第三話 出会いは日常の中で

「クレジットカードの引き落とし………器物損壊の賠償金………何これ? 示談金? 何やらかしたの?」


「こっちも示談金あったよ~!」


「あ、こっちも」


 請求書の山をズタボロになったリビングの床に置いて、四つ子は淡々と中身を物色していた。


「え? キャッシュ一括で百万って何買ったのよ?」


「器物損壊も多いね~、あ、ユメたちも人のこと言えないけど! あははっ」


「財閥のご令嬢への示談金だって。犯罪まがいなことでもしたのかな? いや、いつものことか! あははっ……ってわっ!」


 もくもくと瘴気が立ち上ってきたので、ユウキの肩が跳ね上がった。


「アイ、ちゃん?」


 普段はキュートな末っ子が、悪魔の姿で拳を震わせ尻尾をダァンダァン! と床に叩きつけ殺意を剥き出しにしているので、兄姉たちはうわぁと盛り下がった。


 アイスケは黙々とリュックに請求書をぶち込む。ずんっ、と立ち上がって、ピンクパンダのパーカーを羽織り、リュックを背負って、どん! どん! と猛り狂う馬のような足音を鳴らして、ドアの方へ向かった。


「ど、どこ行くの?」


「…………決まってんだろ」


 ドスの効かせた低い声で、真っ赤な目をギラつかせて言った。


「バカ兄貴どもをシメてくる!」


  バタン! とドアを乱暴に閉めて、末っ子は戦場へと出陣した。





 黒野家は八男二女の十人兄弟の大家族。


 第一王妃から生まれた上の四人の兄は、王族育ちで甘やかされたせいか、振る舞いが傍若無人なうえに金銭感覚が狂っている。


 第二王妃から生まれた真ん中の双子は、暴れん坊魔王の父に似たようで、中学に入った頃にはグレていた。好戦的でどこでもすぐ手が出るので、一家のトラブルメーカーだ。


 混血で人界育ちの自分とはそもそも価値観も違うのだから、多少のことは目を瞑らないと。と甘やかしてきた結果が、この有り様だ。


 ここは魔界じゃないし、ここでは我が一家もしがない一市民。一家のお金を管理する会計役として、できるだけ節約してほしいとあれほど口を酸っぱくして言ってきたのに。

 このふざけた額は常識の範囲内を遥かに超えている。絶対に全員ガツンと説教して、これ以上の無駄な出費を防がなくては。


「さて、どいつから行こうか………」


 足を止めて、ポケットからスマホを取り出し、連絡先のページを開いて画面とにらめっこしていた。


「ひゃぁぁぁああっ!」


「っ!?」


 唐突に、透き通ったほのかに甘い声が、耳を通して脳天を撃ち抜いた。


 衝動のまま声の方へと振り向くと、



「どいてくださぁぁぁい!!」



「は?」


 女の子が、階段の手すりに乗ってすべり落ちてきて────


「きゃあっ!」


「ぐわっ!」


 急な激痛のあとに、体が仰向けになって倒れた。頭がクラクラして、背中が焼けるように痛く、お腹が何かに押されているように重い。


「いでで………」


 そっと目を開くと、目の前には小さな女の子の泣きそうな顔。しかも、馬乗りの体制で体の上に乗っかっていた。どうやら階段の手すりから落ちたところ、彼女にとっては運良く、自分にとっては運悪く、クッション代わりになって全身で受け止めてしまったようだ。


「うわぁ! すみません! すみません! お怪我はありませんか!? 大丈夫ですか!?」


 女の子は涙目でぺこぺこと頭を下げてくる。


「は、はわわ………し、死なないでぇ!」


「生きてるわ!」


「生きてる! よかったぁ……」


「よかったぁ、じゃなくて! どいてくれませんかねぇ!?」


 女の子の柔らかい太ももがお腹に密着しているこの状況。その筋の人にとってはたまらないご褒美かもしれないが、それ以前に、幼児体型のアイスケにとってこの体勢は、骨が軋むほど痛くてたまらないのだ。


「はわわ、すみません」


 女の子はあたふたと服の裾を握りながら立ち上がった。アイスケも体を起こす。

 

 改めて女の子の顔を見てみると、顎が落ちた。


(月が、二つ………?)


 満月を閉じ込めたような、黄金色に光り輝く双眸。瞬きするたびに流れ星が駆けたような煌めきを放っていた。


「あ、あのぅ………私の顔に何かついてますか?」


 小首を傾げると、二つ結いした亜麻色の髪が揺れた。結び目には、ヒマワリの髪飾りが二つ。本物かと疑うくらい、よくできた作りだ。同じ黄色のワンピースも、フリルやレース、リボンと豪華な縁取りに、繊維の目がきめ細かく質のよい素材で、まるでおとぎ話から出てきたお姫様のように可愛く品のある女の子だ。


(見たことあるような………ないような………)


 何だろう。どことなく懐かしい感情が胸をくすぐったので、初対面、と言い切るにも何だかむず痒い。

 

「えっとー………どっかで会ったことあったっけ?」


 ぽろり、と、何気なく零れた言葉に、女の子の顔が一気に青ざめた。


 身を守るように自分の体を抱きしめ、一歩一歩と後ずさっていく。


「そ、その言葉はナンパする人が相手を落とすテクニックの一つだって! りんさんが……お世話係の人が言ってました!」


「え、ち、違う! ナンパじゃない!」


「男の人はみんな狼だから、もし狙われたら目潰しして逃げるようにって、お世話係の人が!」


「世話係こえーな!! ち、違う! 俺は怪しい人じゃなくって………って、あれ? よく分かったね。俺が男だって」


 へ? と女の子は首を傾げる。


 アイスケは幼い頃から、レストランでお子様セットを頼めば指輪やネックレスなど女の子用のおもちゃを勧められるし、七五三で袴を着たら周りから怪訝な顔で見られるし、男子トイレに入ろうとしたら通りすがりの知らないおばちゃんに引き止められる。


 からかってくるやつも多かったけど、可愛いと言われるのは褒め言葉だと受け取っているし、むしろこの容姿で生かせることがあると開き直っている。


「う~ん……確かに女の子っぽいですが………なぜでしょう。パッと見て、男の子だって、思ったんです」


 顔を近づけてまじまじと上目遣いで見られて、ドキッと心臓が軽く跳ねた。


 近い。まつ毛も長い。フレッシュさと甘さが重なり合った花のように、いい香りがする。しかもこの子、百三十センチの自分より拳一個分くらい小さい。思えば今までの人生、こんな可愛い女の子にこんな間近で見上げられたことなんて毛頭なかったのだ。しかも、自分をパッと見て男だと言う。貴重だ。貴重すぎる。これはきっと、日々兄姉に振り回され心がすさんだ自分に神様が与えてくれた癒しのひとときなのかもしれない。


「あ! ところで、本当にお怪我はしてないですか!?  痛いところとか、ないですか!?」


「う、うん。全然ないよ。大丈夫。きみこそ平気?」


「はい! のーぷろぶれむ! です!」


 そう言うと女の子は顔を離して、手に腰を当ててえっへんと小さな胸を張った。


 ちょっと惜しい気もしたけど、女の子の動きがいちいち大げさすぎて、クスッと笑ってしまう。


「あはは………あー、ところでさっき、何してたの? 普通あんなところから落ちる?」


「あ、あれはですね!」


  待ってました、と言わんばかりのキラキラした顔で、女の子は言った。



「庶民の日常体験です!」



 ははは、とアイスケは笑ったあとに、は? と顔筋がフリーズした。


「私、いつもお家の中にいることばかりで、お出かけの時もお世話係の人ががついてくるし、行くお店も全部決められるし、毎日とっても退屈なんです。そこで、憧れてたんです! 人生を自由に謳歌できる、庶民の皆さんに!」


「…………」


「庶民の皆さんはたったワンコインでお昼ご飯が食べられるとか! さらにお湯を入れて三分待つだけでお腹いっぱい食べられる魔法のカップも持ってるとか! ばぁげん? の時はサルの喧嘩みたいに安価な服を取り合うとか! 何て楽しそうなことばかりなんでしょう!」


「…………」


  あ、ダメだ。この子、ムカつく。アイスケは笑いながらひくひくと頬を引きつらせた。

 このキラキラ笑顔からして、自分がどれほど人の気を逆撫でしているかも分からない、無自覚なタイプ。

 関わると非常に面倒くさい人種だと、アイスケの本能が告げていた。


「あー……そう、なんだぁ。で、さっきの危険行為とそれがどう関係してるのかな?」


「私、漫画で見たんです!」


「ん? 漫画は見るの?」


「いえ、正確には庶民の子供が読んでいた漫画を隣で盗み見したんです。すみません……」


(そこは謝るんだ……)


「その漫画では、イヤリングをたくさんつけた男の子たちが、階段の手すりをすべり台みたいに降りてたんです! しかも着地する時に一回転してカッコいいポーズで決めていました! とってもカッコよかったです! だから、ぜひ運動神経も抜群な庶民の真似をしたいと」


「ダメ!! それ庶民というよりただの不良! めっちゃ迷惑なやつ! あとイヤリングじゃなくてピアス! ってかよくそんなヤンキー漫画読んでる子供に出会えたな!」


 そう荒げた声で言うと、女の子は眉を下げて、しょぼん、とうつむいてしまった。


「わ、私がしたことは、庶民の真似ではなかったのですか………迷惑だったんですね」


  むぅ、と唇を窄めて一気にしょんぼりモード。


 そんなあからさまに落ち込まれたら、何だかこっちが悪いことしたみたいだ。


 アイスケははぁ、とため息をつく。


「ん?」


 ふと、ある違和感に気付いた。


「………きみさ、聞いたところお金持ちのお嬢様なんだろ?」


「お金持ち………? 別荘は国内で三軒しかありませんが」


「うんお金持ちだねっ! でさ、さっき言ってなかったっけ? 出かける時は世話係の人がついてくるって」


「はい! りんさんという、とても怪力で頼りになるお世話係の人がいつも一緒です」


「え、じゃあどうして今一人なの?」


「あぁ、それはいつものことです。隙を見て逃げ出してきたんですよ!」


「いやダメじゃーん!! それ絶対GPSとか使って血眼になって探しに来るパターンじゃん! しかもその世話係怪力で目潰ししろとか言う人なんでしょ!? 俺見つかったら死ぬじゃん!!」


「凛さんは人殺しなんてしません! 大太刀おおたちを振り回すことはしょっちゅうですが」


「俺死ぬじゃん!!」


「大丈夫です! そんなことより、私、次は駄菓子屋さんに行ってお店のものを全部買い占めたいんです! でも初めてで不安なので、よかったら庶民を代表するあなたも一緒に来てくれませんか?」


「絶対行くかっ!! こちとら家庭の事情で忙しいんです!! もう勘弁してくださぁああい!!」


 にっこり笑顔に背中を向けて猛ダッシュした。


 呼び止められた気がしたが、知るもんか。懐かしい感情に流されるまま付き合っていたが、危なかった。あと数分もしない内に、大太刀で八つ裂きされるところだった。


 触らぬ神に祟りなし。身をもって学ぶことができた。

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