

「簡単だよ。ミリィさんが居ない時なら教えてもいいけど」


「こう言ってますけど、陰でめちゃくちゃ努力するタイプですからねサリアは。上手くいかないとすぐ泣きますし」

「泣いたことないし。余計なこと言わないで」


 嘘だと一蹴せず、余計なことと言った。マグちゃんの発言は真実に近いのかもしれない。


 それにしても、魔法を使うのはダメと言っていた数分前が嘘みたいに、サリアちゃんは乗り気になっている。バレなければ大丈夫路線への転向がさりげない。さすが問題児だ。


 けれど僕は、そんな彼女達との時間を心地良いと思ったのだから、咎めたりするつもりは全くない。足しげく通おうとすら考えている。


 らしくもなく。

 次はミリィさんともっと話せたらいいな。


 のし掛かってくる名残惜しさを払いながら立ち上がると、突然大きな音がした。重い物が地面へ落ちたような衝撃音。軋む床の悲鳴に加えて、《ぐえっ》という野太い声も響いた。


「なんだここは……酒場か? 確か俺様は魔王様の癇癪で空間の歪みにぶちこまれて……」


 いつの間にか入り口前に毛むくじゃらの男が居た。立ち上がった男は二メートルを超えていて、恰幅の良すぎる体躯を誇っている。逆立つ灰色の毛や鋭い目つきが、狼男、ワーウルフだと自身の正体を分かりやすく語っていた。


 わざとらしい説明口調による状況の説明から、僕はこれが店側が仕組んだパフォーマンスだと即座に理解した。デパートの屋上広場で催されるヒーローショーの類だろう。もしかしたら完全アドリブのエチュードかもしれない。


 そう思ったのは、ちらりと見遣ったサリアちゃんの表情が驚いているように見えたからだ。


 改めて感じさせられるけど、ワーウルフの完成度も高いなあ。迂闊に突っかかると食べられそうだ。


「チッ。全く彼氏と喧嘩したくらいでいちいち俺様たちに八つ当たりするんだよな魔王様。もっと平和に暮らしたいぜ。下は下で文句ばっかり言ってきやがるからな。俺様の苦労もしらないでよ。クソッ!」


 設定的には中間管理職らしい。ぼやきの悲壮感がリアルなので、もう少し夢のあるワーウルフにしてあげてくれ。


「変なの来たね。やっぱり魔法使うのまずかったかな」


「間が悪いですね。マスタービッチが男漁りに精を出している隙を狙うとは。そもそもあの年増がわざと不安定にしているのが悪いので、私達に非はありません」


「買い出しだから。もうすぐ戻ってくるだろうし、暴れたりしなきゃ放っておいて大丈夫でしょ」


「そうだヒトヨシさん。スマホを貸してください。折角なので写真を撮りましょう」


 二人は男と対称的で、冷静に状況を観察していた。外出中のミリィさんに丸投げするつもりらしい。


 マグちゃんは渡したスマホで写真を撮って遊びはじめた。


 派手な演出を交えた寸劇が繰り広げられると思っていた僕は、落胆の色を隠せない。


 魔法を使ったバトル、見たいなあ。

 仕事にも関わらずやる気がない問題児達へ、ありったけの駄々を込めた視線を送ってみる。


 ……悲しくも気付かれず、僕のアピールは一方通行で終わった。


 はずだったが、ワーウルフが途端に大声を挙げた事で展開に動きがつく。


「おいそこの女ども! ここはどこだ俺様に分かるよう説明しやがれ!」


 大きな一歩で床を叩きながら近づいてくる。目前にすると、ワーウルフの巨躯が一層大きく見えた。纏っているオーラが野生動物の刺々しさを隠すことなく放っているからだ。


 中間管理職のくせに。匂いも大分獣臭い。


 鈍く光る牙を覗かせながら僕達を見下ろし、嬲るような視線を落としてきた。背筋が凍りそうになる。


 この迫力は確かに世界観の構築において花丸だ。しかし、商売的にはどうなんだと首を傾げてしまう。人によっては感心より恐怖が先に来るだろう。


 怖すぎて放送できなくなったホラーゲームのCMを思い出した。本末転倒というか、刺さる層を限定しすぎている、みたいな。


 ともあれ僕の望んだ展開になってきたのでひとまずは静観だ。

 

「自分で調べれば。私いま休憩中だし」

「私もサボってるのでパスします」


 いいぞ二人とも。いかにも悪そうな奴に反抗的な態度で接して怒らせようって魂胆だろう。バトルに繋げやすい良パスだ。


 ワーウルフは顔を顰め、表情で不愉快だと雄弁に語る。役者だけあって、見事にパスを捌いてみせた。


「どいつもこいつも俺様をバカにしやがって。久々の休みに呼び出されて散々愚痴を聞かされた挙句知らねえ場所に放り出された俺様の気持ちが分かるか⁉ ちくしょう限界だ! 魔王の手下なんざやめてやる! 全部ぶっ壊してやらぁ!」


 高校生の僕には全容を理解することが難しい悩みを吐き出すワーウルフは、左足で空席の椅子を蹴り飛ばした。蹴りは巨体から繰り出されたとは思えないくらい優しいもので、椅子は倒れず向きを90度変えただけだ。


 壊す度胸があれば今の立場に囚われていない、と社会の厳しさを教えられた気がした。


 けれど企業戦士には激情が渦巻いているようで目が血走っている。息を乱すワーウルフはサリアちゃんに視線を定めると、更に呼吸が荒くなった。

 

「てめぇエルフじゃねえか! この前はよくもぼったくりやがったな! 水と酒一杯ずつで十日分の宿賃取りやがって!」

「私関係ないじゃん。そもそもエルフが経営する店に行くのが悪いよ」

「ちくしょーーーーっ!」


 危ない――!


 ワーウルフが拳を振り上げるのと同時に、僕は間に割って入った。


 あくまで芝居。分かっているけれど、あまりに全てが本物みたいだったから、身体が動いた。危ない、と思ってしまったから。


 僕という乱入者の存在が、伸びた太腕の所在をなくさせる。


「ヒトヨシ…………?」

「……サリアちゃん。離れてて。キミは僕が守る」

「う、うん」


 空々しい台詞を吐いたことで冷静さが戻って来た。飛び出してしまった以上、何か言わなければと咄嗟に出たのがあれだ。人生で一度は言いたい、言ってはいけないあれだった。


 順調に進んでたのに邪魔してしまってごめんなさい。


 後で正式に謝罪するとして、今は日々芸を磨いているであろう役者さんに進行を任せ身を委ねるしかない。


 ワーウルフは挙げていた手をゆっくりと僕に向け、指を伸ばした。怒られるかな。本当にごめんなさ――


「なんだてめぇは。勇者みてえなこと言う奴だな。……ん? もしかしてこの匂い、てめぇ男だったのか! ハハハ、似合わねえ。女みてえな顔してよ」

「はあ?」


 い。いま僕を女呼ばわりしやがったなこいつ。悪意を持って、笑ったな。


 それは僕が、何より許せないことなんだよ。


 いくら温厚な僕でも、はっきり「女」と言われたら黙っていられない。舐めんじゃねえぞ、僕は女の子が大好きだけれど、女の子になりたいわけじゃない。女の子に好かれる男になりたいんだ。


 戦ってやる。男らしく、冒険者ヒトヨシとしてこのワーウルフを倒してみせる。


 僕は目元に力込めて敵を真っすぐ睨み据え、左ポケットから一枚のカードを取り出した。ドラゴンのイラストが煌々と輝く、極上の一枚だ。それを右手の人差し指と中指に挟み、ワーウルフへ見せつける。


「なんのつもりだぁ? まさかそいつで俺様を倒そうってか?」

「知らないのか? これはドラゴンを封印したカードだ。中でもこいつは強力でね。お前程度なら吐息で葬れる」


 ここへ来る前に立ち寄ったカードショップで入手した、バイト代を半分費やした代物。欲しかった理由は一目惚れ。有名なカードゲームを代表するドラゴンだ。


 ワーウルフは依然として嘲笑を収めない。


「そんなこと出来るわけねえだろ。魔王様にも不可能だ。はったりだろ、ドラゴンが描かれただけの偽物だ。仮に本物があったとして、てめえみてえのが持ってるわけもねえ」


「思い込みで分かったように語るなよ。本物なんて案外身近にある。気付ける賢者か気付けない愚者か、お前は後者みたいだな」


「さすがヒトヨシさん。ブーメラン」


 なにがだよ。茶化すのはやめてくれマグちゃん。


 僕の挑発にも動じないワーウルフから視線を外し、背後のサリアちゃんへ向き直る。


「サリアちゃん。力を貸して欲しい。こいつは光を力にするドラゴンだ。僕が技を発動させる時、アシストしてくれないか」

「え? あ、うん……分かった。いいよ」


 真っ白な頬に赤みが差しているのを見て、今僕がどれだけ恥ずかしい奴なのか直視しそうになったけれど、勢いで誤魔化す方針でいく。


 再び相対したワーウルフのニヤついた顔が目に入る。構うもんか。ここはそういう場所だろうが。


「さあやっちゃってくださいヒトヨシさん。ばっちり写真を撮りますから」

「見せてやる! いくぜ僕の相棒! 喰らえッ、バーストストリィィームッ!」


 叫びと共に右手を伸ばし虚空を裂かんと前へ出す。カシャ、とシャッター音が響く。


 「あっ」という声が聞こえた。


 視界が無彩色に支配され、反射的に目を閉じてしまう。顔の横を熱量を持った何かが通過した。


 一息分の間も置かず、耳をつんざく何かの砕ける音が響き渡り、身体の芯を叩くような振動が纏わりついてくる。


 とんでもなく嫌な予感が瞼の上に乗っかっていた。目を開けたくない。


 どうか外れてくれ、と勇気を出して目を開くと、ワーウルフの後方にある入り口上が穿たれていた。直径二メートル程の穴が外の世界を切り取っている。


 ぶわりと脂汗が噴き出した。全身。


 あんびりーばぶる。どういうことこれ。もちろん仕掛けがあるんだよね?


 振り返ると、口をあんぐりとしたサリアちゃんと嬉しそうなマグちゃんの姿があった。


「やっちゃいましたねサリア。これには私もドン引きです。耳とか没収されるんじゃないですか。そうなったらいいのにな」


「マ、マグがあの変な音だすからでしょ。ど、どうしよう……どうしようマグ。どうしようヒトヨシ。どうしよぉ」


 手を開いたり閉じたり、慌ただしく視線を泳がせたりと挙動不審なサリアちゃん。うっすら涙が浮かんでいるようにも見える。やめてくれ、キミがそんなに慌ててると怖くなってくるだろ。


「う、嘘だろ………………」


 心中を代弁してくれたワーウルフを見ると、虚ろな目をして立ち尽くしていた。演技とは思えない呆然自失な様を、僕は演技だと断定する。そうでなければ困る。


 僕がこの状況を冷静に見ていられるのは、これが事故ではないと信じているからなのだ。


「ドラゴンを封印するなんざあの大魔女でもない……かぎり……………………」


 そのまま沈黙が空間を満たしていく。


 打ち破ったのは、扉が開く音。ゆっくりと動く入り口の扉から姿を見せたのは、ミリィさんだ。場違いなくらい穏やかな笑顔が輝いていた。


 僕はひとまず胸を撫で下ろす。ミリィさんが放っている余裕が僕にも伝わってきた。やっぱり仕掛けがあるみたいだ。


 包み込むような存在感、大人の余裕。魅了される。好きですと叫びたくて仕方ないけれど、空気が読めない奴と思われたくないので黙っておこう。


「どういうことかしら? サリアちゃん」

「ひっ! ヒ、ヒトヨシ! 私のこと守ってくれるって言ったでしょ!」


 サリアちゃんがぴったりと僕の背中へくっついてきた。可愛い。腰に頭の感触があるので、相当縮こまってるみたいだ。可愛い。


 腰を宝物にするため将来のビジョンに即身仏を加えていると、次はワーウルフが騒ぎ始めた。


「うおおっ! いるじゃねえか! 大魔女が! ミィリエル・ビッチクラフトが!」

「冒険者さま♡ 女性の名前を軽々しく呼ぶものじゃないわよ。ちょっとあちらでお話しましょうか♡」


 思わぬところでミリィさんの名前が発覚した。マグちゃんが執拗にビッチ呼ばわりするのはそういうことだったのか。


 ミリィさんにとって名前は禁句らしく、笑顔の中に怒りを感じる。心なしか空気も重くなったような。


「ごめんなさい許してください。全財産もプライドも全てを捧げるので命だけは」

「もう♡ それじゃ私が怖い人みたいじゃない」

「ひえっ。許してください許してください。せめて家族にだけは手を出さないでくれ。最近娘が生まれたばかりなんだ」


 さっきまで威張っていたワーウルフが、壊れた人形のように頭を下げ続けている。マスターであるミリィさんには逆らえないんだろう。


 芝居の中でさえ。

 デウスエクスマキナ、だ。そりゃそうか。

 従業員達にやる気がない以上、強引に幕を下ろす存在が居るのも頷ける。


「マグ。その冒険者さまを奥の部屋へ連れてきてくれるかしら」

「れんじゃー。既婚者だろうとアタックするとは、さすが大魔女」


 この状況でからかおうとするなんて、ほんとにミリィさんを舐めてるなあ。


「ごめんねヒトヨシくん。騒ぎに巻き込んじゃったみたいで。お詫びに一杯ご馳走するわね」

「あぁりがとうございまぁっす!」


「サリアちゃん、用意してあげて。私は冒険者さまとマグに話があるから」

「私もですか。困りました、心当たりが何もありません。不当な言論統制には抵抗しますよ」


 掛け合いながら、ミリィさんに首根っこを掴まれたマグちゃんと怯えるワーウルフはカウンター横の扉の奥へ消えていった。


 一連の騒動にオチがついたことで、安堵する。途中は本当にやらかしたかと思ったし、あの臨場感には冷や汗が出た。


 主犯である銀髪問題児、が無罪なのは分かる。芝居だし。

 その芝居を滅茶苦茶にした僕もどうやら無罪らしい。


 でも場を荒らしてしまったわけだし、ミリィさんが戻ってきたら誠心誠意謝ろう。ちょっと怒られてみたい気持ちもある。


 頭を掻いていると、ほはぁ、という間の抜けた声に背中をくすぐられた。背後から奏でられた優しい調子。安心したのが覿面に表れている、サリアちゃんらしからぬ声だ。


 声の主は跳ねるような足取りで僕の前に出ると、柔らかく笑んだ。

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