異世界カフェ ヴィエランジェ【2】
「サリアちゃん! 今の人は!」
「うちのマスター、ミリィさん。見た目の通り魔女、なんだけど大魔女って言った方が正しいかな」
「そこから先はマグちゃんが説明しましょう。ああ、この前はじめて焼き肉屋という所へ行きましたが、美味しかったです牛の大腸」
興奮冷めやらぬ僕、律義に教えてくれるサリアちゃんの下へ、またもや誰かが現れた。座っている僕達に降り注いだ声の調子は得意げでやや幼い。
顔をあげるとメイド服を着た悪魔が居た。悪魔っ子が居た。薄い金の髪に黒い角、蝙蝠のような羽根。パーツの一つ一つがくっきりとした美しい目鼻立ち。鼻先や目尻がやや丸みを帯びている。
マグと名乗った女の子は、可愛いと綺麗の中間にいるような印象を僕に抱かせた。決して色気があるわけじゃないし体型も俗にいうナイスバディではないのに、どこか淫靡な印象も感じさせる、独特な雰囲気もあった。
「マグ。仕事はいいの?」
「いいんです。マスターがサボる以上私がサボらないわけにはいきません。見ての通り店内はがらんがらんの閑古鳥。閑古鳥ってどういう意味ですか?」
「…………。マグちゃん、マスターの話を続けてくれ」
「いま変なのが来たって思ったでしょ、ヒトヨシ」
思ったけれど、僕の中の天秤が気にしない方向へ傾いたので、気にしないことにした。
「いいでしょう。あの行き遅れ……、マスターはエルヴェユールで高名な魔女なのです。あらゆる魔法に精通していて、世界最強を謳っても嘘にはなりません。かつては泣いて許しを請うロリ魔王に結婚相手を見繕えと呪詛を吐いたり、千年に一度世界を滅ぼさんと目覚める災いのドラゴンを振られた八つ当たりでボコボコにしたり。それから三日三晩愚痴に付き合わせたんです。なんでも出来る方なんですよ。結婚以外は。ぷーくすくす」
マグちゃんは心の底から楽しそうに笑った。
ミリィさんの設定盛りすぎじゃないか。チートじゃん。好きだけど。
それに、あんな綺麗な人が独り身であるはずがない。これに関しては喜ぶべきだ。
「あれとの結婚生活はまさしく墓場。いい歳して独りなので愛らしく墓っ地というあだ名をつけました。ヒトヨシさん、ですよね。行き遅れの残念魔女を貰ってあげてください」
「喜んで」
「なんと男らしい。あれが聞いたら喜んで世界の全部を差し出してきますよ」
「え? 僕男らしいかな。まあ……その通りなんだけど。男らしいのが僕なんだけど」
マグちゃんはいい子だ。鋭い慧眼を持ち合わせているし、ミリィさんを扱き下ろすのも照れ隠しというか、もしかしたら僕が行き過ぎた幻想を抱かないよう考慮した、マグちゃんなりの優しさなのかもしれない。それを見抜く僕は、やはり男らしいのだろう。
ご機嫌な僕が更なるミリィさんの話を要求しようとするも、制すように声が流れ届いた。噂をすれば影さす。ミリィさんのものだ。
「マグ? あなたには仕事をお願いしたはずだけど? どうしてそこで雑談してるのかしら?」
「ビッチマスター。外出したはずでは」
「その呼び方は止めてって言ったでしょ! 忘れ物をしたから戻って来たの!」
「失礼しましたマスタービッチ。若者の青春が羨ましかったんですね。青春は忘れても取りに戻れませんよ」
ミリィさんは美しい細腕を伸ばしてマグちゃんの首根っこを掴んだ。動作が手慣れている様子なのは気のせいだろう。そのままマグちゃんは引きずられていく。
「マグ、ちょっとあっちでお話しましょうね」
「えーっと、ぱわはら? ですよ。ヒトヨシさん、お得意のえすえぬえすってものをお使いください。マスター失脚後は私が店を引き継ぎます」
野心に溢れた少女の遺言を聞き届けるわけにもいかず、ただ見送ることしか出来なかった。ミリィさんとマグちゃんは仲がいいみたいだから、大丈夫だと信じてる。
改めてサリアちゃんと二人になり、顔を見合わせ苦笑いで仕切り直した。
「あの二人はいつもあんな感じ。マグ、ミリィさんのことからかうのが好きなんだ。付き合いも長いみたいだし、心配しなくても大丈夫だよ。たまに角とか奪われてるけど」
「もしかしてそれと比べたら大丈夫って意味だったりする?」
「するよ」
「するんだ」
「あの人、再生とか得意だから。なんでも壊すし、なんでも直すよ」
実際にはお説教ってとこだろうけれど、ほんとミリィさんの設定過激だなあ。ほとんどマグちゃんが考えた、で間違いないと思う。プライベートの仲睦まじさが表れている。
ややあって話題は注文へと移り、サリアちゃんからメニューを手渡された。注文が経験値に結び付くシステムなので、ようやく僕の冒険がはじまった、というところか。
メニューは僕でも読める慣れ親しんだ日本語達と、幾つかの写真がレイアウトされている。
ドリンクはアルコールも含めるとかなりの量で、コーヒーやオレンジジュースをはじめ、異世界風メニューのポーションや特製エリクシル、魔物を絞った液体など幅広い。中でも「魔女の休日」と名付けられたカクテルが気になるけれど、未成年の僕には手が出せない。
「なんだこれ、エルフの泉から湧いた水? 2500円もするけど。他のドリンクより四倍も高いってことは、相当凄いの?」
「ああ、それ。ぼったくりだから止めた方が良いよ。希少でもなんでもないし」
ぼったくり……。エルフというネームバリューに加えてこの値段、一人だったら好奇心のままに手を出してたかもしれない。サリアちゃんが素直な子で助かった。飲み物はポーションにしよう。
ページを捲ってフードメニューを視線でなぞっていく。定番メニューのオムライスやパスタ、おつまみもずらりと並んでいる。
次のページへ進むと、異世界メニューが現れた。ラビットハンバーグやウルフのサンドイッチ。人魚の塩ラーメン……?
モンスターオムライスってなんだろう。注意書きで《日によって大幅に味が変化します》って書いてある。赤文字だし物々しいフォントが使われているのでやめておこう。
次いで目についたのがポテトフライ。マンドレイク農園の芋を使用、と謳っている。美味しすぎて叫んでいるマンドレイクのイラストが添えられているけれど、死の恐怖を感じるのは考え過ぎか。
あとはスライムをかけたハニートーストやスライムシャーベット、スライムプリン……頼りすぎだろ。パフェにも乗っているらしい。
ここヴィエランジェは設定の凝り具合やキャストのメイクからも分かる通り、限りなく本物へ寄せてくる。期待と不安が共存する面があるので、無難にポテトフライを頼んでおこう。
「ポテトフライとポーションにしようかな」
「足りる? 男の人ってたくさん食べると思ったけど」
「間違えた。モンスターオムライスとポーションだ。両方大盛りで」
覿面に効果があるセールストークだ。反射的に言葉が飛んで行った。
恐らくサリアちゃんは素で言ったのだろう。交わした言葉は多くないけれど輪郭くらいは掴んだつもりだ。彼女は思った事をそのまま口にしている節がある。
友達と取り留めのない会話をするような気軽さで。ほんと、素直だよな。
一通りの説明を終えたサリアちゃんは仕事に戻り、僕は一人になった。会話する相手がいないと異世界に放り出された気分になって寂しさが込み上げてくる。
友達の言った通り客は少なく、僕の他に一人だけだ。壁際のテーブル席に座っている、立派な髭を蓄えたドワーフのようなおじさんが一人。
客にも異世界人を用意する手の込み具合は立派だ。あの人も従業員なのだろうか。
サリアちゃん達とは違う興味の引き方をするおじさんを観察していると、僕の右ポケットにあるスマホが震えた。確認するとメッセージが二件。
《ヒトヨシ殿そちらはどうでござるか? 拙者はビンゴゲームで推しとコスプレチェキを勝ち取りましたぞ~~!》。友達のバルログから写真を添えたメッセージが届いていた。
あいつ、メイドカフェのイベントに行ってやがった。
少しでも当選率を上げる為に僕をこっちに追いやったな、というのは穿った見方だろうか。
「はいヒトヨシ、おむぅらいすとポーション」
返信しようか悩んでいると、不可解な発音と共にサリアちゃんが料理を運んできた。スマホをポケットに戻し、何故か対面に腰を落ち着かせたサリアちゃんと向き合う。
テーブルに配膳されたおむぅらいす――卵の上にケチャップでヒトEシと書かれている――と、木製のカップになみなみ注がれた緑色のポーションは、なんとも食べ合わせが悪そうだ。
いただきます、でいいのかな。
「ねえヒトヨシ。いま触ってたの何? よく見るけど」
「えーと、スマホのこと? そっか異世界には無い物だよね。しっかりしてるなあ。簡単に言うと連絡を取ったり調べ物したり写真撮ったり、ゲームとかできる機械だよ。こっちの世界では必需品かな」
再び取り出したスマホを操作して、オムライスとポーションの写真を撮る。
カシャ、というシャッター音でサリアちゃんが僅かに震えて可愛かった。
「ほら、こうやって記録を残せるんだ。さっきマグちゃんが言ってたSNSっていうのに投稿して見せ合ったりする人もいるよ」
「へー。ねえヒトヨシ、それ私にもやってよ」
「写真を撮るってこと? でも普通は有料なんじゃ」
じーっと僕を見つめてくるサリアちゃんの瞳は、好奇心に色付けされている気がした。僕としては願ってもない申し出だけど、店側の規則としてどうなんだろう。
サリアちゃん、その辺り躾けられてないっぽいんだよなあ。
「ルールを守る事が美徳なのではありません。自分で定めたルールを守る事が美しいのです。顔も知らない大人達が自分に都合の良いよう作り上げたルールなんて、黴臭くて敵いませんから」
受け入れる事も断る事も出来ず狭間で頭を抱えていると、自慢げなマグちゃんが現れた。変なポーズをしながら。
「マグちゃん。さっきミリィさんに怒られたのに、またサボってていいの?」
「今度こそは大丈夫です。中指立てて見送りました。それに怒られたのは年増扱いした事で、サボりについてはぶりっこハムスターされたくらいです。サボり癖を私の個性と認めてくれてますから。欠点を美点と見られる寛容さが、あの年増に人が付く理由です。しかしこと恋愛となると相手に尽くしてとことん甘やかしますので、男側が危機感を覚え離れていきます。スポイルってやつですね。ある意味、男を見る目はあると言いますか。そういうことです。大体、サリアもサボってるじゃありませんか」
「私は許可もらったから」
矯正するより共生する。感情がある以上、容易くないのは僕でも分かる。
ともすれば堕落。共依存だ。けれど個人を尊重する考え方は素敵だと思う。
マグちゃんのサボり癖も、サリアちゃんの接客能力の低さも、ミリィさんには気にならないらしい。
自分にとってマイナスへ働く問題点すら受け止めて、屈託のない笑みを浮かべるミリィさんの寛容さに惚れ惚れだ。
「というわけでヒトヨシさん。サリアの撮影会と洒落込みましょう。悪用禁止ですが、ヒトヨシさんが個人で悪用する分には構いません」
「言われなくても分かってるよ」
「流石、男らしい」
棚ぼた逃すまじ精神の僕はスマホを構える。
いくら文明が進歩しているとはいえサリアちゃんが持つ幻想的な存在感まで収められるとは思えないけれど、欠片でも拾えたら十分だ。
緊張しているのか強張った表情のサリアちゃん。被写体のレベルが極上なんだから、相応しいカメラマンでありたい。僕が落ち着きなく騒げば、緊張をほぐせるかもしれない。
ちょっとアホっぽくやってみよう。
「サリアちゃん顔が強張ってるよ。自分が可愛いってこと思い出して! 可愛いよ! サリアちゃん可愛いよ! 超いい匂いしそう! 匂いまで撮れそう!」
「ヒトヨシさんかっこいいですよー。敏腕カメラマンですね。おっとこまえー! 喉が渇いたのでドリンク貰ってもいいですかー」
「好きなだけ飲んでくれ!」
視界の端にメニューを開くマグちゃんを捉えながら、シャッターを切った。
カシャ、という無機質な機械音が鳴ると同時にサリアちゃんは肩を震わせた。だけでなく、目元にぎゅっと力を込めて視界の一切を放棄していた。同じく拳もぎゅっと握られている。誰かにこの写真を見られたら、僕が怒鳴りつけたと勘違いされそうだ。
当のサリアちゃんは何事もなかった風で僕に尋ねてくる。
「できた? ヒトヨシ、上手なんでしょ」
「下手じゃないと思うけど、サリアちゃんが……」
言葉を濁すと、被写体本人が興味津々にスマホを覗き込んできた。わざわざ立ち上がって僕の隣まで来る辺り自覚がないみたいだ。すっごい見せ辛い。
それはそれとして。サリアちゃんすっごくいい匂いがする。
真横で垂れる絹のように滑らかな銀髪が発する甘ったるい匂いに、僕は心臓を鷲掴まれた。鼻先をくすぐる蜜のような香りは、さながら妖精の戯れ。僕の鼻は妖精郷へと辿り着いたのである。仮にこの匂いがする柔軟剤があったとしよう。服どころか洗濯機を着て外出できる。
と、匂いに敏感な僕は瞬時に星五レビューを付け、本流へと戻る。閑話休題だ。
サリアちゃんの表情を窺うと、八の字を寄せていた。
「タイミングが悪かったみたい。もう一回やって」
要求通りもう一度やった。今度は連写モードだ。サリアちゃんが苦手とするシャッター音が間断なく続き、その間ずっと彼女は目を閉じているのだった。
仕上がりを見たサリアちゃんは、あっけらかんと言い放つ。
「もう一回やって」
「どうしてその顔できるの?」
やれやれ、と表情が語っている。《もう、仕方ないねヒトヨシは》、なんて声が聞こえてきそうだ。彼女の中では僕に問題があるらしい。
構わない。美少女がありありと弱点を晒している写真が手に入ったのだから文句は言わない。なんというか、エラーカードのような魅力がある。
その後もしばらくチャレンジしてみたけれど、カメラロールに並ぶ大量の美少女が目を開く事はなかった。最後になって、シャッター音で全身が強張る現象をサリアちゃんに自覚してもらえたのは大きな進歩だ。
直しといて、と言われた。なにを?
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