第28話
◇◇◇
昔から、気が弱いという自負はあった。
いつも相手の顔色ばかりを気にしていた。
これでも昔はそこそこに人気のあるキッズモデルだったと言ったら、何人の人が信じてくれるだろうか。
平井那央、五歳。
母親が勝手に応募した雑誌の専属キッズモデルとして芸能界デビューした。そしてそのかわいさから一躍表紙を任されるほどの人気を得た。しかし、幼いのに仕事をたくさん取っている那央のことを気に食わないと言う先輩モデルは少なくなかった。
先輩モデルといっても、所詮はキッズモデル。つまりは子供だ。
子供が気に食わない相手にすることなど決まっている。無視だ。
那央はおとなしい性格で、素直に指示をこなすことから大人のスタッフたちから気に入られていた。しかしそれすらも疎まれる要因になり、同僚や先輩であるキッズモデルからは無視され、いつも除け者にされては孤独を感じて生きていた。
モデルのなにが楽しいのか、どこがいいのか幼い那央にはわからなかった。しかし、モデルをしていると母親は嬉しそうに笑う。
うちの子はモデルをやっているのよと近所の人に言いふらしては那央のかわいさをアピールしていた。しかしそれは那央がモデルに向いているから、という理由ではなく人気キッズモデルの母親という称号が欲しかっただけなのだ。だから那央がモデルを辞めたいなどと漏らせば厳しく怒鳴られる。
家ではもっと上手にできたでしょとお小言を言われ、人前では仲のいい親子のように振る舞わなくてはならない。しかも仕事場では同じキッズモデルたちからの冷遇を受ける。
那央の気の弱さは日に日に悪化し、いつの間にかずっと他人を怒らせないように顔色ばかりを伺って生きるようになっていた。
そんな日々も突如終わりを告げた。那央の両親が離婚したのだ。
那央の母親は那央を引き取ると言ったのだが、父親が親権は私にあると言って裁判まで起こした結果、那央は父親に引き取られることになった。
それからの那央は割と自由に生きることができた。
父親の顔色を伺いながらもキッズモデルを辞めたいということを切り出すと、父親は二つ返事で那央の言葉を了承した。
業界では冷遇に耐えられずに逃げ出した軟弱者というレッテルを貼られてしまったが、今後一切芸能界に関わるつもりのない那央には悲しくはあるが、正直どうでもいいことだった。
キッズモデル界隈から離れた那央は普通の学生の生活に馴染んでいった。しかし高校に上がったとき、那央は些細な、肩がぶつかったとかそういう程度の本当に些細な理由でいじめのターゲットに選ばれた。
休み時間になるたびにいじめっ子たちが那央のクラスに押しかけ、那央をこ突いて帰っていく。
クラスメイトたちは自身に矛先が向くのが怖かったのか、那央のいじめを見てみないふりをしていた。
誰にも助けてもらえないまま、那央は放課後に呼び出しを受けていじめっ子たちの教室に招かれた。
正直逃げ出してしまいたかった。しかしそんなことをすれば明日はもっとひどいことをされる。それが怖くて那央は言われるがままいじめっ子たちの教室で殴られたり体に油性ペンで落書きをされたりと、様々ないじめを受けた。
どうして人にここまで酷いことをできるのか、那央には理解できなかった。やめてと言えばいじめっ子たちは嬉しそうに笑い、気分がいいと言って那央を殴った。
痛かった。殴られるのはもちろんのこと、教室の前を通った生徒たちが見て見ぬふりをしているのが心にチクチクと針を刺したように痛かった。
このまま家に帰れば父親に心配される。
キッズモデルを辞めたいというわがままを聞いてくれた父親にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。那央はそう思って必死でいじめっ子に抵抗した。すると偶然、本当に偶然、那央が押したいじめっ子の足元に誰かの宿題の紙が落ちていて、その紙を踏んで足を滑らせてバランスを崩したいじめっ子は机の角で頭を強打した。
いじめっ子グループの一人が大声をあげる。
すぐに教師が駆けつけてきて、救急車が呼ばれた。救急車に運び込まれたいじめっ子はまだ意識があり、那央に向かってふざけんなよと口をはくはくとさせていた。
那央は心のどこかでざまあみろといじめっ子のことを笑ったが、翌日教師に呼び出されていじめっ子が脳出血で死んだと聞かされた。
学校内で起きた殺人事件。そう言った噂が流れ、警察に事情を聞かれた那央はいじめっ子を殺した殺人犯をして後ろ指を指されるようになってしまった。
那央はいじめにあっていたのはクラスメイトたちも知っている、割と周知の事実だった。しかしそれでも誰も那央のことを庇おうとはしなかった。
那央の父親はいじめにあっていたことを知ると憤慨したが、いじめてきた相手を殺すのはやりすぎだと那央を叱った。
べつに那央はいじめっ子を殺す気はなかった。ただ理不尽な暴力をやめて欲しくて抵抗したら打ちどころが悪く相手が死んでしまっただけなのだ。
僕は悪くない。那央は自室に引きこもってその言葉を繰り返した。
殺す気はなかった。なのに学校で殺人鬼と言われるのも、父親に叱られるのもどちらもいやだった。
自分は被害者なのにどうして、那央がそう思っても周りの目は厳しいものだった。
問題を起こした那央は学校に行かなくなり、そして学校から退学するように勧められた。学校も父親も、那央を悪役のような目で見ていた。
このまま部屋に引きこもっていたい、そんな那央の思いも虚しく父親はせめて通信制の高校に通えと言った。気の弱い那央がその提案を断れるわけもなく、那央は週二登校の通信制の高等学校に入学した。
そして自身がキッズモデルだったこと、前の学校で人を殺したことを隠しながら生活をしていたのだ。
そうしていたら今度は変なデスゲームに巻き込まれた。
もしかしたら自分は前世で何百人もの人を殺した罪人なのではないかと思うほどの悲劇の連続。
生きてここから出たい。特別な幸せはいらない。ただ、普通の一人の人間として平々凡々な生活を送りたかった。
そんな淡い夢も、体とともにぐしゃりと潰れた。
痛みで意識が遠のきそうな那央の目の前には目を丸くした光川の姿。
先程光川は石里を助けようと無謀にもデスクの下から飛び出した。そして化け物に体を握りつぶされそうになっていた。
――自己犠牲なんて馬鹿馬鹿しい。
心の中のどこかでそんな声が聞こえた気がした。
たしかに今、那央が光川を庇ったところで、光川がこの後死なないとは限らない。みんな仲良くここで死に絶えるかもしれない。
しかし、それでも不思議と那央はこの行動に反省も後悔もしていなかった。
もちろん、体を怪力で握りつぶされたのだ。痛みは強い。気を抜けば意識が飛ぶだろう。むしろ、意識が飛んでしまった方が楽に死ねる気がする。
しかしそれでも、これだけは光川に伝えておきたかった。
「……あ、りがとう。僕、あなたのこと……怖いって思ってたけど、最後に人らしいところが見れてよかった。気の弱い僕が人の役に立とう、って行動に移せたのはきっと……あなたの」
ゴキリ、と骨が軋む音がした。化け物の腕の中で、内臓が破裂したのが見なくても理解できた。
もう、那央は普通の生活は送れない。それどころか明日の朝日を拝むことすらできない。
淡い夢はうたかたの夢となって、夢は夢のまま儚く消えていった。
◇◇◇
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