異世界カフェ ヴィエランジェ

鳩紙けい

異世界カフェ ヴィエランジェ【1】

「いらっしゃいませ冒険者さま」


 扉を開くと異世界だった。


 秋葉原のとあるビルの三階に構えている、異世界カフェ『ヴィエランジェ』。


 友達がここの常連らしく、裏があるんじゃないかと邪推させられるくらいしつこく勧めてきた挙句《今日は近くのメイドカフェで大型イベントがあっているので人は少ないはず。快適ですぞ! 後生でござる一度だけでも、一度だけでも!》と、果てには足に縋り付いてきた。


 ついさっきの出来事だ。


 バイト代出たし、欲しかった物を買ったばかりで浮かれていたのも背を押したんだろう、僕はメイドカフェとか嫌いじゃないし、寧ろ好きなので行ってみようと決めた。


 日常とは毛色の違う空間に居ると、普段と違う自分が出せるというか、非日常感、日常とのズレを楽しむのが好きなのだ。

 そのズレは大きければ大きいほど良い。


 こういう店は、夢を土台にした作り物。

 猫が人間になっているとか、亡国のお姫様が素性を隠して働いているとか、現実ではありえないファンタジーとの邂逅を楽しむ場所だ。


 けれど、作り物だからこそ存在を信じられる。日常に混ぜ込まれたファンタジーを本物として扱える。この世界に偽物しか存在しないのなら、もはやそれは本物だ。

 偽物だけれど本物なのだ。


 つまり何が言いたいのかというと、僕はけっこうノリノリになれるタイプの男の子である。はしゃいでしまっても仕方ないよね。


 友達――あだ名はバルログだ――のせいで、道中駆け込み寺へ向かうような気持ちを抱かされたのは嫌だったけれど、足取り自体は軽やかだった。


 一つの店へ通い詰めるより、色んな店に足を運んで様々な体験をするのが僕のスタイルだ。一人で入店するのに躊躇いはない。


 とにかく。僕は異世界にやって来た。


 店内へ足を踏み入れた時、身体が軽くなった気がした。暖かくて心地の良い空気が少しくすぐったい。


「お一人様ですか? ここへ来るのは初めてですよね。当店のシステムをご説明しますので、まずはお席へ案内します」


 入ってすぐに「異世界だ!」と思った。


 僕に対応してくれている女の子が、一目で分かるくらいにエルフだったからだ。


 透明感のある肌に、胸元まで流れる銀髪、エルフの代名詞とも言える尖った耳。

 モスグリーンのドレスと腰回りを彩る深いブラウンのコルセット。落ち着きのある神秘的な雰囲気。それら全てが違和感なく、この場へ溶け込んでいる。


 正直これだけのクオリティは想像していなかった。限りなく真に近いというか、コスプレに見えない。昨今の特殊メイクは作り物感すら覆い隠すのか。


 エルフの女の子は慣れているのだろう、まじまじと見つめてしまう僕を大して気にする様子もなく、席へ向かって歩き出した。

 湧き上がる高揚感と一緒に僕も続く。


「こちらへどうぞ」


 案内されたのは一番奥、木造の円形テーブルに対してダイニングチェアが向かい合う席だ。同じような席が六ケ所あり、今は一ケ所を除いて空席だ。


 腰を下ろすと椅子がギシ、と音を立てた。

 見た目は堅そうだけど、座り心地は悪くない。不思議とソファに座っているような感覚で、回転数どうこうという目論見は無さそうだ。


 左手に見えるカウンター席も同じ椅子が使われている。


 僕から見て手前、カウンター端の横にある扉はスタッフルームへ続いてるのだろう。


 改めて店内を見渡すと、ブラウンを基調とした木造の床や調度品を、薄いオレンジ色の証明が照らしている。壁面の天井へと伸びる柱と柱の間は白い。その部分は、恐らく石だ。


 ふと香ってくる木の匂いに古臭さは無くほんのり甘い。落ち着く匂いが場を満たしている。


 まるでファンタジーの酒場、異世界の一部を切り取ったような空間だ。


 客を冒険者さまと呼んでいたし、そういう設定なんだろうな。


 僕の視線が忙しくしていると、対面に座ったエルフの女の子が「珍しいですか?」と言った。


「はい。あれは……いい木ですねえ」


 落ち着きのない自分が無性に恥ずかしくなって、結果として恥ずかしい発言をしてしまった僕である。


 呆れられるかと思ったけれど、エルフさんは意外そうな声を挙げた。


「分かるんですか? 確かに木は一級品、エルフの森で育った大樹を利用してます」

「待ってくださいそれって切り倒していい物なんですか」

「まあ、お金貰いましたし」


 設定とはいえなんて夢が無い。森を大事にして侵入者から守ったりする種族ってイメージが木っ端微塵になった。


「最近では長がテーマパークを作ろうと躍起になってまして」

「……この話は止めましょう。僕は夢を見に来たんです。それで、このお店のシステムっていうのは」


 設定に問題があるのかこのエルフさんに問題があるのかは分からないけれど、僕の夢まで切り倒さないで欲しい。育ち盛りなんだから。


「ここは冒険者さまの憩いの場、異世界カフェ『ヴィエランジェ』です。当店はお客様を冒険者さまと呼ばせていただいてまして、様々なサービスを提供しています。こちらにお名前を記入していただけますか」


 急に機械的な喋り口を披露したエルフさん。


 渡されたのは免許証くらいの大きさのカード。

 分かったぞ、これはポイントカードだ。見た事の無い文字が書き込まれていて、細部へのこだわりが感じられる。読めないのは問題だと思うけれど。


 しかし名前か、どうしようかな。重要な部分では無いと分かっていても、折角冒険者になるんだからかっこいい名前がいいな。


 一拍、一拍、また一拍と沈黙が続く。中々浮かばない。こういうのは教えといてくれよバルログ。


「お悩みのようでしたら私が考えましょうか。えーと……」


 エルフさんが思案顔で僕を見る。

 切れ上がる鋭い目が向けられるけれど威圧感はなく、宝石のように鮮やかな青へ見入ってしまう。


 口を挟むのは無粋だと思った。今のエルフさんは一人で芸術として成立している。考え込む姿がこんなに幻想的だなんて、反則だ。


「ペポピンってどうですか」

「ヒトヨシ! ヒトヨシでお願いします! 冒険者ヒトヨシ!」


 危ねえ。とんでもないこと言うじゃんこの人。


 ハープの音さながらの綺麗な声も相まってこの上ない正解みたく思えたけれど、ぺポピンとか絶対嫌だ。ちょっと変な子かもしれない。エルフの森云々の話もこの人に問題がある気がするぞ。


 結局、ヒトヨシという使い慣れた名前に落ち着いてしまった。まあ、他に浮かぶ気もしなかったしいいか。


 それよりなにより、僕は努めて冷静に、ぺポピンの由来を尋ねてみる。


「ちなみにどうしてその名前にしたか聞いてもいいですか?」

「見たままですね。無害そうなので、可愛いモンスターから拝借しました」


 しないでくれ。


「やっぱり。あの……気にしてるんでもう言わないで貰えませんか? 嫌なんですよ、男なのに可愛いとか言われるの」


 顔立ちが女っぽいのは、僕のコンプレックスだ。からかわれる度に嫌な気持ちになるし、怒りたくなる。


 流石に悪気もないのに一度でいきなり閾値越えだなんて事はないけれど、二度目となると確実にへそを曲げるだろう。僕は男なのだから、男らしいとかカッコいいって言われたい。


 今のご時世、あんまり声を大きくは言えないけどさ。


 エルフさんには可愛いって思われてるんだろうなあ。

 ここは僕の理想とする男らしく度量の大きさをアピールしておこう。


 思い付きのまま、エルフさんに提案した。


「敬語で話すのやめませんか? 仕事とはいえ疲れるじゃないですか。僕は気にしないんで、普段通りに話してくださいよ」


 言って気付いた。ナンパっぽい。下心丸出しだ。

 多少の下心は勿論あるとしても、タイミングを間違えたのが分かる。


 エルフさんも驚いたのだろう目を丸くしているけれど、僅かに上がった口端が僕に安心をもたらした。


「じゃあ、遠慮なく。慣れなくて疲れるから助かるよ。ありがとう、ヒトヨシ」

「うわぁ可愛い」

「はいはい、ありがと」


 途端にそっけなく、それでいてリラックスしたように笑むエルフさん。


 さっきまであった隔たりが取っ払われたというか、友達になったみたいというか、とにかく絶対こっちの方が良い。


「ヒトヨシも……そうする? それだと私も話しやすいんだけど」

「じゃあそうするよ。僕……俺もそうしたい」

「俺って言うの似合ってないよ」

「すごいハッキリ言うじゃん。やっぱりダメかあ……毎回変えようとするタイミングで止められるんだよ。本当は嫌なんだけど、家族とか友達がうるさいから譲歩してやってるんだ」


 《その顔で俺って言うの痛々しいよ。僕、でもどうかと思うけど》、《ヒトヨシ殿もしやおさげの女に憧れたでござるか》、などなど僕の周囲はやかましい奴が多いのだ。

 価値観のアップデートは済ませておけ! それはそのまま僕もだけど!


 いつか向こうから変更を頼み込ませてやろうと密かに企む僕である。


「ごめん話が逸れた。それで、名前は決まったから続けてよ。えーと」


「そういえば名乗ってなかったね。じゃあ、自己紹介。私はサリア。種族はエルフ。魔法とか、まあ得意かな。ここでは使うなってマスターに言われてるから見せれないけど」


「美味しくなる魔法とか使わないの? メイドカフェで使われるやつ」


「へえ。そんな店があるんだ。大丈夫なの? ここ、マスターが無理やり空間を繋げてるから、むやみに魔法とか使うとゲートが反応して向こうから紛れ込んじゃうんだって。使わなくてもたまに来るし」


「向こうって、あー……サリアちゃんの世界ってこと?」

「そ。エルヴェユールってとこ。平和なとこだけど魔王とかいるし、変なの来たら面倒でしょ。だから悪いけど、その美味しくなる魔法ってのも無し」


 照れる様子もなく設定を連ねていくサリアちゃん。聞いている僕が少し恥ずかしくなってくる。のめり込めば気にならない性分だけれど、まだ全身浸かっていないのでむず痒い。


 サリアちゃんは仕事と割り切れるタイプなのだろう。というか、慣れたのか。続けてポイントカードの説明に移った。

 

「これは冒険者カード。千円で一ポイント、十ポイント溜まったらレベルアップか、がちゃ? ってやつを選べるの」


「へー。お金の部分は仕方ないにしても面白そうだ。経験値を溜める感覚かな。レベルが上がるとどうなるの?」


「頼めるメニューが増えるかな。強い冒険者はドラゴンでも倒せるでしょ? 美味しいよ、ドラゴンステーキ。最初はラビットとかだね」


 話から察するに、ここではモンスターの一部を使ったと銘打たれるご飯が食べられるみたいだ。ドリンクも同様だろう。ポーションとか飲めるのだろうか。


 自分のレベルと倒せる相手がリンクしたメニューシステムは僕の心をくすぐった。冒険者っぽくなってきたぞ。


 やや身を乗り出す僕。サリアちゃんは一息置いて微笑を零した。


「ヒトヨシ、楽しそうだね。話甲斐がある。レベルが上がるとスキルも手に入るから、楽しみにしてて」


「スキル! それって筋肉がムキムキになったりかっこいい髭が生えたりするやつだ!」

「そんなわけないでしょ」


 万が一に賭けてみたけれど、そんなわけはなかった。


 スキルと聞いて真っ先に思い浮かんだのは、いわゆるチートと呼ばれるものだ。強力な効果に対してデメリットが少ない、もしくは完全に無いもの。楽に盤面をひっくり返せる強大な力。TCGでの禁止カードみたいな。


 カフェにおいてどんなスキルが手に入るのか気になる所だ。


「詳しくは言えないけど、専用の武器……じゃなくて食器とか使えるようになったりするよ」


「なるほどなあ。色々あるみたいだし、レベリング頑張ろうかな。それで、ガチャってのは?」


「がちゃ。それは回してからのお楽しみだね。悪い物じゃないよ、当然」


 流石に中身までは教えてくれなかった。一緒に写真撮れるとか割引券とかだろうな、経験上。


 それよりもサリアちゃんの《ガチャ》の発音が微妙におかしいのが気になる。オノマトペみたいだ。ソシャゲとかには馴染みが無いタイプらしい。


 一見隙の無さそうな風貌で、分かりやすく隙を見せてくるのはずるい。この瞬間だけ敬語の方が良かったかもな、と考えていると、店員さんがお冷を運んできてくれた。


「いらっしゃいませー。あら、可愛いお客さん。ゆっくりしてね」

「なっ――!」


「マスター。ヒトヨシ、可愛いって言われるの嫌だって」

「なんて――」


 なんて綺麗な人だ!


 一目で心を奪われた。

 マスターと呼ばれた女性は、僕の好みど真ん中な女性だった。


 夜空を溶かしたような碧みがかった髪の毛を靡かせ、端正で大人びた顔立ちから零れた無邪気な笑顔は、公式試合で禁止カードを使われても気にならないくらい、全てを許してしまえるものだ。瞳もまた、夜空みたいで。この女性には見るものすべてが、星のように輝いているのかな、と思った。


 身に纏っている黒のローブは魔女をイメージしているのだろうか。似合い過ぎだろ。存分に魅力を放っている。


「……おお……おおお……」

「ヒトヨシ? 何言ってるの」


「ヒトヨシくんって言うの? サリアちゃんと仲良くしてあげてね」

「はい⁉ も、勿論ですとも! 僕はサリアちゃんと仲良しこよしの清志郎ですよ!」


 名前を呼ばれたことに動揺した僕は何かを口走っているらしいけれど、何を言ってるのか分からない。マスターさんの笑顔が脳内を埋め尽くしている。


「サリアちゃん。私、少し狩り……買い出しに行ってくるわね。スープ用のスケルトンが切れちゃって」

「だったら私が行くよ。説明とか大体終わったし」

「いいのいいの。ゆっくりしてて」


 柔和な笑顔を湛え、ひらひらと手を振りながら去って行くマスターさん。


 後姿が見えなくなっても、僕の動悸は治まらなかった。

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