第19話 変身
「ですから、これは”トーマ”の絵の模倣ですよね?」
ある男から持ち込まれた薄っぺらいポートフォリオをピシパシと叩き、机に投げ捨て返す。冷めたコーヒーを音を立てて啜り、男の言い訳を遮った。
「他の所ならまだしも、わざわざそれを”うち”に持ってきた意味がわからない」
言うほどに苛々が強まり、己の膝を叩く拳に力が入っていく。
「素人の遊び場で許されていい気になってたんでしょうけどね、そういうものって、本物には通じませんから」
ばしん。机を叩き、話は終わりだとばかりに金を叩きつけて立ち上がる。
男が何か言った気がして、少しだけ振り返った。
「……でも、模倣のない絵なんて存在しないでしょ……オレがトーマになったっていいじゃないか……あいつは絵を捨てたんだから……次のトーマが世界には必要だろ……オレの絵をトーマが先に描いただけで……捨てた絵をオレが……別に……」
「トーマは絶対、絵を捨てない」
今度こそ話は終わり。
何事か喚く男を消し去るようにカフェのドアを閉め、受け取った名刺を眺める。
「これは各社で回しておかないとね……」
悪質なトーマの”模倣者”。
トーマが絵の仕事を辞めてから、もうどのくらいだろうか。
いや、休職扱いにしたから形式上は辞めたわけではない。
「宮島さん!」
「どうしたの?」
「いえ、またトーマさんのアレですか……」
かつて出版社でトーマの絵を扱っていた担当・宮島。
そして、それに憧れてこの職に就いた新人・日向。
「トーマくんも不憫よね」
「……なまじ才能があったばかりに、桁外れの悪意に晒されることになる……」
「それ自体はどこにでもある……ただ、程度が……異常よね」
「あの人、なんとかならないんですか?」
「法的にどうこうするのは無理でしょうね、デメリットの割にメリットが薄すぎる」
日向は深く深くため息を吐いた。
憧れの人と仕事がしたかったのに、いざ始まってみたら憧れの人は悪意の下に傷付き疲れ、一番大事なものを失くしてしまっていた。
日向は一度、打ち合わせの場で、名前だのメモだの、きっと絵ではないはずの何かを書こうとしたトーマを見たことがあった。みるみるうちに顔面蒼白になり、手が尋常じゃないくらい強張って震えて。
帰り道で死んでしまうんじゃないかってほど精神的に疲弊している様子だった。
この世からいなくなっていないだけでも救われる気持ちではあるが、やるせない。
「翻訳家を続けていてくれるだけありがたいと思わなくちゃね」
「……でも、あんなの見てられないです……」
なにかおかしいんじゃないのか、この世界は。
あんなものが許されていいはずがないじゃないか。
「……ヒトの皮を被ったバケモノよ、あんなのは」
言葉も道徳も通じず、殺してしまう他解決方法のない悪。
「トーマさん、可哀想……」
◆
「っぷし」
「風邪ひいちゃった?」
「いや、なんかくすぐったかっただけ」
結局実家には帰らず、僕らは街で食品やらなにやらを買ってきて新しい家で食事をとっている。ハルは本気で昼過ぎまで寝るつもりだったようで、早々に活動している僕を見て目をまんまるくしていた。
「着信、すごくね?」
「どうせ全部父親だから気にしなくていい」
「え、出た方がよくね?」
「ナツメたちに連絡してあるのに……」
仕方なしにかけ直すと、予想通り父親が喚いていた。
「ハルと一緒だから大丈夫だってば!」
「だから危険なんだろう!?」
「あんまりうるさいと着信拒否にするから」
「…………いつ帰ってくるのかだけ教えなさい」
「いつか!じゃあね!」
全く過保護で嫌になる。
いつまでも小さいこどもじゃないってのに。
父親からの履歴を消していると、見慣れた番号からの着信があることに気付いた。
「ちょっと電話していい?」
「うん。俺、飯食ってる」
一瞬時差を考えたが、この人なら気にしないだろうとリダイヤルする。
予想通り数コールで出た宮島さんが、慌てたような声を上げていた。
まさか電話が来るとは思わなかったのだろう。
「トーマくん!?」
「あー……その、ご無沙汰してます……」
「生きてる?」
「あ、はい、大丈夫です……生きてます」
「じゃあ、いいわ……ところで今、どこ?」
正直に現在地を告げると、素っ頓狂な声を上げたっきり沈黙してしまった。
「えと、宮島さん?」
「ああ、ごめんごめん……そっか、実家があるんだもんね」
「はい、今回は急用があって……あ、お土産買って帰りますね」
「……元気そうでよかった」
「……その節は心配をおかけしまして」
思い返すと顔から火が出そうに恥ずかしいので、必死に気を逸らす。
「あ、そうだ!一回、教え子の絵を見てもらえませんか」
「教え子!?トーマくんいったい何になったの!?」
「あーっと、帰ってから一回打合せしましょう」
「わかった、じゃあ連絡待ってるわ」
通話が終了した携帯電話の電源を切る。
ふう、とため息をひとつ吐いて、ハルに向き直る。
「ハル!編集部の人がハルの絵見てくれるって!」
「ん?!」
「えっと、とりあえず帰国したら一緒に行こ」
「げほ、そりゃどこにでも行きますけど、なに、なぜ急に?」
「バズるチャンスかなって……」
「うーん、かわいい」
「はは……そりゃドーモ」
◆
「…………」
「ど、どうですか?」
「……トーマくんの絵を踏襲しながらも、全く違う世界にいるみたい……ただ」
「た、ただ?」
物言いがばっさりしているらしい宮島が言い淀むのを見て、トーマさんがあわあわし始めた。それはそれでかわいいけれど、落ち着いてほしい。
「トーマくん以外を描いてもらわないことにはちょっと……」
「いやです」
「いやかぁ…」
「こら、ハル……」
顔を赤くしたトーマさんが俺の足をぺちんと叩く。
なんだそれかわいいなオイ。
「うん、でもいいセンいってると思うわ、特にこの真逆のタッチが……どこで出会ったのか気になるくらい真逆ね、あなたたち」
「妖精のいたずらで」
「は?妖精?」
「あー気にしないでください、偶然みたいなものだと思っていただいて」
「……一見凸凹だけど、それが逆にぴったりと合致しているのかもしれないわね」
トーマさんの職場という事実が楽しすぎて、つい軽口をたたいてしまう。
だって素敵じゃないか?トーマさんが仕事してる場所だぜ?
「まあトーマくんが言うなら実力は確かでしょうね」
「ほんとですか!」
「あざす」
お?意外といい人だぞ、さすがトーマさんが信頼してるだけはあるということか。
宮島の携帯が鳴り、席を外した。ふたりきりになるとなぜか笑いがこみ上げてきた。
「なんで笑うんだよ」
「知らないトーマさんを知れた!」
「そうですか……」
「せっかくだし追加注文しちゃおうぜ」
どうせ出版社の1階に入ってるやつだ、社員価格とかなんかそういうやつだろ。
ふたりでメニューをあれこれ見ていると、入り口の方が騒がしいことに気が付いた。
「なんだろ……」
「なんかの撮影とかじゃね?別のテーブルで対談とかしてたし」
トーマさんは「映りたくないなぁ」と言って、テーブルの下に隠れようとしている。
もう、いつか問うてみたい。赤ずきんばりに。どうしてそんなにかわいいの、と。
――――あ、違う。
殺気としか言い様のない気配を感じ、トーマさんをテーブル下に押し込む。
うわ、なんか当たった。
じくじくと痛み始める腕に、赤い線が浮かぶ。
「うげ」
あー、そういう騒ぎだったか。
俺はともかく、トーマさんを逃がさなきゃ。
「ハル!!」
「トーマさん、中々大胆だね…」
机と机の間にある塀(?)の上で、トーマさんが俺の腕を引っ張っていた。
そういうことなら、と机を蹴り上げ、ヤバい人を向こうへ倒す。
「助かった」
「は、ハル、血!」
「利き手じゃないからおっけ」
「おっけじゃない!」
俺の腕はトーマさんの上着でぐるぐる巻きにされてしまった。
「宮島さんは!!」
「それより走って!」
背後でものすごい音が鳴ってるから。
ちょうどあの机をひっくり返したような音が。
「ど、どこに逃げたら……!」
「なんで一目散に俺らを狙うんだアイツ!?」
据えた目で真っ直ぐにこちらを射抜いている。
俺はトーマさんを抱え上げ、いくつかの塀を超えた。
◆
宮島が電話から戻ると、すっかり景色が変わっていた。
店内に嵐でも吹き荒れたかのように滅茶苦茶になっている。
遠くから近づいてくるサイレンの音に、事の重大さだけを理解した。
「なんの騒ぎ!?」
「ナイフを持った男がいたんです……!」
「は!?……あの席にいた子たちは?」
「それが……」
宮島は目の前が白んできた。
店員の目撃情報的に、確実に先日持ち込みに来た「模倣男」だ。
もしふたりに何かあったら……いや、そうじゃない。
「あいつ、もしかして最初っからトーマくんが狙いで……?いや、今日打ち合わせすることは私と本人達しか知らないはず……私を恨んでるならわかるけど……」
店内に駆け込む警官をひとり捕まえ、パトカーに戻らせる。
得体の知れないバケモノが街を這いずり回っているような感覚に陥る。
「本物を喰らえば本物になれるとか、考えてないでしょうね……」
じわじわと上がってくる吐き気を噛み殺した。
◆
「…………行った?」
「ハル、しっ」
辺りはしぃんと静まり返っていて、何の足音もしない。
しがみついて離れないトーマさんを宥め、そうっと外を見回す。
出ても大丈夫そうだ。
「いやぁ、まさかこんな古典的な手を使うことになろうとは」
「ハル、早く病院に行こう……!」
俺たちは塀の周りを一周して、元の場所に戻ってきていた。
念には念をでごみ収集所の中に隠れながら。
綺麗にゴミ出しをしてくれているここらの住民に感謝しなければ。
「病院は後でな」
「なんで……!」
「サイレンの音が近い、カフェに警察が到着したんだろう」
そうなれば、今一番安全なのはここから目と鼻の先、現場に戻ることだ。
トーマさんの肩を抱いて、音を立てないように塀を超える。
「ふたりとも!」
「宮島さん!」
「こっちいらっしゃい!!」
俺たちはすぐさま警察に保護された。
見送る宮島の、憔悴したような表情だけが気になった。
◆
「うぅ~~~……」
「こっちの子はどこが悪いの?頭?」
「いや、普通に考えて目の前で俺が怪我したからでしょ」
「ふむ、ユーも脳に異常アリ……ナルシシスト、と」
「ヤブ医者か!!」
バカボンにでも出てきそうな警察病院の怪しい医者は、俺の腕の傷をちょちょいと消毒してガーゼを当てるだけで処置を終えた。
今はトーマさんに向き直り、アホなことを絶えず言っている。異常はおまえだ。
「あのね、そんなに血出てないね?切れたのほんの表面だけね」
「うぅ~~~~~~~~~っ……」
「数日も経てばほっそいカサブタになってペロンよ、アトカタもなしよ」
ようやく落ち着いたトーマさんは、また俺にしがみついて離れなくなった。
「ここにいれば安全ね、邪魔だからどっかの病室使えばいいね」
どっか、とは言われたものの、すぐ近くの病室のネームプレートに俺達の名前が入っていた。決まってんじゃねえか。仕方なしにその病室に入り、ベッドに転がった。
「……ごめんねハル……僕が今日、無理に連れて来たから」
「無理じゃないし、トーマさんのせいじゃない」
トーマさんの腕を掴み、ベッドに引き込む。
星の光のような涙が、いくつも俺の頬に落ちてくる。願い事するべきだろうか。
「どんな理由があったって、悪いことしたやつが悪いんだから」
「……でも」
「はい、おやすみ~」
掛け布団で包むと、トーマさんはすぐに寝入った。
やっぱり、だいぶ精神的に負担をかけてしまったのだろう。
「………………」
果たしてあいつは、本当にただの通り魔だったのだろうか。
一目散に俺達を追いかけてきているように見えたし、時間の問題とはいえまだ捕まっていないにも関わらず他に死傷者がいなかった。
と、そんなことを考えていると、病室の扉をノックされた。
トーマさんをそっと寝かせ、ドアをほんの少し開ける。
「あぁ、ハルくんね」
「宮島さん?」
「トーマくんは?」
「寝てます」
せっかく寝てるトーマさんを起こしたくないし、いまこの状況でトーマさんのいる病室を離れたくもない。万が一ということもある。
俺がそう言うと宮島は向かい合う病室のドアも半分開けて、そちらに手招いた。
「今日の通り魔のことなんだけど……」
「本当に通り魔ですか」
「……私はそう思わない」
宮島は抱えていたノートパソコンをベッドに置き、何か操作した。
監視カメラの映像のようで、今日見たあの男を映し出す。
「こいつ、今日の……」
「やっぱりこいつなのね」
「……もちろん、説明してもらえますよね?」
「ええ……素性も割れてるし、捕まるのも時間の問題だけどね……」
あいつはユウキカナタと言って先日宮島のいる出版社に持ち込みにきたトーマさんの”模倣者”だという。対応したのが宮島で、その異常さに門前払いしたそうだ。
だからもしかしたら、今日の本当の狙いは怨みを買った自分だったのかもしれない、危ない目に遭わせてしまった、と頭を下げられてしまった。
俺は別に、トーマさんさえ無事なら気にしないんだけど。
「……ユウキ……カナタ?」
「ただ、君達を追い回したことだけが気がかりで……」
なるほど、事のつながりが見えてきた。
もしかすれば、俺が手を下さなくとも消えてくれる可能性が出てきたぞ。
「宮島さん、トーマさんが絵をやめたきっかけ、聞きました?」
「ええ、まあ……事細かにではないけど……あなたは?」
「なにもかも」
「…………そう……それで」
「トーマさんが絵をやめる原因、今日のあいつじゃないかと思って」
カナタ。
何度も何度も憎しみを込めて見たから覚えていない訳がない。
お前が消えてさえくれれば、トーマさんには立ち直る余地が生まれる。
悪を働いたものが正しく罰を受けること。
それが善を貫いたトーマさんへの特効薬になる。
このまま捕まりさえすれば、動機として今までのことも明るみに出るだろう。
見て見ぬふりをした傍観者たちにも、等しく罪悪感を植え付けられる。
トーマさんに懺悔しながら一生を終えたって足りないくらいだ。
ああ、笑いがこみ上げてくる。
宮島が恐怖の滲む顔で見ても、俺は音を殺して笑うのをやめなかった。
「でも、今日打ち合わせをすること……なぜ知っていたのかしら……」
「それも、捕まえればわかることですよ」
それだけ異常なら、病院で一生を終えてもらうことだって不可能じゃないだろう。
玉座には正しき王を据えるべきだ。
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