1 当代編纂の魔女リブリ


 草花が生い茂り、樹木が天へと高く伸びる、とある森の中。人気ひとけもない、他の動物が生きている気配もない、そんな場所にひっそりと溶け込む様にログハウスが建っていた。

 翡翠色の屋根には煙突があり、そこからは煙がモクモクと湧き出ている。

 人里離れた森の家、そこには一人の少女が暮らしていた。

 


 暖かな暖炉の前。家の中で少女は椅子に腰掛けている。

 赤茶色の長い髪は暖炉の炎で更に赤く彩られ、茶色い瞳は揃って手元を見据えていた。

 少女は古びた本を熱心にめくる。

 何度も確かめるように、ページを進めたり戻したり。

 そして、急に何を思ったか本を閉じた。

 少女は誰に聴かせるでもなく呟く。

 

「――あと五年で世界は終焉を迎える」

 

 それが少女――当代編纂へんさんの魔女、リブリの出した結論だった。



 * * *


 【世界録】という書物がある。

 その書物には、世界で起きた様々な出来事が勝手に記録されていくのだ。

 その記録に果ては無く、世界の始まりから無限につづられていくモノだと思われていた。

 そう、思われてのだ。

 彼女がソレに気付いたのは偶然だった。

 

 その日、リブリはいつものように一冊の本――世界録を手に取り、そこに記された物語を読んでいた。

 数百年前、先代の世界録の編算へんさんを見守る魔女から、その仕事を継いだ時からの日課だった。

 一日中、日が昇ってから沈むまで、『世界の歴史』という物語に没頭するのが彼女の日常であったのだ。


「――――こうして戦は幕を閉じ、ラファインは英雄となったのでした。めでたしめでたし。んー明日はどの時代の出来事を読もうかな……あれ?」


 既に窓の外は夜の帳が下りている。

 そろそろ休もうかと世界録を閉じた時に、違和感があった。

 いつもと何か違う? 数百年と繰り返してきた動作がしっくりこない。

 リブリは小首をかしげ、不思議に思いながら世界録をジロジロと眺めた。

 もう一度世界録を開き、パラパラとページをめくっていく。

 これは数百年前の『世界』の物語。これは数年前、ここは現代の物語。それから未だ書かれてない、白紙のページが続いて裏表紙の裏に至る。

 書物として何も不備はない――――いや、違う。


「どうして白紙のページに限りがある!?」


 世界録は『世界』を記録する物語だ。それは現在進行形で記され続けている。

 そんな世界録という書物における白紙のページとは、この世界の未来そのものだ。

 本来であれば白紙のページは無限に続き、世界録という本の裏表紙の裏を見る事なんて叶わない。

 それは未来に起こる出来事を幾らでも記せるようにという、世界録の『世界』を記録するという性質上、必須の仕組みであるはずだ。

 リブリは慌てた。先代の魔女から継承して初めての出来事だ。そして、それ以上に興奮した。


「なんで世界録の余白が無いのか分からないけど、世界録の裏表紙の裏を見た魔女なんて私くらいじゃ無いのか……!?」

 

 数百年間、編纂の魔女として生きてきたのだ。たった一人で森の中に暮らす彼女にとって世界録とは最早、半身みたいなモノだ。

 そんな半身の新たな一面を知れたのだから、嬉しいに決まっている。


「ウッヒョ、革で出来た外観とは別に少しザラついた厚紙を裏側では使っていたんだね。んーいつ見ても丁寧な装丁だ。君ほど美しい本を私は知らないよ。額縁に入れて飾りたいな。確か、精霊樹という大樹が世界にはあるらしいんだ。精霊が好む特殊な力を持つ樹らしくてね、それで額縁を作ろう。まあ全て君から教えてもらった知識なんだけど。あ、アレはどうだい!? 明けない夜にだけ育つという植物が――――」


 ……当代の魔女は書物に、正確には世界録に狂っている。

 世界録に記される綺麗な文字が好きだ。

 何の生き物の皮か分からないが、頑丈でいて雄大さを感じさせる表紙の手触りが好きだ。

 自分が生まれる前の世界で何が起きたのかを知れる背徳感が好きだ。

 世界録の全てが好きだ。その感情は恋情という言葉ですら生ぬるい。言うなれば狂愛だろう。


「――――でもでも、額物に飾ってしまったら私が読めないじゃないか。やっぱり、君はそのままの姿が一番だ」

 

 数分ほど世界録を褒め称えて、ようやくリブリは冷静になった。

 思考を回す。

 頭の中の脳内会議の議題はもちろん、『なぜ世界録の余白がないのか』それと『世界録の余白が無くなったらどうなるのか』についてだ。


「……んー、分からないなぁ。少なくとも、私が読んだ事ある時代にはこんな出来事は起きてないし」


 理由を考えても思い付かない。悩むだけ無駄だろうと早々に諦めた。

 リブリは記憶力が良い。数百年間毎日読んできた世界録の内容は大体覚えている。

 そんな彼女でも知らないのだから、そもそも前例が無いのだろうと見切りをつけた。もしかすると、自分が読んでない部分に書かれているのかもしれないが、探す時間が惜しい。


「なら、地下の書庫を探す? でも、世界録に関する書物はほとんど無いし……あぁ魔女の手記が残ってたか」


 魔女の手記。それは代々の編纂の魔女が、世界録を見守るかたわらで書いてきた書物だ。

 その数は膨大である。日記のようなものから、小説のようなものまで、多種多様な形態で書かれている。

 活字中毒気味のリブリですら手を出すか躊躇ためらって、そのままにしているもの。


「アレに手を出すのはなぁ……流石に量が多すぎる。でも、他に頼りになりそうなものはないし……」


 リブリは溜め息を吐きながら、地下に眠る膨大な書物と立ち向かう事に決めた。


「……今夜は徹夜かなぁ……はぁ」


 

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