第六話 双子は野獣
この町で最も神樹の見晴らしがよいと噂される穴場。それは世界初に生まれた魔法教育機関、小中高一貫の大規模な校舎が一面に敷き詰める、星ノ木学園の屋上だ。
神樹の生える森とも近い距離にあり、見上げれば青空の中に一筋の星空が浮かんでいて、長い光の尾を引いて雲を突き抜ける流星群を連想させる絶景が鮮明に見える。
休日でも、学校は騒然としていた。グラウンドではサッカー部の叫ぶような掛け声、音楽室からは合唱部のピアノの奏でる音に合わせて流れる歌声、体育館でも卓球部のピンポン球の跳ねつく音と慌ただしい足音が止まない。
そして屋上では────
「すんませんっしたああああああああ!」
満身創痍の少年たちが、バタバタと脱兎の如く勢いで走り去っていった。
「チッ、弱すぎだっつーの。三連休の初っ端からクソつまんねー時間取らせんじゃねーよ」
白い壁を蹴って不機嫌を露わにする少年が一人。
肉食獣を彷彿とさせるような、プラチナブロンドの髪に編み目のように入った黒メッシュと、紅い三白眼は、カラー剤やカラコンを使用したわけでもなく、父親譲りの天然ものだ。
さらに赤いタンクトップが覗く気崩した制服からして、いかにもヤンキーオーラが滲み出る不良の中の不良。
名は、黒野 フウガ。
「フウちゃ~ん!! テスト終わったぜ~!!」
扉を蹴り開けて駆け抜けるもう一人の少年。
フウガと同じ黒メッシュに三白眼、黄色いタンクトップが目立つ締まりのない制服を着たこの少年からも、粗放なヤンキーオーラを漂わせる不良少年だ。
名は、黒野 コウガ。
二人は双子の高校二年生。
魔王の子であるかつ神樹ヶ咲でも百戦百勝の野獣コンビと名を馳せることから、興味本位の命知らずか、はたまた本気で頂上を目指す不良グループからか、とにかく喧嘩を売られることが日常と化していた。
「え? なになに? 喧嘩!? ずりーよ俺も参加したかったー!!」
「参加する価値もねーよ。小学生でも勝てるぐれぇの雑魚だったぞ」
そして売られた喧嘩は買うのが、二人のポリシーである。
「つかコウガ、本当に再テスト終わったのかよ? 数学だろ? お前足し算もできねーじゃねーか」
「おわった! あんなっ、あんなっ、くろのって、漢字じゃん? どう書くんだっけなー? って、もう分かんなくて頭パンクすっとこだったから、ひらがなで書いた! 俺天才じゃね!?」
「…………お前名前ひらがなで書いただけで終わったのか?」
「おうっ!」
「再々テスト確定だな」
「マジ!? ラッキー!! 再二つもつくじゃん!!」
「ハァ………こんなアホと同じ腹にいたのか俺」
馬鹿デカい声でガッツポーズを決めるコウガに、フウガはこめかみを押さえてため息を漏らした。
というものの、二人一緒に再テストを受けに来たので、どちらかが優位に立っているわけでもない。二人仲良く再々テスト、のちにみっちり補習コースを強いられる未来までもが明確に見え始めている。
【警告。神樹ヶ咲広場にてライゴウ使いの悪魔が暴走中。近隣地域の住民は直ちに避難するように。繰り返し警告──】
警報ベルから無機質な音声が流れ出ている。
「バニラ兄も喧嘩かぁ?」
「いつものことだろ」
身内の悪行が町内に晒されても、二人は特にこれといった反応もなく、けろりとした顔で聞き流していた。
『便意!! 全開!! うんこディア仮面~~~!!』
「あ? アイスケから電話だ」
「お前その着信音やめろっつったろ!」
うんこディア仮面とは、腹痛で便秘気味な子供たちの体の中のバイ菌を、うんこ型の仮面を被ったヒーローがやっつけるというシュールな特撮ヒーロー番組だ。「お下品すぎる」「子供が真似してうんこを被り始めた」などと保護者からの苦情も殺到して、何度も放送停止を食らった問題作でもある。
コウガは幼い頃から今になってもずっとイベントやショーを見に行くほどの大ファンだった。
「もしも~し!」
『コウガ兄ちゃぁん』
末の弟は語尾にハートがつくくらいに甘ったるい声だった。
『あのね、アイちゃん今一人でさびしいのぉ、コウガ兄ちゃんに会いたいなぁ』
「おう!! 来い来い! お兄ちゃんがちゅーしてやっぞ!」
『どこにいるの?』
「がっこー!」
『学校のどこ?」
「おくじょー!」
『フウガ兄ちゃんも一緒?」
「おうよー!」
とんとん拍子に進む会話を前に、フウガはハッとして、コウガのスマホをひったくった。
「何だよフウちゃん!」
「バカ! あのバイト先のことがバレたんだよ! あいつのことだからうるさく言ってくる……」
ダァン!! 扉が力強く開け放たれた。
「バイト先が………何だってぇ?」
にぃっ、と口角を歪めた末っ子が、汗だくになって姿を見せた。
真ん中の五男と六男の双子が家にいない時は、大体は学校か、ゲームセンターか、空き地で喧嘩していることがほとんどだ。
だが三日ほど前に、再テストが面倒くさいなどと愚痴を零していたことを思い出して、学校、それも特等席の屋上でサボっている可能性が高く思えてきた。確信を得るために脳みそチンパンジー以下のコウガに電話をしてみると、あっさりと吐いた。
もうそろそろ日が暮れてしまう。スマートウォッチを見れば短時間で二万歩以上も歩いたみたいで、足が痛くて体も限界を訴えている。この学園を最後に、残り三人の兄を問い詰めなくては。
「だから、クビになったんだよ。それだけだ」
「クビになっただけで四十万も取られるか!!」
「うっせーなぁ」
フウガは自分宛ての請求書を前にしても、臆面もなくずけずけとものを言う。
春休みになってから、双子は学校の近くにある洋食屋で短期のアルバイトをしていた。というのも、二人はファミリーズの助っ人担当ということもあって、バイトがバックれただの怪我しただの自分探しの旅に出ただのと急な人手不足に陥った職場に、一時的な助っ人としてアルバイトをしているのだ。
こんな粗暴なヤンキー、しかも魔王の子という不良物件を抱えた高校生を雇うなど常識的には考えられないが、人手不足でシフトの回らないオーナーにとっては、猫の手でも、いっそ悪魔の手でも借りたいと嘆いて思考が麻痺する精神状態に陥りがちだ。
そんなことから、高校生になってからバイトを転々としていた双子。クビを言い渡されたことは慣れっ子だったが、さすがに請求書まで送られたのは初めてだ。それも、キッチンの修理代四十万円。たかがミスの一つや二つで取られる額ではない。
「フウガ兄ちゃん、こないだのバイト先も客殴ってクビにされたよな」
「隣の客にセクハラしてたクソオヤジを制裁しただけだ」
「その前も店長殴ってクビ」
「それも新人に責任なすりつけて泣かしてたからな」
「その前のコンビニでも不良グループと大喧嘩になってクビ」
「あいつら弱った子猫いじめてたんだよ」
「………………」
「…………おい、アイスケ?」
「めっちゃいいヤツじゃんお前! ううううううう~っ!」
「なっ、何だよおい!?」
アイスケは猛烈に号泣しながらフウガに抱きついた。
「コワモテな不良だけど裏では捨て猫にミルクあげてますとか泣かせること言うなよぉ~~! 俺そういうギャップ萌えに弱いんだよぉ~~! うわぁぁぁぁぁん!」
「萌えもクソもねーよ! 普通の話だろーが!」
「天然かよこの野郎ぉ~~! 雨の日にブレザーの中に捨て猫雨宿りさせてますけどそれが? って澄ました顔でずぶ濡れになってんのかよぉ~~!!」
「そこまではしてねーわ!! 設定盛りすぎだバカ!! つか泣きすぎだっつーの離れろコラ!」
「いいだろぉ~~!? 俺さっき鬼畜な兄貴に殺されかけたんだよぉ~~!! トルコアイスがトラウマなんだよぉ~~!! 哀れな迷える末っ子にも癒しをおくれよぉ~~!!」
「意味わかんねー………」
ハァ、と重いため息を吐きながらも、フウガは泣き喚く弟の頭をぽん、ぽん、と撫でた。
撫でれば撫でるほど、顔を擦りつけて涙が滲む。
今のアイスケの姿こそが、飼い主に巡り会えた捨て猫のようだった。
「フウちゃんばっかずりーぞ!! 俺もちゅ~っ!」
「ふぎゃっ!」
うずくまるアイスケにのしかかって、コウガがべったりとキスをした。
「おい、コウガどけ、重い!」
「あ~? フウちゃん嫉妬ぉ?」
「
「だいじょーぶ! フウちゃんにも~!!」
「うぶぅっ!」
けらけらと笑って、コウガはフウガを押し倒してキスの雨を降らした。
キスは、黒野家の中ではとっておきの愛情表現。
幼い子供じゃあるまいし、と周囲は小馬鹿にするが、愛には歳も、性別も、種族も関係ない。それが黒野家のモットーで、身体に染み付いたなびかない、血だ。
【警告。神樹ヶ咲広場にて、ライゴウ使いの悪魔が電柱を破壊。各地で停電被害発生。近隣地域の住人は、直ちに避難するように。繰り返し警告──】
『メッセージだ! うんこパーンチ!!』
「ちゅっちゅっちゅ~~~」
「むぐっ! おいゴラ! ぐっ! やめっ!」
警報ベルにシュールな通知音にキスの嵐。
「で? そろそろ説明してもらえますでしょうか」
溢れるくらいの愛情補給したところで、アイスケは冷静に問うた。
「コウガのせいだ」
「フウちゃんが悪い」
双子は異なる意見を口を揃えて言う。
ムッと、睨み合った。
「フウちゃんが先に手ぇ出した!!」
「お前がバカなことするからだろーが!!」
「バカじゃねぇし! フウちゃんのうんこ!」
「うっせーうんこマニアに言われたかねーわ!」
「うんこ! うんこ! 便秘気味のカピカピのうんこ!」
「口縫うぞテメェ!!」
胸ぐらを掴み合って怒声を飛ばし合う。コウガの語彙力が幼稚園児並みで今更ながら絶望してしまう。
「あー、思い出したくもねー………クビになったのは一週間前のことだ………」
フウガは髪の毛を掻きむしりながら、しぶしぶと話し始めた。
『いらっしゃいませー! こちらにお名前を書いてお待ちいただけますか?』
『すいませーん、注文いいですか?』
『はい! すぐ行きますっ』
『ねえ、ピラフまだなのー?』
『申し訳ございません! もう少々お待ち下さいませー!』
『これ五番テーブルにお願い!』
『はい! ………お待たせしました! ハンバーグセットです』
『すいませ~ん』
『は~い!!』
ピークの十二時に入ると店内は満席で、四方八方から飛んでくる客の声に、店員は目が回る思いで走っていた。
双子は、主に洗い場が担当だった。
というのも、先日クレーム客と揉めてつかみ合いになる一歩手前で店長に止められ、あまり表に出さない方がトラブルを避けられると店が判断したからだ。
そのおかげか、今日は忙しくも特に衝突は起こらず、黙々と皿洗いをする二人を見て、店長はホッと息をついた。
『店長~! 千円札が少ないです~!』
『ハッ』
気が緩んでいたのか、レジのお金の管理を怠っていたようだ。見てみると千円札が四枚しかない。
『大変だ! ちょっと両替に……』
『店長~! ビールサーバーが詰まってるみたいなんですけど~!』
『ええっ!』
アルバイトに呼び止められ、店長はあたふたした。ビールを頼んでいる客が三人いる。早急に対応しなければならないし、かつ両替にも行かなくてはならない。おろおろと視線を巡らせた店長は、洗い場でどんぶりを頭に被せて遊んでいるコウガに目が止まった。
『コウガくん! ATMの場所分かるかい?』
『えーてぃーえむ?』
『ほら、お店を出て突き当たりの郵便局のところに、オレンジ色の機械があるだろう?』
『あー、あの電話ボックスみたいなとこ?』
『そうそう! 悪いんだけど、そこで一万円札細かくしてきてくれないかな? 急ぎで頼むよ!』
そう言って、通帳と一万円の束を渡され、コウガは呆然としていた。
『おい、やり方分かんねーなら代わるぞ』
フウガは蛇口をひねって水を止め、エプロンで手を拭った。
『いや、めっちゃ簡単じゃん!』
『嘘つけ、お前ゲーセンのと違うんだぞ。いいから俺に貸してみろ……』
『おりゃぁあああああああ!!』
瞬間、コウガは一万円札をビリビリに破いて、ふわっと紙吹雪が宙を舞った。
フウガの表情が凍る。客が大きく口を開ける。店員が奇声を上げる。店長が失神する。
しばらくその場の人々は、スローモーションで動いているかのような錯覚に囚われていた。
紙くずが、ポロポロと床に落ちて、同時に扉が開いたことで風が吹いて遠くへと飛ばされた。
入店した男性客を迎えたのは無の空間で、『え? 何この店』と声を零した。
『細かくしたぜ! 店長! ほめてー!!』
問題を起こした張本人は眩しいくらいのドヤ顔。
店長は白目を剥いて口から泡を吹いていた。
『て、てめぇ………』
地から這うような低い声を絞り出し、わなわなとフウガは震えていた。
『だから俺に貸せっつったろーがバカ野郎!!』
フウガの固く握りしめた拳がコウガの頬に炸裂する。
『いっでぇ! いきなり殴るとかひでぇぞフウちゃん!!』
負けじとコウガの石頭がフウガの顎に頭突きした。
店員や客たちは青ざめ、フォークや皿を投げてはすたこらさっさと店から逃げ去る。パリン! と高い破砕音が響いて、地べたに転がる店長が軽く蹴り飛ばされた。
『え? 何この店!?』と客や店員の怒涛に押されて、入り口の壁にひっつく男性客がまた声を漏らした。
闘志に火がついた双子には、もはや周りなど見えていなかった。
『ひでぇのはどっちだ!! 札破り捨てるバカがいるかこの大バカ野郎!!』
『バカじゃねーし!! 店長が細かくしろって言ったじゃん!!』
『両替の意味だバカ!! あーバカ!! クソバカ!! こんなバカの兄貴だって笑われる俺の身にもなりやがれ!!』
『バカバカうるせーな!! うんこ! フウちゃんのうんこ!! 下痢気味のドロドロのうんこ!!』
『あぁ!? テメェマジで歯ぁ食いしばれよゴラ!!」
『いいぜぇ!! こっちもやってやるよオラァ!!』
アルバイトの高校生から凶暴な悪魔と変貌した二人は、瘴気を孕んだツノで激しく突き合った。その禍々しい衝撃波に飲まれた厨房が瞬時に爆発する。
店には店員も客もこつぜんと消えていた。
残っていたのは、屍のように床に転がる店長だけ────
「っつー話だよ。アイスケ、お前はどっちが悪いと思う?」
話し終えたフウガは、顎をしゃくって言った。
「いや、どっちがって言うか………どっちもって言うか………それより店長のその後が気になるんだけど」
一万円札を破いたことや喧嘩をおっ始めたことより、店長の扱いがひどすぎてそっちの方が衝撃だった。
「確かそのまま入院したんだっけなぁ。元々疲労骨折繰り返してたとか何とか………」
「店長なんだかんだいいやつだったなー、遅刻しても来てくれただけでよかったとか言うし、休憩時間にお菓子もくれたし!」
「今回の修理代も半分だけでいいからって、この金額になったんだよ」
「確か店長、一年前に奥さんに逃げられて、今はしんぐるふぁざー? らしいな!」
聞いてるうちにアイスケは感涙モードに浸っていた。
「もう払おうじゃないかいくらでも!! 店長可哀想すぎんだろ………ふっ、ひっく、体も弱いのに、男手一つでお子さんまで育てて………」
想像するだけで涙が止まらない。
「うっ、こんな野獣な兄ちゃんたちも優しくしてくれて………うううっ」
思えばそんないい雇い主は今までいなかったはずだ。悪魔という種族だけで、腫れ物に触るような扱いを受ける。それは自分も同じだった。
アイスケは袖で涙をゴシゴシ拭って、顔を上げた。
「いいかお前ら!! 犠牲になった店長のためにも、次のバイトは絶対クビになるんじゃねーぞっ、ていねえええええっ!」
最後の決め台詞だというのに、隙間風のように静かに逃げやがった。
こんなに感動させておいて、許すまじ。
あの野獣たちを更生させるのはまだまだ遠い話かもしれない。
「三連休の初日から登校なんて、補習する気満々だね」
その聞き覚えのある声に振り返る。
「ラム兄ちゃん………」
ようやく辿り着いた、残る一人の兄。
白衣の、悪魔だ。
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