第二話 楽しい時間はあっという間

 四人揃って座布団に座り、長方形の大きなちゃぶ台で昼食の時間が始まった。夕食になると十人分の席が埋まるちゃぶ台は、四つ子だけだとだだっ広く感じて、ちょっぴり物寂しい。


「ん~〜〜、美味うまぁい。斉さん最高ぉ」


  水餃子の気分だったが、羽付きでパリパリの焼き餃子も食べたらうっとりするくらい美味しい。具の豚肉もジューシーで、プリプリのエビにシャキシャキの白菜の組み合わせがたまらない。さらにクセになる香りのニラの旨味があとを引いていくらでも食べられそうだ。


「こないだ店行きたかったけど定休日だったからな~」


「今度学校帰りにみんなで行こうよ。俺もやっぱり、本店で食べる方がスープの辛さもきいてて替え玉二杯頼むくらい食べれるよ」


「あと兄ちゃんは本店の激辛ラー油も好きだしな」


「うん! だってあの調味料は企業秘密で商品化しないからね。食べるには行くしかないよ」


  餃子を頬張るアイスケと、ラーメンをすする兄が、顔を見合わせて笑う。

 もぐもぐとリスみたいに夢中に頬張るユメカの口元についた食べかすを、ココロが笑いながらティッシュで拭ってやる。さっきまで喧嘩していたのが嘘のようだった。


 家族って、いいな。食事の時になると、まるで魔法にかけられたみたいに、そう呟きたくなるのだ。


「そういえば、アレはどうなったの?」


 エビチリをつまむ箸を口の前で止めて、ココロが尋ねた。


「アレって?」


「ほら、アレよ。こないだの森田質屋の商品ぶっ壊しちゃったやつ。示談になったんだっけ?」


 うっ、とアイスケは喉をつまらせそうになる。ユウキが慌てて背中を叩くと、口から餃子の中身が吹っ飛んだ。


「きたなっ!」


「ごほっ、ごほっ! ご、ごめん……」


「で、どうなったのよ? ベリーにいが立ち会ったらしいけど、詳しいこと何も聞いてないわよ? いくら取られたの?」


  ベリー兄、というのは黒野家の長男。


 それと、取られたというか、まぁ正確には壊した分の価格を返したわけだが。

 実はファミリーズのリーダーであることから、この中でアイスケだけ小さな責任者として、兄と一緒に立ち会いに行ったのだ。正直、思い出したくもない、が。言わなくてはならない。


「ひじょ~~~に、申し上げにくいのですが……」


 兄姉の箸がピタリと同時に止まる。


 アイスケは、諦めたように爽快に笑った。


「三ヶ月分の依頼料が、消えましたっ」


「「「はああああああああああああ!?」」」


 何だかこれ、デジャブだ。まぁ四つ子ミラクルは今に始まったことではないのだけれど。


「何でそんなに!? あんなのただのガラクタじゃないの!?」


「そーだそーだーっ! さぎだーっ! こくそしてやるーっ!」


「ユメカちょっとバカっぽい」


「第一俺たち強盗犯と戦ってたんだよ? そこの正義感は認めてくれないの?」


「そーだそーだーっ! じんけんしんがいだーっ! こくそしてやるーっ!」


「ぷふっ……ちょっ……ユメカやめて笑うっふははっ」


 姉二人が何だか楽しそうだが、今の状況を理解しているのだろうか。はたまた現実逃避なのか。


「これは聞いたと思うけど、森田主人のお兄さんが有能な弁護士さんだから、ほら、物の鑑定とか俺たちの暴れた痕跡とかきっちり見落とすことなく暴いちゃってさ」


「あー、身内だってのが怖いよね」


「しかもあの人……俺がどうしても減額してもらおうと渾身の色気振り撒いておねだりしたのに………ビックリするくらい無反応だったんだ! むしろわいせつ罪で訴えますよ? て冷めた目で見下ろしてきて! ひどい! あいつロリコンじゃなかった!」


「いや全国の男がロリコンだったらこの世の終わりよバカ」


「そーだそーだーっ! しょーにせーあいしゃはゆるさないぞーっ!」


「ぷぷっ……ちょ、やめて。それわざとやってるでしょっ」


 バンバンと駄々っ子みたいにちゃぶ台を叩くユメカに、吹き出してしまうココロ。その向かいで、ぷるぷると小刻みに震えているユウキ。笑っているのか? と三人で覗いてみたら、


「あ、あり得ない………アイちゃんの殺人級の魅力にも無反応なんてっ! そいつは……本当に人間なのか? 人外か? 悪魔か? いや悪魔でもアイちゃんの魅力に勝てるヤツはいない……そいつは………この世のものでない、なにか……!?」


「バカがここにもいたわ」


 いや、正確に言うと兄バカだ。ユウキは四つ子の中でも最も優秀で、頭も良く、戦力は学園でもトップクラス。年齢の割には落ち着いていて、面倒見もよく頼られやすい。


 だが、弟のことになるとどうしても周りが見えなくなる。正常な判断力も失い、自慢のIQもダダ下がり。追い詰められた脳内メーカーは弟、アイちゃんの文字でぎっしりだ。


 クラスメイトからは、変態ブラコン、残念なイケメン、ヤンデレ兄貴、といった危険なレッテルを貼られているが、当の本人は頓着していない様子。


「ねぇユメカ。さっきのもう一回やってよ」


「い~よぉ~」


「何だかんだハマってんじゃねーか……」


 ユメカは手をグーにして、バンバンとちゃぶ台を叩く。


「たべほーだいのできんーっ! ゆるさないぞーっ! こくそしてやるーっ!」


「ぷはははっ!」


「そーだそーだっ! ろーすとびーふでたわーをつくってなにがわるいんだーっ! ひょうげんのじゆうだーっ!」


「あっはははっ! ひいいいいいっ!」


「……………」


 アイスケは遠い目で見ていた。


 まぁ確かに最初はこいつ可愛いなとか思ったが、こう何度も繰り返されるとバカ丸出しで見ているこっちが恥ずかしくなる。だがココロは腹筋崩壊するレベルで笑っているし、例え四つ子でも笑いのツボが違うのか。完全なミラクルなんてないんだな、と改めて思った。


「こくそしてやるーっ! さいばんだぞーっ! うおーっ!」


「きゃ!」


  叩きつける手が勢い余って、ちゃぶ台がひっくり返りそうなくらい揺れた。


「ちょっとやりすぎ………って、あ」


「「「あ」」」


  声が重なる。

 ユメカの襟元に、エビチリの赤いソースがべったりと付着した。


 楽しい昼食時間終了のお知らせ。


「バカ! バカバカバカバカ!! アンタ人の服に何してくれてんのよーっ! これシルクの素材なのよ!」


「だってだって! ココロちゃんがバンバンしろって言ったじゃん! ユメ悪くないもんっ」


 ビキッと、ココロのこめかみの血管が浮き出て、ビキビキと威嚇する暴れ牛みたいにツノが突き出る。


 ガルルッ! とユメカが唸って、獲物を前にした狼みたいに犬歯が伸びる。


 今日もまた、始まるのか。黒野家恒例行事、悪魔化喧嘩ガチバトルが。


「お、おいお前ら! ストップ! ストップ! 深呼吸! 深呼吸して──ふがぁっ!」


 なぜかエビチリが皿ごと顔面に飛んできた。


 視界が真っ赤に埋め尽くされ、二人の悪魔の奇声が耳の鼓膜を裂いた。


 エビチリを拭い取ったばかりに今度は緑茶がぶっかかる。頼むからこれ以上のとばっちりは勘弁してくれ! というアイスケの祈りも届かず、ココロとユメカは皿やコップ、お茶碗など手当たり次第につかんでは互いに投げ合う。


 床や壁、天井、アイスケの顔面、様々な箇所で割れては弾けて、それでも二人の怒りは収まる様子ではない。


 ユメカがとうとう、ちゃぶ台を両手で持ち上げた。


「ダメダメダメダメ! それはダメ!」


  アイスケの悲痛な叫びも届かず、ふん! と投げられたちゃぶ台。

 おるぁ! と獣じみた唸りのあとに、ココロの怒張した鉄拳がたかが木の板など真っ二つにぶち抜いた。


「八十二代目のちゃぶ台があああああああっ!」


  たぶん、我が家にやってきたちゃぶ台たちは常に死の恐怖を感じて震えていたに違いない。

 毎度のことだけど、家具が壊れるたびに何だか育てていた植物を枯らしてしまったような罪悪感に苛まれる。


「うひゃっ!」


  黒血まで飛び始めたので、逃げるように避けた。黒魔法を食らった床は亀裂が入り、壁には風穴がぽっかり。


 このままでは最悪のパターン、住宅崩壊の危機に陥ってしまう。再建築を待つまで学校の体育館のマットの上で寝泊まりしていた黒歴史をまたもや繰り返すのか。いや、我慢できない。マットは硬くて臭かったし。


「ユウキ兄ちゃん!! もうやべえって!! 止めねえと!!」


 カシャ、とシャッター音が鳴る。


 は? と見上げると、そこにはハアハア息を荒くし血走った目でスマホを手に持つユウキ。


「チリソース塗れのアイちゃん………やばぁい、かわぁいい!」


「え、どこに萌える要素が!? 頼むからここでハアハアタイム出すのやめて! 現実を見て!」


 ハアハアタイムとは、兄ユウキの理性が切れた危険度MAX状態だ。こうなると、兄の欲求を満たすまで、変態じみたお願いに付き合わなければならない。逃げ出せば地獄の底まで追いかけてくるし、逃げれば逃げるほど燃えるタイプなのでかなり面倒だ。


「大丈夫! ちょっと撮るだけ! 役者になるための練習だと思って、ね?」


「役者を何だと思ってんの!?」


「何事も挑戦だよ、アイちゃんっ」


「カッコいい風に言ってるけどやってることキモいからな! あーもう!! さっさっと終わらせてーっ!!」


 カシャ! カシャ! カシャ! カシャ!


 ユウキのスマホケースは、かつて無理やり着せられた甘ロリワンピースの自分のコスプレ写真がプリントされていて、もはや公開処刑。


「アイちゃぁん、そのまま上目遣いで、恥じらうようにチリソース舐めてぇ」


「こ、こぉ? ……ぺろっ」


 ぶしゅっ! とユウキは黒い鼻血を噴き出す。


「いいねぇ可愛いいいい! じゃあ今度は色っぽい眼差しでこっち見てぇ」


「あはぁん」


 ぶほぁっ! と血飛沫が飛ぶ。


「ちょっと服捲っておへそ見せてぇ」


「ちらっ」


 ぶしゃあああっ! と血の雨が降り落ちた。


「じゃ、じゃあ、次はコスプレも加えよう、か。鏡も、持ってくる、ね」


「いやお前が一辺鏡見てこいっ! 致命傷になってんぞ!」


  一瞬で血の海ができてるし。


「いいん、だよ。俺は、アイちゃんの可愛い姿が見れるなら、鼻血で窒息死したってかまわない」


「重い重い! 愛が重い!」


「お兄ちゃんっていうのはね、弟のコスプレ姿を見るためなら、何リットルでも鼻血が流せる。そういう生き物なんだよ」


「嘘つけ!! お前だけだバカ!! 全国の純真なお兄ちゃんたちに謝れ!!」


 ピーンポーン。


「ナイスタイミング!」


 いつもは煩わしく感じることもあるインターホンも、今は救世主に思えた。


 これでチリソース塗れでコスプレしなくてもいいし、姉妹喧嘩のとばっちりからも逃げられる。もうこの際怪しい壺売ってくるセールスマンとでも上手いこと長話したいくらいだ。


「はいはーい! 今出まーす!」


 タンタンタン! と軽い足取りで廊下を駆ける。

 自分の靴が見つからなかったので、誰のか分からないだぶだぶのサンダルを適当に履いて扉を開けた。


「こんにちはー、シロイヌ トマトです」


「あ、こんちわ……」


 よく見かける宅配業者のお兄さんだった。

  結構愛想が悪いことで我が家でも話題になったりする。この間なんか出るのが遅かったら舌打ちされたくらいだ。


(こりゃ、長話は無理そうだな)


「メール便なんですけど、何かポストがいっぱいで入らなくて……」


「あ、すみませんゴチャゴチャしてて。受け取りますんでー、はい、ありがとうございますー」


 宛名はココロになっている。サイズからしておそらくアクセサリーか小物だろうか。何やら英語のブランド名が書かれているが、女の子のファッションについては無知で、さっぱり分からなかった。


「じゃ、失礼しまーす」


「はい、どうも」


 お兄さんは門扉を出て左に曲がった辺りで、


「チッ」


(堂々と舌打ちすな!)


 また我が家の話題が増えそうだ。

 腹は立つが堂々すぎて、むしろ潔い。クレームとかこないのだろうか。


「えっと、そんなに溜まってんのかな?」


 確かにここ三日くらいチェックしていなかったが、まぁ大家族なんだから誰か見てくれるだろう! と責任放棄という名の安心感があったのだろう。


「ファンレターかなぁ!」


 言って開けた瞬間、ドバドバと封筒が飛び出てきたので思わず体をねじって回避した。


「わぁお」


 例えるなら、押し入れ開けたら布団爆発状態。


 ふと、思い出す。まだファミリーズを結成したばかりの頃、行方不明の飼い犬を見つけ、無事飼い主の元へ届けた。


 河原でどろんこになった顔で兄姉たちのところへ戻ろうとした時、飼い主に呼び止められ、一枚の感謝状をもらった。


 最初こそはボランティアまがいで報酬なんて一円ももらえないことがほとんどだったが、その金ぴかの水引に当時じゃちょっと大人が使う言葉だと思っていた、感謝状、という響きに、何より飼い主の幸せそうに犬を抱いた笑顔を見ると、歓喜に震えて、その場で人目も気にせずぴょんぴょんと飛び跳ねてしまった。


 あれも遠い過去。今じゃこれほどのファンレターをもらっても、子供みたいにはしゃぐなんてみっともないことはしない。まぁ嬉しいが。


「モテる男はツラいねぇ」


  にやつきを隠せないまま、アイスケは鼻歌混じりに散らばった封筒を拾っていく。


(ベリーにい、ラム兄、バニラ兄、フウガ兄、ベリー兄、バニラ兄、バニラ兄、ベリー兄……)


 宛先が兄ばっかりなので、ちょっぴりムカついた。


 兄たちは混血ハーフで人界育ちの四つ子と違って、完全なる悪魔の血を引く狂者揃いだ。

 戦力は化け物並みに有り余っているのだが、ファミリーズの仕事に対しては非常に消極的だ。十四年も人界で生活しているものの、王族育ちの癖が消えないのか、規律を守ることに抵抗を覚えるようだ。


(これも兄ちゃも……あれも兄ちゃん………)


  こんな山盛りなのに、一向に自分宛のものが見つからない。おかしい。これはリーダーのプライドが許さない。

 というか、仕事もろくにしない放埒な兄たちにこんな大量のファンレターが届くこと自体あり得ない。一体どんな物好きなんだ、と。ここである文字に目がつく。


「……………せい、きゅう、しょ」


  請求書在中。そう確かに封筒に赤い判子が押されていた。嫌な予感がして、他の封筒も漁ってみる。


「あ、あ、あ、あ、あ」


 これも、あれも、それも、どれも、全部、請求書。ファンレターなんて一枚もない。怖くなって、一枚封を開けて中の紙を広げて見た。


「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん、ひゃくま……」


 おぞましい桁数に、言葉が詰まった。これで、一枚目。じゃあ、この山盛りの封筒を開けたら………。


「ああああああああああああああああ!!」


 この世の終わりみたいな断末魔が家中に響き渡った。


「アイちゃん! どうしたの!?」


 兄姉たちが扉を叩き開けて駆け寄ってくる。


 ふぇ、ふぇえ、とアイスケはヤギみたいな嗚咽を漏らした。


「あゃぁ、ぁあ、ぁぁあ、ああぁぁぁ」


「落ち着いてアイちゃん! とりあえず日本語喋ろう!?」


「あ、ああ、しゃ、しゃ」


「しゃ?」


「しゃ、しゃ、しゃ~~~~」


「何? おしっこしたいの? ちょっと待っててビデオ持ってくる」


「しゃっきん」


「「「え」」」


「借金クソ増えたああああああああああああ!」


「「「はああああああああああ!?」」」

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