第29話
目の前に視界を覆うほどの血飛沫が舞った。
ごとんと足元に平井だったものの頭部が転がっている。
「あなたの」
平井が先程言おうとしていた言葉の続きはわからない。聞くことも聞き返すことも出来ぬまま、平井は目の前で事切れた。
成大の足元は徐々に血溜まりになっていく。白い床は平井の鮮血で綺麗な赤色に染まり、成大の精神を蝕んでいく。
血が、こんなに恐ろしいものだとは思わなかった。人が死ぬのがこんなに悲しいことだとは思わなかった。
石里を救うため無計画に飛び出したから、平井は成大を庇って死んだのだと、自分の無鉄砲さに笑うことすらできなかった。
成大がいつものように安全を取って石里を見捨てていれば、平井は死なずに済んだ。
それなのに。
「あ、りがとう」
平井の言葉が頭の中でこだまする。
自分なんかのなにに感謝されたのかわからない。だが、化け物に体を押しつぶされながらも平井は笑顔で成大に礼を言ったのだ。
その笑顔は痛みのせいか少し引き攣っていたが、なんだかどこか爽やかな笑顔で。
少なくとも成大を恨んでいるようには見えなかった。
福田といい平井といい、もしかしたら、もし万が一別の出会い方があったとしたら、二人とは友人になれたかもしれない。
どこか冷め切った冷酷な成大の心を温かく溶かしてくれたかもしれない。
それもこれも、もう叶うことのないうたかたの夢ではあるが。
「んぐ?」
平井を握りつぶした右手を、首を傾げて見つめる化け物の首に成大は今度こそとナイフを振りかざす。
隙だらけの化け物の首に果物ナイフが突き刺さる。
他の化け物より固い。
「クッソォ!」
それでも諦めない。諦められるはずがなかった。成大は化け物の首に足を絡ませると思いっきり、全身の力を使って化け物の首を掻き切った。
「ガァッ」
ピシャっと赤い液体をこぼして化け物が膝を落とす。
「光川くん!」
化け物と一緒に床に転がり落ちそうになった成大を他の化け物が掴もうと手を伸ばした。そこに飯島は最後の弾丸をぶち込んだ。
「イッ」
悲鳴をあげる化け物に成大は間髪入れず首を狙って歯がボロボロになった果物ナイフを突き刺した。そして思いっきり切り裂くように首を掻き切る。
化け物は短い悲鳴をあげ、そして床に膝をついて、
「きゃああああああ!」
甲高い悲鳴とともにびちゃり、と何度聞いたかわからない人体の潰れる音がした。
振り返るとそこには透明の壁に赤い鮮血を飛ばして、目をぎょろぎょろとさせた石里の頭部が転がっていった。
成大と飯島が化け物二体を相手にしている間にもう一体の化け物が石里を襲ったのだ。
救えなかった。成大は結局、石里も平井もどちらも救うことができなかった。
自分はなにがしたかったのだろう、と二人の遺体の前で成大は脱力してナイフを床に落とした。
戦う理由が、もうわからなくなってしまっていた。
「光川くん!」
背後から飯島の叫び声が聞こえる。
思えば、一番長く行動をともにしたのは飯島だっただろうか。デスゲーム会場で目が覚めた時からずっとそばにいた気がする。
まだ二日しか経っていないのに、もう何年も一緒にいたような気持ちになった。
「みつ」
「わかってます!」
友人になれたかもしれない人を犠牲にしてまで救おうとした人を救えずに絶望した成大だったが、今一度ぐっと拳を握りしめると力強く立ち上がり、化け物の攻撃をかわして鉄の扉の前に転がった服部の遺体からちらりと姿を見せていた折りたたみナイフを取ると化け物の首を掻き切った。
悲鳴をあげて化け物が膝をつく。
――本当は絶望のまま、すべて放り出してしまおうと思った。
しかし、まだここには飯島がいた。ずっとそばにいてくれた飯島がまだ生きている。ならばこんなところで屈するわけにはいかなかった。
「よくやった、光川くん!」
成大は飯島とハイタッチを交わす。これでこの階に現れた化け物の殲滅は終わった。
腕に取り付けられたスマートウォッチに表示された数字は二。残るプレイヤーは成大と飯島だけだった。
「まだ諦めませんよ。はやく次の階に」
次に向かうのは地下三階だ。そこにゲームマスターがいるとは限らない。しかしだからといって、ここまで来たのだから行かないという選択肢はなかった。
成大が先に急ごうとエレベーターの前まで来たとき、背後にいる飯島の方を振り返る。
それとほぼ同タイミングで成大の体はエレベーターに押し込まれた。
「あとは頼む」
「……は?」
成大をエレベーターに押し込んだ張本人、飯島はそう言ってエレベーターの外から手を伸ばして地下三階のボタンを押した。
エレベーターの透明な扉が閉じる。その透明な扉の先には左腕を食いちぎられた飯島の姿があった。
最後の一体、膝をついて倒したと思っていた化け物がまだ生きていたのだ。飯島は弾丸の残っていない拳銃で化け物の頭を殴る。そして懐から人殺しゲームのときにも使用した爆竹を取り出すと、化け物の口に自身の右腕ごと突っ込んだ。
「飯島さん!」
成大の叫び声も虚しくエレベーターが下に降りる。飯島の姿が見えなくなった。
無慈悲にもしゅんしゅんと下へと向かうエレベーターの上部からパパパパンッと乾いた音が響いて聞こえてきた。
成大が飯島の無事を祈って見つめたスマートウォッチに表示された数字は一だった。
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