第20話 レ・ミゼラブル


「本当に申し訳ありません、僕が連れ出したばかりに……」

「あのねトーマくん、悪いことってしたやつが悪いのよ」

「それ俺がもう言った」

「あら、じゃあもう言うことないわ」


ハルもハルのお母さんも、どうして僕を責めないのだろう。

あの日、あそこにいなければハルが怪我をすることもなかったのに。

僕が怪我をさせたも同然だっていうのに。


「気に病んでるなー…」

「気にしなくていいのよ、ハルにとっては勲章だろうし」

「でも、まだ犯人が捕まってないって……」

「日本の警察は優秀だもの、時間の問題よ」


ハルに手を引かれ、帰り道を行く。

ほんとうなら、気まずいはずなんだよな、これ。

ハル、見た目はお父さん似なんだろうけど、中身はお母さんそっくりだなぁ。


「お互いの家の周りを見張っててくれるみたいだから、二人ともゆっくり休んで」

「え、ひとりで帰るんですか?」

「まさか、付き添ってもらうわ……気付かなかった?」

「え?」


指さされた方を見ると、昨日今日で顔なじみになった警官たちがいた。

病院からずっとついてきてくれてたらしい。

頭を下げると、敬礼を返してくれた。ハルのお母さんを間に挟んで帰っていく。


「……だいじょうぶかな」

「大丈夫っしょ、ほら、家に入りましょ」


常駐している数台のパトカーを通り過ぎ、角を曲がる。

さすがに中庭へは入ってこられないのだろう。

エレベーターに乗り込み、4階を押した。

そういえば、帰ってすぐ打ち合わせに行って、そのまま病院にいたんだっけ。


「家に入るの、久しぶりだね」

「そうだな、荷物の再配達頼まないと」


軽い手荷物から鍵を引っ張り出す。

鍵を差し込み、いつものようにひねった。


「よーし、ただい……あれ?」

「どしたの?」

「いや……」


なぜだか、開かなかった。久しぶりだし、回す方向を間違えたのだろう。

もう一度鍵を差し込み、ひねる。今度は開いた。

ただ、なぜだか部屋に入る気が起きない。冷たい何かが背筋を這い上がってくる。


「……ハル、一応警察の人呼んできて」

「え、なん…」

「しっ、杞憂だろうけど、とにかく呼んできて」

「……わかったけど、その場から動かないでね」


ハルが階段を駆け降りてくのを見計らい、鍵をもう一度反対方向に回す。

音をたてないようにドアノブを確認し、最後にもう一度鍵を回す。


「……やっぱりこの方向だよな?」


じゃあ、回す方向を間違えたのでなく、何らかの理由で鍵が開いていたのだ。

家を出る前はハルと何度も確認したし、開いているわけがないのに、だ。


「……もう二度と、ハルを巻き込むわけにはいかない」


僕は昨日、病院でハルと宮島さんの話を聞いていた。

確実に、僕を狙っているのだろう。


カナタ。

このドアの向こうに、きみはいるのか。


僕をすべて奪い去らない限り、きみは諦めないんだろう。

僕から、絵だけでなく……ハルや、僕自身の命まで奪おうというのか。


手は震えているけれど、ふつふつと怒りが湧いてきた。

僕だけならまだしも、ハルに怪我までさせて。

さすがの僕だって、きみを一発殴らなくちゃ気が済まないぞ。


SNSでのやり取りとは違う。

目の前に生きた人として存在するなら、対応のしようもある。

もしこの家の中にいたなら、もう、容赦しない。


「……」


ドアを開け、ずかずかと足音を立ててリビングに向かう。

廊下には砂か何かが足跡として付着していて、招かれざる客の来訪を告げていた。

人の家に、文字通り土足で入り込むなんて。


……それに、どうやって住所を知ったのだろう。

目に見えてストーカーされなくなってからも、何度か引っ越しはしたのに。


「誰か、いるんだろ……?」


寝室から物音がしている。

心臓が痛いくらいに跳ねていて、口から吐き出してしまいそうだ。


これは僕の問題だ。

僕自身で決着を付けなくては。


「…………トーマ」

「………………カナ、タ?」


目の前には、僕の身なりを真似て、サイズも違うだろうに僕の服を無理矢理着込んだ誰かが立っていた。伸びてうねった髪の毛のせいで、顔は良く見えない。

でも、見間違えない。昨日のナイフ男、カナタだ。


「…………どうして?」

「…………」


どうして僕なんだ。

絵なんてこの世にいくらでもあって。

人の数ほど、それはどこにでも。

どうして、僕だったんだ。


「……トーマは、ずるいから」

「え?」


胸倉をつかまれ、床に引き倒される。

僕の脚の上にカナタが座り込んで、逃げられなくなった。でも、武器になるものは持っていない。僕だって、一発くらわせてやる。……腕さえ、解放されればだけど。


「トーマは全部持ってただろう、何にだって恵まれていただろう、だからオレに、ひとつくらいくれてやるべきだったんだ……何ももってないオレみたいなのを、ば、バカにしてるんだろう、トーマは……」

「……きみだって、持ってたろ、たくさん」

「オレが、トーマの羨むものを?」


なに言ってるんだろう。


「悪いことをする心とか、痛まない良心とか……誰もほしくないけどね」

「じゃあ持ってないのと一緒だ!!」

「……いまの僕とおんなじ」


僕の両手はカナタの片手で握ってしまえるほど貧弱で。

もう片方の手が首に伸びてくる。


「きみに絵を奪われて、信じる心も奪われて……僕は僕にとって、なにひとつ持ってない……きみも、自分が望むものを持ってない、ってだけだろ」

「うるさい!!トーマにオレの気持なんかわかるわけない!!」

「きみが僕の絵を奪ったって真似したって、それはきみの絵には一生、ならない」


くそ、思いっきり絞めやがって。

思いっきり殴りたいのに、暴れてもびくともしない。

せめて、かじりついてやる。


そう思った時だった。

カナタが後ろに吹っ飛び、僕は誰かに助け起こされた。

ああ、そうだ、警察の人を呼んできてって言ったんだった。

それにしては到着が早いような。


「……ハル、警察の人は?」

「でかい音が聞こえたから戻って来た!動くなって言ったのに!!」


ハルが怒ってる。真剣な顔だ。

怒られてるのになんだか、どきどきする。

……いや、じゃあ誰が警察を呼ぶんだよ。


「……オレがそこだって、トーマは良かったはずだろ……」

「あー、昨日ぶり、クソ野郎」

「オレをトーマにしてくれないなら、オレが隣でも良かっただろ」

「もう一度蹴り飛ばされたいみたいだな」


目の前でふたりがもめ始めてしまった。

リビングへの扉を超え、キッチンにもつれ込んでいる。

押さえようにも僕はこの場でいちばん力が弱く、むしろ足かせにしかならない。

下手したら、足かせになったせいで怪我をさせるかもしれないのだ。


「ハル、ストップ!お願いだから危ないことしないで!離れて!」


カナタが包丁を手に取る。


もみくちゃになっていて、状況を掴めない。


急にふたりが動きを止める。


僕にはハルの背中しか見えない。


ぽたぽたと赤が床に落ちていく。


ハルの腕を、血が、大量の血が伝って。


「ハル!!」






「無茶して悪かったからさ、泣かないでよトーマさん」

「ばか……ハルのばかっ!!ばかやろー!!」

「怪我したの俺じゃないしさ、おっけ」

「おっけじゃないッッ!!」



最高だ。


まさかここまで上手く行くとは思わなかった。


スマホを操作し、更に思った通りの結果を目にして、ほくそ笑む。


「トーマさんが証言してくれてたおかげで、俺、犯罪者にならずに済んだし」

「あれはどう見ても事故だろ、ハルが悪いわけない」

「……でも、終わったよ、トーマさん……全部」

「?」


トーマさんの目には、自分を殺そうとした長年のストーカーと揉めて事故ったように見えたんだろうな。まあ、そう見せたのは俺なんだけど。

でも、家に入り込まれたのは予想外だったな。

まあ、元々絵を盗むやつだ、管理人室から鍵を盗んでいたのも納得と言えば納得だ。


わかりやすく説明すると、クソ野郎をキッチンに誘導して、事故に見せかけて腕の腱を確実に切断してやった。本当は腕ごと切り落とすつもりだったんだけど。

まあ、それでしばらく傷口を抉ってやったわけだ。


俺は罪に問われないし、トーマさんは安心だし、クソ野郎は余罪含めてまあ、もう生きてるうちは檻から出てこられないだろうな。


たった一枚の絵を盗んだことから始まって、まさか残りの人生を檻ですごすことになるとは。ああ、無情。ああ、愉快。最高のフィナーレだ。









オレは失敗した。


トーマ自身を盗むべきではなかった。


あくまで隣にいようとするべきだった。


今更後悔しても、もうどうにもならない。


オレもトーマも、一生苦しむことが決まったんだから。



せめてあいつだけでも殺そうと思ったんだ。

だが、それが間違いだった。


あいつは早々に俺から包丁を取り上げ、一切の迷いも見せずにオレの腕を切りつけた。いや、迷いを見せないどころか、満面の笑みだった。目だけが笑っていない。


わざと大きな物音を立てて暴れながら、あいつはオレに耳打ちをした。


「それはトーマさんの苦しみだ、お前がこれから先、一生をかけて味わえ」

「トーマの腕は傷付いてないだろ!なんでオレだけ!!」

「トーマさんもそう思った、なんで僕だったんだ、ってずっと……もし万が一治っても、お前がまた絵を描こうとしたら地の果てまで追いかけて、今度は切り落とす」


触っちゃいけなかったんだ。


あいつは、あいつこそがバケモノなんだ。

ヒトの皮をかぶったバケモノ。

トーマを本当に喰い殺すバケモノ。


どうして誰も気付かないんだ。オレが正しいことを言ってるのに。


……あれ?これはオレの考え?

いや、トーマの言葉だ。オレの盗作を、責めたトーマが、最後に残した。


あれ?オレって、今までの人生、なにをしてきたんだ?


あれだけ苦労して形になった盗作も、腕はもう動かないんだし。


じゃあ、オレ自身の人生は?オレってどんな人間だ?オレって誰だ?


オレって、からっぽなんじゃないか。







トーマさんがかつて使っていたSNS、そのかつてのフォロワーたち。

自分たちがトーマさんの悲鳴を無視したことで、結果何が起こったのか……今になってやっと理解したらしい。そうだ。おまえらが加担したんだ。一生悔いろ。


クソ野郎はあらゆる情報を流され、いままでやって来たこともすべて明るみに出た。

恐らく、あの頃トーマさんを庇った人たちだろう。

同じように牙を研いで待っていたのだ。


ただ、トーマさんがこれからも憐みの目で見られることだけは耐えられない。


トーマさんは最初こそ泣いたり怒ったり吐いたり、再会したての頃みたいに荒れた。

でも俺がいるからか、1週間くらいで落ち着きを取り戻している。


今もあのマンションに住んでいて、でも少し変わって。


何より、積極的に絵のリハビリをするようになった。

俺が描いてる横で、俺にくっつきながらちょこちょこ描いてる。

俺は幸福の致死量を超えたといっても過言じゃない感じ。

こんな幸せでいいの!?って。これからはそれでいいんだ。

というか、そうじゃないと困るし。


あとはたまに絵を描く手を止めて、一緒に家具のカタログを見てる。

例の”楽園”には段々と家具が運び込まれて、当初の予想よりはるかに素晴らしいスピードで家らしい様相になってきた。


たまに不安で情緒がたいへんになることもあるけど、まあ、俺がいるからね。


俺も向こうの大学を受けるにしろ父親の仕事をいくらか継ぐにしろ、ふたりぶんの、平和で平凡で幸福な暮らしが待っているに違いないのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る